第47話 消される前に
《秘匿処理完了》
《仲介者に関する記録を削除します》
帳面に書かれた文字が、一行ずつ薄れていく。
「契約書を渡した男――」
アルトは消えかけた文章を指で押さえた。
だが、紙を押さえても意味はない。
墨だけが、紙へ吸い込まれるように消えていく。
「止められないんですか?」
治癒師が黄金の板を取る。
「まだ分かりません」
アルトは帳面を閉じなかった。
消える順番を見る。
最初に消えたのは、契約を渡した男に関する記述。
次に、その男が言った言葉。
場所や時間については残っている。
「消えている内容を声に出します」
アルトは帳面を見ながら言った。
「ヴァリスは、冒険者ギルドの酒場で知らない男から契約書を受け取った」
「私が覚えます」
治癒師が繰り返す。
「男は、荷物持ちなら借金を背負わせても誰も困らないと言った」
王都の職員も口にした。
「夕方。依頼から戻ったあと」
護衛が続ける。
「男は冒険者らしい装備をしていなかった可能性がある」
もう一人の職員が記録用の紙へ書く。
だが。
「消えています!」
職員が声を上げた。
今度は、その紙に書かれた文字まで薄くなっていた。
「俺の帳面だけではない?」
アルトは右手首を見る。
黒い輪が熱を持っている。
《暫定所有権――四十五パーセント》
黒い箱の所有権は確定していない。
それでも、箱とのつながりは残っている。
「俺が伝えた情報だから、消せるのかもしれません」
「では、私が自分の言葉で書きます」
治癒師が別の紙を取った。
「知らない男が、ヴァリスへ借金契約を勧めた」
先ほどと少し表現を変える。
文字は消えない。
「そのまま持っていてください」
アルトが言った。
「俺へ渡さないように」
「アルトさんが持つと消される?」
「可能性があります」
確認するため、治癒師が書いた紙の端をアルトへ近づける。
右手が紙へ触れる直前。
書かれた文字がわずかに揺らいだ。
「離してください」
治癒師が紙を引く。
文字の変化が止まった。
「黒い箱は、所有権を通してあなたの持ち物へ干渉しています」
契約管理の職員が言った。
「帳面は俺の物です」
「黒い箱の所有権が一部移っていることで、所有者同士の持ち物として扱われているのかもしれません」
完全な所有者ではない。
それでも、所有物へ干渉できる程度にはつながっている。
アルトは帳面を地面へ置いた。
「この帳面の所有権を、契約管理の職員へ移します」
「譲るということですか?」
「一時的に預けるのではありません。所有者を変更します」
「大切な記録では?」
「消されるよりはいい」
契約管理の職員が簡単な譲渡書を作る。
アルトは帳面を譲り渡すことを記載し、署名した。
職員も受け取りへ署名する。
黄金の板へ二枚の書類を置く。
《帳面の所有権移転を確認》
《旧所有者――アルト》
《新所有者――契約管理担当者》
アルトの右手首から、熱が引いた。
帳面に残っていた文字の消失も止まる。
「やはり、所有物を通して消していたんですね」
治癒師が言う。
「取り戻せますか?」
アルトは黄金の板へ問いかける。
「秘匿処理によって消された記録を復元できるか」
《原記録の一部が削除されています》
《証言からの再登録は可能》
「証言を登録します」
ヴァリス本人はいない。
だが、彼が語った内容を聞いた者が複数いる。
アルトは消える前に口にした内容を、もう一度読み上げた。
治癒師。
王都の職員。
護衛。
それぞれが、自分の記憶と一致することを確認する。
《複数証言を確認》
《仲介者の存在――仮確定》
《契約起点との関係――調査対象》
黄金の板へ、証言が正式な記録として残された。
黒い箱を載せた荷台が揺れる。
《秘匿要求》
《仲介者情報を削除》
黄金の板に黒い文字が重なる。
