別れ惜しむ
現在から七年前、少年ラドは家族と共にある草原を訪れ、一家団欒の一時を過ごしていた。その草原は地元では有名な場所であり、地域外からの観光客も多く訪れるのもあって、敷地内は実に華やかに彩られている。
そんな場所でラドとウルは一頻り自然を満喫した後、マークバーンの元を離れ、二人で奥に見えていた岩場の方へと向かった。その岩盤の表面が顔のように見える事から『顔面岩』と呼ばれている、摩訶不思議な巨大岩の数々を眺めていた。
「あっ!この岩お父さんそっくり!」
唐突にウルが指差した岩盤は、確かに父であるマークバーンによく似ていた。
「ははっ、本当だ。それにしても、どうしてこの岩場だけこんなにも顔に見える岩が多いんだろう?」
「学者さんも分からないって言ってるらしいよ。かいめい?にはもっと調べないといけないんだって。」
ラドは身の丈の何倍もある岩盤を見つめながら、とある疑問符を浮かべていた。
「ねえ、ウル。思ったんだけどこの岩、みんな揃って向こうを見てない?」
ラドの質問を確かめるように、ウルは各岩の視線と方向を調べて納得したように頷いた。
「本当だ!それじゃあもしかして、あっちに何かあるのかな?」
「どうだろう?これが何なのか分からない以上、偶然だと思うけど………。」
そうは言いつつも、ラド自身古代の謎の魅力に好奇心を揺さぶられていた。顔面岩の視線の先には、何があるのだろうと。
「行ってみようよ、ラド!」
「ウルっ!?」
ウルも興味深々だったらしく、ラドはウルに引っ張られるような形で視線の先へと歩き始めた。
この近辺は長い間に渡って誰も通らず、且つ使用されていないようであった。草は蓬け起ち、地面が見えない。道に迷うと後が大変なので、一定の場所まで到達したら周辺の草を引き抜いて一つにまとめ、それを他の草に括り付けた。なるべく高い位置に付けたので、即席の目印としては十分だった。
そんなこんなで草木を掻き分けて進むこと数十分。二人は、子供がぎりぎり入れるぐらいの洞穴を発見した。
「こんな所に洞穴が………。」
「やったねラド。凄い発見したかも!」
無邪気な笑みを見せるウルとは反対に、ラドはこの辺一帯に嫌な感覚を覚えていた。得体の知れない何かが体中にまとわり付いて、生気と体温を奪ってくる。正直な話、あまり長居はしたくない場所であった。
「ラド、どうしたの?」
ラドの表情が曇っていることに疑問を感じたウルは、心配そうにその顔を覗き込む。やはり、この嫌な感覚を感じているのはラドだけのようだった。
「いや、何でもないよ。この穴、入るのは一人が限界みたいだね。どうする?」
「私が行ってもいいかな?」
「うん。けど、少しでも危ないと思ったらすぐ戻って来てね。」
「ありがとう、行って来るね。」
ウルは嬉々として穴に頭を突っ込み、するすると中に入っていった。その姿が完全に見えなくなったと同時に、強烈な吐き気と脱力感に襲われて、ラドはその場に倒れた。
やはり、止めておけばよかった。そんな後悔に苛まれながら、徐々に意識を奪われて気を失った。
一方その頃、ウルは狭い通路をほふく前進で奥へと進んでいた。進めば進むほど道が狭くなっており、ラドが入っていたらつっかえていたであろう。ウルは自身が入って正解だと思った。
さらに進むと、まるで何かの儀式を行っていたかのような、だだっ広い場所に出る。奥に設置された壇上には一冊の本と思しき物が祀られており、その周辺には先程散々眺めた顔面岩の姿があった。
「わぁー………。」
思わず感嘆の声を漏らす。現代とは似て非なる柱などに目を奪われながらも、奥の壇上に向かって歩く。
階段に足を掛けた瞬間、奇妙な感覚に襲われる。この先に行ってはならないと、全身が訴えているかのような感覚に。
