タルト
とにかく話を聞かねばならないと思い、深呼吸して意を決して話しかける。
「…神様ってどういうことですの?あなたも時を戻っていらしたの?教えていただけないかしら。」
男爵令嬢がこちらを見据えたまま黙る。重ねて質問することも憚られ、答えを貰えないまま静かな時間が流れる。思わず生唾を飲み込んだ。
(あなたの目的は、いったいなんですの?)
「…ふ、ふふ、ふふふ、あははははははは」
ふいに男爵令嬢が我慢できないとばかりに笑い出した。甲高い笑い声が部屋中に響く。年端もいかないとはいえ貴族の令嬢が大口を開けて笑うなんて、なんと不躾なのだろうか。
「な、なんですの、急に大声で笑うなど…」
「ふふ、もしかして、はしたないって言いたいんですか?はは、おかわいいこと。くくく、あはははははは」
六歳ほどの少女が足をばたばたさせて笑いころげる様は、ともすれば微笑ましい光景に見えるのかもしれない。私にはおぞましい何かが暴れているように見えたけれど。彼女の笑い声だけがこの場を支配していた。しばらくして、ひとしきり笑い終えたのか、息を整えるように彼女はユリアが入れた紅茶をがぶ飲みした。
「ひー。笑った笑った。いやぁ、無様ですねぇ、オルフィレガー公爵令嬢様ぁ。あんなに傍若無人だったあなたが、私に下手に出てくるなんて。今までだったら権力振りかざして教えろって尊大に言い放ってたじゃないですか!ふくくくく。」
「なっ何がそんなに面白いのですか。」
「あなたがどんな風に死んだかなんて私は知りませんけど、今さら善人ぶったところであんたの性根が変わることなんてないんですよ。まっ、大方酷い死に方でもして心を入れ替えようってなったんでしょうけどね。あんたならそう思いそうだもの。単純なお嬢様が考えそうなことだ。」
図星をつかれた。確かに私は牢での惨状を見て、今生は真っ当な貴族令嬢として生きようと決めた。それが、単純だなんて。私の覚悟を笑われた心地だ。怒りを抑えようと戸惑う私をみて、男爵令嬢は笑顔をすっと消して私を睨み付ける。
「心入れかえたかなんか知らないですけど、どうせすぐにボロがでますよ。せいぜい自己満足の良い子なお嬢様ごっこしてれば良いんじゃないですかね。」
私の決意を嘲笑われ、ふつふつと怒りが沸くとともに頭に血が上った。馬鹿にされたままではいられない。言い返してやりたい。そうでなくては気が済まない。
「たっ確かにあなたの言うとおり、私は変わりたいと決意しました。それの何がいけないのですか?時は戻り、あなたは今生きてらっしゃるじゃないですか。私が善良になれば、あなたの人生も」ダンッ
話を遮るためか、彼女がフォークをタルトに勢い良くさす。タルトが割れ、粉が皿から溢れ落ちる。刺しただけでは満足しなかったのか、フォークと皿が擦れる嫌な音が部屋に響いた。彼女がフォークを見つめながら強く言った。
「あたしは、忘れないからね。」
「…」
何も言い返せなかった。変わりたいと決めたのはあくまでも私の都合。貶められ人生を台無しにされた彼女からすれば、失笑ものだろう。自分の言い分の愚かさが痛い。すぐに怒り心頭して相手を慮らない発言を並べた。男爵令嬢への侮辱ととられても致し方ないだろう。心を入れ換えるといっておきながら、すぐ頭に血が昇り言って良いことと悪いことの分別をなくした。
きっと無意識に時が戻ったことで罪自体はなくなったとどこかで思っていた私の浅はかな心を彼女は見透かしていた。忘れない、という言葉には絶対に私を罪と向き合わせ償わせてやるという強い意志が重ねられていた。
罪悪感から言葉を紡げない私を見て、男爵令嬢は姿勢を崩しソファに体重を預けた。
「…あ、そうだ。私の話を聞きたいなら、まずはあんたがどうやって死んだのか、聞かせて貰おうかな。」
「え?」
ぱっと表情を変えて、ドレスの腰紐をくるくる回しながら言ってきた。神様の話と引き換えに死に際を話せという発言に躊躇う私に、彼女は畳み掛けるように言ってくる。
「あたし、あんたの死に際知らないからさ。気になるんだよね。まぁ、どうせろくでもないんでしょうけど。等価交換ってやつですよ。さ、どうぞ、私意味もなく待たされるの嫌いなんで。」
「…」
なぜ、あんな経験を彼女に話さなければならないのか。なぜ、自分の愚かな過去を言葉に表さなくてはいけないのか。できない。できるはずもない。要らぬ矜持が悲鳴を上げる。私が葛藤していると、彼女は身をのりだし、机に乗っていた手付かずの私のタルトを横取りして食べながら急かしてきた。
「早くしてくれます?むしゃむしゃ」
「それは、私のですが…」
「ふっ、あなたの好物をわざわざ持ってきてはいどうぞってあげるわけないでしょ。馬鹿なの?これは、ぜーんぶあたしのなの。」
「なっ」
「あーそっか。馬鹿だから、あんたこんなんなんだもんね。わかんないか。あのねぇ、敵に塩を送るって言葉知ってる?」
