第39話 未来の報酬
出発まで、半日。
アルトは保管施設から十分に離れた会議室へ移動した。
集められたのは、契約管理の職員と王都の職員だけだった。
護衛や御者には、まだ出発時刻も経路も伝えていない。
「まず、輸送依頼の契約書を見せてください」
アルトが言うと、契約管理の職員が書類を机へ置いた。
「すでに署名したものですが」
「報酬に関する部分を確認します」
アルトは契約書を開いた。
輸送成功時の報酬は二十五金貨。
失敗時は、進行距離と対応内容に応じて一部を支払う。
装備や治療費の補償も記されている。
問題はないように見える。
だが、黒い箱は出発前に十五金貨を回収すると表示した。
今のアルトは、十五金貨を持っていない。
技能の徴収も、黄金の板によって止められた。
それでも箱が回収できると判断しているなら、ほかに狙っているものがある。
「依頼を受けた時点で、報酬を受け取る権利は発生していますか?」
「権利?」
「まだ仕事を終えていなくても、将来二十五金貨を受け取る予定はあります」
王都の職員が契約書を確認した。
「契約は成立しています。ですが、報酬が支払われるのは輸送後です」
「支払われていなくても、権利として扱われる可能性があります」
アルトは帳面を開いた。
「黒い箱が、未来の報酬を担保にして十五金貨を作ろうとしているかもしれません」
「そんなことが可能なのですか?」
「存在しない借金を作れる魔道具です」
不可能だとは言い切れない。
アルトは契約書の報酬欄を指した。
「輸送成功前には、報酬を受け取る権利そのものが発生しないと書き加えてください」
「支払い時期を明確にするということですか?」
「それだけではありません」
仕事を終えれば受け取れる金。
その予定を、黒い箱が現在の財産として扱う可能性がある。
「成功するまでは、二十五金貨は俺のものではない。譲渡も担保指定もできない。そう記録してください」
「依頼者側が報酬を支払わない可能性も生まれます」
「成功条件も明確にします」
アルトは一つずつ確認した。
王都契約院の指定施設へ、黒い箱を運ぶ。
同行者の安全を確保する。
契約異常が起きた場合は、定められた条件に従って中止する。
中止条件に該当した場合、輸送未完了でも依頼違反とはならない。
職員が新しい契約書を書き始める。
「ここまで細かくする必要がありますか?」
王都の職員が尋ねた。
「相手は、曖昧な部分を使います」
アルトへ押しつけられた三百金貨の借金もそうだった。
仲間のために管理していた金。
会計係として確認した書類。
アルトが知らないところで、それらが契約の証拠として使われた。
曖昧な部分を残せば、都合よく解釈される。
「完成したら、黄金の板に確認させます」
「黒い箱の近くへ持っていくのですか?」
「箱には近づけません。俺の借金契約だけを通して確認します」
新しい契約書が完成した。
アルトは一行ずつ読み、問題がないことを確かめてから署名する。
その横へ黄金の板が置かれた。
アルトが右手をかざす。
《輸送契約を確認》
《予定報酬――二十五金貨》
《報酬権利――未発生》
《譲渡――不可》
《担保指定――不可》
「認識されました」
職員が安堵した声を出す。
だが、その直後。
アルトの右手首に、黒い文字が浮かび上がった。
《回収可能資産を再検索》
やはり、黒い箱は見ている。
《予定報酬――回収不可》
《代替担保を検索》
「今度は何を狙うつもりでしょうか」
治癒師は別室で準備をしている。
この場にいる者たちは、文字が変化するのを黙って見守った。
《輸送契約上の権限を確認》
《契約異常時の中止権限》
アルトの表情が固まった。
「中止する権利を、担保として扱おうとしています」
「権利に金額などありません」
「黒い箱が価値を決める」
続きが表示される。
《中止権限の担保価値――十五金貨》
不足分と、まったく同じ金額。
《中止権限を譲渡しますか》
《譲渡した場合、返済率十パーセントへ到達》
アルトは文字を見つめた。
輸送中止の権限を手放す。
その代わりに十五金貨が返済され、第二判定が始まる。
黒い箱にとって、アルトが撤退を決められることは、それだけ邪魔なのだ。
