第43話 魔法を取り戻すために
《第三代替対象――セナ》
《旧担保――火魔法・魔力制御・身体強化》
《対象への提案を開始》
「セナにも伝令を」
アルトが言うと、護衛の一人が馬へ向かった。
「待ってください」
王都の職員が止める。
「また街へ戻るのですか?」
「黒い箱が、セナへ接続しています」
「ヴァリスさんたちと同じなら、本人が拒否すれば済みます」
「セナが条件を知らずに承諾する可能性があります」
カスパーは、すでに受け入れていた。
黒い箱は相手が欲しがるものを示し、考える時間を与えずに選ばせる。
セナが失ったのは、火魔法と魔力制御。
そして身体強化。
魔法使いだった彼女にとって、どれも簡単に諦められる力ではない。
「急いでください」
護衛が馬を走らせる。
アルトは黄金の板へ右手をかざした。
「提案の内容を表示できるか」
《第三代替対象への提案》
《債務額――十二金貨》
《担保返還――火魔法・魔力制御・身体強化》
「残りすべてを、セナ一人へ背負わせるつもりです」
治癒師が言った。
「カスパーから三金貨を回収したため、不足分が十二金貨になっています」
「十二金貨で、三つの技能が戻るなら……」
王都の職員が言葉を止める。
安い。
そう言いかけたのだろう。
だが、誰も続きを口にしなかった。
「セナが受け入れた場合、俺から三つとも失われます」
「輸送への影響は?」
「火魔法と身体強化は使わない予定です」
「魔力制御は?」
「黒い箱へ干渉するときに必要になる可能性があります」
アルトが魔法を使わなくても、契約の流れを感じ取る際には魔力を扱う。
魔力制御を失えば、黒い箱の異常へ対応できなくなるかもしれない。
「返還を拒否できますか?」
「俺が強く拒否すれば、進行を遅らせることはできます」
「止めることは?」
「セナが受諾する前なら」
アルトは黄金の板へ問いかけた。
「現所有者として、技能返還を拒否する」
《現所有者の拒否を確認》
《第三代替対象の受諾前》
《技能返還――保留》
黄金の文字が変化した。
「今なら止められています」
「それなら、セナさんが何を選んでも返還されないのでは?」
「分かりません」
契約が成立すれば、カスパーのときと同じように所有者間の意思が争うことになる。
「俺が拒否し続ければ、セナは十二金貨の借金だけを背負う可能性があります」
「技能を得られずに?」
「はい」
セナが条件を信じて承諾しても、アルトが返還を拒めば、対価だけを取られるかもしれない。
黒い箱なら、そのような解釈をしてもおかしくない。
「拒否を解除するんですか?」
治癒師が尋ねる。
「今は解除しません」
「セナさんが受け入れたあとでは遅いかもしれません」
「だから、本人へ先に説明します」
アルトは街の門を見た。
ヴァリスとカスパーが姿を現す。
カスパーは固定具をつけた足をかばいながら、ヴァリスの肩を借りて歩いていた。
「三金貨の借金が残ったそうだな」
アルトが言うと、カスパーは頷いた。
「索敵の一部も戻った」
「返済するつもりですか?」
「自分で返す」
「返したとき、索敵をどうするか選べるそうです」
「俺に残すか、お前へ戻すか?」
「はい」
「それは、返してから決める」
カスパーは黒い箱を載せた荷台を見る。
「今はセナか」
「十二金貨を受け入れれば、三つの技能が戻ると提案されています」
「受けるだろうな」
カスパーは迷わず言った。
「なぜ分かる」
ヴァリスが尋ねる。
「セナは魔法を失ってから、何もできなくなったと思っている」
「お前と同じか」
「ああ」
カスパーは右手首を見る。
「だから止めるなら、早くしたほうがいい」
やがて、街へ向かった護衛が戻ってきた。
その後ろに、セナが乗っている。
馬から降りたセナの顔には、戸惑いよりも期待が浮かんでいた。
「アルト」
セナは黒い箱ではなく、アルトの右手を見た。
「本当に、私の魔法が戻るの?」
「十二金貨の債務を受け入れれば、返還すると表示されています」
「十二金貨なら返せる」
「条件を確認しましたか?」
「火魔法と魔力制御と身体強化が戻る。それだけでしょう?」
「それだけとは限りません」
セナが眉を寄せる。
「また隠していると言いたいの?」
「黒い箱は、俺たちの契約の曖昧な部分を使って借金を作りました」
「でも、カスパーには索敵が戻った」
「一部だけです」
「戻ったことに変わりはないわ」
セナの右手首には、すでに選択肢が浮かんでいた。
《債務を受諾しますか》
《承諾》
《拒否》
「現所有者である俺は、返還を保留しています」
アルトが言うと、セナの表情が変わった。
「どうして?」
「あなたが条件を理解する前に、技能を渡さないためです」
