覚えてられない雷鳴
フェルクが、ふいに黙り込んだ。
いつもの軽薄な笑みを少しだけ引っ込めて、目の前のプリシラをじっと見る。
一度見て、首を傾げる。
それから、もう一度。
今度は少しだけ目を細めた。
「……ん?」
何かを思い出しかけた時みたいに、視線が宙を泳ぐ。
「いや、待て……どっかで……」
眉を寄せ、額を掻き、またプリシラを見る。
大きな身体。
獣人らしい耳と尻尾。
そこでようやく、何かが繋がったようにフェルクの目が見開かれた。
「あ!? 君、プリシラちゃん??」
その声に、場の空気が少しだけ止まった。
エルツーが首を傾げる。
「知り合い?」
「いや、知り合いっつーか……昨日さ、あの店で世話になったお姉ちゃん達の中に、一人相談してきた子がいてさ。『冒険者になりたい妹みたいな娘がいる』って」
フェルクは頭をかきながら、ばつが悪そうに笑った。
「その時ちょうど気分が良くてさー。いいよいいよー!! って言っちゃったんだよ。いやー、ほんとに来るとは思わなかったよ!!」
プリシラの肩がびくりと跳ねた。
「す、すみません……すみません!!」
ぺこぺこと何度も頭を下げる。
まだあどけなさの残る仕草だった。
それを見たライトニングの眉間に、みるみる皺が寄る。
「お前!」
怒鳴るような声だった。
「こんな可愛らしい少女を、こんな危険な任務に巻き込んだのか!?」
「いやいや、俺もまさかほんとに来るとは……」
フェルクが珍しくしどろもどろになる。
いつもの飄々とした調子が少し崩れていた。
エルツーはそんなやり取りを一度だけ流し見てから、改めてプリシラへ視線を向けた。
「プリシラさん、今いくつ?」
「えっと……14です……」
その答えを聞いた瞬間、ライトニングは無言でフェルクの頭をスパーンと叩いた。
「痛ぁっ!?」
「当たり前だろうが!!」
「いやでも、本人が来たんだって!」
フェルクが頭を押さえてうずくまる横で、プリシラは完全に縮こまっていた。
そこへ、エルツーが一歩だけ前に出る。
「プリシラさん」
「は、はい……」
「ちょっと僕の目、見てくれる?」
「え!? ……は、はい……」
戸惑いながらも、プリシラはおそるおそる顔を上げた。
アムラがエルツーの肩口で騒ぐ。
「なになに?? どうするのさ??」
ライトニングも、フェルクも、さっきまでの言い争いを止めて見守っている。
空気が自然と静まった。
エルツーはプリシラの瞳を、じっと見た。
ほんの数秒。
けれど、その沈黙は妙に長く感じられた。
「……なるほど」
小さく呟く。
「面白いかもね」
その一言で、今度はライトニングとフェルクが同時に顔を上げた。
「!?」
「正気か!?」
声が重なる。
「まだ14の女の子だぞ!!」
「いくら獣人だからって、流石にS級の前衛には無理があるだろ!!」
だがエルツーは、その反応を受けても特に揺れなかった。
「じゃあ」
淡々とした声で言う。
「ちょっと試してみましょうか」
***
第3演習場に入った瞬間、周囲にいた冒険者たちの動きが目に見えて鈍った。
そもそも、面子が異常だった。
《雷鳴》ライトニング。
元のフェルク。
どこか得体の知れないエルツー。
そして、その後ろに控える、場違いなほど大柄な狼種のメイド。
訓練場にいた何人かは、露骨に視線を向けていた。
何か起こる。
そういう空気だけは、すぐに伝わる。
エルツーはそんな周囲を気にした様子もなく、プリシラへ向き直った。
「じゃあ、プリシラさん。一番得意なこと、やってみてくれる?」
「得意なこと?…………は、はい……!」
プリシラは緊張した面持ちで頷くと、両手で大事そうに古びたロッドを取り出した。
細い杖だった。
装飾もほとんどなく妙に古めかしく、少女の雰囲気にはどこか不釣り合いにも見える。
