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 ライトニングを連れてビリジオンへ向かう道中、エルツーはほとんど喋らなかった。


 喋る必要がなかったとも言えるし、下手に喋れば刺されそうだったとも言える。


 隣を歩くライトニングは、朝からずっと機嫌が悪い。

 いや、正確には機嫌が悪いというより、気を抜いていない。


 桃色の長い髪を揺らしながら、切れ長の黄色い瞳が時折こちらを射抜く。

 そのたびに、エルツーは「まだ大丈夫そうだな」とだけ判断して歩幅を崩さなかった。


「さっきから、何を見ている」


 とうとうライトニングが口を開いた。


「別に」


「別にじゃない。何度もこっちを見るな。気色悪い」


「刺してくる気配がないか確認してるだけです」


「今のところは、な」


 今のところ、らしい。

 つまり今後の保証はどこにもない。


 エルツーは小さく息を吐いた。


「できれば最後まで今のところでお願いします」


「それはお前次第だ」


 言い切る。


 やっぱりこの女は怖い。

 ただ、その怖さは理不尽だけでできているわけではなかった。

 むしろ筋が通っている分だけ厄介だ。


 アムラはその少し上を、ひらひらと舞いながら笑っていた。


「いいねえ。ぴりぴりしてる」


「君は楽しそうだね」


「そういうの、嫌いじゃないから」


 ビリジオンの正面に着くと、昼間だけあって出入りはそこそこ多かった。

 受付前にも人がいて、掲示板の前では冒険者たちが依頼を睨んでいる。


 そこへライトニングが現れた瞬間、空気が少しだけ変わる。


 視線が集まる。

 ざわめきも起きる。

 S級の、それも今まさに更新を控えた雷鳴が現れれば当然だ。


 だがその隣に、地味な黒髪の男がいることで、そのざわめきは妙に不格好になった。


「……雷鳴じゃないか」

「隣のあれ誰だ?」

「新しい所属先か?」

「いや、あんなの見たことねえぞ」


 そんな声が遠くに混じる。


 ライトニングはそれらを一切気にする様子もなく、まっすぐ受付へ向かった。

 いや、気にしていないというより、気にする余裕がないのかもしれない。


 受付にいた若い職員が、ライトニングを見るなり背筋を伸ばす。

 だが、そのあとすぐにエルツーを見て、わずかに目を瞬かせた。


 昨日の夜番ほど露骨ではない。

 それでも、**「なぜこの組み合わせで?」**という困惑は隠しきれていなかった。


 エルツーが口を開く前に、奥から別の声が飛んでくる。


「……あんた達、ほんとに来たとね」


 ナナだった。


 昼間の職員用の服に身を包み、青みがかった長い髪を後ろでまとめている。

 童顔気味の顔立ちに、今日は露骨な呆れが乗っていた。


 ライトニングを見る。

 エルツーを見る。

 そしてもう一度ライトニングを見る。


「どういう組み合わせ?」


「僕もまだ少し考えてます」


「考えながら連れて来たと?」


「はい」


「ほんと、そこ怖か……」


 ナナは小さくため息をついてから、ライトニングへ向き直った。


「ギルドマスターに御用ですよね」


「ああ」


 ライトニングは短く答えた。

 ナナはその返事だけで、余計な雑談を挟んでも無駄だと判断したらしい。


「今、サラさんに伝えますけん」


「助かります」


「助かります、じゃなか。後でちゃんと説明してもらうけんね」


 その言葉は明らかにエルツーに向けられていた。

 だが今は深入りしない。

 職員の顔だ。


 エルツーは少しだけ、ナナのそういう切り替えに救われる気がした。


 やがて二人は、執務室のある奥の廊下へ通された。


 その道は見慣れている。

 けれど今日は、隣にいる女のせいでやけに緊張感があった。


「お前、随分慣れてるな」


 ライトニングがぼそりと言った。


「何にですか」


「ここだ」


 短い一言だったが、意味はすぐにわかった。


 ビリジオンの内部。

 この奥へ通されること。

 ギルドの中でも一段上の場所へ入ること。


「まあ、前から何度か」


