第3話 猟師の抗議と旧知の来訪
朝霧がまだ残るエルム村の広場に、ざわめきが広がっていた。
村の猟師たちが、20人近く集まっている。
皆、弓や槍を手に、しかし戦う気配はない。
ただ、苛立ちと不安が混じった表情で、ガレンの小屋の方を睨んでいる。
村長が慌てて間に入る。
「みんな、落ち着け! 剣聖様は剣を振らないと決めておられるんだ。文句を言いに来るのは分かるが……」
「分かるかよ、村長!」
先頭の猟師――昨日も来た屈強な男、名前はローク――が声を荒げた。
「魔物が来ねぇのはいい。安全になったのは認める。だがよ、俺たちの仕事がなくなっちまうんだ! 狩りで稼いで、家族を養ってたんだぞ! 今じゃ、巨大化した麦のおかげで食い物は余ってるが……金がねぇ! 交易商が来ねぇ村で、麦だけじゃ売れねぇんだよ!」
他の猟師たちも同調する。
「そうだ! 剣聖様の覇気が強すぎて、森の奥まで魔物が逃げちまってる! 俺たちはただの荷物持ちになっちまう!」
「剣聖様に、覇気を抑えてくれって頼みたいんだ! せめて、狩りの時間だけでも!」
騒ぎが大きくなり、小屋の扉がゆっくり開いた。
ガレンが姿を現す。
いつものように、無表情。
だが、目にはわずかな苛立ちが浮かんでいる。
「……何の騒ぎだ」
ロークが一歩前に出た。
「剣聖様……すまねぇが、頼みがある。覇気を、ちょっとだけ抑えてくれ。毎日、狩りの時間だけでもいい。俺たちに仕事を与えてくれ」
ガレンはため息をついた。
「抑えられるなら、最初から抑えてる。この覇気は、俺の体から勝手に漏れ出てるんだ。剣を振らないようにしてるだけで、これ以上どうしろってんだ」
村人たちは黙り込んだ。
ロークは拳を握りしめ、唇を噛む。
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ。俺たちは剣聖様のおかげで命は助かってる。でも、生きていくための仕事がなくなったら……」
ガレンは空を見上げた。
「……分かった。今日だけだ。森の入り口で、俺が座って覇気を極限まで抑える。その間だけ、狩りをしろ」
猟師たちは顔を見合わせ、歓声を上げた。
「本当か! ありがとう剣聖様!」
ガレンは無言で森に向かった。
いつもの岩に腰を下ろし、目を閉じる。
呼吸を整え、意識を内側に沈める。
剣聖の覇気を、針の先ほどにまで凝縮する。
――静寂。
森が息を潜め、魔物の気配がゆっくりと戻ってくる。
猟師たちは弓を構え、獲物を狙う。
矢が放たれ、数匹の魔獣が倒れる。
「やった! 久々の獲物だ!」
喜びの声が響く。
だが、ガレンの額に汗が浮かんでいた。
覇気を抑えるのは、剣を振るうより難しい。
体が勝手に「殺す」ことを求め、反発する。
1時間後、猟師たちが戻ってきた。
獲物を抱え、感謝の言葉を並べる。
「剣聖様、ありがとう……本当に助かった」
ガレンは立ち上がり、ゆっくりと息を吐いた。
「……これで満足か」
ロークは頭を下げた。
「いや……まだ足りねぇ。でも、今日だけでもありがてぇよ」
去っていく背中を見送り、ガレンは再びため息をついた。
――不満が、募る一方だ。
昼過ぎ、村の入り口に馬の蹄の音が響いた。
一人の男が馬から降りる。
40代半ば。金色の鎧に、長いマント。
かつての勇者パーティーの生き残り――「騎士」レオン。
ガレンの旧友であり、かつてのライバル。
「おおおお! ガレン! ようやく見つけたぞ!」
レオンは大声で叫びながら、小屋に駆け寄る。
ガレンは縁側に座ったまま、顔を上げた。
「……レオンか。何の用だ」
レオンは興奮した様子で剣を抜く。
「何の用って! お前が隠居したって聞いたからな! 魔王を倒した英雄が、こんな辺鄙な村で畑仕事だと? ふざけるな! 俺と、もう一戦やろうぜ! あの頃みたいに、全力で剣を交えよう!」
ガレンは目を細めた。
「剣は振らねぇ。もう決めたんだ」
レオンは笑った。
「ははは! 謙遜か? お前が最強だってのは、世界中が知ってる。だが俺は、まだ諦めてねぇ! 来い、ガレン!」
レオンが構える。聖剣が白く輝く。
ガレンは立ち上がらず、ただ座ったまま言った。
「……帰れ。俺はスローライフするだけだ」
レオンは一瞬、戸惑った。
だが、次の瞬間――ガレンの覇気が、わずかに漏れ出した。
レオンは膝をついた。聖剣が地面に落ちる。
「ぐ……っ! こ、この圧力……! まだ、こんなに……!」
レオンは汗だくで息を荒げ、ガレンを見上げる。
「……お前、まだ本気で抑えてるのか? これが、隠居したお前の力か……」
ガレンは無表情で答えた。
「抑えてるつもりだ。でも、体が勝手に反応する。お前が近づきすぎたせいだ」
レオンは苦笑いした。
「……負けたよ。剣を交える前に、気絶しちまいそうだ」
立ち上がり、剣を拾う。
「分かった。今日は帰る。だがな、ガレン。いつか、お前が『剣を振りたい』と思う日が来るはずだ。その時、俺はまた来る」
レオンは馬に乗り、去っていった。
ガレンは再び座り込んだ。
「……来るなよ」
夕方、エルドがまたやってきた。
「剣聖様! 今日の麦、また少し大きくなりました!私の肥料が効いて……」
ガレンは手を振って止めた。
「もういい。勝手にやるな」
エルドはしょんぼりしたが、すぐに目を輝かせた。
「でも、村人たちは喜んでますよ。猟師さんたちも、今日の狩りで少し元気になったみたいです」
ガレンは黙った。
――俺は何もしてねぇ。
なのに、みんなが俺の周りで何かしてる。
不満は、胸の底で静かに燃え続けていた。
夜、星空の下でガレンは呟いた。
「……ライバルがいねぇって、こんなに面倒くせぇもんか」




