第30話 十パーセントへの依頼
「十パーセントで、何が起きる?」
アルトの問いに、金色の板は答えなかった。
青白い文字は浮かんだまま、次の変化を見せない。
《次回判定条件――返済率十パーセント》
あと十五金貨。
これまで返した額と同じだけの金が必要になる。
以前なら、何か月かかっても集められない金額だった。
今のアルトなら、高難度の依頼を何度か成功させれば届く可能性がある。
だが、急げばいいというものではない。
「十パーセントに到達するまで、この板はどうなりますか?」
アルトが尋ねると、契約管理の職員は箱の外から板を見つめた。
「分かりません。これまでの記録には、返済率に応じて変化する魔道具など存在していませんでした」
「第二区画の調査は?」
「ギルドは続行する方針です。ただし、金色の板の変化を確認した以上、以前より慎重に進めることになります」
「次に入れるのは、いつですか?」
「早くても十日後です」
「十日……」
思っていたより長い。
「遺跡の入口を補強し、内部の魔力濃度を測定します。それから、アルトさん以外の者が第二区画へ入れるかも確かめなければなりません」
「通行権を持っているのは、俺だけかもしれない」
「その可能性があります」
職員は小さく息を吐いた。
「むしろ、アルトさんだけが入れる状況のほうが問題です」
「俺が断れば、調査できなくなるからですか?」
「それもあります。しかし、もっと危険なのは、遺跡そのものがアルトさんを選んでいる可能性です」
第一判定。
第二判定。
契約継承者候補。
どれも、偶然表示された言葉ではない。
技能担保契約の原型と思われる遺跡が、アルトの返済を見ている。
「俺を利用するつもりかもしれない」
「はい」
職員は否定しなかった。
「アルトさんが借金を返すほど、板は新しい情報を表示します。遺跡は、返済を促しているようにも見えます」
「借金を返すこと自体は、俺の目的です」
「だからこそ危険なのです」
職員の表情が険しくなる。
「望んでいることと、魔道具の目的が一致していると、疑うのが難しくなります」
正しい。
金色の板がアルトへ返済を命じても、今のところ拒む理由がない。
借金を返せば自由に近づく。
技能も増える。
元仲間たちの力は減る。
だが、その仕組みが何のために作られたのかは、まだ分からない。
「十パーセントに到達するまでは、板をここで保管してください」
「もちろんです。アルトさんも、必要以上に返済を急がないでください」
「分かっています」
答えながらも、アルトは表示された十五金貨という数字を忘れられなかった。
焦るつもりはない。
しかし、次に何が起きるのかは知りたい。
金色の板が危険なものなら、なおさら早く正体を確かめる必要がある。
保管室を出たあと、アルトはギルドの依頼板へ向かった。
高額依頼だけを見るつもりはない。
自分が安全に達成できる依頼。
技能を試しながら経験を積める依頼。
そして、報酬の一部を返済へ回せる依頼。
その三つを満たすものを探す。
依頼板には、採取、護衛、討伐、調査など、数十枚の紙が貼られていた。
アルトは端から一枚ずつ確認する。
ゴブリンの巣の討伐。
報酬三金貨。
群れの規模が不明なため見送る。
商人の護衛。
報酬二金貨。
出発まで五日あるため、候補として覚えておく。
薬草園を荒らす魔獣の捕獲。
報酬一金貨。
生け捕りが条件のため、今の装備では難しい。
その隣に、一枚だけ赤い線の引かれた依頼書があった。
《旧水路の調査》
《依頼内容――地下水路で発生している魔力異常の原因確認》
《報酬――基本五金貨》
《危険手当――最大三金貨》
《推奨人数――三名以上》
高い。
基本報酬だけでも五金貨。
危険度も高い。
依頼書を読んでいると、受付の職員が声をかけてきた。
「その依頼を受けるつもりですか?」
「内容を確認しているだけです」
「昨日、別の冒険者が下見へ向かいましたが、入口からすぐに戻ってきました」
「何があったんです?」
「水路の中で、魔力灯がすべて消えたそうです」
「魔力切れではなく?」
「新しい魔石へ交換しても、内部へ持ち込んだ瞬間に光が消えたと報告されています」
火魔法なら、魔力灯がなくても明かりを作れる。
だが、魔力そのものが吸われているなら、火も消える可能性がある。
「ほかには?」
「壁や床の形が、入るたびに変わって見えるそうです」
