第8話 三度目の返済で《火魔法》を回収しました
翌朝。
アルトは金貨三枚を持って、契約を管理する窓口へ向かった。
一枚は返済する。
残る二枚は、生活費と装備のために残す。
以前なら、持っている金をすべて返済へ回していたかもしれない。
だが、今は違う。
借金を早く減らすことより、生き続けられる状態を作ることのほうが大切だ。
「三度目の返済をお願いします」
アルトは金貨一枚を受領箱へ入れた。
《第三回の返済を確認しました》
《借入残額:金貨二百九十七枚》
《債権の一部が返済者へ移譲されます》
《担保として登録された技能を回収します》
契約書が淡い光を放つ。
アルトは静かに次の表示を待った。
ヴァリスの《剣術》。
カスパーの《索敵》。
順番どおりなら、次はセナが持っている技能かもしれない。
そう考えた瞬間、アルトの胸の奥に熱が生まれた。
「熱い……!」
火傷するような熱ではない。
身体の中を、温かな何かが巡っていく。
胸から肩へ。
肩から腕へ。
最後に、右手のひらへ集まった。
《担保技能《火魔法》の一部を回収しました》
《技能《火魔法Ⅰ》を獲得しました》
「本当に、魔法まで……」
アルトは自分の右手を見つめた。
セナが使っていた《火魔法》。
ゴブリンを焼き、暗い洞窟を照らし、ときには仲間の命を救ってきた技能だ。
剣術や索敵とは違う。
魔法を使うには、体内にある魔力を感じ取り、正しい形へ変換しなければならない。
セナはそれを簡単そうに行っていた。
アルトも荷物を運びながら、何度もその姿を見ている。
「俺にも使えるのか?」
窓口の中で試すわけにはいかない。
アルトは契約書をしまい、町の外へ向かった。
人も建物もない草原まで移動する。
周囲に燃えやすいものがないことを確認してから、右手を前へ出した。
頭の中には、魔法の使い方に関する知識がある。
胸の奥にある魔力を感じ取る。
腕を通して、手のひらへ集める。
それを火へ変え、外へ放つ。
「火よ」
何も起きなかった。
風が手のひらを撫でていくだけだ。
「……もう一度」
胸の奥へ意識を集中させる。
先ほど感じた熱を探す。
だが、どこにあるのか分からない。
魔力は目に見えない。
剣のように手で持つこともできない。
「セナは、どうしていた?」
アルトは記憶をたどった。
セナが魔法を使う前、一度だけ短く息を吸っていた。
杖を構えると同時に、胸元から赤い光が腕へ流れていた。
以前のアルトには、魔力の光など見えなかった。
《火魔法Ⅰ》を得たことで、過去の記憶の見え方まで変わったのかもしれない。
アルトは目を閉じた。
呼吸を整える。
胸の奥へ意識を向ける。
鼓動とは別に、かすかな熱があった。
小さく、弱い。
それでも確かに存在している。
「これが魔力か」
熱を右肩へ動かそうとする。
しかし、すぐに散ってしまった。
もう一度。
今度は急がず、少しずつ動かす。
胸から肩へ。
肩から肘へ。
肘から手首へ。
額に汗が浮かぶ。
剣を振るよりも、はるかに細かな集中が必要だった。
ようやく魔力が手のひらへ届く。
「火よ」
小さな赤い光が生まれた。
次の瞬間。
ぱちっ、と音を立てて消えた。
「……今のが魔法か?」
火球には程遠い。
ろうそくへ火をつけられるかどうかも怪しい。
それでも、何も起こらなかった最初とは違う。
確かに火が生まれた。
アルトはもう一度、魔力を集めた。
二回目は、先ほどより早く手のひらまで動かせた。
赤い光が生まれる。
今度は一瞬では消えなかった。
小指の先ほどの炎が、手のひらの上で揺れている。
「できた……!」
喜んだ途端、集中が途切れた。
炎が消える。
同時に、強い疲労が押し寄せてきた。