「拒否してください」
王都の職員が言った。
以前は、十五金貨を受け取ることも考えるべきだと口にしていた職員だった。
「今度は迷いません」
アルトは《拒否》へ触れた。
《中止権限の譲渡を拒否》
《不足分――十五金貨》
《出発前の回収――継続》
黒い文字は消えない。
「ほかに担保にされそうな権利は?」
契約管理の職員が契約書を見直す。
「経路を決める権限。同行者へ停止を命じる権限。魔道具への接触を拒否する権限」
「すべて譲渡不可にしてください」
「アルトさん個人だけではなく、治癒師の中止判断も?」
「はい」
権限のすべてが、黒い箱に狙われる可能性がある。
新しい一文が次々と追加された。
安全確保のために定められた権限は、金銭的な価値を持たない。
債権として扱わない。
譲渡、売却、担保指定はできない。
同行者本人の意思によっても放棄できない。
「本人の意思でも放棄できないのですか?」
「影響を受けている状態で、同意させられるかもしれません」
自分の考えだと思い込ませる力がある。
ならば、最初から選択できない契約にしておく必要がある。
黄金の板が変更を確認する。
《安全権限――資産価値なし》
《譲渡――不可》
《担保指定――不可》
アルトの右手首から、黒い文字が消えた。
黒い箱が諦めたとは思えない。
別の回収方法を探しているだけだ。
◇
夜が明ける前。
ギルド裏の荷車置き場へ、同行者が集められた。
護衛四人。
御者二人。
王都契約院の職員二人。
治癒師。
そして、アルト。
黒い箱を載せる荷台は、厚い板と封印札で覆われていた。
人が乗る馬車とは、大きく距離を空けている。
荷台の周囲には、白い線が引かれていた。
「この線の内側へは、許可なく入らないでください」
アルトは全員へ説明した。
「鐘を三回鳴らしたら、すべての馬車を止める。一回を長く鳴らしたら、黒い箱から離れる」
「魔物が出た場合は?」
護衛の一人が尋ねる。
「通常どおり、護衛の判断で対応してください。ただし、黒い箱の荷台を守るために接近禁止線へ入らないこと」
「箱を奪われそうになっても?」
「命を捨てて守る必要はありません」
王都の職員が何か言おうとした。
だが、アルトは続ける。
「奪われれば危険です。ですが、全員が死ねば止める人間がいなくなります」
護衛たちは黙って頷いた。
「手持ちの金と借金の確認は?」
「完了しています」
契約管理の職員が書類を渡した。
大きな借金を持つ者はいない。
装備や治療道具の所有者も記録されている。
輸送に使う物資は、すべてギルドか契約院の所有物として登録された。
「出発経路を伝えます」
アルトは地図を広げた。
保管施設から離れた場所で決めた、人里を避ける経路。
村や宿場には立ち寄らない。
水場だけを利用し、夜は街道から外れて野営する。
「予定より二日ほど長くなります」
「食料は足りるのですか?」
「予備を含めて七日分あります」
「アルトさん」
治癒師がアルトの右肩を見る。
「痛みは?」
「あります」
「隠さなくなったのは進歩ですね」
「歩けます」
「馬車に乗ってください」
「最初だけは周囲を確認します」
「十分だけです」
「二十分」
「十五分」
「分かりました」
御者が馬車へ乗り込む。
門が開かれた。
先頭の護衛が周囲を確認し、ゆっくりと進み始める。
黒い箱を載せた荷台も動き出した。
保管施設に置かれていたときと違い、箱から音は聞こえない。
黒い光も見えなかった。
「止まっていますね」
治癒師が言う。
「何もしていないとは限りません」
アルトは荷台との距離を確認する。
白い線の内側へ入っている者はいない。
鐘を持つ者も、決められた位置にいる。
予定どおりだ。
馬車がギルドの敷地を出る。
その瞬間。
同行者全員の右手首が、同時に熱を持った。
「何だ、これは!」
護衛の一人が叫ぶ。
十人の手首へ、同じ黒い文字が浮かび上がる。
《共同輸送契約を確認》
《契約参加者――十名》
《共同債務を発行》
《総額――十五金貨》
アルトは鐘へ手を伸ばした。
黒い箱は、アルトから回収できなかった不足分を、同行者全員の借金へ変えた。