「私の技能よ」
「返済によって、現在は俺へ移っています」
「返したくないの?」
責めるような声だった。
アルトは否定しなかった。
「失いたくはありません」
「やっぱりそうじゃない」
「ですが、それだけではありません」
「何が違うの?」
「俺が返還を拒否したまま、あなたが承諾すれば、借金だけが残る可能性があります」
セナの指が止まった。
「そんなこと、表示されていない」
「黒い箱は、都合の悪い条件をすべて表示するとは限りません」
「脅しているの?」
「確認しているだけです」
アルトは黄金の板へ手をかざす。
「現所有者が返還を拒否した状態で、セナが債務を受諾した場合、どうなる」
すぐには答えが出なかった。
黒い箱を載せた荷台から、硬い音が響く。
やがて、黄金の板へ文字が現れた。
《債務受諾――成立》
《技能返還――所有者間の合意待ち》
《合意不成立の場合》
《債務のみ確定》
セナの顔から、期待が消えた。
「本当に、借金だけ背負わせるつもりだったの……?」
黒い箱は答えない。
「アルトが拒否しなければいいのでしょう?」
「そうです」
「なら、返して」
セナはまっすぐアルトを見る。
「十二金貨は私が返す。あなたには迷惑をかけない」
「迷惑かどうかではありません」
「私の力を返してほしいだけよ」
「返還すれば、輸送中に魔力制御を失います」
「護衛がいるでしょう?」
「契約異常へ対応できるのは俺だけです」
「いつまで必要なの?」
「王都へ箱を運び、封印が終わるまで」
セナは黒い箱を見る。
「では、それが終わったら返して」
「今、約束はできません」
「なぜ?」
「三つすべてが、本当にあなたへ返るとは限らない。俺の中で訓練して成長した部分まで、どこへ移るか分かりません」
アルトが得た火魔法Ⅱと魔力制御Ⅱは、移転した知識だけではない。
自分で使い、失敗し、身体に覚えさせた力でもある。
すべてを元へ戻せば、アルト自身が積み上げたものまで失う可能性がある。
「だから、返したくないのね」
「今すぐには」
セナは唇を噛んだ。
「ヴァリスも、カスパーも選べたのでしょう?」
「ヴァリスは拒否しました」
「カスパーは一部を受け取った」
「三金貨の借金が残りました」
「それでも、力は戻った」
セナの視線が、再び《承諾》へ向かう。
「触れないでください」
アルトが言った。
「あなたが承諾しても、俺は今は返還しません」
「では、借金だけ残る」
「はい」
「私に拒否させるために言っているの?」
「事実を伝えています」
セナは長く黙っていた。
魔法が戻る。
もう一度、炎を出せる。
魔力を自由に操れる。
そのためなら十二金貨は安い。
だが、アルトが返還を拒否すれば、何も得られない。
「ずるいわ」
セナが呟いた。
「何がですか?」
「選ばせるふりをして、選択肢を奪っている」
「黒い箱がですか?」
「あなたもよ」
アルトは黙った。
否定できない部分はあった。
現所有者として拒否すれば、セナは安全に承諾できない。
だが、返還を認めれば輸送が危険になる。
「今は、返せません」
アルトはもう一度言った。
「王都へ着いたあと、黄金の板で技能の所有権と成長した部分を確認します」
「そのあとなら?」
「条件を確認して、話し合います」
「返すとは言わないのね」
「分からないことを約束はできません」
セナは右手首を見た。
《承諾》
《拒否》
しばらくして、指が動く。
触れたのは《拒否》だった。
《債務の受諾を拒否》
《技能返還――不成立》
文字が消える。
セナは何も戻らなかった右手を握りしめた。
「王都から戻ったら、逃げないで」
「逃げません」
「必ず話し合うのよ」
「はい」
黄金の板に、新しい表示が現れた。
《第三代替対象――回収失敗》
《不足分――十二金貨》
《旧担保所有者からの回収を終了》
アルトたちは、わずかに息を吐いた。
だが、表示は続いた。
《担保関係者なし》
《新規回収対象を検索》
「まだ諦めていません」
治癒師が言う。
黒い文字が、ゆっくりと形を作る。
《債務者アルトの所有物を確認》
《所有物――なし》
《預かり物を確認》
アルトの表情が変わった。
元パーティーで荷物持ちをしていたとき。
自分の物ではない金や装備を、何度も預かっていた。
黒い箱は、所有物と預かり物を別の財産として認識している。
《輸送中の預かり物を確認》
《対象――黒い契約魔道具》
《担保価値――十二金貨》
王都の職員が息を呑んだ。
「黒い箱自身を、担保にするつもりですか?」
黄金の板に、最後の表示が現れた。
《債務返済のため》
《輸送対象の所有権を債務者アルトへ移転します》




