第57話 二十三人分の時間
《私が二十三人分を引き受ける》
《その間に来てくれ》
《第二候補の債務を追加》
《百金貨から――百二十三金貨へ変更》
「また借金を増やした……」
王都の職員が、黄金の板を見つめる。
二十三人へ発行されるはずだった債務。
一人につき金貨一枚。
第二候補は、それをすべて自分へ移した。
「返済所の中にいる人たちは?」
アルトが尋ねる。
《新規債務の発行を中断》
《債務移転先――第二候補》
《内部二十三名への徴収――停止》
「助かっています」
契約管理の職員が安堵する。
「ですが、第二候補の借金は百二十三金貨です」
「分かっています」
百金貨でも、三日で返すことは不可能に近い。
そこへ二十三金貨が追加された。
それでも第二候補は、自分の借金を増やすことで返済所の人間を守った。
「王都まで、あとどれくらいですか?」
アルトが御者へ尋ねる。
「交代馬なら、休ませずに進んで半日ほどです」
「夜間も進めますか?」
「街道を使えば。ただし、馬車の速度は落ちます」
「黒い箱を運ぶ荷台は?」
「車輪を確認する必要があります」
「今、確認してください」
御者二人が荷台を調べる。
封印札へ触れないよう、外側から車輪と軸を見る。
「壊れてはいません」
「予備部品は?」
「車輪一つと、軸を補強する金具があります」
「途中で壊れた場合、交換にどれくらいかかりますか?」
「一時間ほどです」
黒い箱の荷台を街道へ置いていくことはできない。
故障すれば、それだけ王都への到着が遅れる。
「速度は上げすぎないでください」
「急がなくていいのですか?」
「壊さない範囲で急ぎます」
急ぐために無理をして、途中で止まれば意味がない。
アルトは人員用の馬車へ戻った。
交代した馬が走り始める。
補給隊は、救出した者たちを連れて街へ戻っていった。
「次の状態確認です」
治癒師が言った。
「今ですか?」
「十五分ごとと決めました」
アルトは右足を伸ばす。
固定具が外され、腫れを確認される。
「先ほどより悪化しています」
「どれくらいですか?」
「歩かせたくない程度です」
「王都へ着くまでは歩きません」
「到着後もです」
「返済所へ行く必要があります」
「馬車で入口まで行きます」
「中では?」
「護衛に支えてもらってください」
アルトは少し黙った。
契約異常へ対応できるのは自分だけ。
だが、自分の足で歩かなければならない理由はない。
「分かりました」
「身体強化も禁止です」
「使いません」
「痛みを隠すのも禁止です」
「それは難しいです」
「禁止です」
治癒師は包帯を巻き直した。
アルトは黄金の板へ視線を戻す。
「第二候補は、いつまで百二十三金貨を引き受け続けられる」
《債務移転状態を確認》
《第二候補による一時引受け》
《確定条件――本人の署名》
「まだ確定していない?」
《確認》
「第二候補は署名していないのですか?」
《代理署名を準備中》
アルトの表情が変わる。
第二候補は、二十三人分を一時的に引き受けた。
しかし、正式にはまだ百二十三金貨の債務者になっていない。
管理者は、代理署名を使って強制的に確定させようとしている。
「代理署名の条件は?」
《債務者の判断能力低下》
《命令契約による署名権限の移転》
「第二候補は拒否権を失っています」
「署名する権限まで奪われている可能性がある」
契約管理の職員が言った。
「本人が抵抗できる時間は?」
《代理署名実行まで――三時間》
王都まで半日。
間に合わない。
「三時間を過ぎたら、百二十三金貨が確定する」
「確定したら何が起きますか?」
《返済期限――二十四時間》
《未返済の場合》
《管理権限を徴収》
《不足分を王都全域から回収》
第二候補の管理権限を奪う。
それだけでは百二十三金貨に届かない。
不足分は、王都の人間から取る。
「代理署名を止められますか?」
アルトが尋ねる。
《署名権限の移転契約を無効化する必要があります》
「契約の内容を表示しろ」
《第二判定契約》
《管理権限を得る代わりに》
《管理命令への拒否権》
《契約変更への拒否権》
《代理署名への拒否権》
《以上を担保指定》
第二候補は、第二判定で多くの拒否権を差し出している。
「この契約は、本人が理解して署名したのか」
《署名――あり》
《説明――あり》
《理解確認――あり》
「違反契約ではありません」
王都の職員が言う。
「本人が条件を分かったうえで承諾しています」
「なぜ、そこまでして管理権限を得たんでしょう」
治癒師が尋ねる。
アルトは第二候補が送ってきた言葉を思い出す。
以前、私が助けた債務者。
十人から徴収すると脅され、百金貨を背負った。
「誰かを助けるためだと思います」
管理権限がなければ、偽装契約を止められなかった。
徴収を中断できなかった。
記録も見られなかった。
第二候補は、人を助ける力を得るために、自分の拒否権を差し出した。
「同じことをしますか?」
治癒師がアルトを見る。
「第二判定で、同じ条件を出されたら」
アルトはすぐに答えなかった。
管理権限があれば、多くの債務者を救える。
黒い箱による徴収も止められる。
だが、管理者の命令を拒めなくなる。
自分の名前で、王都全域へ借金を作らされるかもしれない。
「受けません」
アルトは答えた。
「誰かを助けるためでも?」
「命令を拒否できなければ、助けた人数より多くの人を傷つける可能性があります」
「第二候補は間違えたと思いますか?」
「分かりません」
そのときの状況を知らない。
第二候補が管理権限を得なければ、助からなかった命もある。
「俺なら、別の方法を探します」
「見つからなかったら?」
「見つかるまで、契約を止めます」
