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ナハトさんは最強執事(仮)  作者: にっけっけ
第一章:執事さんとの出会い
12/16

小話:冬千夏とナハト

事件から1週間が経った。


あの後すぐに、叔父の会社にナハトさんが連絡を入れてくれた。“社長が心臓発作を起こして急死した”と知らせを受けた社内は一時混乱が起こったが、どうやったのか、ナハトさんが上手く後処理をしてくれたので滞りなく経営を続けている。今後の会社の管理は、ほとんど秘書のような仕事もこなしていた藤岡さんが受け持つことになった。


1週間が経った今、叔父の書斎だった部屋は小さな書庫になっている。汚れた壁や叔父の私物だったものはすべてナハトさんが処理してしまったので跡形もない。私が見たあのゼリー状の塊も。忘れたくても忘れられないあの騒動を彼はたった7日で片を付け、私たちをまた“日常”へと引き戻してくれた。


ナハトさんには、感謝している。――けれど私は、いまだに彼のことがほんの少し怖い。


優しくて完璧すぎる彼は、多分、まだ何かを隠している。それが何かはわからないし証拠も無いが、漠然とした不安があった。イルさんが言っていた“怖がらないで”とは、私が彼に対してこう思うことを予想して言った言葉なのだろう。できれば私もその気持ちに答えたいし、彼を怖がらずにちゃんと受け入れたい。


――なので今、私は厨房に来ていた。

話しかけようとして話しかけられないまま、夕食の支度をしているナハトさんの背中を眺めている。


「……」


厨房の入り口から覗き込んだままかれこれ10分。部屋の中はずっとリズミカルに鳴る包丁の音と、鍋で何かがコトコトと煮こまれてる音が響くだけ。コンソメの良い香りが鼻に届いて、お腹がすいたなと思った。彼は料理もとても上手で、――以前のシェフよりも、正直に言うと上手で。この1週間で私と藤岡さんの胃袋はあっというまに彼に掴まれてしまっていた。叔父がいなくなったことで、サプリや野菜中心の食事制限が無くなったことの反動でもあると思う。


今日のごはん何だろう、と思っていたら、包丁の音が止んだ。


「……冬千夏さま?」


「は、はい」


ナハトさんが背中を向けたまま私を呼ぶ。鍋にかけていた火を止めて、そして不思議そうな表情で振り向いて、腰に巻いたエプロンで手を拭きながら近づいてくる。そんな何でもない仕草さえも様になっていて、私は一時、自分がここにいる目的を忘れていた。


「何かご用ですか?」


微笑んで私の身長に合わせて少し屈んでくれる。

彼と対面して気づいたが、私は第一声に何から切り出したら良いのか考えていなかった。


「えっと、あの……」


――またいつものクセが出てしまった。慣れてない人と対面するとどうしても言葉がつっかえて、頭が回らなくて、目線が下を向いてしまう。自分のこういうところは嫌いで、直したくて、けれどもっと良くしようと焦ってしまって結局いつもうまくいかない。つっかえずに対面して話せるのなんて藤岡さんくらいだ。私はまた人を待たせて、合わせてもらって、迷惑をかけてしまっている。

ただ仲良くなりたいだけなのに。


「う……えっと、夕ごはん何かなって思って……」


違う。違うのに。こんなこと聞きたいんじゃないのに。

子どもっぽいと思われていそうで羞恥心が沸き上がり、顔がみるみる熱を持つ。いやナハトさんは私なんかより大人だから当たり前だけれど、そうじゃなくて。

俯いた私を見て、ナハトさんはまた微笑む。


「本日は鰆のポワレ、筍と小海老のソテーと春野菜のテリーヌを御用意しております。あとはスープと、付け合せはバケットを……お腹が空かれたのですか?」


わぁ美味しそう……って、そうじゃなくて……。

心の中で自身を叱責しつつ、何とかこの場を誤魔化そうと彼にこくこくと頷く。ああもう本当に、高校生になっても上手く言葉を紡げない自分にモヤモヤしてしまう。


「夕食までもう少しお待ちくださいね」


と、素敵な笑顔であしらわれてしまう。

そうだよね、このままじゃお仕事の邪魔だよね。

えっと、えっと。


「えっと、お仕事の邪魔してごめんなさい……隣で出来上がるの見ててもいい……ですか……」


「……? もちろんですよ」


「お邪魔します……」


小さくそう言って私はやっと厨房に入った。彼は一瞬だけきょとんとした顔をしていたけれど、すぐに姿勢を正して夕食作りの続きに取り掛かる。立っているのもなんですからと椅子を勧められたけど断って、ナハトさんのすぐ横で彼の手元を眺めた。


