心理
早朝の修練場に激しく打ち合う音が響き渡る。音の正体は組手であり、ラドはウルと共に訓練に勤しんでいた。
始めてから十分少々、素人が聞けば短いように感じる時間だが、二人の体力は激しい運動と、絶え間なく行わなくてはならない状況判断によって、かなり消耗していた。多量の発汗がそれを証明している。しかし、どちらかが倒れるまで試合は続く。
ラドは自身の力が強くなっているのを感じ取っていた。最初にウルと対峙した際は十秒と持たなかったはずが、現在では十分以上の攻防を続けていられる。
何故ここまで戦えるようになったのか、それはただ単純に強くなった訳ではなかった。これまでの様々な経験や支えてくれる人達によって、心技体の『心』が成長しているからだと、ラドはそう信じていた。
ウルの放つ手刀を払って、攻撃の機会を窺う。お互いに満身創痍な今、搦め手の一瞬が訪れるのを虎視眈々と狙っていた。ラドが徐々に後退していくのを確認したウルは、ついに勝負に出る。
間合いを詰めてから、残りの体力を全て注ぎ込んだかのような、キレのある高速手刀を怒涛の勢いで繰り出す。ラドはこの最大の好機を逃すまいと、致命傷になる一撃だけを捌いて打撃を耐え忍び、一点の隙が生まれるのを静かに待つ。
ウルはそんなラドの様子に警戒心を懐いたのか、後退行動を選択するが、それこそがラドの待ち望んでいた明確な『隙』であった。手刀の雨を掻い潜って肉薄し、ウルの足を引っ掛けて体勢を崩す。が、耐える。ぎりぎりのところで踏み止まる。ラドは、完全に体勢を立て直される前に矢継ぎ早に拳を放つ。
不安定な状態での度重なる攻撃の嵐に対応出来なくなったのか、ついにウルは地面に倒れ込む。諦めずに飛び跳ねようとするウルの額の前に拳を寄せて、初の勝利を全身に刻み込んだ。
「僕の勝ち………だね。」
「負けちゃった………。」
ラドは軽く息を整えた後に、ウルの右手を勢いよく引っ張って起こす。
「本当に強くなったね、ラド。」
そう言われて、決して謙虚にはならなかった。事実上達しており、その成長速度には目覚しいものを感じずにはいられなかったのもあったが、何よりも、真剣に取り組みに付き合ってくれたウルに対して失礼だと思った故だった。
「ありがとう。僕もだいぶやれるようになったって実感が湧いてきたよ。」
「よかった。でも、策ではいつも助けられてるから、文武両道になったって言ったほうがいいかも?」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいよ。」
ウルにタオルを手渡すと、ウルは小声で呟く。
「格好良かったよ。」
対戦相手としてではなく、彼女としての言葉にどきりとしたラドは、静まったはずの心臓の鼓動を再び加速させてしまう。
「ウル………。」
「はい、そこまで。」
不意に背後から渇いた音が響く。振り返ると、ジンがわざとらしい適当な拍手を繰り返していた。
「僕達を忘れてもらっちゃ困るよ、ラド。」
珍しく、セリスにしか見せない呆れ顔をラドへ向けており、その隣ではセリスがいつもよりニコニコしながら、ラドとウルに軽く手を振っている。
「す、すみません!ジンさん。」
セリスとジンをこの場に招いていたことをすっかり忘れていたラドは、慌てて頭を下げ謝罪する。ナーゲルへ進言したゲンへの対顔が叶い、晴れて今日出立することになった訳なのだが、言葉だけ交わして出立するのも味気ないと感じていたラドは、自分なりに考えた結果、肉体言語………もとい、組手を思いつき、執行部門の皆を呼んだのだった。
「さ、十分休憩したら次は僕が相手だ。」
「は、はい!」
「その次は私だよ!」
適度に小休止を挟みつつ、目まぐるしく入れ替わる対戦相手に手を焼きながらも、ラドは時間いっぱいぎりぎりまで訓練に励んだ。
そして時は過ぎて午前九時。軽くシャワーを浴びた後、荷物を背負ったラドは、西門の入口で執行の三人としばしの別れを惜しみ合う。ウルは以前より随分感情を表に出すようになっており、不安げな表情でラドを見つめる。
「ラド。場所は渡した地図の通りだから、道に迷わないようにね。」
「ははは、子供じゃないんだから大丈夫だよ。」
「ウルちゃん、ラド君なら大丈夫だよ。今から怪物を倒しに行くって訳でもないし。」
「そうだね。セリスが一人で行くって話だったのなら、皆心配しただろうけどね。」
軽い笑いが起こる。尤も、ウルは笑うことが出来ない為に無表情で、セリスにいたっては、風船のように頬を膨らませて怒っていたが。ジンはセリスに侘びを入れると、真剣な顔つきでラドを見て口を開く。
「とまあ、冗談は置いておいて。ラド………くれぐれも気をつけて。道中で奴らに攻撃される可能性も、決してゼロではないから。」
「ご忠告ありがとうございます、ジンさん。」
「健康第一だよ、ラド君!」
「風邪を引かないよう気をつけます。ありがとうございます、セリスさん。」
