どこで拾って来たのやら
「建国祭……?」
カイトが、ジードから渡された依頼票をもう一度見直した。
――『建国祭食材調達の依頼』
「もうそんな時期か〜」
横から覗き込んだメグが呟く。
ガイロス帝国、建国九十七年。
その建国を祝う祭は、帝国内でも三大祭の一つに数えられている。
もっとも、今では単純に国の誕生を祝うだけの祭ではない。
ちょうど収穫の時期と重なることから、一年の実りに感謝し、豊作を祝う祭としても広く根付いていた。
祭りが近づけば、帝国内の各地から人が集まる。
商人。
料理人。
職人。
旅芸人。
さらには国外からやって来る露店商まで。
大通りには所狭しと露店が並び、各地の郷土料理や酒が振る舞われる。
当然。
それだけの人間が集まれば、必要になる食材の量も普段とは比べものにならない。
「だからこの時期になると、食材調達の依頼が一気に増える」
ジードが依頼票を指で軽く叩いた。
「冒険者が食材を集めるんですか?」
カイトが首を傾げる。
「何でもかんでもじゃない。街の市場で揃う物なら商人の仕事だ」
ジードはそう言いながら、依頼内容の一項目を指差した。
「問題は今回のこいつだな」
「……ビアバイソン?」
「ああ」
カイトも名前くらいは知っている。
大柄な草食性の魔物。
普段は大陸内の草原地帯を移動しながら暮らし、季節が変わる頃になると数十、時には数百頭単位の群れを作って大移動する。
そして、ちょうど建国祭の時期が、その移動時期と重なっていた。
「毎年この時期になると、各地方でビアバイソンを使った郷土料理が出る」
「そんなに美味しいんですか?」
「まあ、部位によるな」
「部位……」
「硬い所は煮込む。柔らかい所は焼く。内臓を使う地方もあるし、干し肉にする所もある」
ジードは肩を竦めた。
「まあ、祭りの食い物なんてそんなもんだ。土地ごとに食い方が違う」
「へえ……」
カイトはもう一度、依頼票を見る。
「で、これを倒すんですか?」
「正確には、収穫の手伝いだ」
「手伝い?」
「捕獲する奴。群れから対象を切り離す奴。討伐する奴。解体する奴。運ぶ奴。全部いる」
メグが少し驚いた顔をする。
「そんなに大掛かりなんですか?」
「数が多いからな。それに食材だ。めちゃくちゃに傷つけりゃいいって話でもない」
ジードは掲示板の方へ顎を向けた。
「祭り前の恒例行事みたいなもんだよ。毎年かなりの冒険者が参加する」
その言葉に、カイトが反応した。
「かなりの?」
「ああ」
ジードがニヤリと笑う。
「そこが、この依頼を選んだ理由だ」
「え?」
「お前らに今必要なのは、成功することじゃない」
「……?」
「自分が今、どの程度なのか知ることだ」
カイトとメグが黙る。
ジードは依頼票を二人の間に持ち上げた。
「普通の少人数依頼じゃ、達成できたか、できなかったか。それで終わることも多い」
「はい」
「でも、それじゃ自分が上手かったのか、相手が弱かったのか分からない」
別の指を立てる。
「失敗したとしても、自分が悪かったのか、単に相性が悪かったのか分からない」
「……確かに」
メグが小さく頷く。
「この依頼は違う」
ジードは続けた。
「同じ場所に、同じ目的で、何十人も冒険者が集まる」
「……」
「E級もいる。D級もいる。もっと上もいる」
カイトの目が少し変わる。
「同じビアバイソンを相手にして、他の奴がどう動くのか見られる」
「自分と比べられる……」
「そういうこと」
ジードは頷いた。
「何頭追えるか」
「はい」
「どれくらいの速度で動けるか」
「はい」
「周りを見ながら戦えるか」
「……はい」
「他の奴より遅いのか、速いのか。上手いのか、下手なのか」
ジードはそこで一度言葉を切った。
「数字と動きで見えるんだよ」
カイトは無意識に、自分の腰へ手を置いた。
黒い鞘。
《ヒゲキリ》で手に入れた、新しい剣。
ジードの視線もそこへ落ちる。
「ほう、いい剣持ってるな」
