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26/30

じっくり弱火で飽きるまで

 馬車が旧王墓を離れてから、しばらく誰も口を開かなかった。


 車輪が小石を踏むたび、荷台が鈍く揺れる。


 外から聞こえるのは、馬の蹄と車輪の音だけだった。


 誰もが疲れ切っていた。


 プリシラはライトニングの肩へ身体を預け、半分ほど目を閉じている。


 フェルクは勝手に出した干し肉を食べている、オリオンは馬車の壁へ背を預けたまま動かない。


 カイトとメグは、向かい側に座るエルツーを何度も見ていた。


 エルツーは毛布を肩まで掛け、馬車の奥に座っている。


 顔色はまだ悪い。


 酷使した右目は眼帯で閉じられたままだった。


 聞きたいことは、いくらでもあった。


 あの眼はいつからあったのか。


 どこまで未来を見ていたのか。


 旧王墓の構造を知っていたことと、魔眼は関係しているのか。


 帝都保安局の調査隊が待っていることまで、分かっていたのか。


 誰が最初に尋ねるのか。


 皆が互いの出方を窺っていた。


 最初に口を開いたのは、ライトニングだった。


「おい、エルツー」


「何ですか」


「お前、天龍の羽にいた頃から――」


「ライトニングさん」


 エルツーは最後まで言わせなかった。


 閉じていた右目はそのままに、積まれた木箱の一つを指す。


「一番上の細長い箱を取ってもらえますか」


 ライトニングの眉が寄る。


「今、私が聞いている」


「ええ。ですから、こちらを」


「話を逸らすな」


「まあいいじゃないですか」


「逸らしてる」


 エルツーは返事をせず、もう一度箱を指した。


 ライトニングはしばらく睨んでいたが、プリシラを肩へ預けたままでは身動きが取りづらい。


 代わりにカイトが立ち上がった。


「俺が取ります」


「カイト、座ってろ」


「でも、近いので」


 カイトが箱を下ろし、留め具を外す。


 中に入っていたのは、深い赤色の瓶だった。


 瓶の側面には金色の細い文字が刻まれている。


 フェルクが横から覗き込んだ。


「それ、流行りの甘口の果実酒じゃない?」


 ライトニングの視線が瓶へ落ちる。


 ほんの一瞬だった。


 エルツーは見逃さなかった。


「ライトニングへ」


「いらない」


「そうですか」


 エルツーはあっさり引いた。


「ではフェルクさんに」


「俺は歓迎だけど」


 フェルクが手を伸ばす。


 その直前、ライトニングが瓶を取った。


「こいつには別のを出せ」


「いらないのでは?」


「こいつに飲ませるには甘すぎる」


「なるほど」


 エルツーは小さく頷く。


「では、お願いします」


 ライトニングは瓶を睨んだ。


 自分が渡されたのか。


 保管を任されたのか。


 判断がつかないような顔だった。


「……栓抜きは」


「箱の中です」


 ライトニングは無言で栓抜きを取り出した。


 フェルクが笑う。


「飲むんじゃない」


「うるさい」


「さっきまで別の話してなかった?」


「忘れてない」


 ライトニングは栓を抜いた。


 甘い果実の香りが、馬車の中へゆっくり広がる。


 その香りに、プリシラの耳がぴくりと動いた。


「いい匂い……」


「お前は酒じゃない」


 ライトニングがすぐに言う。


「わ、分かっています」


「同じ果物の果実水もありますよ」


 エルツーが別の箱を指した。


 ライトニングは目を細める。


「まだ出す気か」


「そのために持ってきましたから」


「何をだ」


「食事をです」


 エルツーは今度は大きな木箱を指した。


「カイト。その箱も開けてください」


「はい」


 カイトが蓋を開く。


 馬車の中に、肉と香草の匂いが広がった。


 中に入っていたのは、旅で食べるような干し肉ではなかった。


 焼き目のついた大きな骨付き肉。


 香辛料を練り込んだ腸詰め。


 蜂蜜を塗って焼かれた鶏肉。


 何種類ものチーズ。


 布に包まれた白パン。


 籠に収められた葡萄や林檎、桃。


 さらに、その下には小さな焼き菓子や砂糖漬けの木の実まで並んでいる。


 カイトは蓋を持ったまま固まった。


「なんですか、これ……」


 メグも身体を乗り出す。


「全部、食べ物?」


「宴用ですねえ」


