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ビリジオンの依頼掲示板の前で、カイトは腕を組んでいた。
冒険者として登録して、まだ日も浅い。
カイトとメグは現在、どちらもE級冒険者だ。
冒険者としては、まだ駆け出し。 採取や害獣駆除、簡単な護衛などをこなしながら、実績を積んでいく段階にあたる。
ただし、受けられる依頼がE級までというわけではない。
一定の条件を満たした冒険者には、一つ上の等級の依頼を受ける資格が与えられる。
そこで結果を残し、十分な実績が認められれば、上位等級への昇級審査を受けることもできる。
カイトとメグも、すでにD級依頼の受注資格を持っていた。
だからこそ、今日二人が見ているのはE級の依頼ばかりではない。
その一段上。
D級の依頼票も、最初から選択肢に入っていた。
「……これ、報酬いいな」
「場所見た?」
隣からメグが覗き込む。
「……遠いな」
「往復だけで二日」
「じゃあ、こっちは?」
「討伐数、十二体」
「多いな……」
「しかも群れでいるって書いてある」
「……じゃあ、こっち」
「推奨四人。資格保有者必須」
「…………」
カイトは黙った。
朝からずっと、こんな調子だった。
依頼掲示板には大小さまざまな紙が並んでいる。
採取。 護衛。 運搬。 害獣駆除。 魔物討伐。
報酬額も違えば、目的地も違う。 必要人数も、日数も違う。
最初はもっと簡単だと思っていた。
自分たちに受けられる等級の中から、良さそうな依頼を一つ選ぶ。
それだけのはずだった。
「カイト」
「ん?」
「さっきから同じところ三周してる」
「……分かってる」
「ほんとに?」
「分かってるって」
言いながら、カイトはもう一度掲示板を上から眺めた。
すると、一枚の依頼票で目が止まる。
「……これ」
メグも横から覗き込む。
「D級?」
「ああ」
目的地はガイロスからそう遠くない。
討伐対象も講習で名前を聞いたことがある魔物だった。
報酬も悪くない。
必要日数も一日。
「これならいけるんじゃないか?」
「……まあ」
メグも少し迷った。
「さっきまでのよりはマシね」
「よし」
カイトは依頼票を掲示板から外した。
「これにしよう」
ようやく決まった。
それだけで、少し肩の荷が下りた気がした。
二人で受付へ向かう。
ちょうど手が空いていたナナの前へ、カイトは依頼票を差し出した。
「これ、お願いします」
「はい」
ナナはいつものように受け取った。
そして。
「…………」
止まった。
依頼票を見る。
カイトを見る。
その隣のメグを見る。
もう一度、依頼票を見る。
「……これ、二人で行くの?」
「はい」
「二人だけ?」
「はい」
ナナの眉がわずかに寄った。
「もちろん、受注資格はあります」
「じゃあ――」
「でも、勧められません」
カイトの表情が固まる。
「え?」
ナナは依頼票を机の上へ置いた。
「討伐対象だけ見たんでしょ?」
「……」
「見たんでしょ?」
「……はい」
メグが小さく視線を逸らした。
ナナは依頼票の一部を指で叩く。
「ここ」
カイトが覗き込む。
そこには小さく、推奨人数と生息地域についての注意書きが記されていた。
「対象そのものはE〜D級で間違ってません。でも群れになる可能性がある。それに、この辺は逃げ道が少
ない。行ったことありますか?」
「……ないです」
「ですよね」
ナナはもう一度、依頼票に目を落とす。
「それと、二人で囲まれた時、どっちが退路を見るんですか?」
「え?」
「どっちかが敵を抑えている間、もう一人が周囲を見る。逃げ道を確保する。増援が来てないか確認する」
カイトとメグは顔を見合わせた。
「……決めてません」
「でしょうね」
ナナは少しだけ頬を膨らませた。
「メグがいるから、一人よりはずっとマシ。でも今の二人で行くなら、ちょっと重いと思います」
