第49話 フィリア
【保有DP:93】
【侵食率:4.0%】
【ダンジョンランク:D】
【配下モンスター】
・スイ(ヒューマノイドスライム)×1
・リリス(原初のアラクネ)×1
・シャドウバット×1
・ゴブリン×11
・ポイズンスライム×3
・洞窟ネズミ×6
侵食個体が消滅したことで、最深部には静寂が戻っていた。
だが、その静寂は戦いの終わりを意味しない。
むしろ本来の目的へ戻っただけだ。
俺は赤く輝くダンジョンコアを見つめる。
その前には緑髪の少女が座り込んでいた。
先ほどまでの戦闘で腰を抜かしたのか、立ち上がることすらできないらしい。
それでも両腕を広げ、必死にコアを庇っている。
まるで親鳥だ。
だが残念ながら、雛を守るには弱すぎた。
「お願い……」
少女が掠れた声を漏らす。
肩が小刻みに震えている。呼吸も浅く乱れ、今にも泣き崩れそうな顔だった。
「もうやめて……」
俺は答えない。
スイとリリスがゆっくり距離を詰めていく。
少女の身体がびくりと震えた。
恐怖しているのだろう。
当然だ。
配下は倒された。
ダンジョンは制圧された。
最後の切り札だったコアだけが残っている。
そして、そのコアを狙う敵が目の前にいる。
勝ち目などない。
フィリアは必死に腕を広げたまま後ずさろうとするが、足に力が入らないのかほとんど動けていない。
だめ……。
頭では理解していた。
もう守れない。
自分では何もできない。
それでも身体だけが諦めることを拒んでいた。
「どうして……」
少女は俯いたまま呟く。
長い前髪の隙間から涙がぽたりと落ちた。
「どうして攻めてくるの……?」
またその質問か。
俺には理解できなかった。
むしろ逆だ。
なぜ攻められないと思ったのか。
「価値があるからだ」
俺は率直に答える。
「え……?」
「ダンジョンがある。コアがある。配下がいる。なら奪う理由として十分だろう」
少女は言葉を失った。
理解できないのか。
理解したくないのか。
どちらでも構わない。
事実は変わらない。
俺はこれまで冒険者を殺してきた。
魔物を利用してきた。
魂すら資源として扱っている。
今さら同じダンジョンマスターだからといって特別扱いする理由はなかった。
「私は……」
少女が小さく顔を上げる。
涙で濡れた瞳が揺れていた。
「何もしてないのに……」
どうしてこんなことになるの。
誰も傷つけたくなかっただけなのに。
怖い思いなんてしたくなかっただけなのに。
胸の奥でそんな叫びが渦巻いていた。
「だからだ」
俺は即答する。
「何もしていないから弱い」
少女が息を呑む。
その言葉は刃のように突き刺さった。
「冒険者を殺さない。資源を集めない。強くなろうともしない。そんなダンジョンが生き残れると思うか?」
返事はない。
ただ唇を強く噛み締めている。
悔しさと恐怖で喉が詰まり、声が出ないのだろう。
図星なのだろう。
実際、今回の侵略がその証明だ。
俺が来なかったとしても、いずれ別の誰かに奪われていたはずである。
侵食個体のような存在だっている。
この世界は優しいだけでは生きていけない。
その時だった。
スイが不思議そうに少女を見下ろした。
「なまえは?」
予想外の質問だった。
少女も驚いた顔をする。
しばらく沈黙した後、小さな声で答えた。
「……フィリア」
震える吐息とともに零れたその名は、ひどく弱々しかった。
それが彼女の名前だった。
フィリア。
どこにでもいそうな普通の名前。
だが今の彼女には妙に似合っている気がした。
「フィリア」
スイは名前を繰り返す。
そして少し考えてから言った。
「よわい」
「スイ」
俺は一応たしなめる。
だが事実だった。
フィリアは俯いたまま何も言い返せない。
胸が締め付けられる。
否定したいのにできない。
自分でも分かっていたからだ。
弱かったから守れなかった。
弱かったから奪われる。
そんな現実を突き付けられ、視界が滲んでいく。
そんな様子を見ていたリリスが静かに口を開いた。
「ご主人様」
「なんだ」
「処分しますか?」
フィリアの肩が大きく震えた。
心臓が跳ね上がる。
呼吸が止まりそうになる。
殺される。
その言葉が頭の中を真っ白に染めた。
怖い。
死にたくない。
まだ消えたくない。
コアを守れなかった後悔と、生への執着がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
その反応を見ながら俺は考える。
殺すのは簡単だ。
今すぐ終わる。
だが、それでは得られるものが少ない。
コアは手に入る。
ダンジョンも奪える。
しかしダンジョンマスター本人はどうだ。
俺は侵食個体との戦いを思い出す。
この世界にはまだ知らないことが多すぎる。
侵食率。
災厄の欠片。
他のダンジョンマスター。
情報はいくらあっても足りない。
そして目の前には、その情報源になりそうな存在がいる。
なら結論は一つだった。
「殺さない」
フィリアが顔を上げる。
目に涙が浮かんでいた。
安堵しているのだろう。
張り詰めていた呼吸がわずかに緩む。
助かった。
一瞬だけ、そう思った。
だが次の言葉で、その表情は再び凍り付く。
「お前は俺の配下になる」
「……え?」
理解が追いつかなかった。
涙に濡れた瞳が大きく見開かれる。
「拒否権はない」
俺はコアへ視線を向ける。
赤い輝き。
もうすぐ俺のものになる光。
「ダンジョンも、お前も、全部だ」
フィリアは言葉を失った。
喉がひゅっと鳴る。
殺されない。
それなのに胸の奥へ冷たいものが沈んでいく。
守り続けてきたダンジョン。
たった一人で育ててきた居場所。
それが全部奪われる。
自分自身さえも。
生き残れるはずなのに、未来が真っ暗に見えた。
それがどういう意味なのか理解したのだろう。
殺されるわけではない。
だが自由も失う。
守ってきたダンジョンも失う。
彼女にとっては死ぬのと同じくらい絶望的な未来かもしれない。
フィリアは震える指でコアに触れた。
守りたい。
でも守れない。
逃げたい。
でも逃げられない。
どうしてこんなことになったの。
誰にも届かない悲鳴だけが胸の中で響いていた。
だが俺には関係なかった。
重要なのは利益だけだ。
俺は意識をコアへ集中する。
そして手を伸ばした。
次の瞬間、システムが反応する。
⸻
【ダンジョンコアを確認】
【吸収が可能です】
⸻
ついにその時が来た。