身震いを抑えながら一歩一歩踏みしめ、ついに壇上まで登りつめた。目視しうる距離で見た通り、置かれていたのは一冊の古い書物であり、表紙には怪しげな文字が刻まれていた。
恐る恐る手に取ってページをめくると、隅から隅まで特殊な記号が羅列されており、専門知識のないウルにはとても解読不可能だった。考古学を学んでいる父、マークバーンならこの書物が何であるのかを知る事が出来るかも知れない。
そう思ったウルは書物を持ち帰ろうとしたが、まるで書物自体が拒んでいるかのような強力な意思を感じ、持ち出すのが躊躇われた。ありあえるはずのない不思議な感覚に踊らされながらも、外で待たせているラドの元へ戻ることにした。
「ラドっ!?」
帰りしなの開口一番、ウルはラドの名前を叫ぶ。すぐさま倒れていたラドの傍に駆け寄り、その身体を抱き起こす。
「ラド、どうしたの!?しっかりして!」
涙混じりに呼びかけるも、荒い息遣いで胸を上下させるだけで反応しない。よく見ると、額には多量の汗が溜まっており、心なしか頬がほんのりと赤みを帯びている。手持ちのハンカチで汗を拭った後に額に手を当てると、非常に熱を感じた。
「凄い熱………!誰か―――――」
助けを呼ぼうとしたが、場所が場所だけに誰もいるはずがない。かといってラドを背負って運べるほど、ウルは力がある訳でもなかった。
苦渋の選択であったが、一端ラドを近くの大木の傍に置いて、ウルは助けを呼びに走った。足が棒になるぐらい全力で走り続けてマークバーンの元へと戻ったウルは、泣きながらも必死に状況を説明し、再度ラドの元へ向かった。命に別状はなかったようなので事なきを得たが、ラドは大分衰弱していた。
すぐさま家に帰還して医者を呼び、容態を診てもらったが、一週間程は様子を見た方が良いと医者に宣告された。時折苦痛の表情と共に呻き声を上げて熱と闘うラドに、ウルは応援してあげる事しか出来ない自分を恥じた。
「私の所為だ。ラド、ごめんね………!」
眠りにつくまでの間、ウルはずっとラドの手を握りしめながら静かに泣き続けた。
翌日の早朝、ウルがハッと目を覚ますと、目の前には安らかな寝息を立てるラドの素顔があった。どうやら薬が効いているようで、規則的に呼吸をしていた。
昨日泣きつかれて眠ってしまったのを思い出したウルは、身体にブランケットが掛けられている事に気付く。きっと夜中、マークバーンが掛けてくれたのだろう。そのおかげか身体だけでなく、心までじんわりと温かかった。
父親の温もりを存分に感じたウルは、ひとまず顔を洗う為にラドの部屋を後にする。自室からタオルを持ち出して洗面所に赴くと、そこにはマークバーンの姿があった。
「あっ。お父さん、おはよう。」
「おはようウル。ラドの体調はどうだ?」
「今はよく寝てるよ。多分薬が効いてるんだと思う。」
「そうか、安心したよ。後で様子を診に行ってやらねばな。」
嬉しそうに口髭を整えるマークバーンに、ウルは恐る恐る近付いて頭を下げる。
「ごめんなさい、お父さん。私がラドを連れ回したから………私の所為でラドとお父さんに迷惑を―――――」
「ウル!!」
はっきりとした口調と共に、途端にマークバーンの表情がこわばる。珍しく怒りの表情を見せたので、反射的に縮こまって目を閉じる。悪い事をした。当然、怒られるものだと思っていた。しかし、マークバーンはウルを思い切り抱き寄せて涙を流した。
「私がどれだけ心配したと思っているんだ。本当に、本当に無事で良かった………!!」
「ごめんっ………なさい………。」
感化されたのかは定かではないが、ウルも大粒の涙をこぼしてマークバーンに抱きついた。もう二度とこんな真似はしないと、固く心に誓いながら。