 フェルクが楽しそうに言った。


「どう見ても旅の保存食じゃない」


 プリシラも完全に目を覚ました。


 ライトニングの肩から顔を上げ、箱の中を見つめる。


「お、お肉が……たくさん……」


 エルツーは肉の入った包みを一つ取り出した。


 外気に晒された肉は、すでに少し冷えている。


「プリシラ」


「は、はい」


「温め直せますか」


「わたしがですか?」


「弱い火で構いません。表面を焦がさず、中まで温める程度で」


 プリシラは慌てて姿勢を正した。


 疲労で耳は垂れているが、頼られたことで表情が引き締まる。


「や、やってみます」


「無理はするな」


 ライトニングが言う。


「はい。ほんの少しなら大丈夫です」


 プリシラは両手を肉の上へかざした。


 小さく息を吸う。


 掌の下に、淡い赤色の魔法陣が浮かび上がった。


 戦闘で見せたような、空気を震わせるほどの魔力ではない。


 火の粉すら立たないほど穏やかな熱だけが、包み込むように肉へ伝わっていく。


 冷えて固まりかけていた脂が、ゆっくりと溶け始めた。


 香草の匂いが再び立ち上る。


 じゅ、と小さな音がした。


 カイトの腹が鳴った。


 馬車の中に、はっきり響く。


 カイトは腹を押さえた。


「すみません……」


 フェルクが笑う。


「いや、これは仕方ないよ」


 メグも匂いから目を逸らせない。


「……これ、全部食べるんですか」


「そのつもりです」


 エルツーが答える。


「どうしてこんな物を持ってきたんですか」


「帰りに必要になると思いました」


「何にですか?」


「宴に」


 エルツーはごく普通のことのように言った。


「始まりの翼として、全員で受けた最初の依頼ですから」


 カイトがエルツーを見る。


「俺たちのために?」


「皆さんのためです」


「でも、俺たち、ほとんど何も……」


「カイト」


 エルツーが遮る。


「今は肉が冷めないうちに食べましょう」


「でも――」


「質問は後でもできます」


 フェルクが酒瓶を探しながら笑う。


「その後が来るかは怪しいけどねえ」


 エルツーは否定しない。


 プリシラの魔法陣が消えた。


 包みを開くと、温め直された肉から湯気が立つ。


 香草と焼けた脂の香りが、狭い馬車の中を満たした。


 プリシラは不安そうに肉を見る。


「焦げていませんか?」


「大丈夫です」


 エルツーが肉の表面を確認する。


「ちょうどいいですよ」


 プリシラの耳が少しだけ持ち上がった。


「本当ですか?」


「ええ。ありがとうございます」


 それだけで、プリシラは嬉しそうに笑った。


「次も温めます!」


「疲れているでしょう」


「これくらいならできます」


「じゃあ、こっちも頼んでいい?」


 フェルクが腸詰めを持ち上げる。


「フェルク」


 ライトニングが睨む。


「何?」


「自分でやれ」


「俺、火の魔法使えないよ」


「生で食え」


「それは酷くない?」


 馬車の中に、最初の笑い声が生まれた。


 エルツーはその間に器を出していく。


 カイトには大きな骨付き肉。


 メグには切り分けた鶏肉と葡萄。


 プリシラには柔らかな白パンと、酸味の弱い桃。


 フェルクには塩気の強い腸詰め。


 オリオンの前には燻製肉と、飾り気のない黒い酒瓶。


 どれも迷うことなく選ばれていく。


 まるで、最初から誰へ何を渡すか決めていたようだった。


 ライトニングは甘い果実酒を自分の器へ注いだ。


 深い赤色の液体が揺れる。


 一口飲む。


 眉間の皺が、わずかに緩んだ。


 エルツーはすぐに、小さな焼き菓子を差し出した。


「こちらも合いますよ」


 ライトニングは菓子を見る。


「お前、私を何だと思ってる」


「甘い酒を好む方だと思っています」


「質問に答えろ」


「答えましたよ」


「そういう意味じゃない」


「では、こちらは要りませんか」


 エルツーが菓子を引こうとする。


 ライトニングは取った。


「酒に合うと言っただろ」


「ええ」


 一口食べる。


 すぐにもう一口。


 フェルクがそれを見て笑った。


「魔眼の話は?」


 ライトニングは果実酒を飲む。


「後で聞く」


「もう延期された」


「忘れてない」


「その酒、瓶でかなり高いやつだよ」