流れるような手つきで食材が切られ、調理されていく。包丁捌きがとくに見事だったので、私はすっかり本来の目的を忘れて見入ってしまっていた。


「見ていておもしろいものなんですか?」


彼は心底不思議そうな顔だった。


「おもしろいです……。早くて……つっかえが無いというか、お魚の骨のほうに身が全然ついてないし、ニンジンもぺらぺらだし……」


ニンジンの薄切りってここまで薄くできるんだと感心する。お魚を捌くのを見るのは初めてだったが、素人目で見てもきれいにおろせていることがわかった。


「ナハトさんって、何でもできちゃうんですね……」


つい、私とは違って、などと思ってしまう。何をやるにももたついてしまう私には、彼が少しだけ羨ましく見えた。


「いえ、それほどでも。……以前は失敗ばかりで叱られていたので、褒めてもらえるようたくさん練習したのです」


「以前って、イルさんに?」


「ふふ……お仕置きされてしまうので、必死でしたよ」


「お仕置き……? 大変……」


失敗して叱られているナハトさんと、お仕置きするイルさん。想像しようとして、上手くできなくて、やめた。――というかこの会話はもしかしたら、私と感覚を共有している彼女にも聞こえているのでは? ナハトさんはそのことを知らないかもしれないので、黙っておいた。


「失敗するナハトさん、全然想像できないです」


「そう仰って頂けると、練習した甲斐がありました」


彼は安心したように笑った。

練習、か。私も練習を繰り返せば、彼のようにとはいかないかもしれないけれど、もっと上手にお喋りできるようになるのかな。


「冬千夏さま」


「?」


「……今すぐに何かをできるようになることは、とても難しいことです。自分たった一人だけだと尚更大変なことが多い。……ですが誰かにアドバイスをもらうことくらいはできるでしょう」


彼は手を止めた。


「もし冬千夏さまが困った時は、どうか私を頼ってください。私はまだここに来たばかりで何かと至らぬ点も多いかと思いますが……冬千夏さまの良き相談相手となれるよう、尽力しますから」


「……」


真っ直ぐな目だった。


もしかしたら、私が厨房に来た時から何かを見通していたの?


隠していることを教えてほしいのも事実だが、話せないことならば、せめて仲良くなりたいって思っていただけなのに。なかなか私が会話を始めなかったものだから、彼に気を使わせてしまったのだと申し訳ない気持ちになった。


叔父のことを相談した時も、今も、彼は私の一歩先へ進んで導いてくれている。

私がやりたいことを上手くできるよう、手を引いてくれている。


「……わ、私も……私も、ナハトさんと……仲良くなりたい」


「!」


恥ずかしくて俯いてしまったが、なんとか言えた。


「そのっ……! いつも、頼ってばかりだから……私ばっかりじゃなくて、ナハトさんも……! お、お互いに……相談相手になれるように……」


緊張で汗ばんだ両手をぎゅっと握る。勢いに任せて言ってしまってすぐ、迷惑じゃないかいきなりすぎやしないかとネガティブな思考が脳裏をよぎった。こんなに頼りない私に、相談してだなんて。


「冬千夏さま……」


てっきり困った顔をされているかと思ったけれど、それは杞憂で。おそるおそる見上げた先には、とろけそうになるくらい嬉しそうな顔のナハトさんがいた。


「えっとね、だから……だからまたこうして、お話しに来ても良い? お仕事の邪魔にならないようにするから……」


「もちろんで御座います! ……いつでも、いらっしゃってくださいね」


よかった。ほんの少しだけかもしれないけれど、彼と仲良くなれた気がする。けれどこれ以上ここにいたら、本当に仕事の邪魔になってしまいそう。


またちょっとずつ歩み寄れたら良い。そんな希望を抱いて、私は厨房を後にした。


今夜はイルさんに嬉しい報告ができそうだ。

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