おやつ
男爵令嬢が屋敷を後にしてから、ぼーっと昼食を食べた。病みあがりということであまり豪勢なものではなかったが、それでも食事に不自由しないということにありがたさを感じずにはいられなかった。
その後、考えがまとまらない私は一人で部屋に閉じ籠っていた。ユリアが何度か、心配そうに部屋の前をうろうろしている気配はしたけれど、出ていく気分にはなれなかった。結局聞きそびれた神様の存在について、考えずにはいられなかった。そのせいで今ユリアに会うと、つい数刻前に決めた使用人を丁重に扱うという決意を崩すような行動に走ってしまう気がした。
(折角やり直しの機会が与えられたのに、これでは本末転倒ですわ。)
欲しい情報が与えられなかったことによる自分の中の憤りが収まるまで、しばらくベッドに突っ伏しておこう。同時に牢に入れられて初めて気づいたふかふかのベッドのありがたみも噛み締めていた。固い床ではなく、暖かい毛布に包まれて微睡める奇跡を、覚えておこう。つるつるのシーツを手で撫でながら思った。
しばらくして男爵令嬢はまた来ると言ったのだから、首を長くして待てば聞くことができるだろうと自分の中で頷ける結論ができ、落ち着いてきた。ベッドから立ち上がる。
(扉の外にいるユリアに甘味でも持ってきてもらいましょう。)
そう思い扉へ歩き始めた。ふと、先程の男爵令嬢の態度が脳裏をよぎる。
(仮にも公爵令嬢である私にあの態度はいかがなものなのでしょうね。いえ、もちろん非は全面的に私にありますとも。でも、彼女を陥れたのは過去のお話でしょう。それなのにあの高圧的な態度はなんですの?私がかつてのように良識のない我儘令嬢でしたら、即刻処罰ものですのよ?もう少し私の懐の広さに感謝するべきではなくって?)
ふつふつと収まった怒りの炎を昂ってくる。無言で踵を返してベッドの方へ戻る。急に縮んだ10歳の体はまだ扱いに慣れず絨毯の皺にけつまづいて布団へ飛び込んでしまう。ぼふっと柔らかい音がなり上半身が布団へ沈む。そのまま私は両手をばたばたと動かす。
(あら…なんだか、いい気分ね。)
苛立ちを振り払うように両手を布団へ打ち付けると、思いの外すっきりした。今まではこんなはしたない行動したことがなかったが、人目のない私室であれば問題ないだろう。思いきってベットに全身を乗せ両足も使ってばたばたとする。まるで水に打ち上げられた魚のごとく。自身の中のもどかしさが払拭されていく気がした。
だんだん、なんだか楽しくなってきて、本来の目的である苛立ちもどこかへ通りすぎていった。残った楽しさを味わうように、布団の上をごろごろと転がりながら遊ぶ。おまけに腹から言葉にならない声を発するとより興が乗った。
(なんて楽しいのかしら。お布団にはこのような使い方もあったのですね。)
一通り楽しみ終えたあとは、なんだかお腹が空いてきた。もとより体力をつけるような鍛練はしていないから、今のお遊びで体力を使い果たしたのだろう。まだ、夕食の時間ではないから、おやつでも貰おうと扉へ向かう。
扉を開ければ心配そうにうろうろするユリアがいた。部屋から出てきた私に気がつくと、ぱっと明るい表情をしてぱたぱたと駆け寄ってくる。
「お嬢様、まだご体調が優れませんか?」
「いいえ、もう平気よ。初めてお友達を招いたから疲れてしまったの。」
「そうでございましたか。」
「何かつまめるものをいただける?できれば果物が良いわね。」
「はい、お任せ下さい。」
ぱたぱたとユリアが調理室へ向かう。それを見送って部屋へ引き返した。あの男爵令嬢をお友達と表現するのは非常に不服ではあったが、一度招いてしまった以上公爵である父公認の仲ということになっているため、体裁上はそう表現せざるをえない。やっぱり誤解でした、なんて適当な言い訳で覆せるものではないのだ。仮に男爵令嬢の、主張がでたらめだと伝えても、彼女の入室を許可した父が策略を見抜けなかった阿呆として恥をかくことになってしまう。今の私にはそれはできなかった。父の顔に泥を塗るという経験はもうこりごりだった。
「軽食をお持ちいたしました。お嬢様。」
ユリアがノックをした。
「ありがとう。入って頂戴。」
「かしこまりました。」
からからとワゴンを押してユリアが軽食を運んでくる。大きな葡萄と色とりどりの果物が皿に並んでいた。どれもがキラキラと新鮮さを感じさせる艶やかさであった。ともに置かれた瓶をユリアが持ち上げる。
「お嬢様のお好きな葡萄を使ったジュースも何種類かお持ちいたしました。」
「あら、ありがとう。…私の好物、知っていたのね。」
「もちろんでございます。例え知らなかったとしても、昨日葡萄を食されたお嬢様を見ていれば分かりますとも。」
ユリアが朗らかに笑う。
(そうか、彼女はこんなにも純粋に私に仕えてくれているのね。)