「幻覚ですか?」
「原因は分かっていません」
アルトは依頼書を見直した。
索敵Ⅱ。
罠解除Ⅱ。
魔力制御Ⅱ。
隠密Ⅰ。
遺跡で得た技能を試すには適している。
同時に、一人で挑むには危険すぎる。
「三人以上が推奨なんですね」
「はい。できれば魔法使いと斥候を含む編成が望ましいとされています」
以前なら、ヴァリスたちと組んでいれば条件を満たしていた。
前衛のヴァリス。
魔法使いのセナ。
斥候のカスパー。
そして、荷物持ちだったアルト。
役割だけを見れば、整ったパーティーだった。
アルトは依頼書から目を離した。
「一人では受けられませんか?」
「禁止ではありません。ただし、受付としては勧められません」
「では、同行者を探します」
「知り合いがいるんですか?」
「いません」
受付の職員が困った顔をした。
アルトも、自分で言ってから問題に気づいた。
ヴァリスたちに追放されてから、一人で依頼を受け続けてきた。
顔を知っている冒険者は増えた。
挨拶を交わす相手もいる。
だが、命を預けられるほど深く知っている者はいない。
「募集を出すことはできます」
「依頼への臨時参加者を集めるんですか?」
「はい。ただ、旧水路は危険度に対して情報が少なすぎます。集まるかどうかは分かりません」
「募集してください」
「条件はどうします?」
アルトは少し考えた。
「魔法使いか治療師。経験は問いません。ただし、指示を無視しない人」
「それだけですか?」
「報酬は均等に分けます」
「アルトさんが依頼を選び、必要な準備もするのですよね?」
「それでも均等です」
荷物持ちをしていたころ、報酬の分配に意見を言う権利はなかった。
危険な場所へ入り、荷物を運び、野営の準備をしても、最後に渡されるのはわずかな金だけだった。
同じことをするつもりはない。
「分かりました。募集を出します」
受付の職員が依頼書の写しを作り始める。
「出発予定は?」
「三日後でお願いします」
「早くありませんか?」
「準備に必要な時間は取ります。それ以上待つと、別の異常が起きるかもしれません」
地下水路は町の下へ広がっている。
今は使われていない区画でも、崩落や魔力異常が起これば地上へ影響が出る可能性がある。
「では、三日後。参加希望者が来たら、アルトさんへ連絡します」
「お願いします」
アルトは依頼板を離れ、道具屋へ向かった。
旧水路へ入るなら、普段とは違う準備が必要になる。
油を使わない発光石。
壁へ印を残すための耐水チョーク。
水の中でも切れにくい麻縄。
簡易の呼吸布。
毒や瘴気を完全に防ぐものではないが、悪臭や細かな粉塵を吸い込むのを減らせる。
必要な物を並べていくと、銀貨が次々と消えた。
それでも、予備資金を残した判断は正しかった。
返済へ十二金貨すべてを回していれば、次の依頼へ出る準備すらできなかった。
道具屋を出たところで、背後から声をかけられた。
「アルト」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、通りの反対側にカスパーが立っていた。
一人だけだ。
腰に短剣を下げているが、以前のように気配を消せていない。
人混みの中でも、索敵Ⅱを使うまでもなく存在が分かった。
「何の用だ?」
「話がある」
「俺にはない」
アルトが歩き出すと、カスパーが追ってくる。
「待て。ヴァリスには知られたくない話だ」
「なら、なおさら聞く理由がない」
「遺跡へ行くつもりだ」
アルトの足が止まった。
「誰が?」
「ヴァリスとセナだ」
「坑道は封鎖されている」
「正面から入るつもりはない。昔使われていた採掘用の横穴を探している」
アルトはカスパーの顔を見た。
嘘をついているようには見えない。
だが、信用する理由もない。
「なぜ俺に教える?」
「俺も誘われた」
「断ったのか?」
「まだ返事はしていない」
「なら、行かなければいい」
「俺が行かなければ、あの二人は死ぬ」
「行っても死ぬかもしれない」
カスパーは言葉を詰まらせた。
索敵と罠解除の力を失いつつある。
以前と同じつもりで遺跡へ入れば、危険を見落とす。
「止めてほしいのか?」
「俺の言葉では止まらない」
「俺の言葉なら止まると思うのか?」
「少なくとも、遺跡へ入れるのはお前だけだ」
「だから?」
