第4話 村の発展とガレンの苛立ち
エルム村は、変わり始めていた。
巨大化した麦の収穫が始まってから、数日で村の風景は一変した。
畑は黄金色の海のように広がり、一株で馬車一台分もの穀物を生み出す。
村人たちはそれを刈り取り、干し、貯蔵し、余った分を近隣の町へ運ぶための荷車を急ごしらえで作った。
交易商が、初めて村にやってきたのはその翌日だった。
馬車が三台。
派手な旗を掲げ、商人たちが目を輝かせて降り立つ。
「これは……本当か!? 一日で育つ麦だと!?」
商人の一人が、巨大な穂を触りながら叫ぶ。
村人たちは誇らしげに頷き、剣聖の小屋を指差した。
「剣聖様のおかげです! 覇気が土を豊かにしてくださって……」
商人はガレンの小屋を眺め、畏敬の念を込めて頭を下げた。
「剣聖ガレン殿……噂は本当でしたか。隠居なさったというのに、この村は……まるで神の祝福を受けたようです」
ガレンは縁側に座ったまま、黙って見ていた。
商人たちは麦を買い占め、金貨の袋を村長に渡す。
村は一夜にして豊かになった。
だが、ガレンの胸には苛立ちが募るばかりだった。
「……俺は何もしてねぇ」
呟きは、誰にも聞こえない。
その夜、エルドがまた小屋を訪れた。
今度は両手に新しい小瓶を抱えている。
「剣聖様! 聞いてください! 試作2号が完成しました! 前回の肥料をベースに、覇気の波長をさらに近づけて……これで作物はもっと早く、もっと大きく!」
ガレンは眉をひそめた。
「もういいって言ったはずだ」
エルドは慌てて手を振る。
「わ、分かってます! でも……村人たちが『もっと欲しい』って言うんです。交易商が毎日来るようになって、金が入るようになって……みんな、剣聖様の恩恵に感謝してるんですよ!」
ガレンは立ち上がった。
覇気がわずかに漏れ、エルドは後ずさる。
「……俺はスローライフしたくてここに来た。剣を振らず、何も起きねぇようにしたくて。なのに、村は勝手に発展してる。作物は勝手に育ち、金は勝手に回り、人は勝手に騒いでる。俺の存在が、全部を狂わせてる」
エルドは目を伏せた。
「……すみません。私が、余計なことを……」
ガレンはため息をつき、再び座った。
「もう来るな。肥料も撒くな」
エルドは黙って去っていった。
翌朝、畑はさらに異常をきたしていた。
麦の穂が、人の背丈を超え、まるで木のようにそびえ立つ。
一部の株は実が赤く色づき、まるで果実のように垂れ下がっている。
村人たちは興奮して収穫を急ぐが、ガレンは知っていた。
――エルドが、夜中にこっそり撒いたんだ。
苛立ちが頂点に達する。
昼過ぎ、猟師のロークがまたやってきた。
今度は一人ではなく、数人の仲間を連れて。
「剣聖様……また文句を言いに来たわけじゃねぇんだが」
ロークの声は、どこか疲れていた。
「麦のおかげで食い物は困らなくなった。金も入るようになった。でもよ……森の魔物は、完全にいなくなっちまった。俺たちの弓は、もう埃をかぶってる」
ガレンは無言で頷いた。
ロークは続ける。
「村は豊かになった。子供たちは笑ってる。でも、俺たちは……何のために生きてるんだ?狩りで家族を養う、それが俺たちの誇りだったのに」
他の猟師たちも、黙ってうなずく。
ガレンは空を見上げた。
「……俺のせいだな」
ロークは首を振った。
「違う。剣聖様は、何もしてねぇ。ただここにいるだけで……全部が変わっちまう」
沈黙が落ちる。
やがて、ロークがぽつりと言った。
「剣聖様……もし、剣を振ってくれりゃ……魔物を呼び戻せるんじゃねぇか?少しだけでも、森に覇気を抑えて、魔物を寄せ付けて……」
ガレンは目を閉じた。
「……無理だ。剣を振ったら、この村は吹き飛ぶ。覇気を完全に抑えることもできねぇ。俺は、もう剣聖じゃねぇんだ」
ロークたちは肩を落とし、去っていった。
夕方、村の広場で感謝祭が始まった。
巨大な麦の穂を並べ、酒を酌み交わし、歌を歌う。
子供たちが「剣聖様ありがとう!」と叫びながら走り回る。
ガレンは小屋の影から、それを見ていた。
村長が近づいてきて、深く頭を下げた。
「剣聖様……本当に、ありがとうございます。この村は、あなたが来てから、初めて『豊か』を知りました」
ガレンは答えない。
村長は続ける。
「これからも、よろしくお願いします」
去っていく背中を見送り、ガレンは拳を握りしめた。
――不満が、爆発しそうだ。
夜、星の下で一人、畑の前に立つ。
巨大化した作物が、風に揺れる。
まるで、嘲笑うように。
「……しょうがねぇ」
ガレンは鍬を握った。今日も、畑を耕す。
何もしないはずなのに、何かが起きる。
苛立ちは、底なしの闇のように深くなっていた。