「はい」
「でも、それがどのくらい役に立ってるのか、お前自身まだ分かってないだろ?」
「……はい」
「ちょうどいいじゃねえか」
ジードは笑った。
「もっと安い剣を持った奴に負けるかもしれない」
「えっ」
「逆に、お前より上の等級の奴より速く動けるかもしれない」
「……」
「どっちでもいい」
カイトが顔を上げる。
「自分の位置が分かれば、それでいい」
それは、これまで誰にも教わらなかった考え方だった。
旧王墓では、生き残ることで精一杯だった。
周りにいたのは、S級ばかり。
比べようにも、そもそも比較にならなかった。
そしてその直後には、身の丈を遥かに超える剣まで手に入れた。
自分が強くなったのか。
それとも、強い人間の中にいただけなのか。
カイト自身、まだ分かっていない。
「メグも同じだ」
「私も?」
「ああ」
ジードはメグを見る。
「お前は何でもそこそこできるようだが」
「……はい」
「じゃあ、何が一番向いてる?」
「……」
「分からないだろ?」
返事はなかった。
「だったら、他の奴らの中に混ざって動け」
ジードは依頼票を二人に突き出す。
「前に出るのが向いてるのか」
「……」
「後ろから援護する方がいいのか」
「……」
「人の動きを見るのが上手いのか」
「……」
「そういうのも、他人と並ばないと分からない」
カイトとメグは、しばらく依頼票を見つめていた。
――『建国祭食材調達の依頼』
さっき見た時は。
ただの食材集めにしか見えなかった。
だが今は、少し違って見える。
「どうする?」
ジードが聞く。
カイトはメグを見る。
メグも少し考えてから、小さく頷いた。
「……やります」
カイトが答えた。
ジードは満足そうに口元を緩める。
「そうこなくちゃな」
二人は依頼票を持って、再び受付へ向かった。
さっきと同じ受付。
ナナが顔を上げる。
「決まりました?」
「はい。今度はこれでお願いします」
カイトが依頼票を差し出した。
ナナはそれを受け取り、内容に目を通す。
――『建国祭食材調達の依頼』
一度。
二度。
今度は眉をひそめなかった。
むしろ、ふっと表情が和らぐ。
「はい。こちらなら大丈夫です」
「ほんとですか?」
「ええ」
ナナは笑顔のまま、受注処理を進める。
「参加者も多いですし、現地には監督役もいます。初めて参加するなら、いい経験になると思いますよ」
「よかった……」
カイトが露骨に安心した顔をする。
その様子を見て、ナナが少しだけ首を傾けた。
そして。
カイトとメグの後ろへ視線を移す。
少し離れたところで、ジードが腕を組んで立っていた。
「……なるほど」
ナナが小さく呟く。
「え?」
「いえ、なんでもありません」
口元にはまだ笑みが残っていた。
さっきまで依頼の選び方すら分からず、掲示板の前で迷子になっていた二人。
それが今度は、きちんと自分たちに合った依頼を持ってきた。
後ろにいる男を見れば、理由はだいたい分かる。
ナナは手続きを終えると、依頼票の控えをカイトへ渡した。
「では、こちらで受注完了です」
「ありがとうございます!」
「無理はしないように」
「はい!」
元気よく返事をするカイト。
その横でメグも小さく頭を下げた。
二人が少し離れたところで、ナナはふとジードへ視線を向ける。
「ジードさん」
「ん?」
呼ばれたジードが足を止めた。
「すみません。二人の面倒を見てもらって」
ナナは少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「本来だったら、こういうことはエルツーにやらせるはずなんですが」
「ああ、気にするな」
ジードは軽く手を振った。
「俺が好きでやってることだ」
「でも――」
「いいって」
ジードはカイトたちの方へ目を向けた。
依頼票を持ったまま、二人で何やら話している。
「なんか放っとけなくてな」
ナナが少しだけ目を細める。
