ノークとミシェラ
聖典教会配給部門長ノークは、生まれも育ちも生粋のセントラル。
彼は決して裕福とは言えない家庭で育ったが、そんなことは些細な事と笑い飛ばす程に、何事にも縛られない自由な性格の持ち主だった。
それ故に周りの人間は彼に惹かれ、気がつけばいつも輪の中心にいた。
月日が経ち、彼が二十歳の誕生日を迎えたある日、学問でも最難関と言われるハマード学院から声がかかった。そう、彼は天才と言う言葉がこれ以上ないくらい似合う程に、優秀な頭脳を有していた。
勿論両親はその報せに大いに喜び、彼自身も新たな知識を求めたいという欲求を満たしたかった為、入学は割とあっさり決まり、晴れてハマード学院の生徒となった。
充実したカリキュラム、優秀な講師による授業、知識の宝庫と言える大図書館。その全ては瞬く間に彼の脳内に浸透していき、僅か一年と半年足らずで、学院で学べる全ての知識を吸収した。
しかしそれだけの才を持ちながらも、彼の心は不満に溢れていた。その理由は、今までは常に自分の周りにいたはずの仲間が、誰もいなかったからである。
仲間と別れ、一年と半年も学問に没頭し続けてようやく気付いた。自身がこれまで学ぶ事が楽しいと感じられたのは、共感してくれる仲間がいたからだと。膨大な知識を得た代わりに、失ったモノはあまりに大きく、そして重かった。
そして時は過ぎ、学院でやる事もなくなったノークが院内を散歩していた際、とある一人の女性に出会った。
女性の名前はミシェラ。ウェーブのかかった菫色の長髪に、相手に不快な印象を一切抱かせない、優しさ溢れる瞳が印象的な女性であった。今年学院に入学し、その中でもトップクラスの成績を誇る才女と謳われた、名門の令嬢であった。
ノークに続いてまた天才が現れたと、院内では彼女の話題で持ちきりだったが為に、ノークもその存在は認知していた。しかし、今のノークとミシェラとでは明らかな、ある決定的な違いがあった。
ミシェラには共に学ぶ『仲間』がいたことである。いつも彼女の周りには人で溢れ、常に輪の中心にいた。
そう、それはかつてのノークが体験していた幸せである。正直妬ましく思っていた。ミシェラを見ていると、この一年と半年の間にすっかり冷え切ってしまった自身の感情が、静かに沸き立つのを抑えられなかった。
「おい。」
他の生徒と仲良く談笑している最中に割って入る。ノークは心の中でやってしまったと思ったが、言った以上は後へは引けない。場の空気を読んだのか、ミシェラと話していた生徒は、何も言わずに散り散りになった。
「はい、何でしょうか?」
「お前が噂の新入生だってな。名前は、確か………。」
「ミシェラ。ミシェラです。もう、一瞬詰まりましたね?ちゃんと覚えて下さい。ノーク先輩。」
ミシェラは、ノークの事を知っていた。当然と言えば当然だが。
「悪いな。」
「それで、私に何かご用でしょうか?」
「あー、いや。用ってほどの事は………。」
勢いで話しかけただけだ。とも言いにくい。
必死に理由を考えたが、ここは自身のありのままの感情に身を任せた。
「お前さ、天才なんだってな。」
「そんなことはないですよ。周りの方々がそう言われるだけで、私自身は至って普通の生徒です。」
「言うね。だがよ、俺はそんな優等生面したお前の事が気に入らないのさ。」
流石に初対面でこのような難癖をつけられては、反応に困るであろう事は承知済みであった。ノークが知りたかったのは、この続きである。
化けの皮が剥がれて、本音を暴露するのか。それとも仮面を被り直して良い子を演じるのか。それを見たかった。どうしてこのような考えに至ったのかは、自分自身にも問い詰めたかったが、やはり彼女に嫉妬していたのだろうと、薄々勘付いてはいた。
「あっ………えっと………。」
「どうしたよ、何とか言ったらどうだ?」
「寂しい………ですか?」
考えてもいなかった第三の答えに、ノークは身を震わせた。
「はぁ?いきなり何言ってんだ。」