プリシラは、そっと目を閉じて詠唱を始めた。
静かな声だった。
震えてはいる。けれど、言葉そのものはひとつも崩れない。
拙さの残る少女の声なのに、その詠唱だけが妙に古びて聞こえた。
空気が変わった。
それは比喩ではなかった。
プリシラの詠唱が三節目に入ったあたりで、第3演習場の空気そのものが、わずかに沈んだ。
ざわついていた周囲の声が、ひとつ、またひとつと途切れていく。
誰もが、理由のわからない息苦しさに喉を押さえたくなる。
足元に、ひとつ目の魔法陣が浮かんだ。
淡い光だった。
だが、よくある起動陣とは明らかに違う。
単純な円と紋様ではない。線が細かすぎる。構成が複雑すぎる。
ひと目見ただけでは、何の術式なのかすら判別できない。
続いて二つ、三つ。
いや、それだけでは終わらなかった。
四つ目が重なり、五つ目がずれ、六つ目がその外周を囲う。
光の輪が幾重にも噛み合い、まるで最初からそこに設計図が埋まっていたかのように、複雑な幾何学模様が演習場の床いっぱいに広がっていく。
円が円を呼び、紋が紋を繋ぎ、文字列にも似た光の筋が生き物みたいに走る。
誰も口を挟めなかった。
ただ魔法陣が多い、という話じゃない。
ひとつひとつが独立しているようで、同時に全体でひとつの巨大な術式を組み上げている。
普通のキャスターなら、高位陣をひとつ維持するだけでも神経を擦り減らす。
それを少女は、息を乱しもせず、何重にも積み上げていた。
詠唱はなおも続く。
静かで、澄んだ可愛らしい声。
なのに、その一語ごとに空間の輪郭がわずかに軋む。
まるで言葉そのものが、この場の理を上から書き換えていくようだった。
光はやがて床だけでは収まらなくなる。
陣の一部が浮き上がり、薄い環となってプリシラの周囲を巡り始めた。
細い光の帯が幾本も重なり、その中心に立つ大柄な少女の姿だけが、逆にひどく小さく見える。
ガタガタ震えるロッドの先に集まる魔力は、もはや目で追える密度を超えていた。
圧縮され、研ぎ澄まされ、触れれば音もなく裂けそうなほど鋭く変質している。
ライトニングの表情が変わる。
「まさか…………キャスターなのか……!?」
思わず漏れたその声には、はっきりとした驚きが混じっていた。
「それに……随分高度な魔法だ……」
その横で、フェルクも乾いた声を漏らす。
「俺もあんまり詳しくはないが……」
視線は、なおも増え続ける魔法陣へ吸い寄せられていた。
「……あの魔法陣の数は、異常だぞ……」
周囲の冒険者たちもざわめき始める。
「おい、なんだあれ……」
「詠唱、長すぎないか……?」
「訓練用の魔法じゃなくねえか?、あれ……」
「数がおかしい、普通じゃねえ……」
ざわめきは広がるのに、誰も前には出ようとしない。
本能が理解しているのだ。
あの中心にあるものは、うっかり触れていい類の魔法ではないと。
それでもプリシラは止まらない。
いや、止まれないのではなく、ただ静かに積み上げているだけだった。
表情に酔いも、高揚もない。
まるで日課でもこなすように、淡々と。
それが余計に不気味だった。
演習場の土が、びり、と震える。
次の瞬間、最外周の魔法陣がもう一段階大きく展開しようとした。
そこでようやく、エルツーが小さく息を吐いた。
「プリシラさん、そこまででいいですよ」
「……え?」
詠唱の最中だったプリシラが、戸惑ったように目を瞬かせる。
エルツーは穏やかな声のまま続けた。
「このまま魔法使ったら演習場、なくなっちゃう」
一拍遅れて、その場にいた全員がその意味を理解した。
「は!?」
ライトニングの顔が引きつる。
フェルクは乾いた笑いを漏らした。
「いやいやいや、おい……冗談だろ……?」
だが、エルツーの表情は本気だった。
プリシラは慌てて詠唱を打ち切る。
