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6/21

へのへのボテ人形

 第3演習場は、朝から熱気に満ちていた。


 木剣の打ち合う音。

 金属の擦れる音。

 掛け声。

 靴裏が床を蹴る乾いた響き。


 若い冒険者もいれば、年季の入った者もいる。

 基礎を反復する者、実戦を意識した組み手に入る者、壁際で黙々と体を作る者。

 そのすべてが同じ空間に混ざり合い、ビリジオンらしい雑多な鍛錬場を作っていた。


 その一番奥には、正方形の闘技台がある。

 床材も周囲とは違い、縁には簡易結界の魔法陣が刻まれていた。

 見世物用ではない。

 あくまで試験と実戦確認のための場所。

 派手さより、壊れにくさと安全性を優先した作りだった。


 そして、そのさらに奥。

 簡易の目隠し幕で仕切られた一角がある。

 鍛錬場としてはやや不自然な造りだったが、人目を避けるための区画だと一目でわかる。


 ディルクはその闘技台の前で立ち止まり、ゆっくりと振り返る。


 ライトニングは周囲を一瞥し、わずかに顎を上げた。


「ところで、私の相手の“カカシ”という名のふざけたヤツはどれだ?」


 エルツーは何も言わない。

 ただ、目隠しの奥に布を被せられて置かれた一基の大型器具へ、静かに視線を向けていた。


 ディルクはその視線を追い、職員へ顎をしゃくる。


「布を外せ」


 命じられた職員は、すぐには動かなかった。


「……良いのですか? まだ問題だらけですよ?」


 不安げな声だった。

 制御の甘さも、危険性も、現場の人間ほどよく知っているのだろう。


 だが、ディルクは表情を変えない。


「かまいません」


 短く、はっきりと言い切る。


 それで十分だった。

 職員たちは顔を見合わせ、すぐに布の前へ進み出る。


 重い布が取り払われる。


 現れたのは、鈍い黒鉄色の人型オートマタだった。


 全高は3m近い。

 細身だが、その分だけ不気味だった。

 主要な駆動部は装甲で覆われているのに、肩、肘、膝、足首といった関節部分だけが剥き出しになっている。

 まるで、弱点を晒しているようでいて、そこへ辿り着ける者だけ来いとでも言いたげな造形だった。


 胸部には小型の魔力炉が埋め込まれ、青白い光が淡く脈打っている。

 顔に当たる部分には表情がなく、ただ細い横線の感知器だけが走っていた。

 人を模しているのに、人らしさは一切ない。

 ただ“戦うための型”だけを抜き出して固めたような姿だった。


 ライトニングが低く呟く。


「……これが、カカシ」


 ディルクは淡々と告げる。


「最新技術を載せた試作オートマタです。

 まだ調整段階で、抑制が甘い。

 加減を知らず、相手を必要以上に追い込み、時に叩き潰す」


 ライトニングが目を細める。


「……欠陥品じゃない」


「試作品ですので」


 ディルクはさらりと返した。

 だが、その言葉の奥には見限りきれない執着が滲んでいた。


「本来なら、まだ表に出したくはない代物です」


 周囲で鍛錬していた冒険者たちも、少しずつ注意を向け始めていた。

 ビリジオンのギルドマスターが直々に演習台へ来ている。

 それだけでも珍しい。

 さらに、目隠しの奥から見慣れない大型の試作機が出されれば、嫌でも目を引く。


 ざわめきが、ゆっくり広がる。


「何が始まるんだ?」

「あれは雷鳴か?」

「ギルドマスターもいるぞ?」

「おい、ただの訓練じゃなさそうだぞ」


 その囁きの中、ディルクはライトニングを見る。


「単純です。

 あれを相手に、今の君を見せてください」


 ライトニングは無言で細剣の柄に手を添えた。

 その瞳に、さっきまでの苛立ちとは別の光が宿る。


 剣士の目だ。


「壊せばいいの?」


「それでも構いません。

 ですが、あれは思ったより頑丈です」


「時間制限は?」


「3分」


 ライトニングの眉が動く。


「短い」


「長くやると周囲が危ない」


 それは冗談ではない声音だった。


 アムラがひゅうと口笛を吹く真似をする。


「本気で暴れる気満々じゃないか」


 エルツーは静かに闘技台の縁へ立つ。

 ライトニングがその横を通り過ぎる瞬間、低く言った。


「A級程度の相手だと思う……」

「魔力は極力載せないで。実力を示す前に壊れちゃう。」