「……そうですか」
「ああ」
ジードはそれ以上説明しなかった。
自分でも、うまく説明できる理由などなかった。
ただ。
あの二人――特にカイトは、今のうちに誰かが足元を見せてやった方がいい。
そんな気がしていた。
ナナとの話を終えると、ジードはカイトとメグの方へ振り返った。
「よし」
二人が顔を上げる。
「そしたら明日、朝にここで集合だ!」
「はい!」
カイトが元気よく返事をして――
すぐに目を見開いた。
「……え?」
「どうした」
「いや、集合って……」
一拍。
「ジードさんも来るんですか!?」
「ああ」
「ええっ!?」
思った以上の声がロビーに響いた。
「声でけえよ」
「す、すみません!」
メグも少し驚いた顔でジードを見る。
「でも、そこまでしてもらっていいんですか?」
「気にすんな」
ジードは何でもないことのように答えた。
「俺も受けるつもりだったしな」
「そうだったんですか!」
「ああ」
ジードは平然と頷いた。
――嘘である。
この依頼を最後に受けたのが何年前だったか、本人にもすぐには思い出せない。
建国祭の食材調達など、駆け出しの頃には何度も参加した。
だがB級まで上がった今となっては、わざわざ選ぶ依頼ではない。
「じゃあ、お願いします!」
「おう」
深く頭を下げるカイトに、ジードは軽く手を上げる。
「遅刻すんなよ」
「はい!」
「装備も確認しとけ」
「はい!」
「飯も食ってこい」
「はい!」
「返事だけは一人前だな」
「えっ」
メグが横で吹き出した。
ジードは小さく笑う。
「じゃあ明日な」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌朝
まだ街が完全に目を覚ます前から、カイトは外にいた。
いつものように走る。
決まった道を、決まった距離。
戻ると、そのまま筋力訓練へ移る。
腕立て。
腹筋。
屈伸。
背中と脚。
一通り終えたところで、最後は剣を取った。
昨日手に入れた黒刀。
鞘から抜き、まだ薄暗い空の下で構える。
一振り。
二振り。
三振り。
「……九十八」
一度息を吐く。
「九十九」
「ふぁぁ……」
背後から欠伸が聞こえた。
「おはよう」
「おはよ……」
メグは眠そうな顔のままカイトの横へ来ると、軽く肩を回した。
「今どこ?」
「もう百」
「じゃあ私も百やるか〜」
「うん」
カイトは一度剣を下ろす。
そして、すぐにもう一度構え直した。
「じゃあ俺も、もう百回やる」
「え、終わったんでしょ?」
「一人でやるより二人の方がいいだろ」
「……今日バテないでよ?」
メグは欠伸を噛み殺しながら、自分の武器を構える。
「じゃあ、一」
「一」
二人は並んで振り始めた。
朝の静かな空気の中に、武器が風を切る音だけが重なった。
二人は朝の訓練を終えると、汗を流し、それぞれ装備を整えた。
食料。
水。
簡単な応急処置道具。
武器の確認。
昨日ジードに言われたことを思い出しながら、一つずつ確かめていく。
「忘れ物ない?」
「ない」
「ほんとに?」
「多分」
「……確認する」
「お願いします」
準備を終えた二人は、そのままビリジオンへ向かった。
まだ朝も早いというのに、ギルドの中はすでにいつもより人が多い。
建国祭が近いせいだろう。
依頼を受ける者。
荷物を抱える者。
数人で地図を囲む者。
普段とは少し違う慌ただしさが、ロビーを満たしていた。
「あ」
カイトがすぐに見つける。
「ジードさん!」
「おう」
ジードはすでに待っていた。
「遅刻はしてないな」
「はい!」
「まだ集合時間前だけどな」
その隣には、見慣れない二人の女性が立っていた。
一人はショートヘアの黒髪。
小柄な体に軽装をまとい、背には弓。
腰にはいくつもの小さな道具袋が下がっている。
もう一人は、大きめの杖を肩に担いだ女性だった。
こちらはどっしりと構えていて、細かいことはあまり気にしなさそうな雰囲気がある。
