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借金を押しつけられて追放された俺、返済するたび元仲間のスキルが俺のものになる  作者: 月瀬 リュカ


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第35話 出発前の契約


 三日後。


 そう告げられても、三日すべてを準備に使えるわけではない。


 出発する日の朝を除けば、残されているのは二日だけだった。


 アルトは訓練場から戻ると、そのままギルドの会議室へ向かった。


 部屋には、契約管理の職員と王都から来た二人の職員が待っていた。


 机の上には、輸送依頼の契約書が置かれている。


「輸送中止の権限について、王都側から許可が下りました」


 契約管理の職員が言った。


「条件を確認させてください」


「もちろんです」


 アルトは椅子に座り、契約書を一行ずつ読んだ。


 黒い契約魔道具に異常が発生した場合。


 同行者や周辺住民へ新たな債務表示が現れた場合。


 アルトが契約異常を抑えられないと判断した場合。


 治癒師が、同行者の生命に危険があると判断した場合。


 そのいずれかに該当すれば、輸送を中止できる。


「中止した場合、依頼失敗として違約金を請求されますか?」


「請求されません」


「報酬は?」


「進行距離と対応内容によって、一部が支払われます」


「魔道具によって装備が壊れた場合は?」


「依頼中の損害として、ギルドと契約院が補償します」


「治療費は?」


「同様です」


 アルトは次の項目へ目を移した。


「黒い箱へ触れるのは、俺だけになっていますね」


「はい」


「俺が触れるよう命じられた場合でも、危険だと判断すれば拒否できる」


「その権利も認められています」


「契約院の職員が反対しても?」


 王都から来た職員の一人が、わずかに顔をしかめた。


「我々は魔道具を王都へ運ぶために来ています」


「俺は、生きて運ぶために参加します」


「我々も無謀な命令を出すつもりはありません」


「つもりでは困ります」


 アルトは契約書の空いている部分を指した。


「俺の判断を、現場で覆せないと書いてください」


「すでに輸送中止の権限は――」


「中止を宣言してから、話し合いを始める人間もいます」


 遺跡でヴァリスたちを助けたときも、判断が少し遅れていれば全員が埋まっていた。


 危険な場所で必要なのは、長い話し合いではない。


 止まると決めた瞬間に、全員が止まることだった。


 契約管理の職員が、王都の二人を見る。


「追加したほうがよいでしょう」


「しかし、輸送の指揮権は我々にあります」


「通常時は」


 アルトは言った。


「異常が起きていない間は、あなたたちの指示に従います。異常が起きたあとは、俺の判断を優先する。それが認められないなら、参加しません」


 二十五金貨。


 返済率十パーセントへ近づくためには、必要な報酬だった。


 それでも、金のために撤退できない契約へ署名するつもりはない。


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、王都の職員が息を吐く。


「分かりました。追加します」


 契約書へ、新しい一文が書き加えられた。


 契約異常の発生後、アルトの中止判断を現場責任者は覆してはならない。


 アルトは最後まで読み直してから、署名した。


「黒い箱を確認できますか?」


「保管施設の外からであれば」


「近づける距離は?」


「現在は、十歩以内への接近を禁止しています」


「昨日より広がっていますか?」


「はい」


 昨日までは五歩以内だったらしい。


 近づくだけで影響を受ける範囲が、一日で倍になっている。


「出発まで保管して大丈夫なんですか?」


「封印を追加しています」


「封印で影響は止まりましたか?」


「弱まってはいます」


「止まってはいない」


 職員は答えなかった。


 アルトは杖をつき、保管施設へ向かった。


     ◇


 保管施設の周囲には、縄が張られていた。


 入口には複数の職員が立ち、近づく者を止めている。


 建物の窓や扉には、白い札が何重にも貼られていた。


 その内側に、黒い箱がある。


 姿は見えない。


 それでも、胸の奥がわずかに重くなる。


 借金の契約が反応している。


 アルトは立ち止まった。


「これ以上は近づかないでください」


 職員に言われる前に、アルトは杖で地面へ印をつけた。


「ここで反応があります」


「契約印が現れましたか?」


「まだです。ただ、借金の残額を意識させられるような感覚があります」


「意識?」


「返さなければならない。早く返せ。そう考えさせる圧力です」


 実際に声が聞こえるわけではない。


 だが、胸の奥にある焦りを強引に引き出されている。


 アルトは目を閉じた。


 残り二百八十五金貨。


 返さなければ自由にはなれない。


 早く返すべきだ。


