第5章 琵琶の音の誘い
三人は食料や水をを買い込み、ホテルへと戻った。
悟と雄二が荷物を持ち、一番体格にいい晋一が眠ったままの悠希の身体を支えて運んだ。
悟がフロントで四人で使える部屋はないかと聞く。
怪訝な顔をしながらも、簡易ベッドを入れることで対応できると言われた。
急遽、部屋替えを申し出た。
悠希を部屋の一番奥に置かれていたベッドに寝せた。
交代で自分たちの荷物を移動させ、廊下側のドアノブには掃除不要のカードをぶら下げる。
「頼むから効いてくれよ」
雄二が呟き、内側に住職から貰った札を貼り付けた。
陽が傾き、夕日が部屋を茜色に染めた。
三人は言葉少なに座っていた。
時々、悠希に目をやる。
深い眠りについているのか、悠希は身じろぎもしなかった。
「おい、何か腹にいれておけよ」
晋一が買ってきた弁当を二人に渡した。
「お茶、淹れるよ」
悟が備え付けポットで湯を沸かし、湯のみにお茶を淹れた。
静かな部屋は空気が重かった。
会話もなく、弁当を食べていたが、
「ああっ、もう。ぜってー悠希に飯を奢らせる」
「そ…そうだね。僕らの三日間を返して貰わないとね」
悟が乗った。
「甘いな」
「えっ?」
「今回の資料作成をやらせたうえで、奢らせる」
「うわー!こいつが一番腹黒いわ」
晋一の台詞に雄二が突っ込んだ。
三人は顔を見合わせて笑った。
軽口を叩き、場を明るくする。
こうでもしないと恐怖と重圧で叫んでしまいそうだった。
食事を何とか入れた三人は悠希の側を離れることなく、近くに座っていた。
「悟、そろそろ休めよ」
晋一が声を掛けた。
「う、うん…」
交代で休むようにしたが、悟は心配げに悠希を見た。
「心配なのは分かるが、体がもたないぞ」
「横になっているだけでも違うしな」
普一と雄二に言われて、悟は開いているベッドに横になった。
ほどなくして悟の寝息が聞こえた。
気を張り詰めて精神的に疲れていたのだろう。
それは自分たちにもいえた。
晋一がいまだに目を覚まさない悠希に近づいた。
「変わりはねぇか?」
背中越しに雄二の声がした。
「ああ」
「そっか…」
雄二は緊張を少し緩めた。
「なんもなきゃいいな…」
「そうだな」
ベッドで眠っている悠希を見下ろした。
照明が落とされ、薄暗い部屋。
変わりはないことに晋一は安堵した。
だが、掛け布団の下で悠希の指が弦を押さえるように微かに動いていることに雄二と晋一は気づいていなかった。
最初の夜は何事もないように更けっていった。
二日目も何事もなく過ぎた。
緊張が薄まることは無かったが、このまま無事にいけばいいと三人は思った。
三日目にちょっとした事件が起き、三人は肝を冷やした。
何の前触れもなく、ドンというドアを叩く音がした。
顔を見合わせる三人に恐怖に似た緊張が走った。
雄二がドアのところに走る。
ドアを隔てた廊下から、人の会話と掃除機の音が聞こえた。
「脅かすんじゃねぇよ……」
額に浮かんだ汗が流れた。
雄二が悪態をつく。
「大丈夫?」
悟の怯えた声音に、
「掃除機か何かがぶつかったんだろう」
「そっか…」
「札は、大丈夫か?」
晋一が問う。
雄二はさっと確認したが、剝がれているようには見えなかった。
「大丈夫だ」
雄二はそう答えた。
だが、札の右上がわずかに浮いていることには気づかなかった。
「今日で最後だね」
「ああ」
今日さえ乗り切ればと三人は思った。
夜。
冴え凍るような月が空に浮かんでいた。
物音ひとつしない。
眠っている悠希は起きる気配はない。
息を凝らして三人は夜が明けるのを待った。
ビィィィン――
悟はどこからか微かな琵琶の音が聞こえてきた気がした。
(空耳……?)
悠希がうっすらと目を開けて起き上がろうとしていた。
口元にはぞっとするような笑みを浮かべている。
「悠希?」
悟の呼びかけに応じずに、悠希はおぼつかない足取りでドアへと向かう。
晋一が悠希を羽交い絞めにして、動きを止めた。
そのままベッドに縫い留めた。
悠希は体を捻り、激しく抵抗する。
雄二が加勢をするように足を押さえた。
「悟、ぼやッとすんな!」
茫然としていた悟は雄二に叱咤されて、正気を取りもどした。
「浴衣の紐を持ってきて、悠希の足を縛ってくれ」
晋一に言われ、急いでクローゼットに紐を取りにいく。
手にした紐で悠希の足を縛ろうとした瞬間
ビィィィン――
遠くで聞こえていた琵琶の音が耳元で鳴った。
怒りを含んでいるような激しい音色が耳の奥で鳴る。
悟は紐を手にしたまま、音を遮る様に耳を覆った。
鳴りやまない音。
悟はずるずると倒れていった。
「悟っ!!」
「悟は後でいい。今は悠希が先だ!」
晋一の声が飛ぶ。
考えられないほどの力で抗う悠希に二人は手を焼いていた。
「どうする?」
雄二が聞く。
「…締めて落とす…」
「分かった。文句は晋一に言えよ……」
そう言って、雄二は押さえる力を強めたとき、
ビィィィン――、ビィィィン――、
邪魔をするなと言っているように荒ぶり、烈火のごとく怒る音が雄二と晋一の頭の中で鳴った。
琵琶の音に反響するように激しい頭痛が襲ってきた。
頭が割れそうだった。
悠希を押さえ込んでいた晋一の力が徐々に抜けていく。
雄二が崩れ落ちていくのが分かった。
晋一の腕をほどき、悠希が立ち上がる。
貼っていた札の端が風もないのに捲れた。ひらりと宙を舞い、札が一枚床に落ちる。
薄れゆく意識の中でドアを開け部屋の外に行く悠希の後姿と墨染の衣。
ビィィィン――
嘲笑うかのような琵琶の音。
晋一の意識はそこで途切れた。




