第7話:午前4時30分、魔の無法地帯(ワンダーランド)
「う、うーん……クソッ、またこの時間か……」
俺――山中紫月(83歳・中身20歳)は、外がまだ薄暗い午前4時30分に目を覚ました。
20歳の若者マインドとしては、ぶっちゃけ昼の12時まで泥のように眠っていたい。
だが、83歳の肉体(体内時計)は非情だ。
どれだけ夜更かしをしようが、4時を過ぎれば強制的にパチッと目が開いてしまう。
そして、俺が開いたドアの向こうからは、すでにガタゴトと不穏な音が響いていた。
(始まったな……。悠々園の、職員が来るまでの『魔の無法地帯タイム』が……!)
職員の出勤は早番でも午前7時。
それまでの数時間、このホームは「脳トレが必要な後期高齢者」だけで構成された、世界一危険なワンダーランドと化す。
皆、やることなすこと危なっかしくて見ていられないのだ。
「フッ……しょうがねえ。20歳のこの俺が、影のプロデューサーとして全員生存させてやるぜ」
俺は相棒の歩行器(ステルス仕様)に掴まり、静かに廊下へ漕ぎ出した。
最初のターゲットは、廊下を千鳥足でウロウロしているトメさん(84歳)だ。
トメさんは完全に寝ぼけており、しかもメガネを前後逆(ツルが顔の前に来る状態)にかけようとして大苦戦している。
「あら、シゲさん……。ワシのメガネ、どこ行ったかねぇ。世界が真っ暗じゃ……」
(逆だよトメさん! レンズが後頭部向いてるから! つーかそのまま歩いたら10秒後に大理石の柱に激突してゲームオーバー(骨折)だろ!)
「おいおいトメさん、メガネならここにあるよ」
俺は老人の掠れ声を装いながら、トメさんの手を優しく取り、メガネを正しくかけ直してやった。
「あら、本当。シゲさんは魔法使いかねぇ」
「へへへ、ちょっとした手品じゃよ……(よし、視界確保! 次だ!)」
一番の難敵は、やはりライバルの源さん(85歳)だった。
食堂の簡易キッチンから、何やら「パチパチ」と不穏な音が聞こえる。
覗き込むと、源さんが共用電子レンジの前に立っていた。
「フン、朝はやっぱり、熱々の缶コーヒーに限るな」
(待て待て待てェーーーい!!! ジジイ、何に缶コーヒー入れてんだ!!! スチール缶ごと電子レンジに突っ込んでんじゃねええええ!!!)
20歳の科学の常識が脳内で大爆発を起こす。
金属をレンジに入れたら火花が散って火事確定だ。しかし、83歳の俺の足は爆走できない。
「げ、源さん……! ちょっと待ちなされ!」
カタカタカタカタ!!!
俺は歩行器の車輪を限界まで回転させ、ドリフト気味にキッチンへ滑り込んだ。
「なんじゃ、シゲさん。お前もコーヒーが飲みたいん――」
「これじゃよ、これ!」
俺は源さんがスタートボタンを押すコンマ数秒前、執念のリーチ(ただし四十肩で上がりにくい腕)を伸ばし、レンジの扉をガッと開けた。
そして、缶コーヒーをひったくり、代わりに近くにあった陶器のマグカップ(中身はサクラちゃんが忘れていった冷えた麦茶)を素早くセットした。
「ほれ、源さん。こっちのカップで温めた方が、風情があるっちゅーもんじゃ」
「む? そうかね? シゲさんは相変わらずこだわりが強いなぁ」
ピッ、ブーーーン……。 レンジが安全に回り出す。
(危ねぇ……! 悠々園が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の爆破シーンみたいになるところだったぜ……。心臓止まるかと思ったわ(※本当に止まりかねない年齢なのでシャレにならない))
極めつけは、俺の愛しのハニー、ヨシエさん(79歳)だった。
ロビーの棚の上にある、手作りの装飾(折り紙のくす玉)が歪んでいるのが気になったらしい。
ヨシエさんは何を血迷ったか、キャスター付きの丸椅子の上に立ち、プルプルと震えながら手を伸ばしていた。
(ヒィィィッ!!! ヨシエさん、それはアカン!!! キャスター付きの椅子に乗るのは、20歳の運動神経の塊でも大怪我する、全人類共通の禁忌だろ!!!)
「が、がんばれ、ワシのインナーマッスル……!」
俺は20歳の体幹バランスを脳内でイメージし、歩行器を投げ捨てて(※良い子は真似しないでね)ヨシエさんの元へ駆け寄った。
グラッ。
案の定、丸椅子が滑る。ヨシエさんの身体が宙に浮いた。
「キャッ!?」
「おっとっと!!」
俺はヨシエさんの腰を、背後からガシッと(20歳のスマートなバックハグのイメージで)受け止めた。
――ズシン。
「ふぐぅっ!!」
(重っ……いや、ヨシエさんが重いんじゃなくて、俺の脊椎のクッション性がゼロなんだわ!!! L4・L5(腰椎)が悲鳴を上げてる!!!)
しかし、ここで倒れたら漢(20歳)が廃る。俺は歯を食いしばり、絶妙な膝のクッションでヨシエさんを安全に着地させた。
「まぁ……! シゲさん、お強いのね。まるでお姫様抱っこをされた気分ですわ」
ヨシエさんが顔を真っ赤にして、俺の胸に手を当てる。
「ハ、ハハ……これくらい、朝飯前です、よ……(あかん、マジで腰が『逝った』音がした……)」
ガチャ。「あ、みなさ〜ん! おはようございまーす! って、わぁ、もう全員ロビーに集まってる! 早いですね〜!」
出勤してきたサクラちゃん先生が、爽やかな笑顔でロビーに入ってきた。
ロビーでは、メガネを正しくかけたトメさんがお茶を飲み、源さんが無事に温まった麦茶をすすり、ヨシエさんが俺の隣で嬉しそうに微笑んでいる。
そして俺は、完璧にギックリ腰を再発させ、ソファで1ミリも動けない彫刻のようになっていた。
「あれ? シゲさん、どうしたんですか? 起きたてなのに、ものすごい疲れた顔してますよ?」
サクラちゃんが不思議そうに覗き込んでくる。
俺は首だけをサクラちゃんに向け、声にならない声で(20歳のトーンで)囁いた。
「……サクラちゃん……湿布……ロッカーから、一番強いやつ持ってきて……」
「えっ!? あ、は、はいっ!」
事情を察したサクラちゃんが裏へ走る。
隣で源さんが「シゲさんは朝からだらしないなぁ」と笑っているが、俺は心の中で中指を立ててやった。
(笑ってろジジイ。お前らが今こうして生きて朝飯を食えるのは、この俺が裏で命(腰)を削ったからだからな……!)
こうして、職員の知らないところで悠々園の滅亡を救ったシゲさん。
壮絶な朝のワンダーランドを制し、今日も激痛と戦いながら、至高の朝食(お粥)を待つのだった。




