第2話 畑仕事と巨大化の兆し
朝の光がボロ小屋の穴から差し込み、ガレンの目を覚まさせた。
昨夜の猟師の文句が、まだ耳に残っている。
「……面倒くせぇ」
ベッドから起き上がり、鍬を手に取る。
剣聖の指が柄を握ると、木が微かに軋む。
剣を振らないと決めた以上、せめて畑仕事で体を動かすしかない。
それが、今のガレンに残された唯一の「何か」だった。
家の裏の荒れ畑は、雑草が膝まで伸び、土は固く乾いている。
村人が「剣聖様の畑」と呼ぶようになったこの場所を、ガレンは無言で眺めた。
「しょうがねぇ。やるか」
鍬を振り下ろす。一撃。
土が爆ぜ、深さ50cmの溝が一瞬で刻まれる。
雑草は根こそぎ枯れ、土がふかふかになる。
二撃目、三撃目。
まるで剣を振るように、正確で、無駄がない。
だが、ガレンは剣を抜いていない。
ただの鍬だ。
「……これでいいのか?」
畑は30分もしないうちに、完璧に耕された。
種をまく。村長がくれた麦の種を、指で軽く土に押し込む。
水をやる。川から桶で汲んだ水を、ぽたぽたと落とす。
それだけだった。
なのに、土が微かに震えた気がした。
ガレンの覇気が、土の奥深くまで染み込んでいく。
まるで、土が「剣聖の気配」に喜んでいるように。
「……俺は何もしてねぇぞ」
呟きながら、家に戻る。
昼飯は干し肉とパン。
村人が持ってきてくれたものだ。
「剣聖様に食べていただきたい」
と、恐る恐る置いていった。
夕方、畑を見に行くと――異変が起きていた。
麦の芽が、すでに膝の高さまで伸びている。
通常なら、数週間かかるはずの成長が、一日で。
「……なんだこれ」
ガレンは眉を寄せた。
種をまいたのは今日の朝だ。
魔法でもない。
肥料も使っていない。
その時、畑の端から奇妙な男が現れた。
「おおおおお! これは……これは素晴らしい!」
男は50歳くらい。
ぼさぼさの白髪に、煤だらけのローブ。
腰に無数の小瓶をぶら下げ、目は血走っている。
「誰だ、お前」
ガレンが低く問うと、男はびくっと肩を震わせた。
「ひ、ひぃ! す、すみません剣聖様! わ、私はエルド! この村に住む錬金術師のエルドです! 元は王都の錬金ギルドにいましたが……落ちこぼれで、追放されてここに……」
エルドは興奮を抑えきれず、畑に近づく。
「この成長速度……! 普通じゃない! 剣聖様の覇気が土に染み込んで、まるで生命力を与えているんです! これは……これは革命です!」
ガレンはため息をついた。
「俺は何もしてねぇ。ただ鍬を振っただけだ」
「それがすごいんですよ! 剣聖様の覇気は、ただの殺気じゃない。極限まで研ぎ澄まされた『存在の圧力』です!それが土に触れるだけで、植物の成長を加速させる……!」
エルドは目を輝かせ、腰の小瓶を一つ取り出した。
「だからこそ、私がこれを! 『覇気増幅肥料・試作1号』! 剣聖様のオーラを模倣して作ったんです! 少し撒けば、作物がさらに――」
「待て」
ガレンが手を上げて止める。
「勝手に撒くな。俺はスローライフするって決めたんだ。何も起きねぇようにしたい」
エルドはしょんぼりした。
「……そうですよね。でも、剣聖様。この村、最近魔物が来なくなって、猟師さんたちが困ってるって聞きました。作物が早く育てば、食料は増えるし、村は豊かになる……」
ガレンは黙った。
確かに、猟師の文句はまだ耳に残っている。
魔物が寄ってこないのは、自分の覇気のせいだ。
「……少しだけ、なら」
ガレンが渋々頷くと、エルドの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます! では、端っこだけ! 端っこだけですよ!」
エルドは小瓶から緑色の液体を、畑の隅にぽたぽたと落とした。
液体が土に染み込むと、すぐに反応が起きた。
芽がぐんぐん伸びる。
一瞬で大人の背丈を超え、麦の穂が黄金色に輝き始めた。
しかも、穂の一つ一つが、通常の3倍はありそうな大きさ。
「……おい」
ガレンは呆然とした。
「これは……予想以上です!剣聖様の覇気と私の肥料が共鳴して……!」
エルドは興奮で飛び跳ねる。
その夜、村人たちが畑に集まってきた。
「剣聖様! 見て下さい、この麦!」
「一日でこんなに!」
「神の恵みだ!」
村人たちは歓声を上げ、巨大化した麦を収穫し始めた。
一株で家族数ヶ月分の食料になるほどの量だ。
ガレンは家の縁側に座り、ぼんやりと眺めていた。
「……俺は何もしてねぇのに」
不満が、胸の奥でくすぶる。
剣を振らない。
何もしない。
それなのに、周りが勝手に豊かになる。
エルドが近づいてきて、恐る恐る声をかけた。
「剣聖様……これからも、よろしくお願いします」
ガレンは答えず、空を見上げた。
星が、いつもより近く見える気がした。
――ライバルがいねぇ。
剣を振るう意味がねぇ。
なのに、村は俺の存在だけで変わっていく。
「……不満だな」
呟きは、夜風に溶けた。
翌朝、畑はさらに広がっていた。
エルドが「もう少しだけ」と言い訳しながら、肥料を追加で撒いたらしい。
巨大化した作物が、畑を埋め尽くす。
猟師の一人が、再び訪ねてきた。
「剣聖様……また文句言いに来たわけじゃねぇんだが」
男は頭を掻く。
「魔物は相変わらず来ねぇけど……作物がこんなに育っちまって、食い物には困らなくなった。ありがてぇよ。でもよ……なんか、俺たちの仕事が、どんどん意味なくなってる気がしてさ」
ガレンは黙って頷いた。
「……分かってる」
猟師は苦笑いした。
「まぁ、しょうがねぇか。世界最強の剣聖が隠居してるんだもんな」
去っていく背中を見送り、ガレンは鍬を握り直した。
今日も、畑仕事だ。
何もしないつもりなのに、何かが起きる。
不満は、ますます深くなる。




