束の間
死闘から一夜明けた真昼時、ドルフの身柄を断罪部門へ引き渡したラドは、聖典教会内の医務室を訪れていた。
医師によるメディカルチェックによると、ウルの容態には問題はなく、一日安静にしていれば大丈夫との診断結果を得た。
しかし、大丈夫。と言われてもそんな簡単に安心できるものではない。
現にウルは、あれから未だに目を覚ましてはいないからだ。
それ故に全く仕事が手につかず、ノークから「そんなに心配なら見て来い」と仕事場を追い出されてしまった。
やり方は多少強引ではあったが、部下思いの優しい上司の行為に、今回は甘えさせてもらう事にしたのだった。
医師が用意してくれた丸椅子に座って、ウルの純真無垢な寝顔をじっと見つめていた。
安らかな寝息を立てながら、時折毛布から出していた右手を握ったり、開いたりしている。
夢でも見ているのだろうか?口元が、少し緩んでいるようにも見えなくもなかった。
「お父………さん………。」
微かに聞こえるぐらいの小さな寝言。その声色は、喜びに満ちていた。
そんなウルを見て安心したのか、急に瞼が重くなってきた。結局あれから全く寝ていなかったので、そのツケが回ってきたのだろう。
ラドはそのまま身を任せるようにして、深い眠りへと意識を落とした。
どことも知れない不思議な空間で、イヴァム・ジア・ラザードは美しくも儚いピアノの戦慄を響かせていた。
「戻ったぞ、イヴァム。」
突如空間に穴が開き、一人の青年、リオンが姿を現す。イヴァムはその姿を一瞥して演奏を続ける。
「随分と早かったね。良い結果は得られたかい?」
「………半々だ。」
歯切れの悪い返事に、イヴァムは口元を歪ませる。
「フフフ、君がそんな返事をするなんて珍しいじゃないか。」
「別段珍しくもねえ。」
「………喜びや悲しみ、それらを共有してこそ、真の同士であると僕は考えているんだ。」
「それは、聞かせろ。と言っているのか?」
「勿論、君の意思を尊重するよ、リオン。」
回りくどく、且つ含みのある言葉遊びをするイヴァムに苛立ったリオンは、沈黙を貫いた。
「おや………残念だ。」
心にも思っていないような残念を口にした後、演奏に集中する。
イヴァムは、何故リオンが半々と答えたのかを既に理解していた。ウンブラの書の力を利用して、リオンの深層領域に入り込んで覗き見たからだ。
今回彼に与えた任務は、負の感情を溜め込んでいる人間を探し出して、ウンブラの書の一ページを受け渡し、その行く末を見届けることだった。対象の人物は意外とすぐに見付かった。
男の名はドルフ。とある小教会で孤児達の世話をしている女性に一目惚れして以来、毎日その様子を遠巻きに眺めていたと言う。
しかしある日、その小教会に出入りし女性と仲良く談笑する男の姿を目撃してしまったドルフは、それ以来男に嫉妬心を抱き続けた。
自分が先に目をつけていたのに、後から割って入って仲良くするなど許せない………と。
その嫉妬心が積もり積もってやがて憎しみへと変わり、徐々に彼を苦しめていった。
リオンは、そんなドルフにウンブラの書の力の一ページを受け渡した。実験の対象に相応しいと。
結果としてドルフは書の力によって能力に目覚めたが、代わりにその精神を破壊され、記憶は継ぎ接ぎだらけとなり、廃人となってしまった。
やはり、適正の無い人間に力を与えた場合にはリスクが大きすぎるようだ。
イヴァムの予想していた通り、実験は成功だった。
………しかし、リオンは半々と答えた。それは何故なのか。理由は簡単だった。
小教会で孤児達の世話をしている女性が、かつてリオンの知人であるリィズ・サーバティであったからである。
ドルフの一目惚れしていた相手がリィズだと知っていれば、書のページを受け渡さずその存在を葬っていたと、リオンの心は語っていた。
リオンの甘さに人間らしさを感じたイヴァムはその喜びを曲に乗せた。
そう………人間は青臭くなくては面白くない。
絶対者であるのは、このイヴァムだけで良いと――――――――
何の脈絡もなしに、ラドはハッと目を覚ました。
一体どのぐらいの間眠っていたのだろうか。ベッドにもたれ掛かっていた体を起こしてウルの姿を確認する。
ウルは読書に勤しんでいた様で、勢いよく起き上がったラドに少々驚いていた。
「ラド、起きた?」
「ウル………。」
きょとんとした少女の無事な姿を見て、ラドはとめどない涙を流しながら抱きとめた。
「ラド………!?」
「良かった………!!ウル、君がいなくなってしまうかと思って、僕は………!!本当に、無事で良かった………!!」
ずっと胸の内に秘めていた思いの丈を告白する。壊れてしまいそうなくらい、その体を引き寄せる。
ウルから聞こえる心臓の鼓動が、ラドを安心させた。
「………ごめんね、ラド。心配させちゃって。」
「いいんだ、ウルが無事だったなら………。」
「それよりもラド、苦しい。」
「あっ、ごめん!」
慌てて離れる。感情的に強く抱きしめ過ぎた所為で息苦しかったのか、ウルの頬は微かに赤く染まっていた。
「ごめん、嬉しくてつい………。」
「ラドが心配してくれてるのは分かった………でも、反省して………。」
「本当、ごめんよウル………。」
「分かってくれたなら、いい。」
膝に置いていた本を閉じて、手の届く簡易棚へとしまう。
「バカ………。」
「え?」
「何でもない。」
「そ、そうだ!」
少し気まずい空気を変えようと、ラドは足元に用意していた見舞いの品の袋を漁って、その中身をウルに手渡した。
「これを私に?」
「うん、開けてみて。」
言われるがままウルはその箱を開けると、巷で人気のキャラクターを模ったクッキーの詰め合わせが姿を見せた。
