第5話 二度目の返済で《索敵》を回収しました
金貨一枚が受領箱へ落ちた。
乾いた音が響く。
アルトは契約書を両手で持ち、変化を待った。
前回と同じように、紙の表面へ淡い光が走る。
《第二回の返済を確認しました》
《借入残額:金貨二百九十八枚》
《債権の一部が返済者へ移譲されます》
《担保として登録された技能を回収します》
来る。
アルトは息を止めた。
次の瞬間、頭の奥へ冷たい水が流れ込んだような感覚が広がる。
視界は変わっていない。
それなのに、周囲にいる人間の位置がなんとなく分かる。
窓口の向こうに一人。
右後方に二人。
入口の外にも、誰かが立っている。
姿を見なくても、その方向に気配があることを感じ取れた。
《担保技能《索敵》の一部を回収しました》
《技能《索敵Ⅰ》を獲得しました》
「《索敵》……」
カスパーが持っていた技能だ。
魔物や人間の気配を察知し、敵の接近や待ち伏せを見抜く。
斥候にとって欠かせない技能だった。
これまでアルトたちが森やダンジョンを進めたのも、カスパの《索敵》があったからだ。
アルトは契約書を見つめた。
ヴァリスの《剣術》。
カスパーの《索敵》。
元仲間の技能が、実際に一つずつ移ってきている。
偶然ではない。
「でも、どうして技能が担保になっているんだ?」
アルトは改めて契約書を読み直した。
以前は気づかなかった文字が、裏面に浮かんでいる。
《本契約によって購入された装備には、使用者の技能を増幅する術式が付与されています》
《借入金が第三者によって返済された場合、装備使用者は返済額に相当する技能の所有権を失います》
《回収された技能は、返済者へ移譲されます》
ヴァリスたちが購入した装備は、普通の武器や防具ではなかった。
高価だった理由は、使用者の技能を高める術式が組み込まれていたからだ。
ヴァリスの剣は《剣術》を。
セナの杖は魔法に関する技能を。
カスパーの外套は《索敵》や斥候技能を強化する。
契約どおりに四人で返済していれば、問題は起こらなかった。
装備を使う三人も、返済へ参加するはずだったからだ。
しかし、三人は借金をアルトだけに押しつけた。
その結果、装備の代金を支払っているのは、使っている本人ではなくアルトになった。
「他人に買わせた力は、その人間のものになる……ということか」
あまりにも皮肉だった。
アルトへ借金を押しつけるために利用した契約が、三人の技能をアルトへ渡している。
彼らは、このことを知っていたのだろうか。
おそらく知らない。
知っていれば、装備を持ったまま借金を押しつけるような真似はしなかったはずだ。
「教える必要はないな」
アルトは契約書を畳んだ。
ヴァリスたちは、アルトが何を言っても聞かなかった。
装備を返してほしいと頼んでも拒絶した。
読まなかったお前が悪いと笑った。
ならば彼らも、自分たちが署名した契約の結果を受け入れるべきだ。
「それより、《索敵Ⅰ》がどこまで使えるか確かめよう」
アルトは窓口を離れ、町の外へ向かった。
人通りの少ない草原で目を閉じる。
風の音。
草が揺れる音。
遠くを走る馬車の音。
最初は、それらが混ざり合って何も分からなかった。
意識を集中させる。
右側。
少し離れた場所に、小さな気配がある。
アルトが目を開けて近づくと、草むらから一匹の野ネズミが逃げ出した。
「分かった……!」
まだ距離は短い。
気配の正体までは判別できない。
それでも、姿が見えない相手の存在を察知できた。
森で角ウサギに囲まれたとき、この技能があればもっと早く三匹の存在に気づけただろう。
不意打ちを受ける危険も減る。
ソロで活動するアルトにとって、《索敵》は《剣術》と同じくらい重要な技能だった。
「今度は森で試してみよう」
その日の午後、アルトは採取依頼を受けて森へ入った。
以前と同じ浅い区域。
しかし、見える景色は大きく変わっていた。
木の陰。
深い茂み。
倒木の向こう側。
これまでは、何かが潜んでいるかもしれないと怯えながら進んでいた。
今は集中すれば、近くに生き物がいるかどうかを感じ取れる。
左前方に小さな気配が一つ。
右奥に二つ。
さらに離れた場所に、少し大きな気配。
「右の二匹は避けよう」