黄金の板へ新しい表示が現れた。
《第二候補から接続》
《聞こえている》
アルトの目が動く。
こちらの会話が、第二候補へ届いていた。
《私は別の方法を探せなかった》
短い文字が続く。
《十人を助けるために承諾した》
《そのあとも、同じことを繰り返した》
《一人を助けるたびに》
《拒否できることが減った》
「今、何を拒否できる」
アルトが尋ねる。
《何も》
文字が揺れる。
《だが、実行する順番は選べる》
《だから時間を稼いでいる》
「代理署名を最後に回している?」
《そうだ》
「三時間より延ばせるか」
《難しい》
《管理者が直接操作を始めた》
「返済所の契約具を壊せば、代理署名は止まる?」
《壊すな》
すぐに強い文字が出た。
《内部にある契約記録が》
《王都全域へ分散する》
「では、封印する」
《通常の封印では足りない》
《私の管理権限を切り離す必要がある》
「切り離す方法は?」
返答が途切れた。
代わりに、黒い文字が黄金の板へ割り込む。
《第二候補による情報漏洩を確認》
《命令違反》
《代理署名を前倒し》
《実行まで――一時間》
「一時間?」
治癒師が声を上げる。
さらに短くなった。
王都へは間に合わない。
「第二候補!」
アルトは黄金の板へ呼びかけた。
「返済所の外からできることはないのか!」
文字は現れない。
管理者に接続を切られたのかもしれない。
「黄金の板で、第二候補の管理権限を一時停止できないか」
《本人の同意が必要》
「本人は同意している!」
《明確な申請記録が必要》
「今までの言葉では足りないのか」
《管理権限の放棄を明示していません》
第二候補は、契約具を先に止めろと言った。
自分を信用するなとも言った。
だが、管理権限を手放すとは言っていない。
それを手放せば、今まで助けてきた債務者を守れなくなる可能性がある。
「接続を戻せますか?」
《外部管理者によって遮断中》
「こちらから強制的につなぐ方法は?」
《第二候補の契約印が必要》
「場所は?」
《三つ目の返済所内部》
結局、王都へ着かなければならない。
残り一時間。
「馬車をさらに速くできますか?」
アルトが尋ねる。
御者が首を振った。
「これ以上は、馬か車輪が壊れます」
無理に急げば、到着そのものができなくなる。
アルトは黄金の板を見つめた。
第二候補は、自分一人で百二十三金貨を引き受けようとしている。
代理署名が終われば、王都全体への徴収が始まる。
「王都側へ指示を送ります」
「返済所へ入らせるのですか?」
「いいえ」
返済所の中には、二十三人が閉じ込められている。
職員も利用者も、契約具の近くにいる。
「建物の外から、第二候補へ言葉を届けてもらいます」
「何と?」
「管理権限を一時的に放棄すると、本人の口で宣言させる」
「聞こえるでしょうか」
「聞かせます」
王都へ通信を送る。
三つ目の返済所を囲む。
中へは入らない。
窓や扉の外から、第二候補へ呼びかける。
管理権限の一時放棄を明確に宣言するよう伝える。
《指示を受領》
あとは、王都側が間に合うか。
第二候補が声を出せる状態か。
アルトには待つことしかできない。
馬車は走り続ける。
黄金の板に表示される時間が減っていく。
《代理署名まで――四十分》
《三十分》
《二十分》
王都から返事はない。
「アルトさん」
治癒師が呼ぶ。
「呼吸が速くなっています」
「分かっています」
「今できることは、もうしました」
「まだ何かあるはずです」
「考えるのは止めません。ただ、息をしてください」
アルトは目を閉じた。
ゆっくり吸う。
吐く。
焦っても、契約の穴は見つからない。
代理署名。
本人の署名ではない。
拒否権は担保にされている。
だが、署名そのものには、意思を示す役割がある。
「代理署名する者は誰だ」
アルトは黄金の板へ尋ねた。
《外部管理者》
「その管理者は、第二候補の債務契約の当事者か」
《債権者権限を保有》
「債権者が、債務者の代理で署名する?」
借金を負わせる側が、借金を背負う側の署名まで行う。
「利益が対立している」
契約管理の職員が顔を上げた。
「債権者が、債務者の代理人になることはできません」
アルトは黄金の板へ告げる。
「代理署名者の利益相反を照合しろ」
《代理署名者――債権者》
《債務確定による利益――あり》
《債務者の利益保護――なし》
《代理権限の公平性違反》
黄金の光が強くなる。
《代理署名を停止》
《適切な代理人の選定が必要》
表示されていた時間が止まった。
《残り――七分》
「止まりました!」
だが、完全に無効ではない。
管理者が別の代理人を選べば、再び動き出す。
《代理人候補を検索》
《第三候補アルト》
アルトの右手首が熱を持った。
《第二候補の債務確定に署名しますか》
《承諾》
《拒否》
今度は、アルトへ選択が渡された。
アルトが承諾すれば、第二候補の百二十三金貨が確定する。
拒否すれば、代理署名は成立しない。
アルトは《拒否》へ触れた。
《代理署名を拒否》
《第二候補の債務――未確定》
《一時引受け状態を継続》
王都の二十三人は守られたまま。
第二候補の百二十三金貨も、まだ正式な借金にはなっていない。
黄金の板へ、王都からの返信が届く。
《返済所内部から声を確認》
《第二候補が、管理権限の一時放棄を宣言》
続けて表示が変わる。
《第二候補の管理権限を停止》
《王都全域への債務発行準備――中断》
馬車の中に、安堵の息が広がった。
だが、最後に新しい文字が現れる。
《管理権限の移転先を検索》
《第一候補――接続なし》
《第二候補――放棄》
《第三候補――アルト》
第二候補が手放した管理権限が、今度はアルトへ移ろうとしていた。




