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第二章 第五話「残されたもの」

風が、やけに静かだった。


目の前で、弁慶の輪郭が崩れていく。


存在が薄れている。


声だけが、かろうじてそこにあった。


「……義経」


呼ばれる。


その声だけが、“ここにいた証”だった。


「……まだ、間に合う」


義経は低く言う。


「これ以上、何も救わなければ——」


言いかけて止まる。


違う。


それは逃げだ。


「……いや」


自分で否定する。


弁慶が、わずかに笑った。


「らしくないな」


その言葉が、胸に刺さる。


「お前は、そういう顔をする男ではなかった」


静かに、だがはっきりと。


「……俺は」


言葉が出ない。


正しさが、分からなくなる。


救うことは間違いなのか。


止めることが正しいのか。


「義経」


呼び声は弱くなる。


時間がない。


「いいか」


弁慶はゆっくりと言った。


「お前は、生きろ」


「……何を言っている」


「そのままだ」


かすれた声に、迷いはない。


「それがお前の選んだ道だ」


「なら最後まで行け」


拳が震える。


「……俺の代わりに、消えるのか」


沈黙。


そして――


「そういうことになる」


あまりにも、簡単だった。


その一言で、何かが壊れる。


「……ふざけるな」


低い声。


「そんな終わり方、認めるか」


一歩踏み出す。


だが止まる。


触れれば、消える。


それが分かっている。


「どうすればいい」


初めてだった。


義経が答えを求めたのは。


「簡単だ」


影の声。


背後に立っている。


「これ以上救うな」


「それで均衡は止まる」


「それが望みだろう?」


沈黙。


風が吹く。


弁慶の輪郭がさらに薄れる。


選べ。


突きつけられている。


救うか。


止めるか。


義経は目を閉じる。


そして、開く。


「……俺は」


静かだが、揺らぎはない。


「止まらない」


影が笑う。


「そうか」


その瞬間。


弁慶の姿が崩れた。


「……行け」


最後の声。


穏やかだった。


「お前の選んだ道だ」


「なら迷うな」


風が吹く。


すべてが消える。


音も、気配も。


そこに“いたはずのもの”だけが、欠落している。


「……弁慶」


返事はない。


当然だ。


義経は動かない。


しばらくして、顔を上げる。


その目には涙はない。


ただ冷たい確信がある。


「……続ける」


誰にでもなく。


「全部、背負うと言った」


「なら最後までやる」


影が静かに笑う。


「いい顔だ」


「ようやく“代償を払う側”になったな」


風が吹く。


世界は何事もなく続いている。


だがもう、戻らない。


一つ救い。


一つ喪失。


その積み重ねが、この世界だ。


そして――


この選択は、まだ終わらない。

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