ユリアに関して、知らなかったことばかりだ。私では相手を見ているだけで好物を見抜くなどできないだろう。
「そう。どのジュースがおすすめなのかしら。」
「!!そうですね。私としてはこのフィオーレ・ル・ヴァンの葡萄ジュースがおすすめですね。ワインがとても美味しいと評判らしいので、その葡萄を使ったジュースは美味しいに違いないです!」
「その言い方だと、飲んだことはないのね。」
「?何言ってらっしゃるんですか、お嬢様ったら。私がお嬢様の食べ物を盗み食いするはずないじゃありませんか?」
「あ、それもそうね。」
そうか、私に出される食べ物・飲み物はどれも一級品、一介の使用人の彼女が手を出せるものではなかった。またひとつ、知らなかった現実が見えた。
(私は本当に恵まれた環境に生まれてきていたのね。)
使用人の彼女たちは私が味わう美味しい食べ物の数々を毎日見ながら、それを食べることもできずに生を終えるのだ。
(なんて、可哀想なのかしら。)
哀れな彼女たちに自分ができることはないのだろうか。せめて、ユリアにはこの美味しい食事を味あわせてあげたい。
「気に入るものを探したいのでしたら、飲み比べでも構いませんよ。グラスは沢山持ってきていますので。」
「飲み比べ…?」
「はい!果物と合わせて1杯ずつ飲んでみて、一番美味しかったものを今後も愛飲されればよろしいかと思います!」
「…それ、良い提案だわ。」
ただそのまま下肢するだけでは彼女たちは畏縮し私の意図を探してしまうだろう。彼女らを困らせることはそれは私の本意ではない。では、飲み比べを利用すればお互いに気遣うことなく、この至高のジュースを渡せるのではないだろうか。
「全部一口ずついただくわ。」
「はい、かしこまりました。今お注ぎいたしますね。」
ワゴンの下からワイングラスを取り出すと、おすすめだと言った瓶の蓋を栓抜きで開ける。しゅぽっと良い音が鳴り、葡萄の芳醇な香りが漂う。なれた手付きでユリアが瓶の底を布巾越しに持ち、ジュースをグラスに注ぐ。4分の1ほどの量がたぷたぷと揺れている。ユリアはグラスを一回くるりと揺らすとこちらにグラスを渡してくれた。近くで嗅ぐとより芳しい香りに包まれた。
一口飲むと新鮮な葡萄をそのまま液体状にしたかのような美味しさだった。滑らかな口触りとすっきりとした後味が堪らない。ワゴンに乗っていたオレンジを一切れ食べるとより酸っぱさが感じられた。なんて背徳的な味なのだ。これは、ユリアにも是非味わって欲しい。
「とても美味しいわね。もう1杯くださる?」
「?はい、かしこまりました。」
まだグラスを空けていないのにおかわりをねだる私を不思議がりながらも、もうひとつグラスをだし、ジュースを注いでくれる。再度慣れた手順でくるりとグラスを回すとこちらへ渡そうとしてくれる。私はそれを受け取らずに言う。
「あら、それはあなたの分よ。」
「え?一介の使用人風情がお嬢様のジュースを頂くなど恐れ多いですよ。」
「ではあなた、私にひとり寂しく軽食を嗜めと仰るの?」
「そう言うものですからね。」
ユリアはなおも食い下がった。
(私の名案に異を唱えるなんて。)
「下々の民に幸福を分け与えるのも貴族の義務なのよ。ノブレス・オブリージュよ。私に逆らうなんてなんて不敬なメイドなのかしら。」
つい高圧的な口調になってしまった。ただ、ユリアにもこの美味しいジュースを味わって欲しいだけだったというのに。
「…でしたら、ご厚意に預からせていただきますね。恐縮でございます。」
「ふんっ。分かれば良いのよ。ついでにこのオレンジも食べなさい。」
「ふふふ。お嬢様ったら。」
「なによ。私を太らせようとでも言うのかしら」
「いえ、まさか。ありがたく頂戴します。」
ユリアはグラスの中身を味わい、私の指示通りにオレンジを食べた。この素晴らしい食べ合わせに感動すると良い。
「…これは、とても斬新な味でございますね。」
「あら、あなたにはまだ早かったようね。この高貴な組み合わせの良さがわからないなんて。」
心底可哀想だと思った。普段まともな食事を口にしていないから、いざ高級なものを食べてもその味の高尚さがわからないのだ。これからは、彼女の舌を肥えさせてあげなくては。こっそりと心に決めた。
「さ、他のジュースも2つずつくださるかしら?」
「え?…はい!ただいま。」
"2つ"と言った私の意図を汲んだのか、うきうきとユリアがグラスに瓶を傾ける。勿論他のジュースも一級品のため、どれも深みのある味わいで思わず舌を巻くものだった。その日は密かに2人で葡萄ジュースと果物を頬張って、どの食べ合わせが最も良いかなど話ながら過ごした。私の中に善行を積んだという満足感が広がっていた。
それ以降、私とユリアの間には確かな絆が育まれつつあった。