アルトはその場へ膝をついた。
「これだけで……?」
息が荒い。
全力で走ったあとのように身体が重い。
魔力を集めることに慣れていないため、無駄に消耗しているのだろう。
セナなら、人の頭ほどの火球を何発も放てる。
今のアルトが作れるのは、指先ほどの炎だけ。
同じ《火魔法》でも、使い手としての差はあまりにも大きかった。
《《火魔法Ⅰ》の習熟度が上昇しました》
「これも、鍛えれば成長する」
《剣術Ⅰ》も、最初はまともに使えなかった。
何度も剣を振り、実戦を経験して《剣術Ⅱ》へ成長した。
《火魔法》も同じだ。
最初からセナと同じ魔法を使える必要はない。
一つずつ覚えていけばいい。
アルトは休憩を挟みながら、魔力を手のひらへ集める練習を続けた。
炎を生み出すのは五回まで。
それ以上は、魔力を使い切る危険があると判断した。
最後の一回では、親指ほどの大きさの炎を十秒ほど維持できた。
戦闘には使えない。
だが、野営で火を起こすためには十分かもしれない。
「まずは、火打ち石の代わりだな」
強力な技能を得ても、最初から無理に戦闘へ使おうとはしない。
自分にできる範囲から使い、少しずつ習熟度を上げる。
アルトは何度も剣を振った経験から、それを学んでいた。
翌日。
アルトは森で集めた枯れ枝を地面へ積み上げた。
手のひらを向ける。
胸の奥から魔力を動かし、小さな炎へ変える。
「火よ」
生まれた炎が枯れ草へ移った。
白い煙が上がる。
アルトが息を吹きかけると、枝へ火が燃え広がった。
《《火魔法Ⅰ》の習熟度が上昇しました》
「戦わなくても育つのか」
魔法を使えば、用途に関係なく習熟度が上がるらしい。
それなら、毎日の生活で使いながら鍛えられる。
火を起こす。
暗い場所を照らす。
濡れた服を乾かす。
戦闘以外にも使い道はある。
荷物持ちだったアルトには、便利な技能を活用する方法がいくつも思い浮かんだ。
「セナは、こんな使い方を嫌がったな」
野営の火を頼んでも、セナはよく断っていた。
自分の魔法は戦闘のためにある。
火を起こす程度なら、アルトが火打ち石を使えばいい。
そう言われ、雨の中で何度も火を起こしたことを覚えている。
アルトは燃える枝を眺めた。
「俺の技能なら、俺が好きに使えばいい」
借金を返すため。
魔物と戦うため。
生きていくため。
どんな使い方をするかは、自分で決められる。
◇
「《火球》!」
セナの杖の先から、赤い火球が放たれた。
森の中を飛び、ゴブリンへ直撃する。
爆発音とともに炎が広がった。
「やったか?」
ヴァリスが剣を構えたまま、煙の向こうを見る。
そこから、全身を焦がしたゴブリンが飛び出してきた。
「ギャアアッ!」
「生きてるじゃない!」
セナは驚き、二発目を放とうと杖を構えた。
だが、すぐに魔法が出ない。
これまでより、魔力を集めるのに時間がかかっている。
「セナ、早くしろ!」
「分かってるわよ!」
ようやく生まれた二発目の火球は、以前より一回り小さかった。
ゴブリンへ当たり、今度こそ動かなくなる。
セナは自分の杖を見つめた。
「おかしい……」
「今度は何だ?」
「《火魔法》が弱くなっている気がするの」
「カスパーの《索敵》に続いて、お前までか?」
「この杖が原因よ。きっと術式が不安定なの」
セナは苛立った様子で杖を地面へ突いた。
高額な借金をして購入した杖だ。
自分の技能を増幅し、以前より強い魔法を使えるはずだった。
それなのに、日に日に火球が小さくなっている。
三人はまだ知らない。
杖が壊れているのではない。
契約どおり、借金の返済者へ技能の一部が移っただけだ。
セナが失った《火魔法》は今、アルトの手のひらで小さな炎となって燃えていた。




