第4話:決戦の火曜日! 運命の「シゲさんスペシャル」
「はーい、みなさん! 来週の火曜日は、月に一度の『お楽しみリクエスト夕食』の日ですよ〜! 何が食べたいか、順番に教えてくださいね♪」
サクラちゃんがノートとペンを手に、ロビーの机を回る。
トメさん(84歳)が「私はねぇ、お豆腐とお野菜の炊き合わせがええねぇ」と言えば、源さん(85歳)は「やっぱり男は黙って、サバの味噌煮に大根おろしだな」と宣う。
(おいおいおい、精進料理かよ! 通夜の席じゃねえんだぞ!)
俺――山中紫月(83歳・中身20歳)は、心の中で激しくツッコミを入れていた。
周りのリクエストを聞いているだけで、胃袋が縮こまり、口の中がパサパサの湯豆腐になってしまいそうだ。
「はい、次はシゲさん! 何が食べたいですか?」
サクラちゃんがキラキラした目を向けてくる。
俺はフッと不敵な笑みを浮かべ、背筋を(ギックリ腰にならない程度に)シャキッと伸ばした。
「サクラちゃん先生……ワシはね、そんな枯れたものは要求せんよ。レアで肉汁が滴る極厚ステーキに、マックのポテト(Lサイズ)、仕上げに背脂チャッチャ系の濃厚豚骨ラーメンをお願いしたいねぇ」
ロビーが凍りついた。
「すてーき?」「せあぶら……?」と年寄りたちがざわつく中、サクラちゃんは目を丸くしている。
「ええっ!? シゲさん、そんな若者メニューばっかりですか!? 胃もたれしちゃいますよ!」
「フッ、ナメてもらっては困る。ワシのソウルはいつでも、深夜2時にラーメンとチャーハンをハシゴできるポテンシャルを秘めているのじゃよ(※脳内限定)」
隣でヨシエさん(79歳)が「あら、シゲさん男らしいですわねぇ」と頬を染めている。
源さんは「フン、見栄を張りおって。明日の朝、胃薬を飲む羽目になるぞ」と勝ち誇ったように鼻で笑った。
しかし、俺の熱意(とヨシエさんの目)に押されたサクラちゃんは、「うーん、じゃあ調理師さんと相談して、少しアレンジした『若返りスタミナメニュー』にしてみますね!」と約束してくれたのだ。
そして迎えた火曜日の夕食。
食堂に運ばれてきたトレイを見て、俺の20歳の魂は歓喜のド真ん中にいた。
「お待たせしました! 本日のメニューは『特製とんかつ&ミニ豚骨ラーメンセット』です!」
目の前に鎮座するのは、きつね色に揚がった分厚いトンカツ。そして、小ぶりながらも確かに油が浮いた豚骨ラーメン。
周りの年寄りたちが「ひえぇ、見てるだけで胸が焼ける」「ワシのサバ缶と替えてくれ」と怯え気味にざわつく中、俺は心の中でガッツポーズを決めた。
(キタキタキタァーッ!! これだよ、これ! この茶色い輝きこそが青春の象徴! 源さん、見てろよ。お前が湯豆腐をチビチビ突いてる間に、俺はこのジャンクの海を泳ぎ切ってやるぜ!)
ヨシエさんの視線を感じつつ、俺は割り箸をパチンと割った。
「それじゃあ、いただきますかねぇ」
まずはトンカツを一切れ。
20歳の脳内イメージでは、サクッと小気味いい音を立ててリズミカルに咀嚼するはずだった。
ガブッ。――「痛っ!!!!」
激痛が走った。
衣のサクサク感が、想像以上に尖っていたのだ。83歳の脆弱な歯茎と上顎の粘膜に、その硬い衣が容赦なく突き刺さる。
「あ、あれ……? 衣が……凶器並みに尖って……」
さらに、追い打ちをかけるように、噛み締めた瞬間に溢れ出た大量の豚の脂。
20歳の脳は「ウマい!」と叫んだが、83歳の胃袋は、脂が胃壁に到達した瞬間に「緊急事態宣言」を発令した。
「う、ウプッ……」
(いや、まだだ! 本番はここからだ! ラーメンのスープで脂を流し込めばいける!)
俺は震える手で蓮華を取り、豚骨スープをズズッと啜った。
ガツンとくる塩分と旨味。
(これだ! 五臓六腑に染み渡るぜ……!)
と思ったのも束の間。強烈な塩分を感知した俺の身体が、これまでにないスピードで血圧を急上昇させ始めた。頭の後ろがピキピキと痛み出す。
「シゲさん、大丈夫? お顔が真っ赤よ?」
ヨシエさんが心配そうにハンカチを取り出す。
「だ、大丈夫ですよ、ヨシエさん。ちょっと、スープの熱さに感激しておりましてね、へへへ……(クソッ、麺をリフトアップしたいのに、指の関節が固まって箸が上手く動かせねぇ!)」
見ると、俺の持つ箸は、ラーメンの麺を2、3本捕らえるのがやっと。
20歳のイメージでは「ズズズッ!」と勢いよくダイナミックに啜っているはずなのに、実際には「チュル……チュルル……」と、赤ん坊のような弱々しい音しか出せない。
その横で、源さんが「やっぱりサバの味噌煮は落ち着くなぁ」と、実になめらかな箸捌きで、骨を綺麗に取り除きながら優雅に食事を進めている。
「ほれ、シゲさん。無理せんと、わしの湯豆腐と替えてやろうか?」
源さんがニヤニヤしながら、大根おろしを乗せた豆腐を差し出してきた。
(ふ、ふざけるな……! 20歳のプライドが、ジジイの情けを借りるなど絶対に許さん……!!)
俺は意地を見せた。
サクラちゃんが見守る中、歯茎の痛みに耐え、胃から押し寄せる強烈な満腹感(というか拒絶反応)を精神力でねじ伏せ、トンカツを半分とラーメンをなんとか完食してみせたのだ。
「まぁ! シゲさん、本当に食べちゃった! すごーい、お若いですね!」
サクラちゃんが大絶賛し、ヨシエさんも「男らしい食べっぷり、素敵でしたわ」と拍手をくれた。
「ハハハ、これくらい、朝飯前……いや、晩飯前よ……」
勝ち誇った顔で部屋に戻った俺。
……そして、深夜2時。
悠々園の天井を見つめながら、俺は布団の中で悶絶していた。
「うおおお……胃が……胃が燃えるようだ……。これが、教科書で見た『逆流性食道炎』というやつか……!」
枕元に置いた太田胃散を震える手で口に放り込み、白湯で流し込む。
昼間、あれほどバカにしていた源さんの「サバの味噌煮」と「大根おろし(消化を助ける酵素)」が、今の俺には神の恵みのように思えてならなかった。
(クソッ……マインドが20歳でも、消化器官は確実に『昭和ひと桁生まれ』のそれだったか……。次、次のリクエストは……大人しく、お粥(梅干し付き)にしておくぜ……)
胃の強烈な自己主張を感じながら、シゲさんの熱い(胃酸的な意味で)夜は更けていくのだった。