「紹介しとく」
ジードが二人を指した。
「俺のパーティ、《大角鹿の渡り》のメンバーだ」
まず、黒髪の女性を見る。
「こっちがアマギ。斥候だ。弓を使う」
「よろしく」
アマギが軽く頭を下げる。
「カイトです! よろしくお願いします!」
「メグです。よろしくお願いします」
続いてジードが隣を見る。
「こっちがチャイム。キャスターで回復役」
「よろしくっ!」
チャイムが大きく片手を上げた。
「カイトです!」
「知ってる知ってる。ジードから聞いた」
「え、何をですか?」
「色々」
「色々!?」
「む、余計なことは言ってないぞ」
ジードが横から割り込む。
そのやり取りを見ていたメグが、ふと三人を順番に見た。
ジード。
アマギ。
チャイム。
もう一度、ジード。
「……」
「なんだよ」
「いえ……」
メグは少し怪訝そうに目を細めた。
「ジードさんって、意外とそういう感じなんですね」
「どういう感じだ」
「その……ハーレム目指してます?」
「は?」
ジードの顔が固まった。
ほぼ同時に。
「ないない」
「ないね」
アマギとチャイムが揃って左手を上げた。
二人の薬指には、それぞれ指輪が光っていた。
「恋人いるから」
「こっちも」
「……あ」
メグが一瞬だけ気まずそうな顔をする。
「すみません」
「なんで俺が謝られたみたいになってんだよ」
「だって、構成が」
「構成で決めるな」
チャイムが声を上げて笑った。
「まあ、見た目だけならそう見えるかもね!」
「お前まで乗るな」
「でもジードには無理」
アマギが淡々と言う。
「何がだよ」
「色々」
「お前もか」
カイトが横で吹き出した。
「ちなみに」
ジードがため息をつきながら続ける。
「《大角鹿の渡り》は本来、もう一人いる」
「四人なんですか?」
「ああ」
「今日は?」
「今は休業中だ」
チャイムが少しだけ声を落とす。
「しばらく冒険者の仕事を休んでるの」
「怪我ですか?」
カイトが尋ねる。
「まあ、その辺は本人の話だからな」
ジードが軽く流した。
「今は俺たち三人で動いてる」
「なるほど」
メグは頷いてから、もう一度アマギとチャイムの薬指を見る。
「……ほんとに違うんですね」
「まだ疑ってたのかよ」
今度は全員が笑った。
一通り挨拶を終えると、ジードが顎で受付を示した。
「じゃ、出発報告だけしていくぞ」
「はい!」
一行は受付へ向かう。
同じように依頼へ向かう冒険者たちが、次々と出発の手続きを済ませていた。
「《大角鹿の渡り》、建国祭食材調達依頼。⦅始まりの翼⦆カイト、メグ同行」
ジードが簡潔に伝える。
受付嬢が名簿を確認し、人数を書き加えた。
「確認しました。現地の担当者の指示に従ってください」
「了解」
「お気をつけて」
それだけの、いつものやり取り。
一行はそのままギルドを出た。
目的地はガイロス近郊の平原。
馬車を使うほどの距離ではない。
街を抜け、五人は徒歩で平原へ向かう。
朝の空気はまだ少し冷たく、街道沿いの草には薄く露が残っていた。
だが、歩いているのは彼らだけではない。
前にも。
後ろにも。
武器や荷物を背負った冒険者の姿がある。
「やっぱり多いですね」
カイトが辺りを見る。
「言っただろ。毎年かなり集まる」
ジードが答える。
進む方向は、みな同じ。
誰かとすれ違うたび。
あるいは後ろから追いつかれるたび。
ちらり。
互いに視線が飛ぶ。
――こいつらもか。
言葉にするほどでもない。
建国祭の食材調達へ向かう者同士、それだけで大体察しがつく。
「なんか、見られてません?」
カイトが小声で言う。
「お前らだけじゃない」
アマギが前を向いたまま答える。
「みんな見てるね」
「なんでですか?」
「まあ誰が来てるか確認してるだけ」
「へえ……」
実際、周囲の冒険者たちも互いを軽く観察している。
装備。
人数。
パーティ構成。
見覚えのある顔かどうか。
