第16話 返済より先に、剣を買う
《身体強化Ⅰ》
新しく得た技能を試すため、俺は町の外にある訓練場へ来ていた。
使い方の知識は、頭の中にある。
魔力を身体へ巡らせ、一時的に筋力や速度を高める。
言葉にすれば簡単だ。
だが《火魔法》と同じで、知っていることと使えることは違う。
俺は剣を抜かず、その場で軽く走った。
身体の状態を確認する。
左腕の噛み傷に痛みはない。
足にも異常はない。
「まずは右足だけ」
《魔力操作Ⅰ》を意識する。
体内にある魔力を、ゆっくり右足へ流す。
温かいものが腿から足先へ広がった。
一歩、前へ踏み出す。
次の瞬間、身体が想像以上に加速した。
「うわっ!」
右足だけが強く地面を蹴り、上半身がついてこない。
俺は前のめりになり、そのまま土の上を転がった。
「……片足だけ強くしても駄目か」
立ち上がり、服についた土を払う。
身体強化は、単純に力を増やせばいい技能ではない。
右足を強化するなら、踏み込みを支える左足も必要になる。
加速する身体を止めるために、腹や背中へも力が要る。
俺は魔力を両足へ薄く流した。
先ほどより弱く。
右と左で、同じ程度になるよう意識する。
一歩。
二歩。
三歩。
今度は転ばなかった。
普段より速く走れる。
だが五秒ほど続けただけで、両足が重くなった。
魔力だけではない。
強化された動きに、筋肉や関節が耐えられていない。
「長時間は使えないな」
次は腕。
剣を抜き、両手で構える。
右腕だけではなく、肩と背中へも魔力を流す。
強さは半分以下。
正面に置かれた訓練用の丸太へ、剣を振った。
ガッ!
今までより深く、刃が食い込んだ。
「これは……」
もう一度。
少しだけ魔力を増やす。
剣を振り下ろした。
ガキンッ!
嫌な音がした。
丸太ではない。
剣からだ。
慌てて刃を確認する。
中央付近に、細い亀裂が入っていた。
「……限界か」
この剣は、安く買った中古品だ。
刃こぼれを直し、何度も研ぎ直して使ってきた。
岩鼠。
ゴブリン。
灰牙狼。
角猪。
俺と一緒に戦ってきた。
だが《身体強化》を使った斬撃には耐えられない。
次に全力で振れば、戦闘中に折れる可能性がある。
俺はすぐに訓練をやめた。
まだ使える。
もう一度だけなら大丈夫かもしれない。
そう考えて使い続けるのが、一番危険だ。
町へ戻り、武器屋へ向かった。
店の奥にある台へ、亀裂の入った剣を置く。
店主が刃を確認し、首を横に振った。
「直せないことはない。だが、この刃はもう薄くなりすぎている。亀裂を削って鍛え直しても、長くは持たん」
「買い替えた方がいいですか?」
「命を預けるならな」
店主が何本かの剣を並べた。
一番安いものは金貨一枚。
今使っている剣より状態はいい。
だが《身体強化》を使えば、同じように傷む可能性がある。
次は金貨二枚。
厚みのある鉄製の片手剣。
飾りはない。
鞘も革を巻いただけ。
だが刃に歪みはなく、持ったときの重さも悪くなかった。
最後は金貨五枚。
魔力を流しても傷みにくい素材が混ぜられているらしい。
欲しい。
だが今の俺には高すぎる。
「この金貨二枚の剣をお願いします」
「五枚の方じゃなくていいのか?」
「今は、こちらで十分です」
無理に高価な武器を買えば、手元の金がなくなる。
金貨一枚の剣では、すぐに買い替えることになるかもしれない。
安すぎず、高すぎない。
今の俺が使える範囲で、必要な強度がある剣。
古い剣を下取りに出し、金貨一枚と銀貨八枚を支払った。
残った金を数える。
返済用に取っておいた金貨一枚も使えば、もう少し良い剣を買えた。
だが、それには手をつけなかった。
返済を優先して、新しい剣を諦めることも考えた。
しかし、戦闘中に剣が折れればそこで終わる。
「先に装備を整える」
俺は新しい剣を腰へ下げた。
借金を返すために、借金より先に金を使う。
以前なら、それを無駄遣いだと思ったかもしれない。
今は違う。
必要な出費だ。
武器屋を出ようとしたとき、入口の扉が開いた。
入ってきたのは、ヴァリスたちだった。
ヴァリスは腰に下げていた剣を外し、店主の前へ置いた。
「これを買い取れ」
豪華な装飾が施された剣。
借金の原因となった、魔力強化装備の一つだ。
店主が眉をひそめる。
「この剣は、まだ代金を払い終えていないんじゃないのか?」
「俺の名義で買ったものだ。売るのは自由だろ」
「違うな。代金を払い終えるまで、所有権は契約元に残る。勝手には買い取れん」
ヴァリスの顔が歪んだ。
「なら、これを担保に金を貸せ」
「断る」
「俺が誰か分かっているのか!」
「支払いの残った剣を持ち込んだ冒険者だろう」
店主は冷たく言った。
セナとカスパーは、何も言わず後ろに立っている。
以前身につけていた高価な外套や短剣は汚れ、傷んでいた。
ヴァリスが俺に気づく。
「アルト」
その視線が、俺の新しい剣へ向いた。
「お前、金を持っているのか?」
「持っていたから、剣を買った」
「なら、その金をこっちへ回せ」
「なぜ?」
俺が聞き返すと、ヴァリスは苛立ったように自分の剣を指した。
「お前が勝手に返済したせいで、俺たちは依頼に失敗した。装備も傷んでいる。その修理代くらい出すのが当然だろう!」
「俺が返したのは、俺名義になっている借金だ」
「その返済で、私たちの技能が失われたのよ!」
セナも声を上げる。
「返済をやめないなら、せめて私たちが失った分を補償しなさい!」
「借金を押しつけておいて、返すな。返すなら稼いだ金を寄こせ。そう言っているのか?」
三人は答えなかった。
俺は新しい剣の柄へ手を置いた。
「俺の金を何に使うかは、俺が決める」
「お前のせいで、俺たちはまともに戦えなくなっているんだ!」
「だから返済するなと言ったでしょう!」
借金は俺に払わせる。
だが返済によって自分たちが困るなら、返すなと言う。
さらに、俺が稼いだ金まで自分たちへ渡せと要求する。
「返済はする」
俺は答えた。
「でも、命を守るための金まで返済には使わない。まして、お前たちへ渡すつもりもない」
「役立たずの荷物持ちが、立派なことを言うようになったな」
ヴァリスが吐き捨てる。
以前なら、その言葉だけで身体が縮んでいた。
何も言い返せず、自分が間違っていると思っていた。
だが今は違う。
「その役立たずに金をねだらないと、装備も直せないのか?」
ヴァリスの顔が赤くなった。
「貴様……!」
一歩、こちらへ出る。
店主が太い腕を台へ置いた。
「喧嘩なら外でやれ。店の商品を壊したら、全額払ってもらう」
ヴァリスの足が止まる。
払える金がないのだろう。
俺は三人の横を通り、店を出た。
追ってくる気配はない。
新しい剣は、以前のものより少し重い。
だが、不思議と腰は軽かった。
借金は残り二百九十五枚。
俺は借金のためだけに生きているわけではない。
返済しながら、生きる。
装備を整える。
怪我を治す。
そして、少しずつ強くなる。
その順番を、もう誰にも決めさせるつもりはなかった。




