対峙
今までの憂鬱な生活とは一変して幸せな生活を送っていた少年ラドは、眠れぬ日々を過ごしていた。
どんなに心が満たされようとも、負った傷が癒える事は決してない。
毎日のように少年達から受けた暴行が頭の中でフラッシュバックし、唐突に目が覚める。
そして止まらない震えを必死に抑えながら、誰にも悟られぬよう一夜を明かす。
そんな日々を重ねる度、次第にやつれていき、マークバーンやウルに知られてしまうこととなった。
夕食後、マークバーンの自室に呼び出されたラドは、症状を打ち明けるかどうか悩んでいた。
エーテルハート家の養子になったとは言っても、自分は本当の息子ではない。
それ故に、必要以上に甘えてはならない。………と、ラドは自分自身の心を押さえ込んでいた。
「ラド。最近体調が優れないようだが、何か心配事でもあるのか?」
「マークバーンさん。いえ、その………。」
いつまでも曖昧な態度を続ける訳にもいかなかったが、一度どもってしまうと再度切り出すのは中々難しい。
腹に据えかねたのか、マークバーンはいつもより低い声で名前を呼んだ。
「ラド。」
「は、はい。」
「すまなかった。」
マークバーンは深く頭を下げてラドへと謝罪する。その突然の行為に、ラドは慌てる。
「えっと、急にどうしたんですか?ちゃんと話さない、僕の方が悪いのに………。」
「いや………そうではないんだよラド。」
そうではないと、自身に言い聞かせるように今一度呟いた後、マークバーンは言葉を続ける。
「お前を養子に迎え入れてから早三ヶ月。私はお前を愛娘のウルと同様に、父親として接してきたつもりだった。が、しかし………それは私の驕りに過ぎなかったようだ。現に今こうして、お前が何かしらの悩みを抱えて苦しんでいると言うのに、こんなにやつれるまで気付いてやれなんだ………。」
やせこけたラドの頬に触れて瞳を潤ませる。その手は温かく、先程の言葉が心からラドへ向けて紡がれたものであったことを感じさせた。
「お前の苦しみに気付かない、父親気取りの愚か者を許してくれ………ラド。」
マークバーンの優しい想いに、亡き父親の影が重なって見えたラドは、思わず小声で父の名を呟く。
そこで、ラドは初めて感じた。今の自分の父親は、このマークバーンなのだと。
身寄りの無い自身をここまで大切にしてくれ、わずか三ヶ月とはいえ、今日に至るまで並々ならぬ愛情を注いでもらった。その純真な想いに、偽りなど微塵もない。
決して父親代わりなどではない。紛れもなく、ラドクリフの父親なのだ。
「ごめんなさい。僕は今まで自分の事ばっかりで、父さんの気持ちを真剣に考えたことはなかった。でも、やっと分かったんだ。ありがとう………今、とても嬉しくて。僕の目の前にいるこの人は、僕のもう一人の父親なんだ………って。」
「ラド………こんな私を父と呼んでくれるのか?」
「勿論だよ、父さん。………あ、あれ?おかしいな。悲しくなんかないのに、涙が………止まらないや………。」
拭っても、拭っても、とめどなく瞳から流れ出す涙が、今のラドの想いを語っていた。
その穢れ無き涙に誘われるように、マークバーンもまた涙を流し互いに身を寄せ合った。
「ありがとう、ラド。私は………私は幸せ者だ………!」
ようやく本当の親子となれた二人は、その感動を分かち合っていた。
決して契れぬ絆を、確かなものとする為に―――――
それからしばらくして、ラドはマークバーンに事情を打ち明けた。真摯にラドの悩みを聞き入れたマークバーンは、一つの提案を持ち出した。
「ラド、今夜は皆一緒に寝ないか?」
「えっ、いいの………?」
「勿論だとも。むしろ何を遠慮する必要がある。ここはお前の家だぞ?」
いつも見せる陽気な微笑みに、ラドは迷わず頷いた。お風呂に入って体をほぐした後、ウルと一緒にマークバーンの部屋に再度訪れた。
話し合いの結果、マークバーンとウルが隅に寄り、その二人の間にラドが寝る事となった。
いくら子供とはいえ、元々一人用のベッドに三人も入れば窮屈になる。
しかしラドには、その窮屈さが不思議と心地良く感じられた。
ランプの明かりを消してから数十分、マークバーンの寝息が聞こえ始めた頃、ラドはまだ寝付けずにいた。
二人が傍にいてくれている分だいぶ気持ちが楽になったが、またあの悪夢を見てしまうのではないかと言う不安が、ラドの眠りを妨げていた。
「ラド………眠れないの?」
不意に、ウルが小声で話しかけてくる。
背を向けている為、顔は見えていないはずなのに、どうして起きていることが分かったのだろうか。
それよりも、胸の内に溜まった不安を聞いてくれる相手が、まだ起きていてくれた事が嬉しかった。
「うん。父さんもウルも、僕の為にこうして寝てくれているって言うのに、どうしても怖いんだ。いつまでも消えないんだ。ずっと、ずっと頭の中に張り付いて、僕を怖がらせる。」