ナナはそこで言葉を切った。
「止めはしませんけど」
カイトが顔を上げる。
「受ける資格はあります。D級の依頼をこなせば、昇級にも近づく」
「……はい」
「でも、昇級したいからって無理するものでもないですからね」
カイトは小さく頷いた。
ナナは返された依頼票を受け取りながら、ちらりと二人を見る。
旧王墓なんていう、とんでもない場所には連れて行ったくせに。
その前に教えることがあるだろう。
「……まったく、ツーのやつ。新人二人に何教えとるん。後でちゃんと説教せんと」
最後の方だけ、仕事中には出さない訛りが小さく漏れた。
「?」
「なんでもありません」
カイトが首を傾げると、ナナは何事もなかったように受付の顔へ戻った。
机の上の依頼票を見る。
さっきまでなら、いけると思っていた。
D級。
教本で知っている魔物。
近い場所。
報酬も悪くない。
それだけだった。
カイトはしばらく黙っていたが、やがて依頼票を手に取った。
「……分かりました」
そのままナナへ返す。
「今回はやめます」
「はい」
ナナはそれ以上何も言わなかった。
カイトはメグと一緒に受付を離れた。
再び掲示板へ向かう。
その背中は、先ほどより少しだけ小さく見えた。
――そしてまた。
「……どうしよう」
「だから最初からちゃんと見ようって言ってるでしょ」
「見てるよ」
「見てないから戻ってきたんでしょ」
「……」
再び掲示板との睨めっこが始まった。
その少し後だった。
一人の男がビリジオンへ入ってくる。
短く刈った髪。 日に焼けた肌。 首筋には古い傷が一本。
ジードだった。
特に誰かと話すでもなく、真っ直ぐ依頼掲示板へ向かう。
慣れた手つきで何枚かの依頼票に目を通すと、その中から一枚を抜き取った。
B級依頼。
「……これでいいか」
そのまま受付へ向かおうとして。
ふと、横にいた二人へ目が止まった。
「ん?」
カイトとメグ。
二人とも掲示板を睨んだまま動かない。
ジードは少し考える。
「……どっかで見たな」
数秒。
「ああ」
思い出した。
ジードは依頼票を片手に、その二人へ近づいていく。
「お前ら」
カイトが振り返る。
「はい?」
「前に会ったな」
一瞬きょとんとしたあと、カイトの顔が明るくなった。
「あっ!」
「ジードさん!」
ジードは二人の前に立ち、掲示板を見上げた。
「依頼選びか?」
「……はい」
その返事の歯切れの悪さに、ジードは少しだけ眉を上げた。
その返事の歯切れの悪さに、ジードは少しだけ眉を上げた。
「何かあったのか?」
「いや、その……」
カイトが言葉を濁す。
メグが代わりに口を開いた。
「さっきD級の依頼を受けようとしたんですけど、受付で止められて」
「止められた?」
「正確には、勧められないって」
「ああ」
ジードは短く頷いた。
それから、二人が見ていた掲示板へ視線を移す。
「で、戻ってきて何を受けるか分からなくなった、と」
「……はい」
「なるほどな」
別に珍しい話ではない。
駆け出しなら誰でも一度くらいは通る。
自分の力量が分からない。
依頼票のどこを見ればいいかも分からない。
報酬が高ければ魅力的に見えるし、知っている魔物なら倒せる気がする。
そんなものだ。
本来なら、それだけだった。
「…………」
なのに。
ジードはカイトの顔を見た。
「?」
「いや」
なぜだろう。
この男は、どうにも放っておけない。
以前会った時もそうだった。
特別、頭が切れるわけでもない。
場慣れしているわけでもない。
立ち振る舞いを見ても、どこにでもいる駆け出しの冒険者だ。
なのに妙に目につく。
危なっかしいからなのか。
それとも――。
「ちょっと付き合え」
「え?」
「依頼選びだよ」
ジードは自分が取ったB級の依頼票を丸め、腰のベルトへ差し込んだ。
「まず聞くけど、お前ら今どんな依頼を探してる?」
「どんな……」
カイトとメグが顔を見合わせる。
「D級、ですかね」