合同で動く依頼なら、周囲にどんな冒険者がいるかは知っておいて損はない。
そんな中。
一組の冒険者が後ろから歩いてきた。
何気なくこちらを見る。
そして。
「あれ」
ほんの少しだけ表情が変わった。
「……ジードさんじゃね?」
「珍しいな」
「今年出るんだ」
小さな声だった。
大きな騒ぎになるほどではない。
だが、その言葉を聞いた別の冒険者も一度だけこちらを見る。
また別の者も。
ほんの少しだけ、空気が揺れた。
カイトが隣を見る。
「ジードさん、結構有名なんですね」
「別に、キャリアが長いだけ」
ジードは面倒そうに答えた。
「知り合いが多いだけだ」
「何年やってると思ってんの」
チャイムが笑う。
「それに、この依頼にジードが来るの珍しいしね」
「チャイム」
「あ」
「何が珍しいんですか?」
カイトがすぐ食いついた。
「いや、別に」
ジードが被せる。
「毎年出てるわけじゃないってだけだ」
「そうなんですか」
「ああ」
ジードは前を向いたまま歩く。
チャイムとアマギが一瞬だけ顔を見合わせた。
実際には。
毎年どころか、ジードがこの依頼へ参加するのは十年ぶりだったため同業者が少し警戒を強めた。
同じ頃。
平原へ向かう冒険者の列、その少し後方を歩く三人組がいた。
三人とも獣人だった。
先頭を歩くのは、若いライオンの獣人。
名はミト。
首まわりにはまだ短いたてがみが生え始めたばかりで、立派と呼ぶには少し早い。
その後ろには、細身で長い手足を持つチーターの獣人――スケ。
さらに最後尾を歩く、大柄なパンダの獣人――カク。
三人とも、カイトやメグとそう年は変わらない。
「よし!」
ミトが突然、声を上げた。
スケが嫌そうな顔をする。
「今度はなんです?」
「今日こそ一人前の冒険者らしく振る舞うぞ」
「昨日も聞きました」
「昨日とは違う!」
「何がです?」
「心構えが違う!」
「そうですか」
あまり興味のなさそうな返事だった。
ミトはむっとしたが、すぐに前を向いた。
「まず荷物は全部自分で持つ」
「それは当たり前です」
「道も自分で覚える」
「それも普通です」
「食事も自分で――」
「それは昨日できませんでしたね」
「今日はできる!」
カクが後ろから静かに口を挟む。
「期待しております」
「見ていろ、カク」
「はい」
ミトは胸を張った。
彼が冒険者になったのは、自分で決めたことだった。
外の世界を見たい。
誰かに守られた場所ではなく、自分の足で歩いてみたい。
自分で依頼を選び。
自分で金を稼ぎ。
自分の力で生きる。
そう決めて、ここまで来た。
だからこそ。
「スケ」
「はい」
「平原はこっちで合っているな?」
「……」
「なんだ」
「今、道を自分で覚えるって言いましたよね?」
「確認だ」
「地図は?」
「ある」
「見ました?」
「……」
「見てないですね」
「今から見る!」
ミトは慌てて荷物を探り始めた。
「地図……地図……」
「左の袋です」
カクが答える。
「分かっていた!」
「今教えてもらいましたよね?」
「うるさい!」
ようやく取り出した地図を勢いよく広げる。
逆さまだった。
「……」
「……」
「……」
スケが無言で地図を半回転させた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ミトは少しだけ耳を伏せる。
だが、すぐに立て直した。
「よし。ここから先は俺が先導する」
「さっきから先頭はずっとミト様ですけど」
「なら問題ない!」
「問題しかない気がします」
スケがため息をつく。
その横でカクは、少しだけ笑っていた。
周囲から時折、少し長めの視線が向けられる。
獣人だからだ。
露骨に何かを言われるわけではない。
ただ。
ほんの少しだけ珍しそうに見られる。
警戒するような視線も混じる。
ミトはそれに気づきながらも、前を向いた。
「見るなら見せておけ」
小さく呟く。
「今日は俺たちも冒険者だ」