タルトをこれ見よがしに食べると、フォークをこちらに向けながら問いかけてくる。もちろん、それくらいの教養は私にもある。馬鹿にされたものだ。
「たとえ敵だろうと困ったいるときはお互い様である、という東洋の慣用句…ですわね。」
当然それくらい知っていると事もなげに話す私をつまらないとばかりに、はしたなくも大口を開けてタルトを頬張る。
「ん~おいしい。…そっか、馬鹿でも知ってんだね。」
「なっ」
「あたしは敵に塩を送るなんて真っ平ごめんだね。絶対にそんな馬鹿なことはしない。塩を敵が求めて苦しんでいるなら、あたしは敵の目の前まで塩を持っていって食べてやるわ。こんな風にね。」
男爵令嬢はタルトの最後の一口を食べると、たった今空になった皿にフォークを投げ入れ、両手を広げて見せびらかした。全てが我が手中にあると言わんばかりだ。
「……」
「どう、悔しい?」
また怒りに支配されかけた己を諌め、余裕の態度をとる。私は理知的な令嬢になるのだ。
「…私は今まで人のものを奪ってばかりでした。ですので、あなたが持ってきたタルトを食べられないことも道理ですわ。それに悔しいなどと卑しい感情は持ちませんことよ。」
我ながら苦しい言い訳だ。ここで悔しいという気持ちを認めてしまえば、彼女をさらに付け上がらせてしまうことになると思ってのことだったが、逆に付け入る隙を与えてしまったかもしれない。
「卑しい…ねぇ。あんた今まで生きてて悔しいって思ったことないの?そんなわけないよねぇ?あんなに矜持だけは立派な傲慢なご令嬢が悔しいって思わないわけないよねぇ。…あんたが悔しいって思いそうなとき、かぁ。あっ例えばさぁ、王太子殿下があんたに振り向かなかった時とかさ。」
「それは…」
痛いところをつかれて、つい口ごもってしまう。悔しい、確かに何度も思っていた。その劣等感を払拭するために様々な悪事に手を染めていたのだ。でも、素直に認めることはできない。男爵令嬢をこれ以上思い上がらせるわけにはいかない。私の闘争心に火が着き始めたからだ。しかし、出鼻を挫かれ私の勢いは失われてしまった。彼女はそんな私の反応をお気に召したのか、また大袈裟に笑い始めた。
「だよねぇ。言えないよねぇ。自尊心だけ高いあんたが悔しかったです、なんて。自分は卑しい感情を持ってましたって、言えないよねぇ。ふくくくく。あはははは。…ずずっ。あ~楽しい。」
ひとしきり笑い、紅茶でまた調子を整えた男爵令嬢は、私の一言一言が面白くてたまらないと言った様子だ。
「ま、あんたがプライドだけは高い卑しいやつなのはもちろん知ってるから、言葉にしなくても良いけどさ。」
カップを丁寧にソーサーに戻すと、礼儀作法をかなぐり捨てたようにソファに寝そべる。
「あんたみたいなやつがそう簡単に変われないって。…罪は、消えないのよ。」
独り言のように天井に呟く。
「私はまだまだ善性に関しては未熟ではありますが、これから精進していくつもりですので」「でもあんた、あたしの名前も知らなかったでしょう?きっとあの人の名前も。だから、のこのこ部屋に入ってきてあんなに驚いた顔をした。そんなやつが、どう変わるっていうの?どうせさっきのメイドの名前も聞いたこと無いんでしょ?」
食いぎみにまた痛いところをつかれた。確かに私は時を戻るまで彼女の名前を知らなかった。寝起きの私に彼女が名乗るまで聞こうともしかっただろう。使用人の名前を聞いて、覚える、という発想が私にはなかったのだから。けど、今は彼女の名前を知っている。自分は、まだ、変われるのだ。
「……彼女は、ユリア、というメイドです。走る姿がとても賑やかな方…です。」
名前だけでは足りないと思い、知っている情報を小さじいっぱい程度に加えて伝えた。それがかえって大したことは知らないという私の覚束なさを強調してしまったようにも思う。
(また、挙げ足をとられてしまうわね。)
私の緊張とは裏腹に、男爵令嬢が目を見開く。そして少し見直したとばかりに目を細めてきた。
「へぇ~。」
「なんですの?」
「いや~。別に。」
私の示した疑問に男爵令嬢はぶっきらぼうに言い放つ。いぶかしがる私をよそに壁にかけられた豪奢な壁掛け時計を見る。
「あ、そろそろ時間ですね。お暇しないと。母と買い物の予定があるんですよね。」
「え?」
急に立ち上がるとドレスの皺を伸ばし始めた。彼女は狼狽える私を冷ややかに見下ろして言った。
「また、来ますね。次はレモネードでも持ってきます。」
私の返事も待たずに部屋を出ていってしまった。嵐のような訪問に少し放心状態になったあと、仮にも彼女は客人なのだから見送りをしなくてはならないと気づいた。慌てて後を追いかけると、彼女はすでに馬車に乗り込んでしまっていた。代わりに御者に対して礼をする。
彼女は本当に何がしたいのだろうか。
頭を上げると、走り出した馬車のカーテンの隙間から彼女が私をじっと見つめているのだった。