すると幾重にも重なっていた魔法陣が、名残を引くように明滅しながら、ゆっくりと掻き消えていった。
圧だけが、しばらくその場に残る。
静寂。
演習場にいた誰も、すぐには口を開けなかった。
やがて、ライトニングが低く呟く。
「……なんだ、今のは」
プリシラはロッドを胸元へ抱え込み、小さく身を縮こませた。
「す、すみません、すみません……」
「謝るとかそういう次元ではない。」
ライトニングが思わず叫ぶ。
「何をどうしたら、演習場ごと消し飛ばしかけるんだ?」
フェルクもようやく我に返り、額を押さえた。
「いやー……これは……」
珍しく本気で困った顔だった。
「俺、とんでもない相談に乗っちまったかな?……」
アムラが、エルツーの肩口でくすくす笑う。
「へぇ、面白いねえ。ここまでの魔法」
「うん」
エルツーは静かにプリシラを見つめたまま頷いた。
「思った以上だった」
その一言に、ライトニングとフェルクは同時にエルツーを見た。
どう見ても、少女ひとりに向ける評価じゃない。
未知の危険物か、とんでもない原石を見るような目だった。
――と、その時。
第3演習場の入口側で、別のざわめきが起きた。
「おいおいおい、勘弁してくれよ。冗談だって言ってるだろ?」
「はあ!?冗談で済ませる顔かそれ!?あぶねーだろ!!」
「まあまあ、そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない〜」
軽い笑い声。
けれど、その場にいる人間の誰も笑っていない声だった。
入口の方へ目をやると、二人の冒険者が演習場の外縁で、近くにいた冒険者たちへちょっかいをかけていた。
先に目につくのは、目つきの悪い男だった。
青い短髪。襟足が妙に長く、細く1本の三つ編みにしている。
顔立ちは整っており、黙って立っていれば好青年にも見える。
だが、その目つきと口元に浮かぶ薄い笑みが、全部を台無しにしていた。
腰にはショートソードを二振り。
短剣ではない。
あくまで実戦向きの、取り回しのいい短めの剣だ。
その隣に立つ女は、まるで対照的だった。
薄緑の髪。
色白の肌。
穏やかそうに、にこにこと笑っている。
一見すれば、回復役か世話役にしか見えない。
だが、その腰にぶら下がっているのは、可愛げの欠片もないいかついメイスだった。
笑顔と得物がまるで噛み合っていない。
「ヴァルカ、そのへんにしときなよ〜」
女が、柔らかい声で言った。
止めるような言い方。
なのに、声に本気がまるでない。
男――ヴァルカは肩を竦める。
「してるだろ、エイル。これでも十分手加減してんだけどなぁ」
エイルと呼ばれた女は、にこにこと笑ったままだった。
「そういうとこがよくないんだけどね〜、まあ怒られんのはアンタだからいっか〜」
言うだけ言って、止める気配は一切ない。
プリシラの魔法の残滓が、その時ようやく遅れて演習場を撫でるように走った。
空気の底に沈んでいた圧が、今さらのように脈打つ。
ヴァルカの笑みが、ふっと止まった。
「……?……今の、何だ?」
さっきまでの嫌味混じりの声音とは違う。
本物の異常にだけ反応する、実戦屋の声だった。
エイルも、にこにこと笑ったまま視線だけを細める。
「あっちの奥の方からだね……」
「ふうん……」
ヴァルカが、さっきまで絡んでいた冒険者たちから興味を失ったように顔を上げる。
「ビリジオンにしちゃ、面白いもん飼ってるじゃん」
「じゃあ、見に行く?」
「行くだろ?」
その軽さで決まる。
エルツーは、そのやり取りを遠目から見た瞬間に嫌な予感しかしなかった。
「……さあ、帰ろうか!!」
「は?」
ライトニングが振り向く。
「今?」
「うん。十分見たし!」
「いや、今の今まで“思った以上だった”とか言っといて何で引くんだよ」
「入口……面倒なのが来る」