「ラド………。」
しばらくの間お互いに沈黙するが、やがてウルが口を開いた。
「ねえ、ラド。こっち向いて?」
言われた通りウルの方へ寝返るとそこには、いつもと変わらない心優しき少女の笑顔があった。
暗がりの中ではっきりと見た訳ではないのに、少々気恥ずかしくなって、ラドは思わず視線を逸らす。
「どうしたの?」
「いや………何でも、ない………。」
「変なラド。はい。」
唐突に右手を差し出してくる。その意図が理解出来なかったラドは首を捻る。
「手。繋いでれば、きっと怖くないよ。」
「そ、そんな事………。」
ウルは煮え切らないラドの手を取って無理矢理繋がせる。すると、お互いの体温が手を通じて伝わってくる。
最初は恥ずかしくてしどろもどろであったが、その温かみを感じるうちに恥ずかしい気持ちも、恐怖心も不思議と薄らいでいった。
徐々に治まる過程で、自然と笑みがこぼれていたのだろう。そんなラドの表情を見て、ウルは安心したようににっこりと笑った。
「良かった。ラド、元気になったね。」
「うん、落ち着いた。ありがとう………ウル。」
二人はそのまま手を繋いで、まるで魔法にかかったかのようにぐっすりと深い眠りについた。
いや、魔法なのかも知れない。手を繋ぐ。たったそれだけで、今までの恐怖が嘘だったかのように消え去ったのだから――――――――
ラチア鉱山。
それはセントラルホームで、最も多様な鉱石が採掘できる場所として重要視されている鉱山である。
初めて訪れた者には、街の中に鉱山が存在するなどおかしな話だと言う者も少なくない。
しかし事実は言い伝えとは異なり、街の中に鉱山があるのではなく、元々鉱山だった場所を開拓してセントラルホームが創られたのである。
何故そのような手間のかかる事をしたのかは、知る由もないのだが。
北区ラチア鉱山前に辿り着いたラド達執行のメンバーは、周囲の気配を探りつつ慎重に移動していた。
道中の罠になどには細心の注意を払ったが、これといって特に何もなく、それがかえって不気味さを煽り立てていた。
ラドは罠を仕掛けていないのは、イヴァムの性格故だという仮説を立てていた。
ナーゲルが受け取った文の内容から察するに、ウンブラの書を手に入れる以前から相当な自信家だったのではないか。そう思わせる、詩人のような書き方をしていたからである。
しかしあくまで仮説であり、確定事項ではない為皆には話さなかったが、どうやら当たりのようだった。
が、しかしそれは道中での話。奥には何が待ち構えているのかは、イヴァムにしか知り得ない。
緊張の糸を切らさないよう、四人は足を進めた。
すると鉱山のトンネル入口前に、一つの影が見えた。体格からしてそれは男性のものだった。
影は拍手をしながらゆっくりとこちらへ近づいて来る。
ただならぬ気配を感じた四人は、すぐに身構えて戦闘体勢をとった。それは間違いなくあの男である事は明白であったからだ。
そしてついに、影………イヴァム・ジア・ラザードはラド達の前に姿を現した。
領家の人間と思しき高級感溢れる身なりに、人目を引く白銀の髪。そして全てを見下したかのような鋭く冷酷な目つきが、とても印象的な男であった。
「ようこそ、ナーゲルの子供達。この度は僕の主催する舞踏祭に参加してくれた事、感謝するよ。」
自尊心の高そうな傲慢な態度と口調、大方ラドの想像した通りの人物像であった。
「貴方が、イヴァム………!」
「ラドクリフ・オーゲンス。君の事は知っているよ。能力を持たない特異な少年………。」
流石に敵の親玉なだけあって、こちらの情報は全て筒抜けのようだった。
「フフフ………そう怖がらなくてもいい。別に僕は君を油断させて殺す、何て腹積もりはないよ。」
「一体、何が目的なんですか!?」
語気を強めて睨みつけるも、イヴァムはその涼しい態度を崩すことはない。四人を一瞥して、何か納得したように頷いた。
「目的?最初に言った通りさ。これは舞踏祭だよ、それ以上でもそれ以下でもない。それとも、開戦宣言とでも言えば良かったのかな?」
そのふざけた返答に、いつも冷静なはずのジンが怒りを露にして、ずいと前に歩み出る。
「イヴァム。つまらない言葉遊びはやめてもらおうか。」
「フフフ………怒らないでくれ。しかし、君は相変わらずだねジン。いや、『フォルバート』?」
「黙れ!!」
二人は知り合いなのだろうか。とても他人とは思えない意味深なやり取りをしていた。
その様子を見てセリスは心配になったのか、ジンの名前を呟いた。
「ごめん、セリス。………いつか、話すから。」
「うん………。」
ジンを煽り立てて優越感に浸ったイヴァムは、ウルを見つめていた。
その視線にどんな意味があるのかはラドには分からなかったが、ウルはそれに応じるかのように無言で睨み返していた。その紅い瞳は、見た者を焼き焦がしてしまいそうな程、燃え盛っていた。