「昨日も冒険者でしたけどね」
「スケ」
「はい?」
「今いいところだった」
「すみません」
「絶対思ってないだろ」
カクの低い笑い声が、後ろから聞こえた。
平原へ向かう冒険者の数は、街を離れるにつれてさらに増えていった。
前にも後ろにも、同じ方向へ歩く一団がいる。
剣士。
弓使い。
槍を担いだ者。
荷車を引いている者までいた。
その光景を見ながら、ミトは落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「……お、多いな」
「毎年このくらい集まるそうですよ」
スケが答える。
「なるほど」
ミトは腕を組む。
少し先には、自分たちとそう歳の変わらなそうな冒険者もいる。
そのさらに向こうには、見るからに場数を踏んでいそうな者たち。
皆、同じ依頼へ向かっている。
ならば。
ここで結果を残せばいい。
ミトの耳がぴんと立った。
「よし!」
突然の大声に、スケが嫌な予感のする顔をした。
「……何を思いついたんです?」
ミトは周囲の冒険者たちを見渡す。
そして胸を張った。
「見ていろ!」
「誰に言ってるんです?」
「全員だ!」
嫌な予感は当たった。
「今日――」
ミトは拳を握る。
「我が一番多く狩ってみせる!」
よく通る声が、朝の街道に響いた。
「……」
「……」
「……」
周囲を歩いていた冒険者たちの視線が、一斉に集まる。
数秒の沈黙。
「なんだ、あいつ」
「若いなあ」
「元気でいいんじゃない?」
そんな声がちらほら聞こえる。
ミトは満足そうに鼻を鳴らした。
「ふん」
「何が『ふん』ですか!」
スケが慌ててミトの腕を引く。
「なんでわざわざ全員に喧嘩売るんです!」
「喧嘩ではない。宣言だ!」
「もっと悪いですよ!」
「目標は口にした方が達成しやすいと聞いたぞ」
「誰から聞いたんですか!」
後ろを歩いていたカクが静かに口を挟む。
「私です」
「カク!」
「ただし、自分自身に聞こえる程度で、と申し上げました」
「重要なところ省略しないでください!」
スケが頭を抱える。
そんな三人の少し前。
「……すごい人だな」
カイトも振り返っていた。
「同じくらいの歳じゃない?」
メグが言う。
「そうかな」
「多分」
ミトもまた、こちらを見ていた。
視線が合う。
「……」
「……」
カイトはとりあえず軽く会釈した。
ミトの眉がわずかに動く。
腰には黒い鞘。
身体つきも悪くない。
何より、自分とそう歳が変わらない。
「……ふむ」
「今度は何です?」
「いや」
ミトはカイトを見たまま答える。
「あいつ」
「はい」
「なかなかやりそうだ」
「まだ歩いてるだけです」
「分かる」
「何がです?」
「雰囲気だ」
スケは露骨に怪訝な顔をした。
だがミトは聞いていない。
先ほどまで漠然と周囲全員を相手にしていた競争心が、いつの間にか一人の青年へ向き始めていた。
「よし」
「だから何がです?」
「あいつには負けん」
「向こうは競ってませんよ」
「今から競う!」
「勝手に始めないでください!」
カクが後ろで小さく笑った。
カイトは遠くからその様子を見て、首を傾げる。
「なんかこっち見てない?」
「見てるね」
「知り合い?」
「し、知らないよ」
「そっか」
それだけ言うと、カイトは前へ向き直った。
ミトだけが勝手に始めた勝負。
この時のカイトは、まだそのことを知らなかった。
やがて、平原の入口に簡易の集合地点が見えてきた。
木杭と縄で区切られた一角。
その中央には、ガイロス帝国の紋章が入った旗が立っている。
周囲には数人の兵士。
そのうち一人が、手にした名簿を確認しながら大きな声を張っていた。
「建国祭食材調達依頼の参加者は、こちらへ集まってください!」
平原へ向かっていた冒険者たちが、少しずつその周囲へ集まり始める。
「ほら、行くぞ」
ジードに促され、カイトたちも人の流れに混ざった。
