第9話 アルトがいなくても困らないはずでした
「今日は、森の奥にあるゴブリンの巣を潰す」
町を出る前、ヴァリスはそう宣言した。
ゴブリンの巣の討伐は、通常のゴブリン討伐よりも報酬が高い。
確認されている数は十体前後。
率いているのは、通常より身体の大きなホブゴブリン一体。
以前の三人なら、決して無謀な依頼ではなかった。
カスパーの《索敵》で敵の位置を把握する。
セナの《火魔法》で数を減らす。
生き残った魔物を、ヴァリスが剣で仕留める。
これまで何度も使ってきた戦い方だ。
「本当に大丈夫なの?」
セナが尋ねた。
「最近、私の魔法が少し不安定なのだけど」
「だからこそ、この依頼を成功させるんだ」
ヴァリスは腰の長剣を叩いた。
「高い金を出して装備を新調したんだぞ。弱いゴブリン相手に苦戦していたら、俺たちが笑いものになる」
「俺の《索敵》も、まだ元に戻ってない」
カスパーは不満そうに言った。
「前より範囲が狭い。この状態で巣へ近づくのは危険だ」
「装備に慣れていないだけだろう。実戦で使えば、すぐ元に戻る」
「でもよ……」
「アルトを追い出したことが間違いだったとでも言いたいのか?」
ヴァリスの声が低くなる。
カスパーは口を閉じた。
アルトを追い出すことに、三人とも賛成した。
借金を押しつける契約にも加わった。
今さら間違いだったとは認められない。
「荷物持ち一人がいなくなっただけだ」
ヴァリスは言った。
「俺たちの強さは変わらない。むしろ役立たずへ報酬を分けなくなったぶん、稼ぎは増える」
「そうね」
セナも頷いた。
「ゴブリンの巣を潰して、装備に問題がないことを証明しましょう」
三人は森へ入った。
食料、傷薬、野営道具。
すべてを自分たちの背中へ分けている。
アルトがいたころより、荷物は少ない。
それでも、普段はほとんど荷物を持たなかった三人にとっては負担だった。
「まだ着かないのか?」
森へ入って二時間ほどで、ヴァリスが尋ねた。
「地図だと、もう近いはずだ」
カスパーは紙の地図を広げた。
森の湿気で、端がふやけている。
「この川を越えて、北へ進めば――」
「さっきも同じことを言ってなかった?」
セナが眉をひそめる。
「似たような川が何本もあるんだよ」
「地図に印をつけておけばよかったでしょう」
「それは今までアルトがやってただろ!」
カスパーが言い返した。
ヴァリスが舌打ちする。
「道くらい自分たちで分かる。とにかく北へ進め」
三人は再び歩き出した。
それから一時間後。
目の前に、見覚えのある倒木が現れた。
中央が裂け、根元に白いキノコが生えている。
セナが足を止めた。
「ここ、さっき通ったわよね?」
「気のせいだ」
ヴァリスが答える。
「いいえ。絶対に通ったわ。私、このキノコを見たもの」
「だったらカスパーが道を間違えたんだ」
「俺だけのせいにするな!」
三人の声が森へ響く。
そのとき、少し離れた茂みが揺れた。
カスパーが振り向く。
「何かいる」
「今ごろ気づいたのか?」
「《索敵》に反応がなかったんだ!」
茂みからゴブリンが飛び出した。
一体。
二体。
三体。
さらに後方から、次々と姿を現す。
合計七体。
「囲まれてるじゃない!」
セナが杖を構える。
「《火球》!」
赤い火球が飛び、一体のゴブリンへ直撃した。
炎に包まれたゴブリンが倒れる。
だが、以前のように周囲の魔物まで巻き込むほどの威力はなかった。
残る六体が、一斉に距離を詰めてくる。
「ヴァリス!」
「俺に任せろ!」
ヴァリスが長剣を抜き、先頭の一体へ斬りかかった。
肩から腰まで斬り裂くつもりだった。
しかし、刃はゴブリンの胸を浅く切っただけだ。
「またか……!」
想定より剣が遅い。
踏み込みも浅い。
その隙に、別のゴブリンが横から棍棒を振る。
ヴァリスは剣で受け止めた。
さらにもう一体が迫る。
「カスパー、右だ!」
「分かってる!」
カスパーが短剣を投げる。
狙いは外れ、ゴブリンの頬をかすめて木へ刺さった。