「それが何だ」


「いや、随分気に入ってるなって」


 ライトニングは瓶を自分の近くへ引き寄せた。


「お前にはやらない」


「独り占め?」


「別のがあるんだろ」


 エルツーが頷く。


「フェルクさんには、そちらです」


「本当に好み分けてるねえ」


 フェルクは別の瓶を取り出した。


「これ、俺が好きな地方の酒じゃない」


「以前、話してましたからね」


「覚えてたの?」


「ええ」


「お前が男なのが勿体ねぇ」


 フェルクは少しだけ呆れたように笑い、栓を抜いた。


 食事が始まる。


 カイトは肉を一口食べた瞬間、目を見開いた。


「うまっ……!」


「声が大きい」


 メグが注意する。


 だが自分も鶏肉を口へ運び、動きを止める。


「……柔らかい」


「だろ!?」


「カイトが作ったわけじゃないでしょう」


「でも、美味いだろ」


「美味しいけど」


 プリシラは白パンを両手で持っていた。


 指が沈むほど柔らかい。


 恐る恐る小さく千切り、口へ入れる。


 耳がぴんと立った。


「んんんんん!!おいしい!!」


 ライトニングがすぐにもう一つパンを取る。


 プリシラの膝へ載せた。


「これも食べろ」


「ふ、二つも食べられません」


「食べられる」


「どうして分かるんですか!」


「足りなければまだある」


「そういう問題ではありません!」


 ライトニングはさらに桃まで取ろうとする。


 プリシラが慌てて止める。


「もう十分です!」


「足りない」


「足ります!」


 二人のやり取りに、カイトが笑う。


 メグも口元を押さえた。


 その間にも、プリシラは次の肉を温めていく。


 弱い火の魔法で包み込み、冷えた脂を溶かし、香りを蘇らせる。


 火力を誇るための魔法ではない。


 誰かを守るためでも、敵を倒すためでもない。


 皆で食べる料理を、少しだけ美味しくするための魔法だった。


 プリシラ自身も、それが楽しいらしい。


 疲れているはずなのに、肉が温まるたび嬉しそうに尻尾が揺れる。


 エルツーはその様子を見て、次に温める包みを渡す。


「今度は先ほどより少し弱くお願いします」


「分かりました」


「この腸詰めは皮が破れやすいので、ゆっくりと」


「はいっ」


 フェルクが感心したように言う。


「完全に料理人への指示だねえ」


「火加減を失敗すると破裂しますから」


「旧王墓であれだけ細かい指示を出して、今度は腸詰め?」


「大切なことですよ」


「魔眼より?」


「今は」


 フェルクは笑った。


「上手いねえ」


「何がですか」


「何でもない」


 酒が進むにつれ、馬車の中は騒がしくなっていった。


 フェルクは再生した腕の話を始める。


 カイトは大型白亜を倒した瞬間を、身振り手振りで再現する。


 メグは擬音ばかりの説明を注意しながら、いつの間にか二つ目の菓子を食べている。


 プリシラは自分が温めた肉を皆が食べるたび、嬉しそうに笑う。


 オリオンも口数こそ少ないが、エルツーが用意した酒を拒まなかった。


 最初に魔眼を追及していたライトニングは、甘い果実酒の二杯目を注いでいる。


「姉様?」


 プリシラがグラスを見た。


「美味しいんですか?」


「まあな」


「私も一口……」


「お前はまだ早い!」


 フェルクが口を挟む。


「気に入ってるな、甘口の酒で喉を潤す人、初めて見たぞ」


「うるさい死ね」


 ライトニングは残っていた焼き菓子を取った。


 メグがそれを見て、ふと顔を上げる。


「そういえば……」


 エルツーはすぐに葡萄の入った小皿を差し出した。


「メグ。こちらもどうぞ」


 メグは皿とエルツーを見比べた。


「今、私が何を言おうとしたのか……」


「まさか」


「逸らしました」


「葡萄を渡しただけです」


「タイミングがおかしいです」


「要りませんか?」


 メグは葡萄を見る。


 艶があり、一粒ずつが大きい。


「……食べますけど」


「どうぞ」


 一粒口へ運ぶ。


 メグの表情が緩む。


「!?……甘〜〜い!!」


 カイトが隣から手を伸ばした。


「俺も一つ」


 メグは皿を遠ざける。


「カイトには肉があるでしょう」


「葡萄も食べたい」


「自分の分を探しなさい」


「たくさんあるじゃないか」


「これは私に渡されたの」