ミトたち三人も少し離れた場所からやってくる。
気づけば、兵士の前にはかなりの人数が集まっていた。
若い冒険者。
装備の使い込まれた中堅。
数人単位のパーティ。
単独で参加している者もいる。
等級も、装備も、年齢もばらばらだった。
「結構いますね……」
カイトが小声で言う。
「だから連れてきたんだよ」
ジードが答える。
ここなら、自分がどの程度なのか嫌でも見える。
カイトは改めて周囲を見渡した。
先ほど大声で宣言していたライオンの獣人もいる。
目が合った。
ミトがふん、と鼻を鳴らす。
「……なんか睨まれてません?」
「気のせいじゃない?」
メグが答えた。
その時。
「静かに!」
兵士の声が響く。
ざわついていた冒険者たちが、少しずつ口を閉じた。
案内役の兵士は集まった人数を確認すると、名簿を閉じる。
「これより、建国祭に使用するビアバイソンの食材調達について説明します」
空気が少しだけ引き締まった。
「毎年参加している者もいると思いますが、今年初参加の者も多い。最後までよく聞いてください」
カイトが自然と背筋を伸ばす。
その隣でメグも真剣な表情になる。
ジードたち《大角鹿の渡り》は、慣れた様子で兵士の話を待っていた。
そして少し離れたところでは。
「いよいよだな」
ミトが小さく拳を握る。
「説明をちゃんと聞いてくださいね」
スケが釘を刺す。
「分かっている」
「本当に?」
「我を誰だと思っている」
「それを言わないように」
「……分かっている」
カクが静かに頷いた。
案内役の兵士が説明を始めるより先に、平原の奥から一騎の騎馬が戻ってきた。
観測役の兵士だ。
馬を寄せると、そのまま近くにいた指揮役へ報告する。
「確認しました。群れは例年通り、およそ千頭前後。進路も想定範囲内です」
周囲の冒険者たちが小さくざわつく。
「到達まで、あと数刻ほどかと」
「了解した」
報告を受けた兵士が頷き、集まった冒険者たちへ向き直る。
「今の報告の通り、今年のビアバイソンは例年と大きな差はありません」
平原の奥を指し示す。
「各自、こちらから指定された場所へ移動し、待機してください」
兵士は一度、全体を見渡した。
「群れと邂逅し次第、戦闘開始です」
何人かの冒険者が武器へ手をかける。
「討伐した個体の死体は、そのまま残してください。回収はすべて帝国側で行います」
「運ばなくていいのか」
どこかから声が上がる。
「必要ありません。皆さんは討伐に専念してください」
兵士は続ける。
「討伐証明は右耳です」
自分の耳を示すように指を上げた。
「討伐した個体の右耳を切り取り、各自で保管してください。依頼終了後、それをもとに討伐数を確認します」
カイトが小声で呟く。
「耳……」
「分かりやすいだろ」
ジードが答えた。
「それと」
兵士がもう一つ指を立てる。
「平原内には複数の中継地点を設けています」
後方に設営された簡易の天幕を示した。
「そこには飲料水と最低限の回復用アイテムを用意してあります。必要であれば自由に使用してください」
「無料ですか?」
誰かが尋ねる。
「今回の依頼参加者であれば構いません。ただし、必要以上の持ち出しは禁止します」
何人かが頷く。
「また、途中で続行が困難だと判断した場合は、いつでもリタイアして構いません」
兵士の声が少しだけ強くなる。
「無理をする必要はありません」
「……」
「負傷した者、装備を損傷した者、体力的に続行が難しい者。各自の判断で中継地点まで戻ってください」
そこで一度、言葉を切る。
「この依頼は競技ではありません」
ちらり。
何人かの視線が、先ほど大声で『一番狩る』と宣言していたミトへ向いた。
「……」
ミトは何も言わず前を向いた。
スケが横で小さくため息をつく。
「聞きました?」
「聞いている」
「競技じゃないそうですよ」
「分かっている」
「本当に?」
「しつこい!」
周囲から小さな笑い声が漏れた。