入口の方では、まだ小さなざわめきが続いていた。
「おい……あれって、烈火の勇槍じゃ……?」
「レギオンギルドの?今勢いすごい奴らだよな?」
「マジかよ、あいつらこんなとこまで来るのか……」
『烈火の勇槍』
周囲の冒険者たちが、ひそひそと声を交わしている。
新進気鋭。若手実力派。
レギオンギルドも推している若手のホープ
一部ではかなり名の売れたA級パーティだ。
エルツーは、その反応を聞いて少しだけ目を細めた。
「へえ。有名なんだ」
ライトニングが鼻を鳴らす。
「聞いたことはあるが、知らんな。」
声音は冷めていた。
少なくとも元S級の彼女にとっては、“勢いのある若手”の域を出ないらしい。
フェルクも入口の方を見て、顔をしかめた。
「あー……あの紋章は……レギオン?? めんどくせえな。どこの馬鹿野郎だ?」
プリシラが不安そうにきょろきょろする。
「あっ、えっ、えっと……?」
エルツーは静かに言った。
「プリシラちゃん、杖しまって。今日はここまでにしよう!」
「は、はいっ」
ぱたぱたと慌ててロッドを抱え込むプリシラ。
その横で、フェルクが肩を竦める。
「いや、でも正解だぜ。あいつら、さっきの魔法見たら絶対首突っ込んでくるだろうな」
エルツーは小さく頷いた。
だからこそ、静かに引く。
変に目立たず、気づかれず、すっと消えるのが一番いい。
――そのはずだった。
だが、ライトニングがいた。
桃色の長い髪。
切れ長の目。
黄色い瞳。
黙って立っているだけで、人が道を空けるような女。
しかも今は、さっきの驚きと苛立ちがまだ表情に残っている。
静かにしていても、存在感だけで全然静かじゃない。
腕を組み仁王立ちしていた。
ヴァルカは第3演習場へ足を踏み入れた瞬間、まずそのライトニングを見つけた。
「うっわ!! すっげ!! 雷鳴じゃん!! おいエイル! 雷鳴だぞ!」
終わった、とエルツーは思った。
ライトニングは、露骨に面倒くさそうな顔をした。
「……誰だ、お前」
「え、知らねえの? マジで?」
ヴァルカは笑いながら胸を張る。
「レギオンギルド、A級パーティ《烈火の勇槍》副長のヴァルカ。いやー、まさかこんなとこで雷鳴に会えるとはなあ」
「知らん」
「うわ、冷てえ」
ヘラヘラ言いながら、ヴァルカの目は明らかに楽しんでいた。
年上の実力者を前にした緊張ではない。
有名人を見つけた若い猛獣の、無遠慮な好奇心だ。
エイルがにこにこと横に並ぶ。
「ほんとだねえ〜。雷鳴って、もっともっと怖い人かと思ってた〜」
「いやぁ、十分怖いだろ」
「俺はわりと好きだぜ、そういう顔」
ヴァルカはそう言うなり、二振りのショートソードに手をかけた。
エルツーが眉を寄せるより早く、地面が弾ける。
「ちょ――」
フェルクが言いかけた時にはもう遅かった。
ヴァルカは真正面から飛び込んでいた。
青い髪が跳ねる。
低い姿勢。
左右の剣は短いぶん、踏み込みと同時に死角から入り込む。
速い。
A級としてはかなりの上澄みだ。
ただの生意気な若手ではない。
だからこそ余計にたちが悪い。
「ちょっと、ヴァルカ、それはさすがに――」
エイルは柔らかい声でそう言った。
だが止める気は、まるでなかった。
ライトニングは、つまらなそうに半歩ずれた。
ヴァルカの右が空を切る。
「おっ?」
ヴァルカの笑みが深くなる。
そのまま左。
斜め下から喉元を払うような軌道。
ライトニングは首を少し傾けるだけで避けた。
さらに三撃。四撃。
右、左、右、左。
ショートソードの間合いを活かした連続の差し込み。
踏み込みも切り返しも速い。
だが、当たらない。
ライトニングは相変わらずつまらなそうな顔のまま、紙一重で避ける。
避ける。
避ける。
桃色の髪が、ほんのわずかに揺れるだけだった。
ヴァルカの顔から、少しずつ笑みが薄れる。
