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第4章 経文の札

「おい、大丈夫なのか?」


晋一が顰めた声で悟に問う。


「…うん……本人は大丈夫っていうんだけど……」


「大丈夫って顔じゃないだろう、あれ」


晋一の肩に腕を乗せた格好で、雄二は顎で悠希示した。

悠希はぼんやりと立ったままで関門海峡を見ていた。

視線の先は壇ノ浦の合戦場。

二位の尼が幼い安徳天皇を抱き、


「波の下にも都の候ぞ」


と入水したとされる場所。

平家物語で最も悲痛な場面。

悠希の耳の奥で、あの哀切な音色が蘇った。


「ヤバくないか、あの顔色」


「……昨日より酷い……」


「琵琶とか聞いたから、変に考え込んだんじゃないか?あいつ、繊細なところがあるからさ」


雄二の言葉に二人は頷いた。


「よし、気分転換しようぜ」


「気分転換って、何する気?


「どうせ、ろくなことじゃない」


「うるせっていうの。気分転換って言ったら、アレだよ」


「はぁ―、雄二は単純でいいよね」


「お前な」


「二人とも、それまで。…気分転換なら、歴史探訪でもするか?」


「出たよ、晋一の歴史好きが…」


天を仰ぐ雄二。


「悠希なら、そっちの方がいいかもね」


「よし、決まりだ。実はな、行ってみたいところがあったんだよ」


晋一はいそいそと観光案内を広げた。

赤い丸が付いている。


「高杉晋作終焉の地だぁ?」


「おうよ、ここに行って、武家屋敷を回り、東行庵へ行く。完璧なコースだ」


「それ、お前しか喜ばねぇコースだよ」


げっそりする雄二を余所に悟は乗り気だった。


「いいんじゃないかな。八雲の世界から離れられるし」


決まりだと言って、晋一は悠希を誘うべく、歩いて行った。



バス停近くの高杉晋作終焉の地。

史跡を前に微妙な顔の悟と雄二と満足げな晋一。


「あのさ、晋一···」


「いうな。池田屋の跡地よりはマシだ」


「まぁな。隣が寺だっただけマシかもな」


史跡を取り囲んで楽しそうに言い合っている三人の横で、祐希は興味なさそうに立っている。


「ご住職、では、また」


「ああ、気をつけてな」


門のところで隣の寺院の住職が檀家さんを見送った。

白眉に深い皺の寄った目じりは好々爺を思わせた。

"観光客か"と騒いでいる祐希たちを見た瞬間、眼光が鋭くなった。

つかつかと祐希に近寄る。


「お前さん、死相が出ている···何をした」


住職の台詞に息を飲む三人とは対象的に祐希の反応は薄い。


「あ、あのっ···」


悟が住職に声をかけた。


「それ、どういうことですか?」


「友人か?」


悟たちは声を出すことなく、頷いた。


「本堂へ来なさい」


背を向けた住職が白い着物の裾を翻し寺院の中へと入っていく。

三人は顔を見合わせ、祐希の手を引いて本堂に向かった。

本堂は広く、天井を支える柱は太かった。本堂奥、内陣と呼ばれる場所は金色がふんだんに使われている。中央には燭台の光に照らされた阿弥陀如来の立像があった。

丸みを帯びたお椀の形に下部に三本の短い足がついた大きな香炉の前に老住職が座り、その前に祐希たち三 人が座していた。

本堂に入った途端に祐希は糸が切れたかのように眠ってしまった。

香炉からは細い煙がじわじわと這い登るように立ち上る。

住職は目を細め、短く経文を唱える。手にしている数珠を合わせた。

重い吐息を吐つい。


「…欲するほど魅入られたか···」


祐希を除く三人はごくりと唾を飲み込んだ。


下関(ここ)に来るまでは、普通だったよな」


雄二の言葉を晋一が肯定した。


「ああ···可怪しくなったのは、この二、三日だ」


悟が首を振って訂正する


「ううん、あのイベントに行ってからだよ」


「イベントって、平家物語の弾語りか?」


「そういゃあ、祐希、あの時琵琶拾ってたよな」


雄二が思い出す。

悟が頷いた。


「あれ、持ち主が現れたんだろ。ホテルにお礼に来たって」


さーっと悟の顔色が変わる。

小さく震えながら、


「れ、連絡先···書いてない···なんで分かった···」


晋一と雄二も言葉を失った。

住職が眉間を寄せる。


「···魅入られたか」


「どうにかならないんですか?」


晋一が住職尋ねた。

住職は難しい表情のまま首を振った。

雄二が苛つき、詰め寄った。


「ダチなんだよ、こいつは!何か、あるだろうが!?」


「本当に、何かないんですか?」


住職は一つ深く息を吐いた。


「無いことはないが…間に合うか…」


呟く住職の表情は厳しい。


「間に合うかじゃねぇよ、やるしかねぇだろうが!」


雄二が怒鳴る。

悟と晋一が頷いた。

住職はおもむろに立ち上がり、木製の写経机を運んできた。

硯に水を張り墨を摺りだすと、線香の匂いに混じり墨の匂いが混じる。

墨を摺り終えた住職は一度数珠を握り、黄ばんだ細長い紙に経文を書いていく。

墨跡はゆっくりと滲み、黒い生きもののように紙の上を這った。

書かれた紙は三枚。


「帰ったらすぐに、この紙を部屋のドアに貼れ」


三人はごくりと唾を飲んだ。

晋一が紙を震える指で受け取った。


「よいか、何があっても三日、外にだすな」


「三日?」


「時が満ちるまでだ」


本堂の空気が沈んだ。

住職は眠っている悠希へ視線を落とした。


「出たら……どうなりますか…?」


悟のか細い声。


「この青年は終わる」


「!!」


「絶対に出すな、絶対にだ」


阿弥陀如来像の前を照らしていた蠟燭の炎がジジジッと音を立てた。

香炉の煙がゆらりと揺れる。

眠っている悠希の指が、わずかに動いた。

撥を握るように。










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