第31話 奪い返すための襲撃
「俺たちから奪った技能も、あの板も、全部だ!」
ヴァリスが鍵束を握りしめたまま、ギルドの出口へ走る。
「待て!」
アルトはすぐに追った。
入口付近では、倒れた警備の冒険者を職員たちが取り囲んでいる。
意識はある。
胸元の鎧が焦げていた。
火魔法で吹き飛ばされたらしい。
「セナもいるのか!」
アルトが叫ぶと、通りの向こうから炎が飛んできた。
以前より小さい。
形も不安定だった。
それでも、人へ当たれば火傷では済まない。
「伏せてください!」
アルトは前へ出た。
火魔法Ⅱを発動する。
指先から放った炎を、飛んでくる火球へぶつけた。
二つの炎が空中で弾ける。
熱風が通りへ広がり、周囲の人々が悲鳴を上げた。
「まだそんな魔法を……!」
建物の陰から、セナが姿を現した。
杖を両手で握っている。
顔色は悪い。
魔力制御を失ったせいか、杖の先に灯る炎は激しく揺れていた。
「やめろ、セナ!」
「やめるのはあんたよ!」
再び炎が膨らむ。
「私の魔法を返しなさい!」
「俺が奪ったんじゃない!」
「同じことよ! あんたが返済するたびに、私たちの技能が消える!」
「借金を押しつけたのは、お前たちだ!」
「こんなことになるなんて知らなかった!」
「知らなければ、何をしても許されるのか!」
セナが言葉を詰まらせる。
その隙に、ヴァリスは通りの奥へ走っていく。
鍵束だけでは、金色の板がある保管室へ入れない。
ギルド内の扉には、複数の鍵と契約印が必要だ。
ヴァリスも、それくらいは分かっているはずだった。
「目的は板じゃない」
アルトは気づいた。
ヴァリスが持っているのは、契約管理室の鍵ではない。
坑道周辺の倉庫や門を開けるための鍵束だ。
「横穴へ行くつもりか!」
ヴァリスが一瞬だけ振り返る。
その反応だけで十分だった。
古い鉱山地図と、坑道の鍵。
封鎖された正面入口ではなく、別の場所から遺跡へ侵入するつもりだ。
「セナ! ヴァリスを止めろ!」
「嫌よ!」
「今の状態で遺跡へ入れば死ぬ!」
「だから、技能を取り戻すのよ!」
セナの杖から火球が放たれる。
今度はアルトではない。
追ってきたギルド職員へ向けられていた。
アルトは身体強化Ⅱを使い、間へ飛び込む。
剣を抜く。
刃の腹で火球を受け流した。
炎が地面へ落ち、石畳を焦がす。
右腕に強い衝撃が走った。
剣術Ⅳの知識がなければ、受け流せなかった。
だが、身体はまだその動きに慣れていない。
肩の痛みがぶり返す。
「アルトさん!」
面談室にいた女性が、ギルドの入口から駆けてきた。
「出てこないでください!」
「怪我をしています!」
女性はアルトの右肩へ手を伸ばす。
淡い光が傷んだ筋肉を包んだ。
痛みが少しずつ引いていく。
治癒魔法だ。
派手さはない。
だが、魔力の流れが安定している。
「動かせますか?」
「助かりました」
「完全には治っていません。無理に振らないでください」
短い会話の間に、セナが後退する。
アルトは剣を構え直した。
「逃げるなら追わない」
「何?」
「ヴァリスと遺跡へ行くのをやめるなら、ここで止める」
「今さら戻れると思っているの?」
「戻らなければ、もっと悪くなる」
「もう悪くなっているのよ!」
セナの声が震える。
「火魔法も、魔力制御も、私が何年もかけて覚えたものよ。それが一瞬であんたへ移った! 次に返済されたら、私は魔法使いですらなくなるかもしれない!」
「だから、俺に借金を背負わせ続けるのか?」
「返済を止めればいいだけでしょう!」
「残り二百八十五金貨を、俺に払わせたままで?」
「生きていれば稼げるじゃない!」
その言葉を聞いた瞬間、アルトの中で何かが冷えた。
以前も同じだった。
アルトなら何とかなる。
弱いから危険な依頼には出ない。
