永劫の檻
悲哀に満ちた絶叫が都市全体に響き渡る。イヴァムが張り巡らせた透明の結界壁によって、逃げ場を失った市民が一人、また一人と、黒き怪物達の無慈悲な一撃によって、失意の内にその生涯を絶たれていく。
助けて、助けて。
誰の耳にも届くことはない、救いを求める声が交錯するも、手を差し伸べられる者は誰もいない………。
セントラルホーム南区に点在する路地の一角で、一人の子供が嗚咽を漏らしながら疾走していた。子供は母親を怪物に殺され、自己防衛本能のままに命からがら逃げ果せて来たのだった。
今は亡き母親の無残な姿を思い出す度に強烈な吐き気に襲われ、必死で逃げている途中に負った擦り傷の痛みが、容赦なく追撃をかける。路地の隅にあった僅かな窪みに滑り込んで、恐怖に耐えながら救助を待っていると、突然目の前に中年の男が顔を覗かせた。
年齢は三十~四十ぐらいだろうか。まず真っ先に目がいってしまうぐらい衝撃的なスキンヘッドに、相手に警戒心を与えない温厚な瞳。背丈にぴったりの白のロングコートを身に纏った姿が、妙に似合う男だった。
子供は一瞬怪物と勘違いして目を伏せたが、男は子供の行動に怒りを示さず、震えているその肩に優しく触れる。
「怖かったでしょう?もう大丈夫ですよ。」
目に涙を浮かべたままだったが、どこか安心感を与えてくれる声色に、子供は若干落ち着きを取り戻したようだった。
「おじさん。お母さんが、お母さんが………!」
「うんうん、安心しなさい。今君のお母さんに会わせてあげますからね。」
「本当!?」
「ええ、本当ですとも。」
子供の母親は他界している。死者を蘇らせるなど不可能である。しかし、安心と言う名の麻薬を打ち込まれた子供は、何一つ疑わず男の発言に喜びを露わにした。男はそんな隙だらけの子供の首根っこを掴んで、まるでゴミを投げるかのように自身の後方へと放り投げた。
その先にあるのものは、地獄。男の背後には、餌を求めて蠢く複数の怪物達が蔓延っていた。怪物達の中心部に投げ入れられた子供は、騙された事に気付き絶望する。
「ああ、申し遅れました。私の名前はベヌール。死を救済とする活動をしておる者です。」
「助けてえええええぇぇぇぇ!!!」
誰の耳にも届かない儚い声は、怪物達の刃に切り裂かれて無残に散った。
「ああ………私は実に良い行いをしました。これであの子供も、無事母親の元へ逝けたことでしょう。ホホホ………。」
べヌールと名乗った男は身を翻して、次なる標的を捜して歩み始める。この非道な虐殺を、正道だと信じて。
都市中で殺戮が行われている最中、聖典教会内部もまた、無尽蔵に湧き出てくる黒き怪物達にその身を蝕まれていた。
配給部門長ノークは、恐怖に屈して戦えない部下を部屋の隅で待機させ、自らは作業机を横倒しにして簡易バリケードを作り、部屋に侵入しようとする怪物達の足止めを行っていた。
「くそっ、一体何がどうなってんだ!?」
行き場のない苛立ちをぶつけんが如く、自前の小型拳銃を発砲して巨人怪物の動きを止める。
「それは俺達も聞きたいですよ!!」
様々に入り乱れる音にかき消されないよう、ロッズは声を張り上げて返答する。二人が装填している時間は、クリオが稼ぐ。
「この化け物、撃っても撃っても死なないじゃないか!!」
度重なる攻撃で怯んだ巨人の怪物が後退すると、扉に隙間が空く機会を窺っていた狼が、入れ違いで突撃して来るが、バリケード前に張り巡らせておいた電磁ワイヤーに引っ掛かる。
「くたばれ!!」
ノークは即座に手持ちのボタンを押して、手痛い電撃を浴びせる。この攻撃で気絶するかと思われたが、狼は強靭な牙をもって、電磁ワイヤーを噛み千切り脱出した。
「何ぃ!?こいつワイヤーを噛み千切って………!!」
怒り狂った狼はそのままバリケードを飛び越え、ロッズへ飛びかかった。
「ロッズ!!」
「いってぇ………!くそっ、この野郎!!」
ロッズは必死に抵抗して引き剥がそうとするが、狼の鋭い爪が右腕の肉に深く食い込んでおり、退けるのは難しい状況を強いられていた。
「クリオ、ここは頼む!」
クリオに銃を預けて、ノークはロッズの使用しているバリケードに転がり込むようにして移動する。
「リーダー!俺の事はいいですから、正面の化け物を!!」
「部下を見捨てる上司はな、俺が目指してるモノとは全くの正反対なんだよ!!いいから黙って助けを求めろ!!」
ノークは力一杯そう叫ぶと、懐にしまっていた小型ナイフを二本取り出しては、その内の一本を狼に向けて勢いよく振りかぶった。
「ロッズから離れろよ、このクソ野郎がああああぁぁぁっ!!!」
