111 開戦前夜
九日の旅を重ねて、とある街に着いた。明日はいよいよエリシャ湖の辺りの道を通り、西エリシャ峠を越える旅程になる。領都では有ったが男爵領に過ぎず大きな街ではないため宿屋は男爵一家と侍女たちそれに上級従士で占められてしまい、下級従士や見習い、魔猟士隊は街の広場に思い思いにテントを張って一晩を過ごすしかなかった。
九日の旅のうち実に七日がテント生活で宿にありついたのはラフィア辺境伯領の隣の伯爵領都だけだった。当然疲れが溜まっている。それでもあと一日で仕事が終わるとあって魔猟士隊の中には露店や小マシな店に飲みに行くもの、いかがわしい店で羽根を伸ばすものと様々に疲れを取ろうとしていた。
「ねえ、ユージン。風呂ユニットぐらいは出しても良いんじゃないの」
こういう生活が一番苦手なヨナが上目遣いに勇人を見ながら風呂を強請った。確かに風呂くらい入りたい気分ではあった。
「目立つからなぁ。魔猟士仲間や従士たちの中で目立つくらいはかまわないんだけど、ハブラガ男爵家の嫡男・・・なんて言ったかな・・・エフライムだったか、あいつに目をつけられるのは嫌だな」
「裏通りの奥に空き地があったよ。あそこなら男爵家のやつらが来るはずがないから良いんじゃないかな」
ジェシーも風呂に入りたいようだ。さり気なく場所まで指定して強請ってくる。隣のテントで聞き耳を立てていたのかバペットがのそりと現れた。
「風呂に入るんだって。私たちが護衛をしてあげるからハブラガ男爵家には文句は言わせないわよ。その代わり私たちにも入らせてね」
こうなっては風呂を出さないわけにはゆかなくなった。
「『天使の羽根』が全員で守備についてくれるんなら出すけど」
「もちろん、全員が賛成するわよ。この任務について初めて入れるのですもの」
そう言ってバペットは自分たちのテントに戻ったが、一、二分もしない内に四人で戻ってきた。前に宿にありついたときにも風呂はなく湯浴みをしただけだったので当然そうなるのだろう。
「風呂だってな。早く沸かせ」
普段はあまり身だしなみに頓着しないイラナまで酷く乗り気だ。勇人たちは急かされるままにジェシーを先頭に裏通りの空き地に向かった。その途中、上級従士が泊まっている宿屋の前まで来たときのことである。
「おい、急げ。お主らの秘密任務は重大だ。他人に気付かれる前に出発するぞ」
秘密任務だと言う割に大声で命令している声が聞こえた。あれは護衛隊長の声だ。声のする方を見ると十人前後の従士が馬鹿でかく、そして重そうな荷物を背負って整列していた。
「それでは行って参ります。出発!」
その小隊の小隊長らしき従士が掛け声を掛けて、一列縦隊で出発した。わざわざ表通りを通り、西門から外に出て行く。
(なんやろ。秘密任務や言いながら、わざわざ目立つ荷物を背負うて表通りを抜けて行くてどう見てもダミーやないか。いや、ダミーと見せて本命か)
荷物を隠すつもりなら【虚空庫】に入れれば良いはずだが、そのつもりは一切ないらしい。
「やはりね。娘の誕生祝いと言いながら、あれは賄賂よ。どうせ子爵になりたくて親戚に当たるキシェフ侯爵に賄賂を送るつもりなのよ。あれはダミーかしら、それともダミーと見せて本命かしら」
ヨナも同じことを考えたようだ。
「お前らもそう思うか。あれはダミーと見せて、本命と見せて、ダミーだな」
(ややこし。結局ダミーかいな)
「ガリアは何でダミーと思うんだい」
「あたいが出発の前日にしつこく護衛対象を聞いてたのを覚えてるかい。ハブラガ男爵は小心者でね。大事なものを他人に託すなんてことはできないんだよ。で、どうせ賄賂を自分で持ってゆくことは分かってたから、それと自分たちの命とどっちが大事か念のために聞いたんだよ」
「ははは。読まれちゃってるんだね。盗賊はどう読むだろう」
「関係ないよ。三百人も居るんだ。二つに分けて両方襲うさ」
ガリアはいい笑顔でそう言った。面白いことになりそうだと期待する気持ちが目元の皺に現れている。
