017 分数の掛け算、割り算ってどうやるん?
その夜、勇人は一人食堂に残ってなけなしのレポート用紙を前に唸っていた。自分のここでの生活環境の改善の為にこれからやるべきことのリスト、元の世界の言葉で言えばTo Do Listを作成中だ。
生活環境の改善、平たく言うと衣食住の改善だが、「衣」の改善は困難だ。何しろ自由に使える布がない。使えるストックがあるのはウサギやキツネなどの毛皮くらいであるが、毛皮は既に防寒具に利用されている。
「住」の改善もできることはあまりない。この世界の建物は土魔法を利用した土造りレンガ造りが主流で隙間風を防ぐのも土魔法で対処できている。「在ったら便利」は窓ガラスであるが、これを作るのには文系の勇人では知識が全く足りない。
石鹸作りはある意味ラノベの定番であるが、作れるだけの知識があるか否かという以前に苛性ソーダが恐ろしい。そもそもムクロジの果皮という代用品が広く使われている現状では必要性も言う程にはない。
(で、残るんは食いもん言うこっちゃ。イモは耕作面積の拡大、稲作の改善、鯉の養殖それに当面は助祭から巻き上げる金で肉の購入やな。畑での裏作とか聖域での狩りが出来たらええんやけど。裏作は肥料問題、狩りは安全面での課題在りで一朝一夕ではでけへんなぁ。あとは直接衣食住には関係あらへんけど子供たちの算数の学力向上か)
勇人はレポート用紙に小さな字でチマチマと書いて行く。この世界では一品もの、これがなくなればもう補充は効かないのだ。
(稲作は当面塩水選と正条植えで二割増産、追々施肥やら除草、水管理、ここまでやれば四割増産は可能かな。田植えは五月初旬と。
鯉の養殖は稚魚一万匹で始めて、一年目に五千匹、二年目に二千五百匹、三、四年目に千二百五十匹ずつ消費するとすれば三か月くらい先から毎日、領に換算して一年目後半の稚魚くらいの量を食卓に乗せられるか。まあ、これについてはやったことないし、トラたぬやな。鯉の産卵は五、六月頃やろから、それまでに養魚場の整備と餌の確保や。整備の方はワイがやって、餌の確保はチビどもとあの役立たずに任せる。せや、ヤケンか石臼を準備せんとあかん。これは五月中に何とかせんと。
肉については金を渡して年上一、二人とエラドに任せればええか。週穴銀六枚やからグラム百円としておおよそ六キロの肉が買える勘定や。一人一日四十グラム弱か。タンパク質の量としては足りん感じやけどしゃあない。畑を広うしてマメ植えたらええんやけど一朝一夕ではでけんわな)
それから勇人はレポート用紙に掛け算の表を書き始めた。数字はもちろんこの世界のものを使い、二行置き位に余白をとっている。掛け算の九九を作るつもりだ。
(九九はゴロのええのんを頭の柔らかい子に作らそ。これだけは頭から覚えるしかないしなぁ。まあ算数は先のこと考えんかったらドリルやって覚えるのが一番手っ取り早いんや。あとは問題やらしてみて誰がどこまでできるんか掴んでからやな。明日も早いし腹も減るし、もう寝よ)
勇人は寝室戻ると藁布団に潜り込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝起きると日課の鍛錬だ。朝練が終わるとエラドが手招きをした。
「昨日言ってた紐を見に行こうか」
エラドはそう言って倉庫に向かって歩き始めた。勇人も後に続く。
倉庫に着くと、エラドは隅にある箱の所に行った。箱の隣には藁縄が積んである。箱を覗くと麻紐と太さが異なる棕櫚縄が何種類か丁寧に竹筒に巻いて収められていた。
「この中から適当に選んで使え。糸でなければ出来んのなら言ってくれれば出すが、そっちは金が掛かってるから出来ればここから選んでくれ」
「ここに有るもので間に合うと思う」
勇人はそう言うと一番細い棕櫚縄を手に取ってみた。これなら水に漬けても数年間は持つだろう。竹筒をもとに戻すとエラドに話しかけた。
「どれくらい要るか正確なところは分からないし、半端な切れ端を残すのも勿体ないから竹筒ごと借りてゆくよ。まあ今日はまだ割り竹の準備が終わってないから二、三日後になるけど」
「好きにすればいい」
エラドが出てゆこうとするので勇人は少し慌てた。まだ願い事がある。
「今日は皆は何をするんだい」
「開墾地の粗起こしが出来たから、これからは施肥と畝造り、それが済んだら芋苗の植え付けだな。今日は裏の林で落ち葉を集めて開墾地に撒く作業だ」
「それなら、虫を見つけたら集めてほしい。殺して袋にでも詰めて僕のところに持ってきてくれ」
「落ち葉は虚空庫で運ぶから生きてる虫は弾かれて下に落ちる。集める手間は知れてるから引き受けてやるが、そんなもの何にするんだ」
エラドは怪訝そうな顔で勇人を見た。
「鯉の餌にするんだよ」
「なるほど」
「それからアビーをこっちに回してほしい」
「いいぞ。あいつは人目がないとすぐに怠けるから真面目に働かせようと思ったら監視役が要る。それくらいなら監視役を作業に回してあいつを放って置く方が益しだからな」