「ヴァリスは、お前が持って帰った金色の板を奪えば、自分たちの技能を取り戻せると思っている」
アルトは無意識に腰の剣へ手を近づけた。
金色の板は、ギルドの保管室にある。
簡単に盗めるものではない。
だが、ヴァリスが本気で奪おうとしているなら、ギルド内で騒ぎを起こす可能性もある。
「板は俺が持っていない」
「分かっている。だが、あいつは信じない」
「セナは?」
「止めるどころか、賛成している」
火魔法と魔力制御を奪われた。
恐怖と焦りが、判断を狂わせているのだろう。
「お前は、どうしたい?」
アルトが尋ねると、カスパーは答えなかった。
しばらくして、低い声を出す。
「技能を失いたくない」
「それだけか?」
「……死にたくもない」
「ヴァリスたちを助けたいとは言わないんだな」
「俺たちは、そういう仲間だった」
カスパーは自嘲するように笑った。
「互いに役に立つから組んでいた。弱くなった者を支えるようなパーティーじゃない」
「知っている」
だからアルトは追放された。
役に立たなくなったと判断されたから。
「それでも、お前は二人が死ぬと思っている」
「死なれたら、契約がどうなるか分からない」
「自分のためか」
「そうだ」
カスパーは否定しなかった。
その正直さだけは、以前よりましだった。
「横穴の場所は?」
「まだ特定できていない。ヴァリスが古い鉱山記録を探している」
「出発はいつだ?」
「早ければ明日の夜だ」
「分かった」
「止めてくれるのか?」
「ギルドへ報告する」
カスパーの顔が険しくなる。
「処分されるぞ」
「無許可で封鎖区域へ入れば当然だ」
「お前は、それでいいのか?」
「死ぬよりはいい」
アルトはカスパーの横を通り過ぎた。
「待て」
「まだ何かあるのか?」
「返済を止める気はないのか?」
アルトは振り返らなかった。
「ない」
「俺たちが何もできなくなっても?」
「借金を押しつけたとき、俺が何もできなくなるとは考えなかったのか?」
背後から答えは返ってこなかった。
アルトはそのままギルドへ戻り、封鎖区域への侵入計画を報告した。
職員たちはすぐに動いた。
坑道周辺の見張りを増やし、古い横穴の記録を調べることになった。
金色の板が保管されている部屋にも、追加の警備が置かれる。
「知らせていただき、助かりました」
契約管理の職員が頭を下げる。
「カスパーはどうなります?」
「実際に侵入していない以上、今すぐ処分はできません。ただし、事情を聞くことになります」
「ヴァリスとセナも?」
「もちろんです」
これで止まればいい。
だが、ヴァリスが素直に事情聴取へ応じるとは思えなかった。
アルトがギルドを出ようとしたとき、受付から呼び止められた。
「アルトさん。旧水路の募集に、一人応募が来ています」
「もうですか?」
「はい。今、面談室で待っています」
「どんな人です?」
受付の職員は、手元の用紙を確認した。
「治癒魔法を使える方です」
アルトにとって必要な役割だった。
「冒険者ランクは?」
「登録したばかりです」
「新人?」
「はい。ただし、治癒師として教会で三年間働いていたそうです」
戦闘経験は少ないかもしれない。
だが、治療の経験があるなら、地下水路で心強い。
「会います」
面談室の扉を開ける。
中には、灰色の外套を着た人物が座っていた。
深くかぶっていたフードが上げられる。
現れたのは、アルトと同じくらいの年齢に見える女性だった。
淡い金色の髪が、肩のあたりで切りそろえられている。
彼女はアルトを見ると、緊張した様子で立ち上がった。
「旧水路の調査を受ける方ですか?」
「アルトです」
「私は――」
女性が名乗ろうとした瞬間。
ギルドの外から、大きな破裂音が響いた。
窓が揺れる。
続いて、誰かの叫び声が聞こえた。
「止まれ!」
「そいつを逃がすな!」
アルトは面談室を飛び出した。
入口の扉が開き、警備の冒険者が一人、床へ倒れ込む。
その向こうを、ヴァリスが走っていた。
片手には、古びた鉱山の地図。
もう片方の手には、契約管理室から奪ったと思われる鍵束が握られている。
「アルト!」
ヴァリスが振り返り、怒鳴った。
「返してもらうぞ!」
契約印が赤黒く光る。
「俺たちから奪った技能も、あの板も、全部だ!」
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