「なんで?」
「え?」
「なんでD級?」
カイトの口が止まる。
「昇級したいから?」
「それもあります」
「他は?」
「……報酬もいいですし」
「他」
「……」
答えが出ない。
ジードは責めるでもなく、次へ進んだ。
「じゃあ、お前は何が得意だ?」
「剣です」
これは早かった。
「前衛?」
「はい」
「メグは?」
「私は……剣も使えますし、弓も少し。簡単な魔法も」
「器用なんだな」
「よく言われます」
「じゃあ、二人で組んだ時の役割は?」
「俺が前です」
「私は……その補助?」
最後だけ、自信がなかった。
「その補助って何するんだ?」
「それは……」
「前衛が二体に囲まれたら?」
「援護します」
「三体なら?」
「……」
「五体来たら?」
二人とも黙った。
ジードはそこで一度頷いた。
「なるほどな」
「……俺たち、そんなにダメですか?」
カイトが少しだけ肩を落とす。
「逆だ」
「え?」
「分からないって分かっただけマシだよ」
ジードは掲示板へ向き直った。
「強い弱いの話じゃない。今のお前らは、自分たちが何をできて、何ができないのか整理できてない」
依頼票を一枚指差す。
E級。
街道沿いでの薬草採取。
「これは?」
「薬草採取ですね」
「向いてると思うか?」
「……あんまり」
「なんで?」
「俺、薬草に詳しくないです」
「正解」
別の一枚。
小型魔物の討伐。
「これは?」
「これなら……」
「場所」
「林です」
「足場」
「悪そう」
「メグは弓を使えるんだったな。射線は?」
「あ……木が多いと取りづらい」
「そういうこと」
次。
街道護衛。
「これは?」
「戦うだけじゃない」
メグが先に答えた。
「依頼人を守りながら移動しないといけない」
「そう」
ジードは次々と依頼票を指していく。
一枚ずつ。
本当に、一枚ずつだった。
遠い。
近い。
夜を越す。
日帰り。
狭い場所。
広い場所。
群れる魔物。
単独行動する魔物。
討伐証明が必要なもの。
依頼人を連れて帰るもの。
報酬だけを見れば魅力的でも、必要な道具を揃えればほとんど残らない依頼もある。
逆に、報酬は安くても短時間で終わり、危険も少ない依頼もある。
絡まった糸を一本ずつほどくように。
ジードは質問し、二人に答えさせた。
「じゃあ、もう一回聞く」
二人がジードを見る。
「今、お前らはどうなりたい?」
さっきよりも難しい質問だった。
カイトは少し考えた。
「強くなりたいです」
「なんで?」
「……」
「別に格好つけなくていい」
ジードは笑った。
「金が欲しいでも、S級になりたいでも、モテたいでもいい」
「最後は違います」
メグが即座に言った。
「例えばだよ」
「俺は……」
カイトは掲示板を見た。
「ちゃんと冒険者になりたいです」
「ちゃんと?」
「まだ、何も分かってないから」
少しだけ俯く。
「この前も、すごい人たちについて行って……すごい戦いを見て……」
旧王墓。
白亜。
大型白亜。
あの戦いが、カイトにとって初めてと言っていいほどの本格的な実戦だった。
普通ではない。
あまりにも普通ではなかった。
そして、その直後には身の丈を遥かに超える黒刀まで手に入れた。
ジードの視線が、カイトの腰へ落ちる。
「その剣、いい物だな」
「分かります?」
「そりゃな」
鞘に収まっていても分かる。
駆け出しのE級が持つ武器ではない。
「それを持って、自分が強くなった気がしたか?」
「……少し」
「だろうな」
責める口調ではなかった。
「いい武器を持つのは悪くない。むしろ生き残る可能性は上がる」
ジードはそこで一度、カイトを見る。
「でも、剣ができることと、お前ができることは別だ」
「……はい」
「多分さっきのD級も、行けば達成できたかもしれない」
カイトが顔を上げる。
「できたんですか?」
「知らん」
「え?」
「だから、できたかもしれないってだけだ」
ジードは肩をすくめた。