エラドは苦笑いをしながら倉庫を出て行った。勇人も出て行こうとして部屋の隅で埃を被っている或るものにふと目が行った。
(ええもんがあるやないか。算盤、しかも日本式や)
そこに有ったのは二十数個の算盤と教師用の大きな算盤だった。
(五つ玉か。かなり昔に落ちてきた奴が持ち込んだんやろな。算数の勉強会で使わせてもらお)
残念ながら勇人は算盤塾に通ったことが無かったので、算盤で出来るのは足し算、引き算までである。しかし位取りを教えるのには十分だ。なんせここでの数字の表記算用数字的なものはあるものの、主流は日本語で言えば億、万、千、百、十などと言う文字を加えた表記法なのである。位取りを覚えて貰わないと算数でさえ先に進めない。と言うか勇人が教えられない。どうやって教えようかと思案していたのだが、算盤は視覚的に位取りが解る。
勇人は自分の持ち物の中からリュックを取り出し、算盤をその中に入れると肩に担いだ。そして脇には教師用算盤を抱えてほくほく顔で倉庫を後にした。
寝室に行き、ベッドの脇にリュックと大算盤を置くと昨日作業をしていた孤児院前の広場の隅に行った。割竹は昨日のままで、アビーがそこから少し離れた土手に座って誰も居なくなった田圃を見るともなく見ていた。
「おーい、アビー。何してるんだ」
アビーはモゾモゾと動くと立ち上がってやる気なさげに勇人に向かって歩き始めた。
「エラドにお前を手伝えって言われた。待っててやったぞ」
「そうか。ありがとよ」
「むっ。感謝が足りねえぞ」
アビーはしかめっ面をして怒っているアピールをするが、幼児からやっと片足が抜けた子供が怒って見せても可愛いだけだ。
「分かった、分かった。感謝しているよ。取り合えず昨日と同じだ。割竹を奇麗にしてくれ」
「ん、分かった」
そう言うとアビーは早速割竹をナイフで削り出した。勇人も同じように地面に座り込むと割竹を削り始める。その日は一日その作業で終わった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
食後はいよいよ勇人が講師となっての算術勉強会初日だ。建て前はレヴィナ助祭は忙しいと言うことになっているので、彼女は夕食後すぐに自室に引っ込んだ。そのため前振りはエラドがすることになる。
「みんな知っていることだが、ユージンはチュードで、一月ほど前に上の世界での記憶が戻った。そのためこちらで過ごした二年ほどの記憶は忘れてしまったようだが、今日はそのことは横に置いておく。記憶が戻った結果、予想通り見た目より遥かに年上であることが判明した。しかも上の世界で十年以上教育を受けているとのことで、当然算術にも詳しい。
そこでだ、助祭様は算術が苦手・・・ではないが、お忙しいので算術の勉強会はユージンが講師をすることとなった。算術が出来るか出来ないかはお前らの将来に大きくかかわっている。大変かも知れないが必ず自分のものにするように頑張ってくれ。それでは、ユージン先生始めてくれ」
勇人は黒い石板の前に立って挨拶を始めた。
「僕みたいな見てくれ十歳のガキに算術を教わるのは、特に僕より年上の人はあまりいい気持じゃないのは分かるよ。でも僕は見てくれと違って中身は大人だ。見た目は子供、中身は、ってやつだ」
誰も笑わない。
(年寄りの渾身のギャグやったんやけど、そら元ネタ知らんと面白うも何ともないわなぁ。しゃあない。続けよ)
「うん、中身は大人だ。それもサミュエルさんやエラドより確実に年上だ。あまりに年上すぎて算術なんか習ったのはウン十年も前なんで計算の仕方は覚えているけど、どういう風に教えてもらったか、本職の先生の教え方は端から忘れてしまってる。という訳で計算の原理は横に置いておいて問題解いて、解いて、解いて・・・頑張ってもらうことにします。
今日はみんなの算術の力を知りたいんで問題百問を解いてもらうよ。全部足し算で後の問題ほど難しくなってるから、問題の番号と答えだけ手元の石板に書いていってよ」
一桁足す一桁、繰り上がりのある一桁足す一桁、一桁足す二けた、繰り上がりのあるそれ、二桁足す二桁、繰り上がりのあるそれ、同じく十の位の繰り上がりもあるそれ、「五十二足す三十六」などのように書いて行くのだから問題を出す方も大変だ。
その結果、殆どの孤児が繰り上がりのある一桁足す二桁まででダウンした。全問正解したのは十三歳の男女ウジとアラヤ、十四歳のデボラの三人だった。
(驚いたのなあ。九歳のリーアが一問間違えただけやったわ。アビーは、うん、よくやったね。
これで当面の方針は決まりやな。一桁足す一桁からやり直しや。リーア、アラヤ、デボラは三人で掛け算の九九を考えて貰お。ウジは面倒見が良さそうやし、女の子三人と九九作りと言うのはハードル高そうやから足し算の間はワイの助手やな)
「これで今日の算術は終わりだよ」
全員が魂が抜けたような顔をしていたが、その言葉を聞いた途端に生き返ったに違いない。石板をもとに戻すと我勝ちに寝室へと向かった。
本当にやり方を忘れてしまいました(泪