兵士は気にせず説明を続ける。
「安全を最優先してください。こちらでも監視と救援は行いますが、平原全域を完全に管理できるわけではありません」
最後に名簿を閉じる。
「それでは各自、指定された待機地点へ移動してください」
平原の後方には、いくつかの大きな天幕が設けられていた。
水や回復薬を置いた中継地点。
そして、その中でもひときわ大きな白い天幕。
救護所だった。
簡易寝台が並び、包帯や薬品、治療用の魔道具まで一通り揃えられている。
その中央。
椅子に深く腰掛けた一人の女が、大きな欠伸をしていた。
「ふあ〜……」
伸びをする。
「面倒くさ……」
近くにいた兵士がちらりと見る。
「ナタル殿」
「分かってるって」
ナタルは気怠そうに片手を振った。
帝国直轄の魔法使い。
今回の食材調達では、負傷者の治療を担当するため派遣されていた。
本人の態度だけを見れば、とてもそうは見えない。
ナタルは椅子の背にもたれたまま、平原へ向かっていく冒険者たちを眺める。
「頼むから怪我しないでよね〜」
「それを治すために来ているのでは?」
「治せるのと、治したいのは別でしょ」
「……」
「千頭も来るんだよ?」
ナタルは嫌そうに眉を寄せた。
「骨折、裂傷、踏み潰される奴、調子乗って魔力切らす奴……毎年いるんだから」
「慣れておられるのでは?」
「慣れてるから嫌なんだよ」
再び大きな欠伸。
「今年こそ暇で終わんないかなあ」
そう言いながら。
ナタルのすぐ横には、すでに治癒用の杖が手の届く位置に置かれていた。
薬品も。
魔力回復薬も。
処置に使う道具も。
すべて使いやすい順番に整えられている。
口では面倒だと言いながら。
準備だけは、誰よりも早く終わっていた。
やがて、平原の各所に配置されていた監督役たちが動き始めた。
旗が上がる。
合図を受けた冒険者たちが、それぞれ指定された持ち場へ散っていく。
「配置につけ!」
監督係の兵士の声が、平原に響いた。
「群れの進路は予定通り! 各員、担当区域を離れないように!」
カイトたちも、ジードに促されて持ち場へ向かう。
視界を遮るものの少ない、広い平原。
少し離れた場所には別のパーティ。
さらにその向こうにも冒険者たちが並んでいる。
ジードは周囲を一度見渡した。
「いいか」
カイトとメグが振り返る。
「今日は数を追うな」
「はい」
「まず周りを見ろ。自分の位置、他の冒険者の位置、逃げ道」
ジードが平原を指差す。
「カイトは前に出すぎるな。メグはカイトだけを見るな」
「はい」
「分からなくなったら、一回下がれ」
二人が頷く。
「それでいい」
アマギはすでに少し高い場所へ移動し、遠方を確認していた。
チャイムも杖を手に、いつでも動ける位置につく。
《大角鹿の渡り》。
三人とも、先ほどまでの軽い雰囲気は消えていた。
カイトは黒刀の柄に手を置いた。
「……」
心臓が速い。
怖いわけではない。
むしろ。
身体の奥が、じわりと熱くなる。
「緊張してる?」
隣でメグが聞く。
「……ちょっと」
「顔、笑ってるけど」
「そう?」
カイトは自分でも気づいていなかった。
武者震い。
それに近い。
旧王墓とは違う。
あの時は、何が起きているのか理解するだけで精一杯だった。
今回は違う。
自分で見る。
自分で判断する。
自分の力がどこまで通じるのか。
それを確かめる。
「来るぞ」
ジードの声。
カイトが顔を上げる。
まだ、何も見えない。
ただ。
地平線の一部が、薄く霞んでいた。
「……あれ?」
土煙だった。
一本。
二本。
やがてそれは横へ広がっていく。
大地の向こう側から、巨大な何かが近づいてくる。
微かに。
地面が震え始めた。
遠くから響く、無数の蹄の音。
千頭近いビアバイソン。
その大移動が、地平線を埋めようとしていた。
カイトは黒刀を抜く。
朝日を受けて、黒い刀身が鈍く光った。
「……よし」
その手に、もう震えはなかった。