だが、すぐに黄金の光が押し返した。
《証拠記録への干渉を確認》
《契約違反》
《秘匿要求を拒否》
黒い文字が消える。
アルトは息を吐いた。
「黄金の板へ登録した記録は、簡単には消せないようです」
「すべての情報を登録しますか?」
「分かっている範囲だけです」
推測まで事実として残せば、あとで判断を誤る。
アルトは確実な内容だけを選んだ。
ヴァリスたちは、知らない男から契約書を受け取った。
その男は、アルトを荷物持ちと呼んだ。
契約印の起点は、黒い箱の契約と一致する。
「荷物持ちという言葉が気になります」
治癒師が言った。
「単に、アルトさんを軽く見ていただけでしょうか」
「名前ではなく、役割を口にしています」
アルトは黄金の板へ手をかざした。
「俺が借金の移転先に選ばれた条件を確認できるか」
《契約原本が必要です》
「起点に残っている情報だけでは?」
《一部照合が可能》
《債務移転先の条件》
黄金の文字が並ぶ。
《パーティー資金への継続的な接触》
《装備および物資の管理》
《会計記録への関与》
《債務者間で最も低い分配権限》
アルトは表示を見つめた。
「俺が荷物持ちだったからではない」
「条件がいくつもありますね」
「荷物持ちで、会計係だったからです」
パーティーの金を預かる。
装備や物資を管理する。
報酬の分配を記録する。
それなのに、自分で金の使い道を決める権限はほとんどなかった。
「アルトさんは、パーティー全体の財産とつながっていた」
契約管理の職員が呟く。
「そのつながりを使って、借金を移されたのでしょう」
「偶然、選ばれたわけではなかった」
アルトは拳を握った。
男は、ヴァリスへ契約書を渡す前から知っていた。
誰が金を管理しているか。
誰が荷物を持っているか。
誰が最も逆らいにくいか。
「パーティーを調べていた人間がいます」
「どれくらい前からでしょう?」
「分かりません」
ヴァリスへ話しかけた日だけではない。
普段の依頼や、報酬の分配まで見ていなければ、アルトが条件を満たすとは判断できない。
「ギルドの中に協力者がいる可能性もあります」
王都の職員が言った。
「まだ決めつけられません」
アルトは答えた。
受付記録を見た者。
同じ酒場にいた者。
依頼へ同行した者。
調べる方法はいくつもある。
ギルド内部の人間とは限らない。
「秘匿処理は、黒い箱から行われたんですか?」
治癒師が黄金の板を見る。
アルトも同じ疑問を持っていた。
黒い箱は後方の荷台にある。
だが、文字が消えたのは人員用の馬車。
これまでより離れている。
「秘匿処理を実行した契約具を照合しろ」
《照合中》
黄金の板の表面へ、二つの印が現れる。
一つは、黒い箱。
もう一つは、見覚えのない小さな印。
《秘匿処理の発行元》
《黒い契約魔道具――補助》
《別の契約具――実行》
「黒い箱だけではない」
「同じような魔道具が、ほかにもあるんですか?」
《契約具の位置を検索》
《移動中》
《輸送隊との距離――縮小》
アルトは顔を上げた。
「こちらへ近づいています」
「どの方向からですか?」
《後方》
街道の後ろ。
先ほど離れた街の方向から、別の契約具が追ってきている。
護衛が武器へ手をかけた。
治癒師は帳面を抱え、馬車の外を見る。
「人が運んでいるのでしょうか」
「おそらく」
遠くから、馬の蹄の音が聞こえ始めた。
アルトが失った索敵でも分かるほど、速い。
「全員、警戒してください」
街道の向こうに、一人の騎馬が現れた。
片手には、王都契約院の印がついた書類を掲げている。
「緊急命令です!」
騎馬の男が叫んだ。
「輸送責任者アルトへ、至急届ける物があります!」
アルトは右手首の黒い輪を見た。
届ける物。
その言葉と同時に、輪が再び熱を持ち始めていた。