「負けないように動けば、問題ないと思うよ。」


 ライトニングは足を止めない。

 だが、黄色い瞳だけが一瞬こちらをかすめた。


「ずいぶん軽く言うな」


「たぶん、そう難しくないから」


「気に食わない言い方だ」


 そう返しながらも、彼女の歩みは鈍らなかった。


 闘技台へ上がる。

 細身の剣が抜かれる音は、驚くほど静かだった。

 鋼の鳴きもほとんどなく、光だけが一閃する。


 ディルクは台の外から職員へ合図を出す。


「起動」


 職員が制御盤へ魔力を流し込む。


 次の瞬間、カカシの胸部で青白い光が強く脈打った。

 関節がひとつずつ目覚めるように音を立てる。

 首。肩。肘。膝。足首。

 ぎ、ぎ、と軋みながら、それはゆっくりと人型の姿勢を取った。


 そして。


 感知器の横線が、すっと赤く染まる。


 ライトニングは一歩も引かない。

 剣先をわずかに下げた、静かな構え。

 速さに頼る者の前傾ではない。

 地を踏み、相手の初動を呑み込むための構えだった。


 エルツーの口元が、ほんの少しだけ緩む。


 アムラが囁く。


「……へえ。もう変わってる」


 ディルクは何も言わない。

 ただ、その視線は鋭かった。

 試しているのはライトニングだけではない。

 エルツーの見立てもまた、今この場で測られている。


 目隠しの奥で控えていた研究スタッフたちが、そこで一斉に空気を変えた。

 ついさっきまで危険物を見る顔をしていたくせに、起動した瞬間から目の色が違う。

 記録板を抱え、計測器の針を確認し、魔力波形の推移を食い入るように追っている。

 試験を見ているというより、結果を奪い合うみたいな熱量だった。


 職員が手を上げる。


「――開始」


 その合図と同時に、カカシが動いた。


 速い。


 重い外見に反して、踏み込みは異様に鋭い。

 一直線。

 無駄のない突進。

 人型でありながら、人間特有のためらいが一切ない。


 だが、ライトニングは驚かない。


 横へ半歩。

 ほんの紙一重で軌道を外し、すれ違いざまに細剣が走る。

 銀の軌跡が、カカシの腕部関節を浅く刻んだ。


 火花。


 周囲からどよめきが上がる。


「避けた……!」

「いや、見切ったのか?」


 ライトニングは振り返らない。

 一撃目の後すぐに位置を取り直し、次を待つ。

 追撃しない。

 速さを誇示しない。

 相手の型と癖を読むように、ひたすら静かだ。


 エルツーはその背を見つめる。


 ディルクが低く問う。


「見えていたか?」


「ええ」


「君にはどう見えましたか?」


 エルツーは視線を外さないまま答えた。


「まだ、速いだけの剣士じゃないってことが」


 その直後、カカシが二度目の踏み込みを見せた。

 今度は連撃。

 突き、薙ぎ、踏み換えからの腕部打突。

 試作品らしい容赦のない連続行動。


 ライトニングは初撃を弾き、二撃目を沈むように躱し、三撃目の内側へ潜り込む。

 細剣が閃いた。


 一閃。


 今度は膝関節に深く入る。

 鈍い破砕音が響き、カカシの体勢がわずかに崩れた。


 ざわめきがさらに大きくなる。


 アムラが楽しそうに笑う。


「雷鳴、健在って感じだねえ」


 けれどエルツーは、違うところを見ていた。

 ライトニングの速さではない。

 攻め急がず、結果を焦らず、必要な位置だけを削っていく運び方。

 昨日までなら見せなかった剣だ。


 ディルクもまた、それを見ていた。


「……なるほど」


 その呟きは、小さかった。

 だが確かに、評価の色を帯びていた。


 最初に膝へ深く入った瞬間、研究スタッフたちの空気が変わった。

 小声の報告が飛び交い、記録板に走る筆が急に速くなる。

 目の前の戦闘を、彼らは戦いとしてではなく“データ”として見始めていた。


 闘技台の上で、ライトニングが初めて小さく息を吐く。

 黄色い瞳は、赤く光る感知器を真正面から捉えていた。


「来なさい」


 その声は低く、静かで、けれど明確だった。


 カカシが三度目の起動音を鳴らす。

 青白い魔力炉が強く脈打つ。


 次の瞬間、ライトニングは攻撃しなかった。


 いや――正確には、決定打になる攻撃を一度も選ばなかった。


 ただひたすら、避ける。

 踏み込みを外し、薙ぎをいなし、打突の直線から紙一重で身をずらす。

 まるで相手の動作を先に知っているかのような、無駄のない回避だった。