まだ複数を同時に相手にする必要はない。
アルトは一匹だけ離れている気配へ近づいた。
茂みの隙間から、角ウサギの姿が見える。
相手はこちらに気づいていない。
剣を抜く。
足音を立てないよう、ゆっくり距離を詰めた。
あと数歩というところで、角ウサギの耳が動いた。
気づかれた。
アルトは無理に斬りかからず、剣を構える。
角ウサギが振り向き、地面を蹴った。
正面からの突進。
前回と同じ攻撃だ。
アルトは半歩横へ動き、すれ違いざまに剣を振る。
一撃目が背中へ入る。
着地した角ウサギが向き直る前に距離を詰め、二撃目を首へ叩き込んだ。
《角ウサギを討伐しました》
《《剣術Ⅱ》の習熟度が上昇しました》
《《索敵Ⅰ》の習熟度が上昇しました》
怪我はない。
息もほとんど乱れていなかった。
「《索敵》があるだけで、こんなに違うのか」
敵の数と位置を事前に把握できる。
戦う相手を選び、不利な状況を避けられる。
強い攻撃技能を得たわけではない。
それでも、生き残る可能性は大きく上がった。
アルトは討伐した角ウサギを背負い袋へ入れ、採取を続けた。
薬草を探している途中、前方に三つの気配を感じる。
そのうち一つは、人間より少し小さい。
残る二つも同じ程度の大きさだ。
角ウサギではない。
アルトはすぐに進路を変えた。
今の自分では、正体の分からない三体と戦うべきではない。
以前なら、姿を見るまで存在に気づかなかっただろう。
回避できたことも、《索敵》による立派な成果だった。
この日は角ウサギを二匹だけ倒し、依頼に必要な薬草を集めて町へ戻った。
大きな危険はなかった。
傷も負っていない。
それでも、前回より短い時間で十分な報酬を得られた。
「技能が増えれば、もっと安全に稼げる」
返済すれば、アルトは強くなる。
強くなれば、より報酬の高い依頼を受けられる。
報酬が増えれば、さらに返済できる。
押しつけられた借金は、今も途方もない額だ。
だが、少しずつ道筋が見え始めていた。
◇
同じころ。
「止まれ!」
森の奥で、ヴァリスが剣を抜いた。
前方の茂みから、ゴブリンが三体飛び出してくる。
「カスパー! 敵がいるなら先に言え!」
「分からなかったんだ!」
カスパーが慌てて短剣を構える。
「急に《索敵》の範囲が狭くなった。昨日までは、もっと遠くまで分かったはずなのに……!」
「言い訳はあとにして!」
セナが新しい杖を掲げ、火球を放つ。
一体のゴブリンが炎に包まれた。
残る二体へ、ヴァリスが斬りかかる。
高価な長剣が鋭い軌道を描いた。
しかし、ヴァリスが思っていたよりも一歩遅い。
刃はゴブリンの身体を浅く斬っただけだった。
「なんだ……?」
以前なら、確実に仕留められた一撃だった。
手に力が入らないわけではない。
剣も壊れていない。
それなのに、思い描いたとおりに刃が動かない。
ゴブリンが反撃し、ヴァリスの腕へ棍棒を叩きつけた。
「ぐっ!」
「ヴァリス!」
セナが二発目の火球を放つ。
どうにか三体を倒したものの、ヴァリスの腕には青い痣が残った。
カスパーも、ゴブリンの短剣で頬を浅く切られている。
「おかしい……」
ヴァリスは自分の剣を見つめた。
以前よりも剣が扱いにくくなっている。
カスパーの《索敵》も、明らかに弱くなっていた。
「装備の調子が悪いんじゃない?」
セナが言った。
「町へ戻ったら、店で見てもらいましょう」
「買ったばかりだぞ」
「だったら、私たちが疲れているのよ。荷物まで自分で持つようになったんだから」
三人の背中には、大きな荷物がある。
これまで運んでいたのはアルトだった。
食料の管理も、進む道の確認も、討伐した魔物の解体も、すべてアルトへ任せていた。
アルトがいなくなって初めて、三人は自分たちの負担が増えたことに気づき始めていた。
「とにかく、先へ進むぞ」
ヴァリスは剣を鞘へ戻した。
「アルトを追い出した直後に依頼を失敗したなんて、笑いものになる」
三人は森の奥へ進んでいく。
誰も知らなかった。
ヴァリスの《剣術》が一段階低下していることも。
カスパーの《索敵》の一部が失われていることも。
その二つの技能が、借金を返したアルトの中で、着実に成長し始めていることも。