「天龍の羽の付き添いか」


「そんな感じです」


 ライトニングはそれ以上何も言わなかった。

 だが、その沈黙はあまり好意的ではない。


 執務室へ続く廊下は静かだった。

 昼の喧騒が嘘みたいに遠く、靴音だけが細く伸びる。


 ライトニングは前を歩くエルツーの背を睨むように見ていた。

 細い。

 地味だ。

 どう見ても、自分より弱い。


 なのに、妙に落ち着いているのが腹立たしかった。


 その直後だった。


 手がぴっと伸びた。


 まるで目の前を飛ぶハエでも捕まえるみたいな、あまりにも自然な動きだった。

 速い。

 反射だけで出たとは思えないほど、鋭い。


 だが、その指先は空を切る。


 アムラが珍しく目を丸くした。


「!?」


 羽が、ほんのわずかに揺れる。


「ビ、ビックリした……」


 ライトニングは空を切った手を引きながら、わずかに眉をひそめた。


「……何だ今の」


「何がです?」


 エルツーが半歩だけ振り返る。


「いや……」


 ライトニングは数歩先のエルツーを睨んだまま、小さく舌打ちした。


「気持ち悪いな、お前」


「褒め言葉ですか?」


「違う。勘だ」


 その一言だけで、エルツーは少しだけ背筋が冷えた。


 やはり、この女はただ速いだけではない。


 執務室の前には、小さな受付机がある。

 そこに座っていたサラが顔を上げた瞬間、その表情が一瞬だけ止まった。


 エルツーを見て、

 ライトニングを見て、

 最後にまたエルツーを見る。


 その視線はとても有能だった。

 驚きは一拍で処理され、次の瞬間にはもう実務の顔に戻っている。


「……お待ちしておりました」


 だが声音の端には、ほんの少しだけ疲れが滲んでいた。

 急な残業に辟易していることを、もう隠す気もないらしい。


「ディルク様には、すでに」


「ありがとうございます」


「礼は結構です。こちらも仕事ですので」


 ぴしゃりと返す。

 やはり有能だ。


 サラが扉を叩く。


「ディルク様、お連れしました」


「お通ししてください」


 中から返ってきた声は、いつも通り穏やかだった。


 扉が開く。


 執務室の中は相変わらず簡素で、整いすぎているくらい整っていた。

 重厚な机、質の良い椅子、整理された書類。

 贅沢さはある。

 だが、虚飾はない。


 判断のためにだけ整えられた部屋。

 そんな印象だった。


 その中央で、ディルクが微笑んでいる。


「お待ちしておりました」


 まずエルツーへ。

 次にライトニングへ。


「そして――お久しぶりです、ライトニングさん」


 ライトニングは少しだけ顎を上げた。


「顔は知ってる」


「ええ、私もですよ」


 ディルクは穏やかに頷く。


「ですが、こうしてじっくりお話しするのは初めてに近いですね」


「話すほどの必要もなかったからな」


「それもそうでしょう」


 ディルクはまるで嫌味に聞こえない調子で受け流した。

 だが、ライトニングはそこで小さく鼻を鳴らした。


 この男もまた、エルツーと同じ種類だ。

 たぶんそう思ったのだろう。


「それで?」


 ライトニングは椅子にも座らずに言う。


「こいつに連れられて来たが、私はまだ全部信じたわけじゃない。

 くだらん話なら帰る」


「結構ですよ」


 ディルクは笑みを崩さない。


「疑っていただいて構いません。むしろ、その方が健全だ」


「食えない男だな」


「よく言われます」


 その返しに、エルツーは少しだけ肩をすくめた。

 ライトニングの中でも、もうディルクは**エルツーの延長線上**に入っているらしい。


 ディルクはゆるやかに視線を動かし、改めてライトニングを見る。


「実力については、以前から惜しいと思っていました」


「惜しい?」


「ええ。勿体ない、と言った方が近いですかね」


 ライトニングの眉がぴくりと動く。


「どういう意味だ」


「実力は疑いようがない。

 ですが、使いどころを見いだせないまま放置されている印象がありました」


「言い方が気に入らんな」


「褒めているんですがね」