 機械が機械を相手にしているようだ、と誰かが呟いた。


 周囲の冒険者たちから、ざわめきが漏れる。


「なんで攻撃しないんだ?」

「避けるだけで精一杯か?」

「いや、でも今のは……」


 打ち合いを期待していた者ほど、ライトニングの戦い方は奇妙に見えた。

 速さを誇示するでもなく、派手に切り刻むでもない。

 ただ、ひたすら相手の動きに付き合い続けている。


 ディルクは腕を組み、わずかに首を傾げた。


「うーん……何か企んでいるのですかね」


 その声は穏やかだったが、視線は一度も闘技台から外れていない。

 観察している。

 いや、査定していると言った方が近かった。


 エルツーは答えなかった。

 ただ、闘技台の上を見ている。


 カカシの動きが、目に見えて苛烈になっていく。


 起動したばかりの頃の直線的な踏み込みから変わり、連撃の密度が増し、踏み換えの速度も上がる。

 未調整ゆえの荒さと、対人試験機としての異様な精度が噛み合って、人が相手をするには危険すぎる域に入り始めていた。


 床板がひび割れる。


 振り下ろされた腕部が闘技台の端を砕き、割れた床材と石片が弾け飛んだ。

 演習場全体に、耳障りな破砕音が響く。


「危ない!」


 見物していた冒険者の一人が反射的に身を引く。

 飛び散る破片は台上だけに収まらず、周囲の床へまで散っていく。


 ライトニングの眉が寄る。


 避けながらも、彼女の視界は戦場だけを見ていない。

 台の外。

 観客席側。

 飛散の軌道。

 人の位置。

 全部を拾っていた。


 また一撃。


 今度は足元を抉るような横薙ぎだった。

 割れた地面の破片が、鋭い勢いで飛散する。


 その先に――エルツーがいた、気がした。


「っ!?」


 ライトニングの心臓が一瞬だけ跳ねた。


 避けて。


 言葉にはならなかった。

 だが、その焦りはたしかに目に出た。


 次の瞬間には気づく。


 エルツーは、そこにいなかった。


 いつの間にか、ほんの半歩ぶん位置を変えている。

 破片は空を切り、彼のいたはずの場所を抜けて床へ散った。


 運が良かったのか。


 いや、違う。


 とりあえず、ライトニングはすぐに視線を戦場へ戻した。


「……そろそろか……」


 小さく、誰にも聞こえない声で呟く。


 カカシはなおも前へ出る。

 関節駆動の音が荒くなり、魔力炉の脈動も不安定に強まっている。

 勢いだけ見れば圧倒的だった。

 だからこそ周囲には、ライトニングが押されているように見えた。


 だが違った。


 避けるたび。

 いなすたび。

 潜るたび。


 彼女の細剣は、ほんのわずかにだけ走っていた。


 派手ではない。

 火花も、小さい。

 小さな火花だけが、幾度も同じ箇所で散る。

 一見すれば掠っただけに見える攻撃。


 そのすべてが、同じ場所を削っていた。


 肩。

 肘。

 膝。

 足首。


 人型魔道具の駆動に必要な、関節部のわずかな柔らかい箇所だけを。


 真正面から壊す気は、最初からなかったのだ。


 相手の出力が上がるほど、負荷は関節に寄る。

 無理に力を通せば通すほど、脆い一点へ歪みは溜まる。

 ライトニングはそれを待っていた。


 いや、待ちながら積み上げていた。


「おい……まさか」

「最初から、あそこだけ狙ってたのか?」

「いやでも、あんな高速で動く関節を――」


 ざわめきの質が変わる。

 ただ見ていた者たちの目が、ようやく戦いの中身に追いつき始める。


 そしてついに、カカシが三歩目の踏み込みに入った瞬間――


 ライトニングが初めて、自分から深く踏み込んだ。


 一閃。


 剣筋は細く、速い。

 だが見せるための速さではない。


 関節部の継ぎ目へ、寸分違わず突き込まれる。

 次。

 返し。

 さらに逆側へもう一撃。


 鈍く重たい衝撃音が、第3演習場に響いた、次の瞬間。


 ズド――ン。


 カカシの右膝が、がくりと沈む。


 続けて左肘。

 肩。

 足首。


 がぎ、ぎぎ、と不快な駆動音を立てながら、カカシは起動したまま姿勢を保とうとする。

 だが、もう遅い。

 四肢の関節が互いの動きに追いつかず、命令だけが空転する。


 カカシはその場でバタバタとのたうっていた。

 目隠しの奥で記録を取っていた研究員たちが、そこで初めて慌てたように顔色を変える。