荷物持ちとして働けば、少しずつ返せる。
自分たちが困らなければ、それでいい。
「お前たちは、最初から何も変わっていない」
「違う!」
「違わない」
アルトは一歩前へ出た。
セナが杖を向ける。
炎が生まれる前に、アルトは地面を蹴った。
身体強化Ⅱ。
使う力は半分だけ。
全力では身体が耐えられない。
それでも、以前より速い。
「近づかないで!」
セナの杖に火が集まる。
アルトは剣を振らなかった。
左手で杖を押さえ、炎が自分へ向かないよう上へ逸らす。
火球が空へ飛び、破裂した。
「離して!」
「もう終わりだ」
杖をひねり上げる。
セナの手から杖が落ちた。
アルトは足で遠くへ蹴る。
セナが腰の短剣へ手を伸ばした。
その手首をつかむ。
「放して!」
「抵抗しなければ傷つけない」
「返しなさい!」
「返せない」
「嘘よ!」
「金色の板で、徴収された技能を返したことはある。だが、返済で移った技能を戻す方法は分からない」
「なら、板を使って調べればいい!」
「だから遺跡を調査している!」
「待てないのよ!」
セナが暴れる。
アルトは力任せに押さえつけなかった。
腕を傷つけないよう、関節の動きを止める。
剣術だけではない。
身体強化と、これまでの戦いで覚えた動き。
技能が増えても、使い方を誤れば相手を傷つける。
「職員を呼んでください!」
アルトが言うと、治癒師の女性がすぐにギルドへ向かって叫んだ。
数人の冒険者が駆けてくる。
セナは抵抗を続けていたが、複数人に囲まれると動きを止めた。
「離して……」
「武器を捨てれば離す」
セナは腰の短剣を抜き、地面へ投げた。
アルトが手を放す。
すぐに冒険者たちがセナを取り囲んだ。
「ヴァリスを追ってください!」
「お前はどうする?」
「俺も行きます」
肩は完全には治っていない。
身体強化Ⅱも使った。
それでも、ヴァリスをこのまま遺跡へ行かせるわけにはいかない。
アルトが走り出そうとすると、セナが背後から叫んだ。
「どうしてよ!」
アルトは足を止めた。
「どうして私たちを助けようとするの!」
「助けているつもりはない」
「じゃあ、放っておけばいいでしょう!」
「遺跡で死なれたら困る」
「契約がどうなるか分からないから?」
「それもある」
アルトは振り返った。
「だが、目の前で死ぬと分かっている人間を放置したくない」
「追放した相手でも?」
「お前たちと同じにはなりたくない」
セナは何も言えなくなった。
アルトは治癒師の女性へ目を向ける。
「危険なので、ここに残ってください」
「私は治癒師として応募しました」
「まだ依頼は始まっていません」
「今、あなたが怪我をしています」
女性はまっすぐアルトを見た。
「それに、追う方たちも怪我をする可能性があります」
「戦闘経験は?」
「ほとんどありません」
「なら――」
「ですが、怪我人を前にして動けないほど経験がないわけではありません」
言葉は静かだった。
無理に強がっているようには見えない。
アルトは少し迷った。
一人で追うより、治癒師がいたほうが助かる。
だが、危険へ巻き込むことになる。
「俺の指示に従えますか?」
「はい」
「危険だと判断したら、すぐに下がってください」
「分かりました」
「前には出ない。戦おうとしない。それでもいいですか?」
「治すために応募したので、問題ありません」
アルトはうなずいた。
「では、来てください」
二人はヴァリスを追って走り出した。
索敵Ⅱを広げる。
通りを走る人々。
馬車の振動。
建物の中から聞こえる声。
情報が一気に頭へ流れ込む。
広げすぎない。
必要な範囲だけに絞る。
ヴァリスは完全に気配を消せる人間ではない。
重い剣。
乱れた呼吸。
焦った足音。
人通りの少ない裏道へ入っている。