しっかりと反省したウルは気持ちを切り替え、昨日訪れた謎の場所に置かれていた、怪しげな書物の件をマークバーンに話した。普段であればこの手の話題には子供のようにはしゃぐマークバーンだが、今日の反応は違った。あの書物に心当たりがあるのか、顔をしかめて深刻そうに唸った。
「まさか、それは………。」
「知ってるの?」
「ちょっと待ってなさい。」
身支度もすっぽかす程に、慌てて書斎へ駆け込んでいったマークバーンの背中を見送りながら、ウルは歯を磨いた。しばらく物音がしていたが静かになり、やがて一冊の本を片手に戻って来たマークバーンは、ウルに目線を合わせる為に腰を下ろし、本を開いてある部分に指を差す。
「ウルが見たのは、これに似ていなかったか?」
その本を覗き込むと、完全に一致していた訳ではなかったが、大方似ている書物の押絵が描かれていた。
「全く同じじゃなかったけど、凄くよく似てる。」
「そうか、分かった。」
「珍しい物だったの?」
「違う、重要管理指定危険物質の可能性があるんだよ。」
難しい言葉の羅列に、ウルは困惑する。
「おお、すまない。少し言葉が難しかったか。ウルが見つけたその本は、とても危ない本なんだ。早く回収しないと皆が不幸になってしまうかもしれないんだ。」
確かにどことなくおかしな書物ではあったが、あまりに突拍子のないその発言に驚かされた。これが赤の他人であれば、首を傾げられていたであろう。しかし、マークバーンの青ざめた顔が、それは決して冗談ではない事を証明していた。
「ウル、案内してくれるか?」
「分かった。」
支度が出来たら玄関まで来なさいと告げて、マークバーンは急ぎ足で自室に戻って行った。もしかすると、とんでもない物を見つけてしまったのかも知れない。ウルは胸に手を当てて、絶え間なく押し寄せてくる不快なわざつきを感じていた。
それから数十分後、支度を済ませたウルとマークバーンは、手配した馬を駆って目的の草原を目指した。吹きつける風が漆黒の髪を撫で、心地良く感じたが、胸のざわつきまでは吹き飛ばしてはくれなかった。ラドの事を思い浮かべてその不安をかき消そうと色々試すも、結局徒労に終わる。
ついに目的の草原に辿り着き、マークバーンをあの場所へと案内する。昨日の今日だが、他に誰かが訪れたような形跡は見当たらず、持ち出された可能性はなさそうだった。
洞穴へ潜り狭い通路を移動して、例のだだっ広い祭壇らしき場所に到達する。昨日と何も変わらないはずの光景が、今日は酷く恐ろしく見えた。
一端深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、それから階段に足を掛ける。着々と登りつめ、壇上にてあの書物と二度目の対面を果たす。相も変わらず意思を秘めているかのような、禍々しいその書物を手に取った。
「勝手に取って、ごめんなさい。」
誰の所有物かも分からないが、良心からか、何故か謝らなければ気が収まらなかった。ついでにお辞儀も行い後顧の憂いを絶つ。用が済んだらそそくさと立ち去り、マークバーンの元へと戻る。
「ただいま。」
「おお、お帰り。」
ウルは早く手放したくなり、やや乱暴に書物を手渡した。
「………これは、間違いない。ウンブラの書。」
ページめくりながら確信したようにマークバーンが呟く。
「ウンブラ?」
「一刻も早く教会本部へ報せなければ………。ウル、帰ろう。」
それから自宅に戻るまでの間、マークバーンは一切口を開かなかった。いや、口が開けない程に切羽詰っていた。ウルは子供なりにその心情を察して、大人しくしていた。
家に戻るなりそうそうに書斎に籠もるマークバーンを心配しつつも、ウルはラドの部屋へと向かった。
