第17話 金貨八枚の依頼
新しい剣を買った翌朝、俺は訓練場へ向かった。
いきなり依頼へ持っていくつもりはない。
剣は一本ずつ重さも重心も違う。
以前の剣と同じつもりで振れば、僅かな違いが命取りになる。
鞘から抜き、ゆっくり振る。
上から。
横から。
下から。
踏み込みながら。
後退しながら。
以前の剣より重いが、刃に厚みがある。
丸太へ軽く打ち込んでも、嫌な振動は返ってこない。
「これなら《身体強化》にも耐えられそうだ」
ただし、全力では使わない。
《身体強化Ⅰ》を三割ほど発動させる。
両足。
腰。
背中。
肩。
右腕。
魔力を一か所へ集中させず、動きに必要な場所へ薄く流す。
踏み込む。
剣を振る。
刃が丸太へ深く食い込んだ。
すぐに抜き、状態を確認する。
傷はない。
もう一度。
三度目を振ったところで、肩に重さを感じた。
俺は剣を収めた。
「今日はここまでだ」
新しい剣だからといって、身体まで急に強くなったわけではない。
技能も装備も、使いこなすには時間が必要だ。
訓練場を出て冒険者ギルドへ向かう。
中へ入ると、依頼掲示板の前に人だかりができていた。
「金貨八枚だってよ」
「だが、ゴブリンの巣だろ?」
「確認されているだけで二十匹以上らしい」
「上位種がいたら八枚でも安いぞ」
掲示板の中央に、新しい依頼書が貼られていた。
町の西にある古い鉱山へ、ゴブリンの群れが棲みついた。
近くを通った木こりが、少なくとも二十匹を目撃。
鉱山から町へ続く道には、小さな農村が二つある。
群れが鉱山を出れば、畑や家畜が襲われる可能性がある。
依頼内容は、巣の調査と討伐。
基本報酬は金貨八枚。
討伐数や上位種の有無によって、追加報酬が出る。
推奨人数は四人以上。
推奨等級はD。
俺はE等級だ。
受けられないわけではない。
だが、一人で挑む依頼ではない。
金貨八枚あれば、返済を一気に進められる。
新しい技能も複数得られるかもしれない。
それでも命を賭ける理由にはならない。
俺は依頼書から離れた。
そのとき、背後からヴァリスの声がした。
「怖じ気づいたのか?」
三人がギルドへ入ってくる。
ヴァリスは昨日売ろうとしていた剣を、まだ腰へ下げていた。
セナの外套には焦げた跡がある。
カスパーの革鎧も、肩の部分が裂けていた。
「一人で受ける依頼ではないと思っただけだ」
「言い訳はいい」
ヴァリスは俺を押しのけるようにして、依頼書を剥がした。
「俺たちが受ける」
受付へ持っていく。
俺は止めなかった。
三人がどの依頼を選ぶかは、三人の問題だ。
だが受付職員は、依頼書と三人の装備を見比べた。
「現在の状態で、本当に受けられますか?」
「俺たちはD等級だ」
「等級ではなく、装備と体調を確認しています。最近、複数の依頼に失敗していますね」
「低級依頼で少し調子を崩しただけだ」
ヴァリスが答える。
職員はセナを見る。
「魔法の制御に問題があるという報告も届いています」
「もう直ったわ」
セナは即座に答えた。
「火力も制御も、以前と変わらない」
嘘だ。
俺は数日前、セナが宿で火を制御できず、机へ燃え移らせるところを見ている。
「索敵役は?」
「俺がいる」
カスパーが答えた。
「ゴブリン程度を見落とすわけがない」
カスパーも《探索》の一部を失っている。
それでも三人は、自分たちが弱くなったことを認めなかった。
受付職員はしばらく迷っていた。
冒険者本人が能力に問題はないと言い、等級も条件を満たしている。
依頼を拒否する明確な理由がないのだろう。
「危険を感じた場合は、討伐を中止して戻ってください。巣の規模を確認するだけでも、調査報酬は出ます」
「必要ない」
ヴァリスは依頼書を受け取った。
「今日中に片づける」
三人は準備のため、ギルドを出ていった。
食料を確認する者はいない。
傷薬の本数を数える者もいない。
縄も、予備の灯りも、鉱山の地図も持っていない。
以前なら、すべて俺が用意していた。
俺が彼らの鞄へ入れていたから、三人は準備が必要だとさえ考えていなかった。
「……俺には関係ない」
そう呟き、別の依頼書を手に取った。
町の西にある森で、薬草の根を採取する依頼。
必要数は二十本。
報酬は銀貨八枚。
ゴブリンの巣からは離れている。
大きな危険は報告されていない。
地味な依頼だ。
金貨八枚と比べれば、報酬は十分の一しかない。
それでも俺は、こちらを選んだ。
道具屋で小さな採取用の刃を買う。
根を傷つけずに掘るためのものだ。
薬草を包む布と、湿らせるための水も用意した。
昼前には森へ着いた。
似た形の草は多い。
葉だけを見て採れば、別の植物と間違える。
茎の色。
葉の裏にある白い筋。
根元から漂う僅かな苦い匂い。
一つずつ確認し、周囲の土を崩さないように掘る。
十本。
十五本。
必要数まで、あと五本。
俺は少しずつ森の奥へ進んだ。
《探索Ⅰ》を意識する。
動物の気配はある。
だが近くに魔物はいない。
採取を続けていると、遠くから低い音が聞こえた。
ドンッ!
地面が僅かに揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立った。
「今のは……」
自然に起きた音ではない。
魔法が爆発した音に似ている。
方角は西。
古い鉱山がある方だ。
俺は立ち上がった。
助けに行くつもりはない。
D等級の三人が受けた依頼だ。
E等級の俺が一人で近づいても、できることは少ない。
必要な薬草も、まだ揃っていない。
俺は採取を続けようとした。
そのとき《探索Ⅰ》が、複数の気配を捉えた。
一つ。
二つ。
五つ。
十を超える。
西からこちらへ近づいてくる。
「まさか……」
茂みの向こうで、枝が折れる。
小さな影が次々と走っている。
ゴブリンだ。
鉱山にいた群れが、森の中へ散り始めている。
この先には農村がある。
討伐に失敗しただけではない。
ヴァリスたちは、巣にいたゴブリンを外へ追い出してしまった。
俺は採取した薬草を鞄へ収め、剣を抜いた。
十匹以上を、一人で倒すつもりはない。
まず群れの進行方向を確認する。
村へ向かっているなら、先回りして警告する。
戦うのは、それからだ。
金貨八枚の高額依頼。
その失敗によって起きたものは、依頼書に書かれていた危険より、遥かに大きくなろうとしていた。




