第3話 初めて自分の力で倒しました
角ウサギが、地面すれすれを駆けてくる。
狙われているのは腹だ。
頭では分かっていた。
それなのに、身体が動かない。
「くっ……!」
アルトは反射的に横へ跳んだ。
角が服をかすめ、脇腹に熱が走る。
地面へ転がりながら、自分の身体を確認する。
服が裂け、その下から細い血の筋が流れていた。
傷は浅い。
だが、避けるのが少し遅れていれば腹を貫かれていた。
「これが……実戦か」
木の杭は動かない。
こちらを殺そうともしない。
訓練場で何度剣を振っても、命を狙われる恐怖までは経験できなかった。
一匹目の角ウサギが着地し、方向を変える。
残る二匹も茂みから姿を現した。
三匹が散らばり、アルトを囲もうとしている。
「落ち着け。一度に相手をするな」
アルトは立ち上がり、折れた剣を抜いた。
逃げ道を探す。
背後には太い木がある。
三匹に囲まれないよう、木を背にして構えた。
角ウサギは正面から飛びかかる攻撃しか持たない。
そう教わったことはある。
ただし、知識があることと、避けられることは別だ。
正面の一匹が地面を蹴った。
今度は目をそらさない。
角を見るのではなく、魔物の身体全体を見る。
前足が浮く。
後ろ足へ力が入る。
飛び出す直前、身体がわずかに沈んだ。
「今だ!」
アルトは半歩だけ横へ動いた。
大きく跳ばない。
角が脇を通り過ぎる瞬間、両手で握った剣を振り下ろす。
ガッ!
刃は角ウサギの背中へ当たったが、浅い。
魔物は地面へ落ちると、甲高い鳴き声を上げた。
「仕留められなかった……!」
腕の力だけで振ってしまった。
焦りで、訓練した動きが崩れている。
傷を負った角ウサギが向き直る。
同時に、右側にいた一匹が飛び出した。
アルトは剣を構える暇もなく、後ろへ身を引いた。
角が左腕をかすめる。
薄い傷が増えた。
「痛っ……!」
二匹目を避けた直後、三匹目が迫る。
連続で攻撃されれば対応できない。
アルトは背中を預けていた木の陰へ回り込んだ。
三匹目の角ウサギは方向を変えられず、そのまま木の幹へ激突する。
鈍い音が響いた。
角が木へ突き刺さり、抜けなくなっている。
「そこだ!」
アルトは剣を両手で握った。
足を踏み込む。
腰を回す。
腕だけではなく、身体全体の力を刃へ伝える。
昨日、何度も繰り返した動き。
折れた剣が、角ウサギの首へ食い込んだ。
一撃では足りない。
すぐに剣を引き、もう一度振り下ろす。
二撃目で角ウサギの身体から力が抜けた。
《角ウサギを討伐しました》
《《剣術Ⅰ》の習熟度が上昇しました》
文字が視界へ浮かぶ。
「倒した……」
初めて、自分の手で魔物を倒した。
だが、喜んでいる暇はない。
残る二匹が、すでに次の攻撃へ移ろうとしている。
アルトは木の周囲を回りながら、二匹との間に幹を挟んだ。
同時に飛びかからせない。
傷を負わせた一匹を先に狙う。
頭では戦い方が見えてきた。
それでも身体は思うように動かない。
息は乱れ、剣を握る手も震えている。
一歩間違えれば死ぬ。
恐怖は消えていなかった。
「怖くても……動け」
角ウサギが飛び出す。
アルトは木の陰から身体を出し、わざと自分の姿を見せた。
狙いどおり、傷を負った一匹がこちらへ向かってくる。
ぎりぎりまで引きつけ、木の反対側へ回る。
角ウサギは止まれず、幹へ角をぶつけた。
先ほどのように深く刺さってはいない。
すぐに抜ける。
だが、一瞬あれば十分だった。
「はあっ!」
剣を振り下ろす。
今度の一撃は背中の傷へ正確に入った。
角ウサギが地面へ倒れる。
アルトは間を置かず、首へ刃を突き立てた。
《角ウサギを討伐しました》
《《剣術Ⅰ》の習熟度が上昇しました》
残り一匹。
仲間を二匹失った角ウサギは、その場で身を低くしていた。