「あっ、ウル。」
扉を開けると、ラドの風邪声が耳に届く。どうやら目が覚めていたらしい。ベッドに横たわったまま、ウルを見つめていた。
「おはよう。具合はどうかな?」
「起きるのはちょっと辛いけど、平気だよ。………ごめん、迷惑かけちゃったよね?」
「ラド、そういうのは禁止!お父さんに怒られるよ?」
「えっ。そ、それは嫌だなあ………。」
「ふふっ。」
先程まで張り詰めていた緊張感から一気に解放された。どうしてだろうか。ラドの顔を見るだけで、自然と笑みがこぼれた。
「ウルは大丈夫そうだね、良かった。」
「私なら大丈夫。それよりもラドは早く風邪を治そう!」
「そうだね。早く治さないと、ウルと遊べないからね。」
何の事は無い会話で笑い合っていたが、突如入室して来たマークバーンがその穏やかな空気を変えた。
「ラド、起きていたか。身体の方はどうだ?」
「まだ少し重たい気がするけど、大丈夫だよ父さん。」
「そうか。突然だがラド、父さんはこれから少しの間お仕事の関係で家を離れなくてはならなくなった。」
「えっ!?」
本当に突然の告白に、ラドは思わず飛び跳ねて身体を起こすが、苦い表情を見せた後に再び横になる。
「驚かせてすまない。なに、数日もすればすぐ戻る。お父さんが戻るまでの間は、お母さんの言う事を聞いて身体を休めておくんだぞ。」
「うん、分かったよ。」
残念そうに返答したラドに、マークバーンは軽く目を閉じて再び謝罪した。本当はここを離れたくないのだろう。
「それからウル。お父さんと一緒に来なさい。」
「えっ、私も?」
「本当ならば私だけで行くつもりだったのだが、あの場所の中の事を知っているのはウルだけだ。」
「………うん。知ってるよ、重要参考人。だよね?」
「流石私の自慢の娘だ、偉いぞ。まあつまりはそう言う事なんだ。悪いがお父さんに付き合ってくれ。」
「分かった、私も行くよ。」
「出発は今から一時間後だ。それまでに準備をしておきなさい。いいね?」
そう言い残して、マークバーンは静かに部屋を去った。取り残された二人に気まずい空気が流れる。たった数日の間とはいえ、ラドに会えなくなる。ウルの心の中は寂しい気持ちで一杯になっていた。
「ごめんね、ラド。」
「仕方ないよ。………そんなに凄い物を見つけたの?」
「お父さんが言うには、皆が不幸になる本だ!って。」
「皆が、不幸に………か。」
ラドの表情は沈んでいた。自身の境遇を思い返しているのだろう。やがて、ラドは決心したようにウルに向けて言葉を紡ぐ。
「たった数日とはいっても、僕もウルに会えなくるのは悲しいし寂しい。けど、世の中に不幸な人が増えるのも、同じぐらい悲しいし寂しい。」
「ラド………。」
「父さんのお仕事は、人を幸せにする事。ウルも、そのお手伝いをしようって思わない?」
「私も、世の中に不幸な人が増えるのは嫌………だよ。」
何故だろう。ウルの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。止め処なく頬を伝い、床に軌跡を残す。
「でも怖いの!何だか、もうラドに会えなくなるんじゃないかって………!そんな気がして!」
涙でくしゃくしゃになったまま、ウルはラドに縋り付く。そんなウルの頭を、泣き止むまで優しく撫でる。
「僕なら大丈夫。だから、ウルの勇気で皆の幸せを守ってほしい。」
「ラドの、嘘つき………!全然大丈夫じゃないよ………。」
気が付けばラドも瞳から涙を流していた。何だかんだと気丈に振舞うも、内心は我慢の限界だった。
「うんっ………!だから、なるべく早く戻って来て………!」
お互いに泣きながら時間一杯ぎりぎりまで別れを惜しんだ。悔いの残らないように――――――――