渾身の一撃は狼の眉間に突き刺さった。激痛で暴れ始める前に、もう一本のナイフを用いて素早く対応する。ロッズの腕に食い込んでいる狼の左前足に突き刺した後、強引に掻っ捌いてそれを切断した。
「ギャオオオォォ!!」
「邪魔だっ!!」
片足を失い、バランスを崩した狼の脇腹に全力で蹴りを放つ。狼は勢いよく入口付近の壁に激突し、辛うじて息はあるものの、抵抗する余力は完全に奪えたようだった。
「お前ら、ロッズの手当てを頼むぞ!」
部屋の隅に待機させていた部下達にロッズを任せて、ノークは元いた場所へと再び転がり込むようにして戻った。ノークの帰還を脇目で見ていたクリオは、一丁の小型拳銃を持ち主へ放り投げる形で返却し、射撃に集中する。
「悪いな、今戻った!」
「正直死ぬかと思いました………!けど、二人ならっ!」
「残弾数を鑑みるに、持って二十分弱………ってところか。救援は必ず来るはずだ、絶対に誰一人として死ぬんじゃねぇぞ!!」
その未来は希望か、絶望か。誰も知らない行く先に希望があると信じて、限られた時間を懸命に生きる――――――
走る。走る。膝が痛もうが、腹部が痛もうが、前だけを向いて懸命に疾走する。地獄を彷彿とさせるおびただしい煙を目の当たりにしたラドは、早々に下山してセントラルホームへと強行軍を決行していた。
走りながら水分を補給して、背負っていた鞄の中へ乱雑に投げ入れチャックを閉める。額に溜まる汗を乱暴に払いつつ、足だけは止めない。とにかく一歩でも前へ、前へと進める。
………しかし、体力は限界に近い。ここでラドは、老師ゲンの言葉を思い返す。『決して冷静さを欠いてはならん。常に正しき心を持って物事に臨まなければ、その本質を見定めるのは至難の業。』と。
こんな体力を消耗している状態で辿り着いても、事態の収束までは苛烈を極める。故に、この辺りで一時休息をとることとした。
近くの木陰に腰を下ろして涼んでいると、突然背後から草木を踏みつける音が耳に届く。まさか敵襲かと思い、格好は悪いが大きく横転して後退し、対象と距離を取りつつその正体を確かめる。
「よう、少年。久しぶりだな。」
「貴方は………レジー・ディーヴァ。」
男の正体は、かつてラドがショップストリートで戦った賭博師、レジー・ディーヴァであった。相も変わらず、やたらと派手な炎が描いてあるパーカーにフードを深く被っている。
「偶然………いや、待ってたぜ少年。」
「申し訳ないですが、今貴方と賭け事をしている暇はありません。また今度にしてもらえませんか。」
「そう言う訳にはいかないんだよな、これが。一回頼まれ事を拒否してる手前もあるからよ。」
「頼まれ事?一体誰から―――――」
ラドの脳裏に、嫌悪感を懐く人物の顔が思い起こされる。レジーの内から滲み出る闘志に触れたラドは、今考えていることは間違ってはいないだろうと確信した。
「イヴァム………ですね。」
「ご名答。やっぱり少年は賢いな。そうさ、俺はイヴァムの連れの一人さ。少年、悪いがこの先へは進ませられないな。」
「どうしても、退いてはくれませんか?」
「悪いがそれは無理な相談だ。先に進みたきゃ、俺にこいつで勝ったらな。」
そう言って、レジーは手品を見せるようにトランプの束を取り出した。あくまでも賭け事で雌雄を決したいらしい。出来ることなら無視して先へ行きたいが、逃げたりしようものならば、間違いなく実力行使に踏み切るだろう。
これが戦い慣れしていない弱者の発言であるならば、虚を突いての反撃も十分選択肢に入るが、先程からレジー放ち続けているそれは、明らかに常識を逸脱した『玄人』のそれであった。
その為、無茶をして手痛い傷を負うぐらいなら、相手の土俵に乗るとはいえ、トランプでの勝負で決着をつけた方が現実的である。と、ラドは判断する。
「………分かりました、条件をのみましょう。」
「お利口だな。出来る事なら俺も暴力はしたくないんでね。脅しまがいのことをして悪かった。」
軽く頭を下げるが、レジーの闘志は収まるどころかより激しく火花を散らしていた。戦いよりも賭博。それが、レジー・ディーヴァという男だ。
「少年の為に特別な場所を用意したんだ。楽しんでくれよ?」
レジーは懐から一枚の紙切れを取り出す。イヴァムの同志である証、ウンブラの書の一ページを。軽くひらひらと揺れ動かして遊んだ後、草むらに向けて無造作に放り投げた。すると、書の力が行使されたのか、床に人一人分ぐらいの小さな穴が開く。レジーはラドが逃げないのを信じているのか、自らが先にその中に溶けるように消えていった。
流石にラドもこの土壇場で逃げたりはしない。後に追いかけられる可能性も考慮して、後顧の憂いは絶っておきたい。何が待ち受けているのかは想像もつかないが、意を決して穴へその身を委ねた。




