第25話 蜘蛛の女王
人面蜘蛛たちが左右へ退き、その中央に一本の道が生まれる。俺たちは無言のままその先へ進んだが、歩を進めるほど第三階層の異様さが際立っていった。
岩壁から岩壁へ張り巡らされた白い糸は巨大な街路のように広がり、その上を数え切れないほどの人面蜘蛛が行き交っている。狩りから戻った個体が獲物を運び、若い個体が巣の補修を行い、戦士らしき者たちは外周を警戒していた。その光景は魔物の巣というより、一つの国家だった。
俺は少し意外に思う。
魔物は本能で動く存在だと考えていた。しかし目の前にあるのは秩序だ。指揮系統があり、役割分担があり、社会が形成されている。
人間と何が違うのだろう。
そんな考えが一瞬だけ浮かんだが、すぐに消える。違いなどどうでもいい。利用できるかどうかが重要だ。
俺の視線に気付いたのか、隣を歩くアラクネが小さく口を開いた。
「驚かれましたか」
「少しな」
「人面蜘蛛は群れで生きる種族です。女王を中心に集落を作り、代々縄張りを守り続けます」
その声音には僅かな懐かしさが混じっていた。完全な同族ではないとはいえ、近い種族であることは間違いない。
俺は何となく尋ねる。
「戻りたいと思うか」
アラクネは足を止めることなく首を横に振った。
「思いません」
即答だった。
迷いも躊躇もない。
「私はご主人様の配下です」
それだけ言って前を向く。
飾り気のない言葉だったが、彼女らしい答えだと思った。そんな会話をしているうちに、視界が大きく開けた。
巨大な空洞だった。
天井からは無数の繭が吊り下がり、白銀の糸で編まれた柱が何本も立ち並んでいる。その中心には玉座があった。
蜘蛛糸だけで作られた巨大な玉座。
そしてそこに座る存在を見た瞬間、この集落がなぜ成立しているのか理解した。
強い。
ただそれだけで空気が変わる。
長い銀髪。
雪のように白い肌。
人形のように整った顔立ち。
だが腰から下は巨大な蜘蛛そのものだった。
漆黒の脚がゆっくりと動くたび、石床へ重い音が響く。
美しい。
だが本能が警告する。この存在は危険だと。
女王は頬杖をついたまま俺を見下ろしていた。まるで珍しい玩具でも見るような視線だった。
「なるほど」
静かな声が空洞全体へ響く。
「確かに面白い」
周囲に並ぶ人面蜘蛛たちが一斉に頭を下げる。それだけで、この場の絶対支配者が誰なのか分かった。
「お前がダンジョンの主か」
女王は小さく笑う。
「思ったより若いな」
「お前は思ったより老獪そうだ」
一瞬だけ空気が凍る。
周囲の戦士たちから殺気が漏れた。
だが女王は怒らなかった。むしろ楽しそうに目を細める。
「良い」
その一言で殺気が消えた。
どうやら試されていたらしい。
女王はゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、周囲の圧力がさらに強くなった。戦えば強敵になるが、深層主ほどではない。
「さて、本題に入ろう」
女王は玉座から降りると、俺の前まで歩いてきた。
黄金色の瞳が真っ直ぐこちらを見据える。
「最近、人間が増えている」
その言葉に俺も表情を変える。
「討伐隊だけではない。探索者、斥候、小規模な冒険者集団。第三階層の外縁部で何度も目撃している」
「俺の方も同じだ」
女王は満足そうに頷いた。
「なら話は早い」
そう言って彼女は天井を見上げる。そこにはいくつもの繭が吊られていた。
その中には人間の骨が見える。
「人間は厄介だ」
「弱いくせに増える」
「増えるくせに群れる」
「群れるくせに諦めない」
その評価には思わず同意しそうになった。俺自身、冒険者たちと戦い続けてきたから分かる。
人間は執念深い。
一度目で失敗しても二度目が来る。
二度目で失敗しても三度目が来る。
ダンジョンを発見された以上、いずれ大規模な討伐隊が現れるだろう。
「だから提案だ」
女王が口元を吊り上げる。
「互いに争うのは後でもできる」
「まずは人間を殺そう」
空洞に笑い声が広がる。
人面蜘蛛たちはその言葉を歓迎しているようだった。
だが俺はすぐには答えなかった。
この女王は賢い。
だからこそ危険だ。こちらを利用するつもりなのだろう。だがそれはこちらも同じだった。
百を超える戦力。
第三階層を支配する情報網。
そして強力な女王個体。
利用価値は十分にある。
しばらく考えた後、俺は静かに口を開いた。
「条件がある」
女王が笑う。
どうやら交渉成立と受け取ったらしい。その瞬間、システムウィンドウが開いた。
【特殊イベント発生】
【第三階層勢力との交渉を開始しました】
【条件を満たした場合、勢力同盟が可能です】
俺は表情を変えない。
だが内心では少し驚いていた。
魔物との交渉でイベントが発生するとは思わなかった。どうやらこの女王は単なる魔物ではないらしい。
第三階層そのものを支配する、一つの勢力として認識されている。
なら利用価値は予想以上だ。俺は改めて女王を見る。女王もまた俺を見ていた。
互いに笑みを浮かべている。
信用はしていない。
だが利用する価値は認めている。
その一点だけは一致していた。