「……は?」
おかしい、とその顔が言っていた。
自分の剣が届かない。
いや、届いているはずの位置から、届く前にいなくなる。
ライトニングは一度も抜いていない。
武器に手すらかけていない。
ただ、退屈そうに立っているだけだ。
「お前――」
「うるさい」
パァァァン!、と乾いた音が響いた。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
ライトニングの右手が、いつの間にかヴァルカの頬に届いていた。
張り手だった。
剣でも拳でもない。
ただの平手。
なのに、その一発でヴァルカの上半身が大きくぶれ、足が半歩流れる。
「――っ!?」
ヴァルカの目が見開かれる。
青天の霹靂、という顔だった。
自分が斬られたとか、殴られたとか、そういう理解にすら一瞬届いていない。
ただ、何かが起きて、自分の身体だけが遅れて反応していた。
現実を受け入れることができず一時停止したように固まっている。
頬が、じわじわと熱を持つ。
ライトニングはそんなヴァルカを見下ろしながら、本気でつまらなそうに言った。
「調子に乗るなよ、ガキ」
演習場が静まり返る。
周囲の冒険者たちも、息を呑んで固まっていた。
「うわあ……」
フェルクが妙に楽しそうに呟く。
「ははは、いい張り手だなあ」
その横で、フェルクが口元をにやりと歪めた。
「へえ。そっちのお姉さん、なかなか別嬪だなあ」
エイルは、にこにこと笑ったまま首を傾げる。
「あら?私のこと?急に何?キモいんだけど??」
「いや、可愛い子には目がなくてさ。いいお尻してるし、そういう柔らかそうな体で、そんなゴツいメイス担いでるとか、反則だろ」
エイルの笑顔が、ふっと深くなった。
「……そう」
刹那、すごい勢いでメイスが飛んだ。
ぶおん、と空気を潰す音がして、次の瞬間にはフェルクの顔面に「ゴン」という鈍い一撃が叩き込まれていた。
骨の軋むような、嫌な音が響く。
プリシラが小さく悲鳴を飲み込む。
「ひっ……」
フェルクの頭が大きく横にぶれた。
まともに入った。
誰が見ても、そうわかる一撃だった。
なのに。
「おいおい、なかなかおてんばだな〜。でも嫌いじゃないぜ?」
フェルクは何事もなかったみたいに首を鳴らした。
軽く振った顔の輪郭が、ぐにゃりと歪んだように見えたのは気のせいじゃない。
確かに今、一瞬だけ鼻筋の形がずれていた。
だが次の瞬間には、もう元に戻っていた。
ライトニングの眉がぴくりと動く。
「……は?」
エイルも、さすがに笑顔を少しだけ止めた。
「えっと……今の、当たったよね?」
「ああ、当たったな」
フェルクはへらりと笑ったまま、自分の鼻先を指でつつく。
「でもまあ、当たりどころが良かったのかもな?」
その言い方は軽い。
だが、誤魔化し方が雑すぎた。
近くで見ていた冒険者の一人が、ひそひそと声を漏らす。
「今……治癒か?」
「いや、詠唱してねえぞ……」
「でも、あの潰れ方で無傷は……」
「さすがプラナリアの二つ名は伊達じゃないな……」
フェルクは聞こえていないふりで、エイルへにやにや笑いかける。
「怒った顔も可愛いじゃねえか」
「セクハラってよく言われない?」
「よく言われる」
「治す気ないの?いい男が台無しよ?」
「今んとこないな」
次の一撃が振り下ろされる。
今度はさっきより重い。
見た目に反して、エイルのメイス捌きはかなり実戦的だった。
勢いで振るっているようで、逃げ道を潰す角度をちゃんと選んでいる。
フェルクは一歩引いて避けた。
「うわ、こっわ」
「まだ喋るんだ」
「可愛い子を前に黙るのは失礼だろ?」
「死ぬほどどうでもいい配慮だね」
エイルの笑みはそのまま。
けれど、さっきまでの“見物”の笑みではなくなっていた。