「あの、先輩の心が空洞だったので、そうじゃないのかと………ごめんなさい。」
「訳分からん。仮にも才女とか言われてる人間が、そんな素っ頓狂な返答するとはな。」
「能力。先輩はご存知ですよね?」
「知らない訳ないだろ。それがどうしたってんだ。」
「私の能力は精神、人の心が読めるんです。それで、勝手ながら先輩の心を読ませてもらったんです。」
心を読むの能力。能力にも様々な種類がある事は知っていたが、まさか心を読めるものまであるとは、流石のノークも知らなかった。
「心を読む、ねぇ。残念だがそいつはハズレだ。俺はそんな事思っちゃいねえ。」
「で、でもっ!確かに今泣いて………!」
「………思っちゃいねえんだ!!」
事実を指摘されたノークは、必死に声を張り上げてそれを否定する。が、図星を突かれて動揺を隠せない。
「くそっ。ああ、そうだよ!俺はお前が羨ましいんだ、悪いかよ!!俺だってな、もっと早く気付けてたらこんなに腐りはしなかったさ!!」
思いの丈を全て解放して、自身の情けなさを愁いながらその場にへたり込む。
ミシェラからすれば、自分勝手な身の上話を聞かされた訳だが、そんな身勝手なノークに対してミシェラは軽蔑しなかった。
「溜め込んでは体に毒ですよ、先輩。私でよければ話、聞きますよ。」
ミシェラはドンと胸を叩いて、話を聞き入れる姿勢を取る。
「分からねえ。何で………お前は。」
「いきなり話しかけてきた上に、怒鳴り散らすような男に親切にするのか。と?」
「心、読むな。」
「ごっ、ごめんなさい。つい………。えっと理由は単純です。私が、貴方に憧れてこのハマード学院に入学したからです。」
ミシェラの返答は意外だった。ノークはどちらかと言うと、周囲から尊敬の眼差しで見られていたのではなく、天才過ぎるが故に何を考えているのかが分からない、得体の知れない畏怖心を懐かれていたからだ。
「俺が、憧れ………?」
「はい。そうじゃなきゃここに入学してませんよ。だから、先輩が悩んでたり、困ってる時には出来る限り力になりたいんです。」
清潔感溢れる菫色の長髪を風になびかせて、ミシェラはノークへ手を差し伸べる。もう随分と感じていなかったあの温かい光を、久しぶりに浴びれた気がした。
「ああっ、くそ。」
バリバリと頭を掻いて、自己嫌悪に陥った自身の脳をリセットさせる。正直、照れ隠しでもあったし、嬉しくもあった。つくづく面倒な性格だなと、自身に喝を入れた。
「嫌味な事言って、悪かった。」
「気にしてませんよ。それよりも先輩、勉強教えて下さい。」
「はあっ!?お前なら人に教えてもらう必要なんかねーだろ。」
「どんなに優れた人間でも、知識の基礎を知らなければ、応用は解けません。」
にっこりと笑って見下ろすミシェラを見て、ノークは面喰らった。自分より、何枚も上手な奴だと。
差し出されたままの手を握って立ち上がると、ミシェラの頭をくしゃりと撫でた。
「お前、本当に変な奴だな。」
「先輩がそれを言っちゃうんですか?」
「やかましい。」
ぶっきらぼうな物言いではあったが、ノークの口元には笑みがこぼれていた。初対面の印象は最悪だったが、こうして二人は知り合い徐々に仲を深めていき、ノークは昔の自分を取り戻しつつあった。
しかしある日の事、ミシェラが突然倒れたとの報せを聞き、ノークは病院に駆けつけた。元々ミシェラは虚弱体質な所があったが、実はそれらは全てとある病気が原因である事が発覚した。
病名はデミュート。未だに治療法が見つかっていない不治の病であり、徐々に体を蝕まれて死に至ると言われている。ミシェラは時折咳をする仕草は見せていたが、まさかそんな難病に悩まされていたとは思いもよらなかった。それに気付いてやれなかったノークは、苦虫を噛み潰したような顔で病室へと赴いた。
「あっ、先輩。」
部屋に入るなり、ミシェラは手を振ってノークを迎え入れる。しかし、辛いのを隠しているミシェラの顔を見ると、いたたまれない気持ちを抑え切れなかった。
「大丈夫………じゃねえよな。体調はどうだ?」
