第二章 第四話「代わりに消えたもの」
「……嘘だろ」
義経の視線の先。
地に崩れ落ちた影。
見間違えるはずがなかった。
「……弁慶……?」
風が止まる。
音が遠のく。
そんなはずがない。
あの夜、すべては終わったはずだった。
弁慶は最後まで立ち、義経を逃がした。
「お前は……あの時……」
言葉が続かない。
だが現実だけがそこにある。
弁慶は、倒れていた。
血はない。
それでも――存在が“揺れている”。
「やめろ……」
義経が一歩踏み出す。
「来るな」
かすれた声。
弁慶だった。
「……生きているのか!」
駆け寄ろうとする。
だが足が止まる。
そこにあるのは“人”ではなく、“消えかけの概念”だった。
「触れれば……消えるかもしれぬぞ」
弁慶はわずかに笑う。
「どういうことだ……!」
その問いに、影が答える。
背後に、静かに立っていた。
「見ただろう」
「一つ救えば、一つ消える」
「それが今だ」
「ふざけるな!!」
義経の声が空気を裂く。
「こいつは関係ない!!」
影は揺るがない。
「関係はある」
「お前が“死ななかった”」
「その歪みの代償だ」
視線が弁慶へ向く。
「こいつが引き受ける」
空気が凍る。
「……俺の、代わりに……?」
「そうだ」
即答だった。
義経の拳が震える。
「そんなもの、認めるか」
「認めるかどうかではない」
「もう起きている」
その瞬間。
弁慶の身体が揺れた。
「……ぐっ……!」
輪郭がさらに薄れる。
存在が削られていく。
「やめろ……!」
義経の手が伸びる。
その瞬間――
弁慶の腕が消えた。
音もなく。
そこに“あったはずのもの”だけが欠落する。
「……っ!!」
息が止まる。
「触れるなと言っただろう」
弁慶は静かに言う。
「これはお前の戦だ」
その言葉に、義経は止まる。
「俺の……戦……?」
「そうだ」
弁慶は顔を上げる。
「救いを選んだなら」
「最後まで背負え」
「綺麗なままで済むと思うな」
その声は穏やかだった。
だが、逃げ場はなかった。
義経は何も言えない。
ただ立ち尽くす。
その間にも、弁慶は消えていく。
少しずつ。
確実に。
時間がない。
選ばなければならない。
救うか。
止めるか。
「止めるのか」
影の声。
「これ以上救えば、完全に消える」
義経は目を閉じる。
救いは正しいはずだった。
だがその先にあるものは――
「……ふざけるな」
目を開く。
迷いはない。
「そんな理屈で引き下がれるか」
一歩踏み出す。
「俺は――」
静かに落ちる言葉。
「全部、背負う」
風が強く吹く。
弁慶の輪郭がさらに薄れる。
もう、ほとんど残っていない。
それでも義経は止まらない。
救いは終わらない。
その代償もまた――
終わらない。