ジンとセリスが一言ずつ言葉を発してラドを激励するが、ウルだけは沈黙を貫いていた。
「ウル、どうしたの?」
「あの時を………思い出して。」
始めは何の事を言っているのか分からなかったが、先程までラドの中で漠然としていた記憶が、鮮明に頭の中を駆け巡った。
七年前、ウルが家を出たあの日。あの日を境に、二人は離れ離れになってしまった。きっと今、その時に体験した苦い思いや、刻み付けられた恐怖に必死で抗っているのだろうと察した。ラドはそんな過去の痛みと戦い、打ち震えるウルの身体を優しく抱擁する。
「心配しないで。僕は必ず戻って来る。約束するよ。」
抱きしめる力を強めることで、自らの意志を強調する。以前までのラドならば、たとえ気休めでもこうは出来なかったであろう。セリスとジンは僅かに頬を緩ませたまま何も言わない。修練場でのやり取りとは違う、別の温かみを含んだラドの行為に思い馳せたからだった。
約一分が経過した頃、不安が和らいだのか、ウルはラドの腕を解く。落ち着きを見せ始めた後、右手を差し出してくる。それが何を意図しているのか、ラドはすぐ理解した。
迷いなく右手の小指を差し出して小指同士を絡ませ、軽く上下に振る。子供の時からやっていた、ある種のおまじない。今日は普段より一層強く。
「行ってらっしゃい。………信じてる。」
「行って来ます。」
お互いに名残惜しくも小指を離す。そしてラドは、セリスとジンに向けて深くお辞儀をした後に身を翻し、西門をくぐった。
セントラルホームから離れてすぐに、草木が生い茂る自然豊かな街道に出る。ウルから手渡された地図を見る限りでは、街道を抜けた先にある山の頂上付近にあると記されていたので、まずはそこまで向かう。
驚く程事こまかに書き込まれた地図を見る度に、ウルがどれほど身を案じてくれているのかが手に取るように分かり、気が付けば不思議と温かい気持ちが心を満たしてくれていた。
時折吹く、活気溢れる心地良い追い風に流されるように、どんどん足を前へ前へと進めていった。そして、休むことなく歩き続けること二時間弱。地図の通り、比較的小さめの山の麓に到着する。その山の舗装された道と階段をひたすら登り、ゲンの住む民家まで向かう。
日が暮れるまでに辿り着きたいと思っていたが為にペースを速めたのはよかったが、身体は正直でだいぶ疲労が蓄積していた。時計の代わりに太陽の位置でおおよその時間を計ると、大体十二時頃のようだった。小腹も空いたので昼食にしようと思い、付近にあった大きめの石に腰を下ろした際、奥の獣道に目を奪われる。
獣道とは、名前の通り野生の獣達が利用する道。しかし、地面には人間の靴と思しき足跡が残されていた。気になってご飯が喉を通らなかったが、無理矢理詰め込んでお腹を満たし、早速その足跡を調べてみる。
サイズや歩幅からして、女性だろうか。引き返したような痕跡はなく、まるでその道を日常的に通っているかのような力強い足跡であった。
油を売っている暇はないのだが、身体が自然と獣道へと動いていた。正体を確かめなければ、湧き上がる好奇心が満足しそうになかった。時間を無駄にしないよう、なるべく急ぎ足でその正体を追う。
それから黙々と後を付けること数分。先程までの光景とは全く違い、密林に迷い込んだかの如く、一面緑一色な別世界へとやって来た。
「うわぁ………!」
思わず感嘆の声を上げる。そこには、様々な野生の動物達が縄張りを争う合うことなく、仲睦まじく触れ合っている世界が広がっていた。その内の一頭である鹿が、警戒して逃げるどころか、甘えた鳴き声を発しながら擦り寄って来る。かなり人間慣れしている様子であった。
「人懐っこいな。誰かに飼われてるのかな?」
「おや、このような場所に珍しいお客人だ。」
不意に背後から老人と思しき声が聞こえる。慌てて振り返ると、そこには長い髪を束ねず後ろの方に流して額を露出し、滝のように流れる顎髭が特徴的な老人が佇んでいた。
「す、すみません!勝手に立ち入ったりして!」
「ふふふ、構わないよ。君はとても純粋な子のようだね。」
老人の主張がいまいち理解出来なかったので、思わず首を傾げる。その反応を見た老人は深呼吸をした後、傍に寄って来た鹿の頭を撫でた。
「動物は人間の心の内をよく理解しておる。邪な心を持つ人間が近付けば警戒し、最悪の場合群れを成して襲いかかることさえあるんじゃ。」
老人の言葉に耳を傾けている最中、ラドは老人の動きに目を奪われた。武術を嗜んでいる人間ならではの独特な雰囲気と、いつどこから攻撃が来ても迎撃可能な『体勢』を維持し続けている。戦わずとも、相当な武の達人であると瞬時に理解出来た。それと同時に、老人の正体も。
「あの、貴方はもしかして………。」
「おお、自己紹介が遅れてすまんの。儂の名前はゲン。この先にある古道場を営んでおる者じゃ。」