「くそっ!」
残った短剣を抜こうとした瞬間、別のゴブリンが体当たりしてくる。
カスパーは地面へ倒れた。
「邪魔よ! 《火球》!」
セナが二発目を放つ。
火球はゴブリンへ当たったが、魔法を使うまでに時間がかかりすぎている。
倒したのは、まだ二体だけ。
五体が残っている。
「傷薬を出せ!」
ヴァリスが叫んだ。
カスパーは立ち上がりながら、自分の背負い袋を探る。
「俺は持ってない!」
「セナ!」
「私の袋にも入ってないわよ!」
「誰が持ってるんだ!」
三人が一瞬、顔を見合わせた。
町を出る前に、傷薬を買った。
そこまでは覚えている。
しかし、誰の背負い袋へ入れたのか確認していなかった。
アルトがいたころは、必要な道具の場所を全員が把握していた。
アルト自身が、使う順番に袋を分けていたからだ。
「荷物を全部開けろ!」
「今ここで!?」
ゴブリンに囲まれながら、そんな余裕はない。
ヴァリスは剣を振り、一体を押し返した。
「もういい! ここを突破して離れるぞ!」
三人は一方向へ攻撃を集中させた。
セナの火球で一体を倒す。
ヴァリスが傷を負わせたゴブリンを、カスパーが短剣で仕留める。
包囲に隙間ができた。
「走れ!」
三人は背負い袋を抱え、森の中を走った。
ゴブリンたちが追ってくる。
重い荷物が背中で揺れる。
「このままじゃ追いつかれる!」
カスパーが叫ぶ。
「荷物を捨てろ!」
ヴァリスは自分の背負い袋を肩から外し、地面へ放り投げた。
カスパーも続く。
「ちょっと! 食料も入ってるのよ!」
「命とどっちが大事なんだ!」
セナも仕方なく袋を捨てた。
身軽になった三人は、どうにかゴブリンを引き離した。
森の中を走り続け、追ってくる気配がなくなったところで足を止める。
「はあっ……はあっ……」
ヴァリスが木へ手をつき、荒い呼吸を繰り返す。
腕には棍棒を受けた痣。
頬には浅い切り傷。
カスパーも服を破かれ、左肩から血を流している。
セナは怪我こそ少ないものの、魔力を消耗し、立っているのがやっとだった。
「傷薬……」
カスパーが呟く。
三人は、捨てた背負い袋の方向を見た。
そこにはゴブリンがいる。
取りに戻ることはできない。
「予備はないの?」
セナが尋ねた。
「全部、袋の中だ」
「どうして分けて持たなかったのよ!」
「お前だって確認しなかっただろ!」
「やめろ!」
ヴァリスが怒鳴る。
「町へ戻る。傷は深くない」
「戻るって、道は分かるの?」
セナの問いに、誰も答えられなかった。
地図も、方角を確認する道具も、捨てた背負い袋の中だ。
水と食料もない。
太陽はすでに傾き始めている。
「カスパー。《索敵》で人の気配を探せ」
「さっきからやってる。だけど、前より範囲が狭くなってるんだ!」
「役に立たない技能だな」
「お前の《剣術》だって弱くなってるだろ!」
「何だと?」
「ゴブリン一体も一撃で倒せなかったじゃないか!」
二人が睨み合う。
セナは杖を握りしめたまま、疲れた声で言った。
「喧嘩している場合じゃないでしょう……。暗くなる前に、帰り道を探して」
三人は日が沈むまで森をさまよった。
町へ戻れたのは、翌日の昼だった。
泥だらけの服。
空になった革袋。
傷だらけの身体。
依頼されたゴブリンの巣にはたどり着けず、討伐証明も一つしか持ち帰れなかった。
依頼は失敗。
治療費だけで、銀貨十枚以上。
捨てた食料や道具を買い直せば、さらに金がかかる。
「最悪だ……」
町の門をくぐりながら、ヴァリスが呟いた。
そのとき。
反対側から、一人の冒険者が歩いてきた。
先端の折れた剣。
傷のついた革の籠手。
背中には、素材の詰まった背負い袋。
服は汚れているものの、怪我をしている様子はない。
アルトだった。
アルトも三人に気づき、足を止める。
ヴァリスの顔が歪んだ。
「お前……」
追放したはずの荷物持ちは、ヴァリスたちよりもずっと冒険者らしい姿で、そこに立っていた。