「今は落ち着いてますよ。あっ、それお土産ですか?」
ノークが右手に提げているお店の袋を差して嬉しそうに笑う。
「ああ、花束なんざ縁起でもねえからな。」
「全くですね。」
ノークは土産の包みを開封して、その一つをミシェラに向けて軽く放り投げる。
「わっ、とっとっ。これは………饅頭ですか?」
「最近出来た店のやつだよ。割と評判だったから買ってきた。」
「いただきまーす。」
「って聞いてねえな。」
ノークの話を聞いてないのか、饅頭を美味しそうに頬張るミシェラに対して、やれやれと首を振る。
「デミュートなんだってな。」
「ええ、でも運が良かったです。一般の人よりも症状の進行具合が遅いらしく、まだそれ程深刻ではないそうです。」
「辛く………ないのか?」
「全然。こうして、先輩も来てくれましたし。」
ノークには何故これ程までに、ミシェラが気丈に振舞うのかが理解出来なかった。確かに励ましてやれる事ぐらいしかないのだが、それでも彼女の為に何かしてあげたかった。
「何か出来る事はないか?」
「傍に………いて下さい。それだけで十分です。」
「俺には分からねえんだ。ミシェラ、どうしてお前はそう強い?」
「筋肉の話ですか?」
「ちげえ!こう言う時にこそ心を読めよ!!」
すみません。と悪戯っぽい笑みを含んで言うミシェラに、ノークの心は締め付けられた。
「先輩が私の事を心配してくれるだけで嬉しいです。それ以上は何も入りません。」
「………そうか。」
ノークがこの事を知る以前から、彼女は一人で病気と闘っている。もう自身の置かれている現状を理解して、受け入れているのかも知れない。すっぱりと諦めて、余生を楽しもうと思っているのだろう。
そんな彼女の意志を汲み取って、ノークも余計な事を考えるのをやめた。知り合いになった以上、最期まで付き合うと決めた。
「あのよ、ミシェラ。」
「はい?」
「俺は、最期までお前の傍にいる。」
「えっ、えっ………!?もう先輩!いきなり何恥ずかしい台詞を言ってるんですか!?」
「大マジだ。」
真剣なノークの表情に諭されたように、ミシェラは仰け反った体をゆっくりと戻す。
「今こんな事言うのもおかしな話だが。」
「どきどき。」
「あっ!お前その顔、心読んだな!?」
「すっ、すみません!!だって、そんな急に大真面目な顔されたら何事かと思うじゃないですか。」
「あー、もう………。」
最近癖になっている、頭をバリバリと掻きつつ、顔を真っ赤にして俯く。それ程長い期間を共にして来た訳ではなかったが、確実に二人は惹かれあっていた。
ノークは事実を知った今だからこそ、意を決してミシェラに告白しようと考えたのだが、先に心を読まれてしまった所為で、次の言葉を切り出しにくくなってしまった。
お互いが沈黙してから数分が過ぎ、やがてミシェラが口を開いた。
「いい………ですよ。」
「え?」
「私も、同じ気持ち………なので。」
「ほ、本当に?」
「本当です。それよりも、一つお願いしても良いですか?」
そう言って、唐突に右手の小指を差し出してくる。
「先輩じゃなくて、ノーク。って呼んでもいいですか………?」
「ハハハ、それこそ聞くまでもないだろう?」
「ふふふっ、あははは。そうですね、ノーク。」
お互いに小指を繋いで約束の印を実感した後、満面の笑みで一日中語らった。
自力で立ち上がる事が出来なくなるまで、様々な場所へ遊びに行った。
病院で生活するようになっても、時間の許す限り傍にいてあげた。
そんな献身的なノークの支えもあってか、ミシェラは息を引き取る直前まで、ずっと笑顔だった。死を目前に控えても、大切な人がそこにいたから。
ミシェラが亡くなったその日にも、ノークは笑顔を絶やさなかった。ミシェラと約束したからだ。しかし自宅に戻り、彼女と撮った一枚の写真を前にして、込み上げてきた感情の波を抑えられるはずがなかった。
泣いた。今まで人の事で涙を流したことのないノークが、初めて泣いた。
ミシェラ、ミシェラ、ミシェラ………。