「お前の動きを前に少し見た。悪くない。身体も動く。度胸もある。素質だって、まあ悪くない」
「まあ……」
「褒めてんだよ」
「そうなんですか?」
「たぶんな」
メグが小さく笑った。
だがジードの表情はすぐに戻った。
「問題は経験だ」
その言葉だけ、少し重かった。
「俺はな、才能がある奴を何人も見てきた」
剣を持った初日から、人より速かった奴。
魔力の量だけなら、自分より遥かに上だった奴。
誰より早く昇級した奴。
同期にもいた。
自分なんかより、ずっと才能があった。
誰もが言っていた。
あいつは上まで行く。
いつか有名になる。
S級だって夢じゃない。
「でも、いなくなった」
カイトの表情が変わる。
「死んだ奴もいる。腕をなくした奴もいる。怖くなって辞めた奴もいる」
そして。
「自分は強いって思ったまま、戻ってこなかった奴もいる」
「……」
「才能がある奴ほど、一気に上へ行ける」
ジードは静かに言った。
「だから、足元を見る前に走っちまうことがあるんだよ」
なぜそんな話をしているのか。
自分でも少し不思議だった。
今日たまたま会っただけの新人だ。
一度助けたことがある。
それだけ。
それなのに。
カイトを見ていると、昔の連中が少しだけ頭をよぎった。
同じというわけではない。
ただ。
少しだけ、危うい。
最初の実戦が異常だった。
周りにいた連中も異常だった。
そして身の丈以上の武器まで手に入れた。
これで自分の現在地を見失わない方が難しい。
「お前には、まだやることがいっぱいある」
「……はい」
「剣振るだけじゃないぞ」
「はい」
「依頼の選び方。道具。地形。撤退の判断。メグとの役割分担。怪我した時のこと。金の使い方」
指を折りながら数える。
「ほらな」
「多いですね……」
「だから面白いんだろ」
ジードは笑った。
そしてまた掲示板を見る。
「急いでD級になる必要なんかない」
カイトは少し黙ってから、頷いた。
「はい」
その顔を見て。
ジードの中に、ほんの少しだけ妙な感覚が残った。
こいつは、ちゃんと育てた方がいい。
理由は分からない。
自分がやる必要だって、本当はない。
それでも。
「……まあ」
ジードは頭を掻いた。
「今日くらいは付き合うか」
「え?」
「お前らに合う依頼、探すぞ」
「いいんですか!?」
「声でけえよ」
呆れながらも。
ジードはもう一度、掲示板へ手を伸ばした。
ジードは掲示板の前に立ち、今度は自分が依頼票を一枚ずつ見ていった。
さっきまでのカイトとは違う。
報酬額だけでは見ない。
目的地。
日数。
推奨人数。
必要な道具。
依頼主。
討伐証明の有無。
そして、その依頼を二人が受けた時に何が残るのか。
「これは……違うな」
一枚戻す。
「こっちはまだ早い」
もう一枚。
「これも悪くないが……」
また戻す。
カイトとメグは黙って、その手元を見ていた。
「結構見るんですね」
「見るよ」
ジードは当たり前のように答えた。
「命賭ける仕事なんだから」
「……」
そして。
もう一枚の依頼票へ手を伸ばしたところで、ジードの指が止まった。
「ん?」
紙を外す。
内容を読む。
一行。
二行。
三行。
ジードの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……なるほどな」
「どうしました?」
カイトが覗き込もうとする。
ジードは依頼票を少しだけ持ち上げた。
「これだな」
「え?」
「お前ら、これ受けろ」
二人の前へ差し出す。
そこには、他の討伐依頼とは少し違う題目が書かれていた。
――『建国祭食材調達の依頼』
「……食材?」
カイトが間の抜けた声を出した。
メグも目を瞬く。
「冒険者の依頼ですよね?」
「そうだよ」
「これが?」
「ああ」
ジードはニヤリと笑った。
「今のお前らには、たぶんこれが一番いい」
すみません、死ぬほど投稿が遅くなりました