「こっちです」
アルトは角を曲がった。
治癒師の女性も遅れずについてくる。
裏道を抜けると、古い倉庫が並ぶ区画へ出た。
坑道で使われていた道具を保管する場所だ。
奥の倉庫の扉が開いている。
壊された形跡はない。
ヴァリスが奪った鍵を使ったのだろう。
倉庫の中には誰もいなかった。
棚が乱暴に開けられ、古い採掘道具が床へ散らばっている。
壁際にあった大きな木箱だけが空になっていた。
「何を持っていったんでしょう?」
「坑道用の装備です」
アルトは床へ膝をついた。
泥のついた足跡が、倉庫の裏口へ続いている。
その近くに、破れた紙の一部が落ちていた。
拾い上げる。
古い鉱山地図だ。
破れた端に、赤い印が残っている。
《排水用横坑》
坑道の水を外へ流すために作られた通路。
人が通るための道ではない。
狭く、崩落の危険があるため、何年も前に閉鎖されている。
「ヴァリスは、ここから遺跡へ入るつもりだ」
「場所は分かりますか?」
「この地図だけでは正確には分かりません」
アルトは周囲を見回した。
棚の奥に、古い帳簿が残っている。
罠解除Ⅱの知識が反応した。
棚そのものに仕掛けがあるわけではない。
だが、床の一部だけ傷み方が違う。
何度も動かされた跡だ。
アルトは棚を横へずらした。
壁の裏から、小さな地図箱が現れる。
鍵は壊されていた。
中は空だった。
「持っていかれたあとですね」
「いや」
アルトは箱の内側へ触れる。
紙の切れ端が、角へ挟まっている。
取り出すと、地図の写しの一部だった。
排水用横坑の入口。
町の北側。
使われなくなった石切り場の近く。
「場所が分かりました」
アルトは立ち上がる。
その瞬間、索敵Ⅱが強い振動を拾った。
遠い。
だが、地面の下から響いてくる。
一度。
続けて、もう一度。
崩落のような重い音。
治癒師の女性も、足元を見た。
「今のは……」
「坑道の方向です」
アルトは倉庫の外へ出た。
北の空へ、細い土煙が上がっている。
ヴァリスはすでに横坑へ入ったのかもしれない。
そして、何かを壊した。
「急ぎます」
二人が石切り場へ到着したころには、土煙は消えかけていた。
古い岩壁の下に、半分埋まった穴がある。
入口を塞いでいた板と石は、力任せに取り除かれていた。
穴の前には、ヴァリスが持ち出したと思われる採掘用のつるはしが落ちている。
アルトは入口へ近づいた。
冷たい空気が流れてくる。
その奥から、かすかな声が聞こえた。
「誰か……」
ヴァリスの声ではない。
アルトは耳を澄ませる。
「助けてくれ……!」
カスパーだった。
「中にいる!」
アルトは穴へ入ろうとする。
その直前、壁に黒い文字が浮かんだ。
《未承認経路からの侵入を確認》
《契約違反者、一名》
《担保資産の強制徴収を開始します》
坑道の奥から、男の叫び声が響いた。
「やめろ! 俺の技能を持っていくな!」
ヴァリスの声だった。
続けて、金属が落ちる音。
地面が大きく揺れる。
入口の天井から、小石が降ってきた。
「崩れます!」
治癒師の女性が叫ぶ。
アルトは穴の奥を見つめた。
カスパーがいる。
ヴァリスもいる。
遺跡の徴収が始まった。
そして、このままでは坑道そのものが崩れる。
「中へ入ります」
「私も行きます」
「危険です」
「だから治癒師が必要です」
アルトは一度だけ目を閉じた。
止める時間はない。
「俺から離れないでください」
「はい」
アルトは火魔法Ⅱを使った。
小さな炎を作る。
魔力を抑え、長く保てる大きさにする。
暗い横坑の奥が照らし出された。
狭い通路。
崩れかけた支柱。
そして、壁や床を這う黒い鎖。
その向こうから、カスパーの声が聞こえる。
「アルト! 来るな!」
直後。
黒い鎖が一斉に持ち上がり、二人へ向かって伸びてきた。