 生活費も、装備費も、治療費も削ればいい。


 手元に金を残す必要などない。


「アルトさん?」


 職員の声で、目を開いた。


 右手が無意識に腰の金袋へ伸びていた。


 アルトはすぐに手を離す。


「今、何をしようとしました?」


「持っている金を、すべて返済へ回そうとしました」


「魔道具に命じられたのですか?」


「違います。自分で考えたように感じました」


 それが最も危険だった。


 命令なら拒否できる。


 だが、自分の判断だと思い込まされたら、止まれない。


「同行者全員に、手持ちの金額を記録させてください」


「なぜですか?」


「影響を受けた人間が、勝手に金を使っていないか確認するためです」


「金貨を持たせないほうがよいのでは?」


「何かあったときの予備資金は必要です」


 食料を失った。


 馬車が壊れた。


 宿泊場所を変更した。


 そのようなとき、金がなければ動けない。


「一人で管理するのは危険です」


「では、どうしますか?」


「三つに分けます。契約院、護衛、治癒師。それぞれが保管する。俺には必要最低限だけ持たせてください」


「アルトさんが最も影響を受ける可能性が高いからですか?」


「借金を持っている人間だからです」


 職員はすぐに記録した。


 アルトは地面につけた印から一歩下がる。


 胸の圧力が、少し弱まった。


「輸送中は、魔道具との距離を測れるようにしてください」


「縄を使いますか?」


「縄は絡まる可能性があります。荷台の周囲に目印をつける。近づいてよい場所と、近づいてはいけない場所を分けます」


「用意します」


「鐘も必要です」


「鐘?」


「異常が起きたとき、全員へ知らせるためです。声が届かない状況でも、決めた回数を鳴らせば止まれる」


「何回ですか?」


「三回で停止。一回を長く鳴らしたら、魔道具から離れる」


 職員がそれも書き留める。


 アルトはもう一度、保管施設を見た。


 運ぶ前から、これだけの準備が必要になる。


 王都まで何事もなく進めるとは思えなかった。


     ◇


 その日の午後。


 アルトは必要な道具を買いそろえた。


 地面へ印を残すための白墨。


 距離を測るための細い縄。


 手を直接触れさせないための厚い革手袋。


 予備の水。


 包帯。


 傷薬。


 買った物と金額は、すべて帳面へ記録した。


 依頼用の道具は経費として認められる。


 それでも、自分で確認しなければ落ち着かない。


「まだ休んでいなかったんですか?」


 背後から治癒師の声がした。


 彼女は大きな鞄を持っていた。


「道具の確認をしていました」


「右足を引きずっています」


「少しだけです」


「少しでも、です」


 治癒師はアルトの隣へ鞄を置いた。


 中には薬瓶や包帯が、隙間なく詰められている。


「全部持っていくんですか?」


「必要になるかもしれません」


「重すぎます」


「馬車に載せます」


「魔道具と同じ荷台には載せられません」


「別の荷台を用意すると聞いています」


 治癒師も、すでに準備を始めていたらしい。


「持っていく薬の一覧を作ってください」


「盗まれたときの確認ですか?」


「勝手に使っていないか確認するためです」


「契約魔道具の影響で?」


「自分の傷を治すためなら、仲間の分まで使っていいと思わされるかもしれません」


 治癒師の表情から、わずかに笑みが消えた。


「そこまで警戒するんですね」


「何が起きるか分かりません」


「分かりました。使用するたびに記録します」


「俺が無理に先へ進もうとしたら、止めてください」


「最初からそのつもりです」


「命令を聞かなかった場合は?」


「杖で殴ります」


「治癒師ですよね?」


「殴ったあとで治します」


 アルトは少しだけ笑った。


 その瞬間、右肩に痛みが走る。


 顔をしかめると、治癒師がすぐに気づいた。


「今日は終わりです」


「まだ確認する物が」


「終わりです」


「出発まで二日しかありません」


「二日後に動けなくなれば、準備した意味がありません」


 正しい。


 分かっていても、任せることには慣れていなかった。


「では、残りをお願いします」


「はい」


 アルトは帳面を治癒師へ渡した。


 一人ですべてを背負う必要はない。


 そう考えながら、椅子から立ち上がった。


 そのとき。


 保管施設の方向から、鐘の音が響いた。


 一回。


 二回。


 三回。


 まだ決めたばかりの、停止を知らせる合図だった。


 アルトと治癒師は顔を見合わせる。


 次の瞬間、ギルドの職員が駆け込んできた。


「黒い箱に変化がありました!」


「何が起きた?」


「箱の表面に、文字が現れています!」


「何と書かれている?」


 職員は息を切らしながら答えた。


「債務者アルトを確認――と」

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