「でも、三百人って言ったって、その中には老人や子供もいれば、賄い専門の女性や怪我人なんかもいて、実働は二百人くらいだろ。そのうち五十人を砦の護衛に残せば百五十人になっちゃうよ。そのうちから二、三十人も別動隊に当てれば残りは百二、三十人。こっちと人数的には変わらなくなる。分けるかなあ」
勇人は以前本で読んだことがある中世の傭兵団のことを思い出して疑問を呈した。
「う~ん。その場合には何か謀を巡らすか」
(いよいよ黄泥岡になってきよったなぁ)
空き地に着くと辺りを見回し、面倒そうな者が居ないのを確認してからバスユニットを出した。作り置きの熱湯と水とを混ぜて適当な水温にして湯船に満たす。入浴したのはまず「グリフォンの夢」の女性陣だ。
そのあと勇人とガブルが入ろうとしたら、ガリアとバペットに睨みつけられ、怯んでいる隙にイラナとマヤが入った。理不尽だ、勇人もガブルもそう思ったが言い出せる雰囲気ではなかった。その後は流れでガリアとバペットが入り、勇人たちは結局最後になった。新しい湯を張ったのがせめてもの抵抗だった。
二人が風呂に浸かってゆっくりしていると外が何か騒がしい。嫌な予感がして脱衣所のドアの隙間から外を覗いてみると男爵家のお坊ちゃんが護衛数名とやって来て「天使の羽根」と揉めている。
「お前ら、誰の許しを得てここを占拠している。この建物は何だ」
エフライム・ハブラガが居丈高に構えて問い正している。
「これはハブラガ男爵ご令息様、誰の許しを得るも何もここはお父上の領地では有りませんわ。あなた様のお許しを得なければならぬ筋合いは御座いませんし、誰の許しを得たかをお答えする必要も有りませんことよ。それにこれは建物では有りませんわ。仮設の風呂ですのよ。テントと同じなの。男爵様の護衛を仰せつかっている魔猟士が街中にテントを張るについては、男爵様がこの街の御領主様からご了解を取り付けてくださっていると聞き及んでおりますが」
バペットがバカ丁寧に答えている。揶揄っているのだろう。
「風呂だと。俺すら風呂のある宿屋は侍女どもに譲って湯浴みで我慢しているのに雇い主を差し置いてお主らだけ入っているのか。実にけしからん」
「あたいはこの魔猟士中隊の中隊長ガリアだ。あたいらはあんたのところの従者じゃねえから契約以上のことをする義理は無えよ。契約で男爵の護衛を承っちゃいるが、風呂まで用意する契約にはなってねえ。風呂に入りたけりゃ自分で用意するんだな」
「こんなバカでかいものを用意できるものか。魔猟士隊だけ入って我らには入らせぬと言うのか」
護衛の中から文句が聞こえた。一番年嵩の護衛の中ではリーダーと思われる男の声だ。
「別に魔猟士全員が風呂に入る訳じゃ無いぞ。魔猟士の一人がこれを持っていて自分たちが入るってんで、その間の護衛を引き受けるのと引き換えに俺たちも入れるって取引をしたんだ。対等の取引だ」
(嘘つけ。何が対等や。対等やったら持ち主が一番風呂に入るもんやろ。ワイ、最後やったやないか)
勇人は思わず歯ぎしりをしてしまった。歯ぎしりをしたのは勇人だけではなかった。
「御託はもう沢山だ。俺にも入らせろ」
エフライムはそう言うと一歩前に出た。剣の柄に手を掛けている。
「おっと、それは止めた方がいいわよ。B級魔猟士四人にD級でもゴブリンキングを相手にしたのが四人も居るのに勝てると思ってるの。それに他領で剣を抜いたら貴族様でも裁判沙汰になるわ。真偽判定官が出てきたらどんな裁定をするかしらね」
マヤがニヤニヤしながらやんわりと嗜める。むしろ剣を抜いて欲しそうな気配を感じて勇人は背筋に冷たいものが走った。
「くっ、帰るぞ」
エフライムは自分たちの不利を悟ったのかクルリと背を向けると足早にその場を去った。護衛たちも慌ててその後を追う。
勇人とガブルが服を着て外に出ると、「天使の羽根」の四人とジェシーたちは思い思いの格好で彼らを待っていた。
「あたいらの話は聞いてたんだろう」
「ああ。面白かっただ。ジェシーとヨナはどうしてただか」
「顔を見られると不味いと思って、バスユニットの後ろに隠れてたよ」
「風と雷は準備してただか」
「そんな必要無かったわよ」
「んだな」
勇人は素早く風呂ユニットを収納し、全員でテント村に帰った。明日に備えて今日はゆっくり寝よう。