「そうは聞こえん」


 それはたしかにそうだった。


 だがディルクは動じない。


「更新が近いのでしょう」


「……知ってるなら話は早い」


「ええ。ですので、こちらも遠回しにはしません」


 一拍。


「あなたには、特例案件の候補になっていただきます」


 その言葉に、ライトニングの目がすっと細くなる。


「特例案件」


「表には出していません。

 通常の更新や編成では届かない者にだけ触れさせる、高難度の案件です」


「……随分都合のいい言葉だな」


「そうですね。便利な言葉です」


 ディルクはあっさり認めた。


「ただし、誰にでも与えるわけではない。

 実力と、そして相応の危険を呑める者に限ります」


 ライトニングは黙った。


 怪しい。

 だが、怪しいだけで捨てるには惜しい話でもある。

 その葛藤が、表情の奥に見えた。


「中身は?」


「まだ話せません」


 ディルクは穏やかに首を振る。


「ですが、少なくとも半端な実力では足を踏み入れることすらできない領域です」


「見せろと言われたから連れて来ただけだ」


 ライトニングは吐き捨てるように言う。


「まだ私は、お前らを信用していない」


「でしょうね」


 ディルクは、そこでわずかに目を細めた。


「ですから、まずは見せていただきましょう」


 その空気の切り替わりを、エルツーははっきり感じた。

 商売人の顔から、査定者の顔へ。


 たぶんここで出るのは、普通の試験ではない。


 だからエルツーは、少しだけ間を置いてから口を開いた。


「そうですね……では、カカシを使うのはいかがでしょうか?」


 その瞬間だった。


 ディルクが、初めてわずかに眉を顰めた。


 ほんの小さな変化だった。

 だが、それまで崩れなかった男の表情としては十分すぎた。


「……それを、どこで?」


 声は穏やかなままだった。

 だが、目だけが少し変わっていた。


 ライトニングがすぐにそちらへ食いつく。


「何だ、カカシって」


 エルツーは軽く肩をすくめた。


「たまたま聞きました」


「質問に答えていませんね」


 ディルクの口調は丁寧なまま。

 けれど、さっきまでより一枚だけ温度が低かった。


「そうですね」


 エルツーは曖昧に笑った。


 実際、自分でも少し不用意だったとは思う。

 だが、今さら引っ込めるわけにもいかない。


 ディルクは数秒だけエルツーを見た。

 それから、小さく息を吐く。


「……いいでしょう」


 完全には納得していない。

 だが、ここで深追いする気もないらしい。


 その代わり、ライトニングの疑念はさらに濃くなっていた。


「おい」


 黄色い瞳がエルツーを射抜く。


「ますます怪しいな、お前」


「自覚はあります」


「今のところ、それで済んでるのが逆に腹立つ」


 エルツーは返さなかった。

 返せば余計に拗れる。


 ディルクが立ち上がる。


「行きましょうか」


 一拍置いて、静かに告げる。


「第三演習室です」


 その言葉を聞いた瞬間、ライトニングの肩から一段、余計な力が抜けた。

 場所が具体になれば、少しは現実味が出る。


 逆に言えば、それだけ本物の試験が始まるということでもあった。


 エルツーは、歩き出したディルクの背を見ながら思う。


 この男はやはり、ただの穏やかなギルドマスターではない。

 人を見て、測り、値をつける。

 それでいて最後は勘も信じる。


 そして今、測られているのはライトニングだけじゃない。


 自分もだ。


 ライトニングはまだ、エルツーを怪しんでいる。

 むしろ疑念は増している。


 だがその表情の奥には、かすかな高揚も見えた。

 戦える。

 見せられる。

 証明できる。


 そういう種類の火だ。


 扉の外へ出る直前、アムラが小さく笑った。


「やっぱり面白くなってきたね」


 エルツーは返さなかった。

 だが、少しだけ口元は緩んでいた。

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