フェルクはそれを見て、ますます楽しそうに笑う。
「いいねえ、その顔。ゾクゾクするわ、そういう方が好みかも」
「あらそう?じゃあ、もっと近くで見せてあげる!!」
踏み込み。
メイスが横薙ぎに唸る。
フェルクは上体を反らして紙一重でかわし、そのまま懐へ半歩潜り込んだ。
エイルの眉が、初めてわずかに動く。
ぴっ、と小さな音。
「……あ」
次の瞬間、エイルの服の胸元を留めていた細い革紐が、きれいに断ち切られていた。
布地がわずかにずれ、豊満な胸元が少し露になる。
エイルは反射的に恥ずかしそうに片手で押さえる。
にこにことした笑顔が、そこで初めて完全に崩れた。
薄緑の瞳が見開かれる。
さっきまでの底冷えするような目じゃない。
一瞬だけ、年相応の女の子みたいな反応だった。
フェルクは何食わぬ顔で二、三歩下がる。
「おっと。すまん、手元が滑った!」
「さ……最低!!変態!!」
「褒め言葉?」
「し、死んじゃえ!!」
エイルの声が初めて裏返る。
その瞬間、ヴァルカが頬を押さえたまま、ようやく本気で顔をしかめた。
「おい、エイル!大丈夫か!?」
「うるさい!! ヴァルカ、もう行くよ!!全部あんたのせいなんだから!!」
エイルは胸元を押さえたまま、もう片方の手でヴァルカの腕をひったくるように掴んだ。
さっきまでの余裕ある世話役の顔はどこにもない。
「は!? いやちょ――」
「いいから!!」
ぐい、と強引に引っ張る。
ヴァルカもヴァルカで、頬を張られたままでは分が悪いと思ったのか、珍しく素直に引きずられた。
「くっそ!!覚えてろよ、雷鳴ぃ!!」
「もう忘れた」
ライトニングは腕を組んだまま、心底つまらなそうに言い捨てる。
ヴァルカは悔しそうに歯噛みし、エイルは顔を真っ赤にしたまま、そのまま第3演習場の外へヴァルカを引きずっていった。
去り際、周囲の冒険者たちが道を空ける。
さっきまで散々ちょっかいを出していた新進気鋭のA級パーティは、なんとも締まらない形で撤収していった。
その一部始終のあいだ、エルツーはずっとプリシラの前に立っていた。
庇っているつもりなのだろう。
だが、やはりほとんど隠れきれていない。
プリシラの耳も、怯えたようにしゅんと下がった獣人の尻尾も、普通にはみ出していた。
「エ、エルツーさん……」
「もう大丈夫だから」
「でも、これ隠れていますか??……」
「うん。気持ちの問題!!」
アムラが肩口でくすりと笑う。
「ほんと、気持ちだけだねえ」
プリシラはそれでも、少しだけ安心したように息を吐いた。
フェルクは鼻先を指でこすりながら、楽しそうに笑う。
「いやー、いい女だったなあ」
ライトニングがすかさず睨む。
「お前は少し黙れ」
「ひどくね?」
「ひどくない」
短いやり取りのあと、ライトニングはふいにプリシラへ視線を向けた。
怯えたようにしゅんと下がっていた獣人の尻尾は、まだ完全には戻っていない。
それを見て、ライトニングは露骨に顔をしかめた。
「お前」
「は、はいっ」
プリシラがびくりと背筋を伸ばす。
「そんないちいち縮こまるな。見てて落ち着かん」
「え……」
「舐められたら、やり返せ。無理でも、せめて胸を張っておけ」
ぶっきらぼうな声だった。
優しい言い方では、まったくない。
けれどその実、さっきから一番プリシラのことを気にしていたのは、誰の目にも明らかだった。
プリシラは目を丸くしたまま、小さく頷く。
「……はい」
ライトニングはまだ足りないと言いたげに鼻を鳴らした。
「あと、尻尾下げるな。弱そうに見える」
その一言に、プリシラは慌てて自分の尻尾を振り返った。
エルツーはその横で、小さく目を細める。
第3演習場にはまだざわめきが残っていた。
けれど、その中心にいた大柄な獣人の少女を、もう誰も“ただの子ども”とは見ていなかった。




