第6話 元荷物持ち、初めてゴブリンを狩る
二度目の返済から三日後。
アルトは、依頼が並ぶ掲示板の前に立っていた。
これまで受けてきたのは、薬草の採取と角ウサギの討伐だ。
危険は比較的少ない。
報酬も少ない。
食費と宿代を引けば、手元に残るのは一日銀貨一枚か二枚ほどだった。
このままでも、時間をかければ次の返済はできる。
だが、借金は残り金貨二百九十八枚。
一回につき金貨一枚を返していたのでは、完済まで何年かかるか分からない。
「少しずつ、受ける依頼を変えないとな」
アルトは一枚の依頼票へ目を向けた。
《森に出没するゴブリンの討伐》
討伐証明となる右耳一つにつき、銀貨三枚。
五体以上討伐した場合は、追加報酬として銀貨五枚。
角ウサギより明らかに報酬が高い。
その代わり、危険も大きい。
ゴブリンは棍棒や錆びた剣を使う。
単体なら駆け出し冒険者でも倒せるが、複数で行動することが多い。
知恵もあり、茂みに隠れて待ち伏せすることもある。
「以前の俺なら、絶対に選ばなかったな」
アルトは自分の技能を確認した。
《剣術Ⅱ》
《索敵Ⅰ》
装備は、先端の折れた剣。
防具は厚手の服だけ。
正面からゴブリンの群れと戦えば、まず勝てない。
だが、《索敵》を使って一体ずつ引き離せれば可能性はある。
アルトは依頼票を手に取った。
「危険だと思ったら、すぐに帰る」
受注の手続きを済ませ、町を出る。
向かったのは、三日前に複数の気配を感じた森だった。
あのときは正体を確認せず、進路を変えた。
今考えれば、人間より少し小さかった三つの気配は、ゴブリンだった可能性が高い。
森へ入ったアルトは、すぐに《索敵》を使った。
技能を得た直後より、気配を感じ取れる範囲が広がっている。
毎日使い続けた成果だ。
小さな気配が左前方に二つ。
木の上にも一つ。
これは鳥だろう。
右奥には、人間に近い大きさの気配がある。
「一つだけか?」
アルトは剣へ手をかけ、慎重に近づいた。
茂みの隙間から様子をうかがう。
緑色の肌。
尖った耳。
腰に汚れた布を巻き、手には木の棍棒を持っている。
やはりゴブリンだった。
一体だけで、木の根元を掘っている。
こちらには気づいていない。
アルトは周囲の気配を探った。
少なくとも、近くに仲間はいない。
今なら戦える。
背後から近づけば、不意打ちもできる。
アルトは音を立てないよう、一歩ずつ進んだ。
残り十歩。
七歩。
五歩。
ゴブリンが突然顔を上げた。
「ギッ?」
鼻を動かし、振り返る。
風向きが変わり、アルトの臭いに気づいたらしい。
「ギャアッ!」
ゴブリンが棍棒を振り上げた。
不意打ちは失敗した。
アルトはすぐに剣を抜く。
ゴブリンが棍棒を横へ振る。
角ウサギと違い、攻撃の方向が一つではない。
アルトは後ろへ下がって棍棒を避けた。
すぐに剣を振ろうとする。
しかし、ゴブリンはもう一度棍棒を振り上げていた。
「速い……!」
攻撃を中断し、身体を横へ動かす。
棍棒が肩をかすめた。
直撃はしていない。
それでも重い衝撃が伝わり、体勢が崩れる。
ゴブリンが笑うような声を上げた。
弱い魔物と呼ばれていても、武器を持っている。
角ウサギとは違う。
こちらの動きを見て、攻撃を変えてくる。
「落ち着け。振らせてから斬る」
アルトは剣を正面に構えた。
無理に攻撃しない。
ゴブリンが棍棒を振り上げ、近づいてくる。
アルトは足元にあった小石を蹴った。
「ギッ!」
小石が脛へ当たり、ゴブリンの視線が下がる。
その瞬間、アルトは前へ踏み込んだ。
足から腰へ。
腰から肩へ。
身体全体の力を剣へ伝える。
斜めに振り下ろした刃が、ゴブリンの右腕を深く斬った。
棍棒が地面へ落ちる。
「ギャアアッ!」
ゴブリンが傷口を押さえながら後退した。
アルトは追う。
剣を横へ振り、首を斬る。
一撃では倒れない。
さらに踏み込み、同じ場所へ二撃目を加えた。