「わ、可愛い。」
「何がいいかなって思ったんだけど………って昔もこんなこと言ってたね。」
「そうだね。ラドにペンダントを渡した時にね。」
「あの時、父さんが言ってたんだ。大事なのは物の質じゃなくて、気持ちの大きさだって。」
「………お父さんらしいね。」
「はは、だよね。」
何てことのない、他愛もない話。ラドはこの瞬間を、他の何よりも大切にしたいと………そう思った。
その時、医療用カーテンの先から複数の声が聞こえてきた。
何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、どうやら全員男性のようだ。
ラドが気付いたと言う事は、当然ウルも気付いており、誰だろうかと小首を傾げていた。
察しがついたラドは、席を立って勢いよくカーテンを開いた。
「押さないで下さいよ、バレます………って、あ。」
ラドの予想通り、声の正体はノーク、クリオ、ロッズの三人であった。
「よ、ようラド。あんまり戻ってこないもんだから、心配して見に来たぜ………。」
「ロッズさん、声上擦ってますよ。」
「い、いやぁ………気のせいだ、気のせい。」
大方、面白半分でからかいに来たのだろう。相変わらずロッズは嘘が下手だった。クリオも口笛を吹く真似をして、誤魔化しているつもりのようだ。
しかし、ノークだけはずいっと前に歩み出てラドに耳打ちする。
「ラド………お前臆病過ぎじゃねぇか?男なら、もっとこう………バーンといこうぜ。」
「どこから、見てたんですか?」
「ウル!ぎゅ~っ!の辺りから。」
「なっ………!!」
「おっ、その反応ってことは当たりだな。案外適当に言ってみるもんだ。俺達が来たのはつい今しがただよ。」
ラドは嵌められて知られてしまった事が恥ずかしくなって、思わず両手で顔を覆う。
反面、ノークはしてやったりといった様子で口元をにやつかせた。
「はっはっはっ。まあそう恥ずかしがんなよ。これも立派な青春だ。」
「そう言う問題じゃないですっ!ああ、もう!」
ウルは事態が飲み込めないらしく、きょとんとしている。
「………どうしたの、ラド?」
「何でもないっ、何でもないから!」
「はっはっはっ!」
ノークは珍しく高笑いしながら、少し小さめの買い物袋を差し出してきた。
「俺達も何だかんだで心配してるって事よ。これ、見舞い品な。」
「ノークさん………ありがとうございます。」
ラドの礼に合わせて、ウルもぺこりと軽く頭を下げる。
どうもウルはノークが苦手なのか、面と向かって口を開かない。
「ま、元気そうで何よりだ。さて、俺達は撤収するかね。戻るぞクリオ、ロッズ。」
「ええっ、もう戻るんですか?」
まだまともに話をしていないロッズは不満そうにぼやいた。
「おう、戻る。クリオ、ロッズを連行してくれ。」
「アイアイサー!」
「うおっ、ちょっと待ってくれー!」
小柄な割りに力持ちのクリオにずるずると引きずられるようにして、ロッズは医療室を後にした。
その姿を見送ってから、ノークはぽつりと呟いた。
「………命は一つしかねぇんだ。大事にしろよ。」
背を向けていた所為で表情までは分からなかったが、その声色は震えているように聞こえた。そんなノークの態度に何か思うところがあったのか、ウルが口を開いた。
「ありがとう、ございます。えっと………ノークさん。」
ウルの返事に、ノークは右手を軽く挙げながら無言でその場を立ち去った。
いつも面倒くさがりで、滅多な事では調子を変えないノークがあんな態度を取ったのには理由があった。
「ノークさん、三年ほど前に病気で奥さんを亡くされてるらしいんだ。だから、自分の周りの人の事に関してはつい感情的になるんだって………。」
「そうなんだ………。」
ウルはいつも通りに返事こそしたが、その瞳は曇っていた。
ノークのことは勿論だろうが、それ以外に何か心配事があるかのような素振りであった。
「………ウル、どうかしたの?」
「ううん、何でもない。それよりも、他に誰か来たみたい。」
「失礼します。」
なるべく音を立てずに入ってくる、マナーを弁えた女性の声。ラドには、それが誰であるのか容易に想像できた。ほどなくして、二人の前にその女性は小さな子供と共にその姿を現した。
「リィズさん、ミケ。」
「ラドお兄ちゃん、ウルお姉ちゃん、こんにちは~!」
「ラド君。ウルさん、容態はどうですか?」
「何ともありません。わざわざお見舞い、ありがとうございます。………それよりも、すみません。助けに入ったつもりが、逆に助けられて………。」
ウルは自分が役に立てなかったどころか、却って足を引っ張ってしまったことを悔やんでいるようだった。
「そんなこと………。ウルさんがいなければ、ミケちゃんを助けることは出来ませんでした。改めて、お礼を言わせて下さい。」
深々と頭を下げるリィズに、ウルは少し照れているようだった。
そんな中、ミケはウルの傍に寄って何か物を渡そうとポケットを漁っていた。
「ウルお姉ちゃん、はい!これあげる!」
取り出したのは、小さな鍵の形をしたキーホルダーであった。子供の自作故か、所々不恰好なのがその可愛らしさを引き立たせていた。
「………ミケちゃん。私にくれるの?」
「うん、リィズお姉ちゃんから教えてもらったの。私を助けてくれたのは、ウルお姉ちゃんだって。だから………。」
受け取って貰えないのだろうかと不安がよぎったのか、ミケは瞳に涙を浮かべて手を震わせる。その震えを優しくしずめるように、ウルは両手でその小さな手を包み込んだ。
「………ありがとう。」