 何人かが記録板を抱えたまま駆け寄り、別の者が制御盤へ飛びついた。


 ライトニングはそこで追撃しない。


 ただ一歩退いて、剣先を下ろした。


 次の瞬間、カカシは起動したまま完全に動きを失った。


 魔力炉はまだ青白く脈打っている。

 感知器の赤線も消えていない。

 それでも、四肢はもう動かない。


 壊したのではない。

 止めたのだ。


 演習場が、一瞬だけ静まり返る。


 周囲の冒険者たちは、目の前で起きたことをすぐに飲み込めなかった。


「……え?」

「止まった?」

「いや、倒してない……」

「関節……潰したのか?」


 ようやく理解が追いつき始め、ざわめきが波みたいに広がる。


 明らかに、格下相手の戦い方だった。


 正面から力比べするでもなく、速さを見せつけるでもなく、ただ相手の構造を見切り、必要な箇所だけを削り、機能停止へ追い込む。


 人を相手にするには冷静すぎて、格下を相手にするには容赦がなさすぎる。


 ディルクは目を細めた。


「流石です。予想以上です」


 その声は、さっきまでよりわずかに弾んでいた。

 穏やかな感心ではない。

 値踏みを終えた者の評価であると同時に、思いがけない収穫を得た者の声音だった。


 研究員たちが色めき立つのも無理はない。

 この戦闘データだけで、カカシは大きく更新される。

 剥き出しの関節負荷、出力の偏り、抑制の甘さ。

 雷鳴が暴いたのは、単なる弱点ではなく、試作機そのものの改善点だった。


 ライトニングは闘技台の上で静かに息を整える。

 肩は上下している。

 決して余裕だったわけではない。

 だが、崩れてはいなかった。


 ライトニングの視線が、初めてまっすぐエルツーに向く。


「……見えてたのか?」


 低い声だった。

 問いというより、確認に近い。


 エルツーは少しだけ肩をすくめる。


「運が良かっただけです。」


「気に食わんな」


 そう言いながらも、さっきまでの殺気は少しだけ薄れていた。


 ディルクがゆっくりと歩み出る。


「正面から壊すのではなく、構造そのものを殺した」


 ディルクは止まったカカシを見上げた。


「しかも、起動負荷が最大になる瞬間まで待っている。

 ただ速いだけでは、こうはなりません」


 ライトニングは何も言わない。

 だが、その沈黙はさっきまでの不信一辺倒ではなかった。


「やはり、勿体ないですね」


 ディルクがぽつりと漏らす。


 その言葉は、先ほど執務室で言った時よりもずっと重かった。


「このまま更新で切り捨てるには、あまりにも惜しい」


 演習場が、また静かになる。


 ライトニングの口元が、わずかに動いた。


「……それで?」


 短い一言。

 だが、その先を聞く姿勢がそこにはあった。


 ディルクは微笑む。


「ようやく、話が先へ進められます」


 そして視線をエルツーへ移した。


「エルツーさん」


「はい」


「あなたの見立ては、今のところ間違っていなかったようだ」


 その言い方に、ライトニングが少しだけ眉を寄せる。


「今のところ?」


「ええ。今のところ、です」


 ディルクは穏やかに言った。


「特例案件に触れるには、まだ足りません。

 ですが、候補として卓に載せる価値は十分ある」


 ライトニングは剣を収めながら、小さく鼻を鳴らした。


「まだ試す気か」


「当然でしょう」


 ディルクは否定しない。


「これは再起のための抜け道ではなく、落ちた者がもう一度立ち上がるための条件です。

 簡単である必要はありません」


 その言葉に、ライトニングは薄く笑った。


「気に食わんが、嫌いじゃないな」


 初めてだった。

 この女が、完全な拒絶以外の温度を見せたのは。


 アムラがその少し上で、にやにやしながら囁く。


「ほら、面白くなってきた」


 エルツーは返さなかった。

 だが、否定もしなかった。


 止まったカカシの向こうで、まだ青白く魔力炉が脈打っている。

 壊れてはいない。

 死んでもいない。


 ただ、動きを奪われただけだ。


 それはどこか、今の自分たちにも似ている気がした。


 完全に終わったわけじゃない。

 まだ止められているだけだ。


 ならば、動き出せるはずだった。


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