ゴブリンの身体が地面へ崩れ落ちる。
《ゴブリンを討伐しました》
《《剣術Ⅱ》の習熟度が上昇しました》
「勝った……」
アルトは周囲を確認してから、深く息を吐いた。
肩を棍棒がかすめたものの、大きな怪我はない。
初めて角ウサギと戦ったときに比べれば、ずっと落ち着いて動けた。
だが、反省点もある。
不意打ちに失敗したあと、すぐに攻撃しようとしてしまった。
あのまま強引に剣を振っていれば、棍棒を頭に受けていたかもしれない。
「一体でこれなら、二体はまだ危ないな」
アルトはゴブリンの右耳を切り取り、小袋へ入れた。
棍棒は売れそうにない。
腰へ下げていた小さな革袋を調べると、銅貨が八枚入っていた。
わずかな金でも、今のアルトには大切な収入だ。
さらに森の奥へ進む。
しばらくすると、前方に三つの気配を感じた。
大きさは、先ほどのゴブリンとほぼ同じ。
「三体か」
正面から戦うつもりはない。
アルトは風下へ回り、茂みの奥を確認した。
ゴブリンが三体。
一体は座って食事をしている。
もう一体は地面に寝転んでいる。
残る一体だけが、少し離れた場所を歩いていた。
見張りだろう。
「まず、あの一体を引き離す」
アルトは小石を拾い、ゴブリンたちから離れた茂みへ投げた。
葉が揺れる。
見張りのゴブリンが顔を上げた。
「ギ?」
仲間へ何かを告げ、一体だけで音のした方向へ歩き出す。
アルトはさらに奥へ移動し、もう一度小石を投げた。
ゴブリンが仲間から離れていく。
十分な距離ができたところで、アルトは木の陰から姿を現した。
「ギャッ!」
ゴブリンが棍棒を構える。
アルトは剣を抜いた。
今度は、最初から相手の攻撃を待つ。
棍棒が振り下ろされる。
半歩だけ横へ動く。
攻撃を避けた直後、剣を腕へ振り下ろす。
一撃目。
ゴブリンが怯んだところで、首へ二撃目。
《ゴブリンを討伐しました》
先ほどよりも短い時間で倒せた。
残る二体は、まだこちらに気づいていない。
アルトは死体を茂みへ隠し、別の方向から音を立てた。
今度も一体だけ誘い出す。
同じ方法で戦い、三体目を討伐した。
最後の一体が仲間の異変に気づいたときには、すでに一対一になっていた。
四体目を倒したところで、アルトは木へ背中を預けた。
呼吸が荒い。
腕も重くなっている。
一体ずつ相手にしたとはいえ、連続で四体を倒した。
「依頼の追加報酬は五体から……」
あと一体倒せば、銀貨五枚が追加される。
ゴブリン一体の耳は銀貨三枚。
次を倒せば、一体で銀貨八枚分になる。
金貨一枚の返済が、大きく近づく。
アルトは森の奥へ目を向けた。
《索敵》を使えば、少し離れた場所にもう一つの気配がある。
一体だけだ。
今なら倒せるかもしれない。
アルトは剣を握り直した。
その手が、小さく震えていることに気づく。
恐怖ではない。
疲労だ。
腕の力が落ちている。
足も、先ほどより重い。
「……帰ろう」
追加報酬は惜しい。
だが、銀貨八枚のために命を懸ける必要はない。
今日はゴブリンを四体倒した。
討伐報酬は銀貨十二枚。
十分な稼ぎだ。
「あと一体だけ、が一番危ない」
アルトは四体分の右耳を確認し、来た道を引き返した。
町へ戻って討伐証明を提出する。
受け取った報酬は銀貨十二枚。
ゴブリンが持っていた銅貨も合わせれば、これまでで最高の収入だった。
アルトはその場で金貨一枚を分けた。
残りは銀貨二枚と銅貨がいくらか。
「これで、三度目の返済ができる」
だが、すぐに窓口へ向かうことはしなかった。
剣の手入れ。
食事。
宿代。
傷薬の補充。
必要な金を先に計算する。
返済のために、自分の生活を壊してはならない。
アルトは金貨一枚を革袋の奥へしまった。
明日は身体を休める。
返済するのは、そのあとだ。
借金に人生を支配されない。
返す順番も、生き方も、自分で決める。
それが、アルトが元仲間から取り戻そうとしているものだった。




