第一章 第二話「届かなかった声」
炎は、止まることを知らなかった。
夜を焼き、空を染め、すべてを終わらせるように揺れている。
トシノリは、その中に立っていた。
足が重い。
この場に立つ資格を、試されているようだった。
「ここは……」
声が震える。
「奥州、衣川にございます」
ルルの声は静かだった。
だが、その意味は重い。
ここは――源義経が追い詰められた場所。
歴史の中で“終わり”とされた瞬間。
視線の先。
義経は一人、立っていた。
逃げる気配も、抗う気配もない。
ただ、終わりを受け入れているように見えた。
「どうして……」
トシノリの声が漏れる。
「どうして逃げないんだ……!」
叫びは炎に消える。
だが義経は振り向かない。
――いや、見えていない。
トシノリはこの時代の“外側”にいる。
まだ、触れられない。
「聞こえぬ声は、届きません」
ルルが静かに言う。
「ですが、“心”には届くこともございます」
その瞬間だった。
義経の表情が、わずかに揺れた。
風が吹く。
炎が揺らぐ。
「……遅かったな」
ぽつりと、義経が言う。
トシノリは息を呑む。
その言葉は、誰に向けたものなのか分からなかった。
ルルが一歩前へ出る。
「ここから先は干渉が可能になります」
「……どういうことだ」
「選択の領域に入ったということです」
世界が、わずかに重なる。
トシノリの足が動いた。
いや――動けてしまった。
距離が縮まる。
さっきまで遠かった義経が、目の前にいる。
視線が、交わる。
「……誰だ」
低い声。
鋭い。
戦場を生き抜いた者の目だった。
トシノリは言葉を失う。
歴史の人物ではない。
そこにいるのは、一人の“人間”だった。
「助けに……来た」
それだけを言う。
義経は目を細める。
疑いではない。
もっと深い――諦めに近い色。
「……遅い」
その一言が、重く落ちる。
胸に刺さる。
あの言葉と重なる。
――助けてくれればよかったのに
「違う……!」
声が出た。
「まだ間に合う!」
義経は首を振る。
「もう終わっている」
炎が近づく。
外には敵の気配。
逃げ場はない。
「それでも!」
トシノリは一歩踏み出す。
「選べるだろ、まだ!」
沈黙。
一瞬の静寂。
義経の瞳が揺れる。
ほんのわずかに。
「……選ぶ、か」
その瞬間、空気が変わった。
ルルの声が響く。
「トシノリ様」
振り返ると、ルルの表情は厳しかった。
「ここから先は“代償”が発生いたします」
心臓が跳ねる。
「彼を救えば――」
一拍。
「あなたは“ある記憶”を失います」
「……記憶?」
ルルは頷く。
「大切なものほど、対価になります」
記憶。
笑った日。
話した時間。
守れなかった後悔。
そのどれかが、消える。
「……なんでだよ」
絞り出す声。
「救いとは、本来、等価ではありません」
ルルの声は優しい。
だからこそ残酷だった。
義経は、ただ見ている。
何も言わない。
ただ、待っている。
炎が迫る。
時間が尽きる。
「それでも――救いますか?」
静寂。
トシノリは、顔を上げた。