「さて………こうして睨み合いをしてても面白くないね。」
イヴァムが右手を空に掲げると、突如何もない空間から一冊の古びた本が現れた。それは間違いなくウンブラの書であった。
「そ、それは………!!」
「そう。君達も知っての通り、これがウンブラの書さ。秘められた潜在能力を極限まで高める事が出来る、禁忌の魔書物!」
イヴァムが何かの呪文を唱えると、ラド達とイヴァムの間の空間に巨大な亀裂が入る。
危険を察知したジンが呪文を止めようとイヴァムへ接近したが、亀裂から氷の柱が飛び出してきて進路を塞がれる。
「くそっ!」
「惜しい。あと数歩前に出ていれば串刺しだったのにね、ジン。」
「イヴァム………ッ!!!」
挑発に乗せられたジンは、完全に我を失っていた。氷の柱を飛び越えて、イヴァムに単身攻め込もうとする………が、それは背後から投げられた一つの小石によって阻まれた。
冷静さを失っていても、流石はジンと言ったところか。その放たれた小石に即座に反応して払い落とした。
「………ッ!誰だ!?」
「私だよ!」
ジンの勢いに負けじと、セリスが声を張り上げる。
「セリス、どういうつもりだ!?」
「どうもこうもないよ!ジンがそんな事でどうするの!?もっとしっかりして、ジンの勝手で勝てる戦いも勝てなくなっちゃうよ!!!」
セリスの必死な叫びで目を覚ましたのか、ジンは次々に亀裂から飛び出す氷の柱の間を驚くような離れ業でくぐり抜け、ラド達の位置まで後退した。
「………っ、すまない。僕としたことが、情けない限りだ。」
「ほんとだよ、ジン!私よりも軽率だよ!」
真面目な時だと言うのに、セリスに一喝されたのが妙におかしかったのか、ジンは声を上げて笑った。
「ハハハ、そうだね。全くその通りだ。君に説教されるようじゃ、僕もまだまだだね。」
「うんうん………って、何だかちょっと納得いかないけど、ジンがいつものジンに戻ったんならそれいいよ!」
「ああ………!」
三人はお互いに顔を見合わせて口元を緩ませ、ウルだけは無表情のまま頷く。
四人の緊張がほぐれたところで、イヴァムは嬉しそうに語り始めた。
「いいね。魂の脈動を感じるよ。そうやって互いを慰め合い、高め合うのが人間だ。人間はそうでなければ面白くない。それじゃ、舞踏祭を始めようか………出ておいで、エティーラ!」
氷の柱が飛び出していた亀裂がみるみる広がり、そこから一人の女性がゆっくりと姿を現した。
年齢は二十~三十代ぐらいだろうか。黄金色に輝く長髪に、絵本に出てくる魔法使いを彷彿とさせるお洒落な帽子、そしてノースリーブの漆黒のドレスに身を纏った姿が、その優雅さと気品を引き立てている妖艶な女性であった。
「お呼びでしょうか、イヴァム様。」
宗教上の神様を崇めるが如く、颯爽とイヴァムに頭を垂れて跪く。
「予定通り、彼らの相手をして欲しいんだ。勿論全力でね。」
「承知致しました。」
「じゃ、後は宜しく頼んだよエティーラ。僕の期待を裏切らないようにね。」
友達との別れ際にするような軽い挨拶をして、自らが生成した亀裂の中に逃げようとする。
「逃げる気………!?」
ラド達も驚くほど張り上げたウルの声が響く。するとイヴァムは、こちらに向けて邪念のある笑顔を送った。
「逃げる、と言うのは心外だね。僕は元々戦うつもりはなかったよ。今回の君達の相手は、このエティーラさ。」
「逃がさない………!」
ウルは氣弾をイヴァムへ飛ばすが、エティーラの手から這い出た氷の柱に阻まれてしまう。
「危ない、危ない。フフフ………それじゃあね。見事エティーラを倒せれば、次があるかもね。ハハハッ………!」
蔑んだ嘲笑と共に、イヴァムは空間の彼方へと消え去った。
助かった。ラドはそう心の中で感じていた。圧倒的な力と驚異のカリスマ性。
恐らくあのままイヴァムを捕らえようとしたところで、今の自分達では歯が立たず皆殺しにされていたであろう。ラドは、対峙しようとしている敵の強大さを思い知らされた。
実力の程は知れないが、このエティーラと呼ばれた女性を拘束する方がまだ現実的である。
ラド以外の三人もそれを感じていたのか、お互いに見合わせて頷くだけで言い争ったりはしなかった。
「ふふっ、ごきげんよう。」
エティーラはその雰囲気に違わない、優雅な会釈をして口元だけを弓なりに曲げる。
「貴方達がイヴァム様の遊戯相手に相応しいかどうか、このエティーラが試させてもらうわ。」
そう言い放って両手を広げる。すると、エティーラを中心に氷の柱が生成されてゆく。
「それが………貴方の能力。」
「その通りよラドクリフ。私の能力は雹。さあ、心ゆくまで楽しみましょう………!」
「散開!!」
エティーラが大地を蹴ると同時に、ラドは力一杯叫んで戦いの火蓋を切って落とした。




