第8話:訪問散髪! 20歳の理想と83歳の素材
「はーい、みなさん! 今日は待ちに待った『訪問散髪』の日ですよ〜! 素敵に変身しちゃいましょうね♪」
サクラちゃん先生の声がロビーに響く。
月に一度、街の美容室からハサミのプロがやってきて、悠々園のロビーは臨時のヘアサロンに早変わりする。
周りのジジイどもは「短くすりゃあ何でもいい」「耳にかからんように頼むわ」と、まるで羊の毛刈りでも待つかのような無頓着さだ。
だが、俺――山中紫月(83歳・中身20歳)は違った。
(フッ……あいつら、男を捨ててやがるな。いいか、髪型こそが男のアイデンティティ、そして最強の自己表現なんだよ! 確かに源さん(85歳)のあのムカつくフサフサ感には負けるが、俺だって83歳のわりには毛量も密度も現役バリバリだぜ!)
鏡の前に座る俺の後ろでは、サクラちゃんが「シゲさん、どんな髪型にするんですか〜?」とワクワクした顔で見守っている。
若きイケメン美容師が「今日はどうされますか?」と尋ねてきた。
俺は待ってましたとばかりに、20歳の脳内カタログから最新のトレンドを引っ張り出した。
「お兄さん。サイドはすっきりと『ツーブロック』で刈り上げてな。トップは少し長さを残して束感が出るように『シースルーマッシュ』。あ、毛先は軽く『スパイラルパーマ』風の動きが出るようにカットで調整してくれ。あと、髭は顎のラインを強調する感じでスマートに整えてほしいねぇ」
ロビーが静まり返った。
美容師はハサミを持ったままフリーズし、後ろのサクラちゃんは「つーぶろっく……!?」と目を丸くしている。
隣の席で、すでにバリカンで「THE・丸刈り」にされかけている源さんが「おいシゲ、お前は呪文でも唱えているのか?」と横槍を入れてきたが、俺は無視だ。
「……あ、わかりました! シゲさん、めちゃくちゃ攻めますね! お任せください!」
さすがプロ、おじいちゃんの超絶無茶振りを笑顔で受け止め、ハサミを握り直した。
シャキ、シャキ、シャキ……。
心地よい金属音が響く。鏡の中の俺は、脳内で完全に「原宿のサロンでイメチェン中の大学生」になりきっていた。
(よしよし、いいぞ。サイドが削られてシャープになっていく。これでヨシエさんも俺に惚れ直すこと間違いなし――)
「あ、シゲさん。ちょっと頭動かさないでくださいね〜」
美容師の声にハッとする。
そう、83歳の首の筋肉は、20歳の集中力に耐えられない。油断すると、頭がメトロノームのように「カクン、カクン」と自重で傾いてしまうのだ。
「おっとすまんねぇ……首がどうも座らんでな、へへへ」
「あはは、大丈夫ですよ! じゃあ、トップいきますね」
美容師が髪を頭頂部でつまみ上げ、ハサミを入れようとした、その瞬間――。
美容師の手がピタッと止まった。
「……あ」
「ん? どうしたね、お兄さん」
鏡越しに美容師と目が合う。彼の目が、俺の頭頂部のある一点を凝視していた。
(ま、まさか……!?)
恐る恐る鏡の中の自分を凝視する。
そこには、サイドを劇的にスッキリさせたせいで、これまで長めの髪で絶妙にカモフラージュされていた『つむじ周りの圧倒的な地肌(砂漠地帯)』が、コンクリートのように剥き出しになっていた。
「シゲさん……あの、ツーブロックにしたことで、その……トップの『ボリューム感』が、ちょっと予測より控えめというか……」
気まずそうに言葉を濁す美容師。
後ろで見ていたサクラちゃんが、必死にフォローを入れる。
「あ! でもシゲさん! 通気性は抜群ですよ! 夏場涼しくて最高です!」
(フォローになってねぇええええ!!! クソッ、サイドを刈り上げたら全体のボリュームの黄金比が崩れて、ただの『河童のツーブロック』になっちまったじゃねえか!!!)
「よ、よし! じゃあ次は髭を整えましょう!」
気を取り直した美容師が、電気シェーバーとカミソリを取り出した。
(落ち着け俺……髪の毛のディフェンスが決壊した今、男の渋さを出せるのは『顎髭』しかない。ここで綺麗にラインを取って、ワイルドかつスマートな20代後半のオーラを――)
カミソリが俺の顎に当てられる。
「シゲさん、ちょっと皮フ引っ張りますね〜」
美容師が指先で俺の顎の皮を上にグッと引っ張った。
するとどうだろう。83歳のたるみきった皮膚は、信じられないほどの伸縮性を見せ、顎の皮が耳のあたりまで「びよーん」と伸びた。
(伸びすぎだろ俺の皮!!! ルフィかよ!!!)
「あ、あれ……? ラインが……皮を離すとラインが歪む……!」
美容師が冷や汗を流している。
そう、たるんだ皮膚の上でいくら真っ直ぐ髭を剃ろうとしても、手を離して皮膚が元に戻った瞬間、髭のラインが「うねうねの波線」に変形してしまうのだ。
さらに、ほうれい線の深いシワの奥に隠れた頑固な白髭が、カミソリの刃をすり抜けていく。
「シゲさん、ちょっと口を『い〜』ってしてください!」
「い、い〜〜〜(※入れ歯が外れそう)」
後ろで見守るサクラちゃんは、もはや笑いを堪えるのに必死で肩を小刻みに震わせている。
「はい! お疲れ様でした!」
ついに散髪が終了し、合わせ鏡で後ろ髪を見せられる。
鏡の中にいたのは、
サイドは現代風にゴリゴリに刈り上がっているのに、トップは毛量が足りずにペタッとし、顎髭は左右非対称でなぜか波打っている、「最先端の迷子」のような83歳のおじいちゃんだった。
「ぷっ……ギャははははは! シゲさん、何その頭! 最高にファンキーじゃん!!」
サクラちゃんがついに耐えきれず爆笑。
隣でバリカンを終えた源さんが、ツルツルの頭を撫でながら勝ち誇ったように笑った。
「ハハハ! シゲさん、随分と……こう、前衛的な頭になったなぁ! やっぱり男は丸刈りに限るぞ!」
(くっ……静かにしろハゲ散らかしジジイ!! 20歳の俺の計算では、今頃EXILEのメンバーみたいになってるはずだったんだよ!!)
絶望する俺の元へ、ロビーの奥からマドンナのヨシエさん(79歳)が歩いてきた。
俺はとっさに手で頭頂部を隠そうとしたが、時すでに遅し。
ヨシエさんは俺の髪型をじっと見つめ、ぽっと頬を染めて言った。
「まぁ、シゲさん……。なんだか、生まれたての小鳥みたいで、とっても愛らしいわ」
(こ、小鳥ぃぃぃぃ!? 20歳の男が、気になる女子から『生まれたての小鳥(弱そう)』って言われるこの破壊力……!!)
こうして、20歳のオシャレマインドは見事に肉体の経年劣化に敗北した。
しかし、サクラちゃんにはバカウケし、ヨシエさんには(母性本能的な意味で)キュンとされたシゲさん。
「……まあ、時代が俺に追いついてないだけさ」と強がりながら、スースーしてやたらと寒い頭頂部を押さえ、そっと部屋へ引き上げるのだった。