逃げるかと思ったが、逆だった。
低い唸り声を上げ、地面を蹴る。
今までで最も速い突進だった。
アルトは避けようとした。
しかし、疲労で足がもつれる。
「まずい――」
身体をひねったが、完全には間に合わない。
角が左の太ももを切り裂いた。
鋭い痛みが走り、アルトは膝をついた。
傷口から血が流れる。
立ち上がろうとしても、左足に力が入らない。
最後の角ウサギが着地し、再びこちらへ身体を向けた。
「逃げられないか……」
アルトは片膝をついたまま、剣を構えた。
もう横へは避けられない。
次の攻撃を正面から迎え撃つしかない。
角ウサギが突進する。
怖い。
手が震える。
逃げたい。
それでもアルトは、相手から目をそらさなかった。
角ではなく、身体全体を見る。
走る速度。
頭の高さ。
自分へ届くまでの距離。
剣を振るのが早すぎれば、かわされる。
遅ければ、角が身体を貫く。
あと三歩。
二歩。
一歩。
「今だ!」
アルトは上半身を右へ倒しながら、剣を横へ振った。
角が左肩をかすめる。
同時に、刃が角ウサギの首へ入った。
勢いを失った魔物が、アルトの横を転がっていく。
完全には仕留めていない。
アルトは痛む左足を引きずりながら近づき、剣を振り上げた。
「これで……終わりだ!」
刃を首へ振り下ろす。
角ウサギの身体が一度大きく震え、そのまま動かなくなった。
《角ウサギを討伐しました》
《《剣術Ⅰ》の習熟度が一定値に達しました》
《《剣術Ⅰ》の効果が上昇しました》
アルトはその場へ座り込んだ。
「死ぬかと思った……」
勝てた。
だが、圧勝とはほど遠い。
弱い魔物とされる角ウサギ三匹に、何度も傷を負わされた。
もう少し判断が遅ければ、本当に死んでいただろう。
アルトは服の裾を切り、太ももの傷へ強く巻きつけた。
血が止まるまで休んでから、三匹の角を切り取る。
角は討伐の証明になるだけでなく、素材としても売れる。
肉も持ち帰りたかったが、今の足では三匹分を運べない。
一匹分だけ背負い袋へ入れ、残りは諦めた。
「欲張ったら、町まで戻れないな」
今までのアルトなら、仲間が倒した魔物をすべて運んでいた。
だが今は一人だ。
倒すのも、運ぶのも、自分で行わなければならない。
何を持ち帰り、何を捨てるか。
そうした判断も、ソロで生きるためには必要になる。
採取した薬草を確認すると、戦闘中に背負い袋を置いたおかげで無事だった。
森キノコも潰れていない。
「初めてにしては、悪くない」
太ももの傷は痛む。
依頼もすべて達成できていない。
それでもアルトの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
三匹の角は、自分で戦った証拠だ。
誰かが倒した魔物を運んだのではない。
誰かから報酬を分けてもらうのでもない。
自分の力で手に入れた、初めての稼ぎだった。
町へ戻り、薬草と角ウサギの素材を換金する。
採取依頼の報酬と合わせて、受け取ったのは銀貨六枚と銅貨十五枚。
アルトにとって、これまでで最も重みのある報酬だった。
安い治療薬を買えば銀貨二枚。
食事と宿代に銀貨一枚。
残るのは銀貨三枚ほど。
二度目の返済には、まだ足りない。
アルトは革袋へ硬貨をしまった。
「あと銀貨七枚」
次に返済すれば、また誰かの技能が移ってくるかもしれない。
だが、それ以上に大切なことがある。
今の自分は、借金を返すための金を、自分一人で稼げる。
ほんのわずかだが、そのことを証明できた。
アルトは傷ついた足を引きずりながら、安宿へ向かった。
背中には背負い袋。
腰には先端の折れた剣。
所持金は銀貨六枚と少し。
借金は、金貨二百九十九枚。
まだ何も解決していない。
それでも昨日までとは違う。
アルトの腰には、自分で戦って得た剣があった。