 エルツーが別の籠を指した。


「カイトの分もありますよ」


「本当ですか!」


 カイトが立ち上がる。


 メグもそれ以上、魔眼の話を続けなかった。


 フェルクが酒を飲みながらエルツーを見る。


「すごいねえ」


「何がですか」


「いや。別に」


 エルツーの前には酒ではなく、水が置かれていた。


 本人は一口も飲んでいない。


 ただ、誰かが質問を始めそうになるたび。


 肉を切り分け。


 果物を渡し。


 酒を注ぎ。


 菓子を勧める。


 そのたびに話題は少しずつずれていった。


 やがて、誰も魔眼について口にしなくなった。


 忘れたわけではない。


 納得したわけでもない。


 ただ今は。


 温かい肉があり。


 柔らかなパンがあり。


 普段なら手を伸ばすことすら躊躇する果物や菓子があり。


 命を失いかけた戦いを、全員で笑って話せる。


 それで十分だと思い始めていた。


 フェルクが空になった器を差し出す。


「もう一杯〜」


「次は水にしてください」


「どうしてぇ〜?」


「同じ話を三回しています」


「してないよ〜」


「腕は生えても服は戻らない、という話を三回しました」


 フェルクは黙る。


 オリオンを見る。


「俺、言ってた?」


「言ってた」


 ライトニングを見る。


「雷鳴」


「言ってた」


 プリシラを見る。


「二回までは聞きました」


「三回目は?」


「その時はお肉を温めていました」


「じゃあ二回じゃない」


「三回目です」


 エルツーがフェルクの器へ水を注ぐ。


 フェルクは受け取りながら、エルツーの器を見る。


「そういえば、君は飲んでないね」


 その一言で、皆の視線がエルツーへ集まった。


 透明な水。


 酒ではない。


 ライトニングが目を細める。


「お前」


「何ですか」


「私たちだけ酔わせたのか」


「人聞きが悪いですね」


「好みの酒まで用意しておいて、よく言うねえ」


 フェルクが笑う。


 エルツーは肩に掛けた毛布を直した。


「まあいいじゃないですか〜」


「最初から飲まないつもりだったんだな」


 ライトニングはそう言いながら、甘い果実酒の瓶を自分の方へ引き寄せた。


「ええ」


「認めたな」


「飲まないことをですか?」


「全部だ」


「何のことでしょう」


 ライトニングはエルツーを睨む。


 だが、その手には酒杯。


 もう片方の手には焼き菓子が握られている。


 しばらくして、ライトニングは鼻を鳴らした。


「……帰ったら聞く」


「承知しました」


「絶対だからな」


「ええ」


 フェルクが小さく笑った。


「それ、一番信用できない返事だよ」


 メグも頷く。


「私も忘れていませんから」


「分かっています」


「次は食べ物で誤魔化されません」


「善処します」


「誤魔化す気ですよね?」


 エルツーは答えず、残っていた木苺の菓子をメグへ差し出した。


 メグは黙って受け取った。


 馬車の中に、また笑い声が起きる。


 エルツーは逃げるようにガルドの元へ食事を届けにいった。


「お?俺もいいのか?それにこんな上等なものまで……」


 ガルドも馬車内の活気に当てられ心なしか饒舌だった。


 魔眼についての答えは、何一つ得られていない。


 それでも誰も、すぐに追及を再開しようとはしなかった。

 

 プリシラが温めた肉からは、まだ湯気が立っている。


 カイトとメグにとっては、普段なら値段を見ることさえない豪華な食事。


 プリシラにとっては、初めて口にするほど柔らかな白パン。


 ライトニングの器には甘い果実酒。


 フェルクとオリオンの手元には、それぞれの好みに合わせた酒。


 エルツーは水の器を持ったまま、静かに皆を眺めていた。


 賑やかな笑い声が馬車に響く。


 ライトニングは甘いワインを片手に上機嫌で笑い、フェルクは豪快に肉へかぶりつく。


 プリシラが魔法で焼き直した肉から、香ばしい香りが立ち上った。


 その光景を見渡しながら、エルツーは胸を撫で下ろす。


(……よし。)


 白亜との戦い。


 あの場で見せてしまった右目。


 誰かが口を開く前に話題を変えたかった。


 だからこそ、この宴を用意した。


 そんなエルツーの肩へ、小さな少女がひょいと腰掛ける。


「くふふっ。」


 誰にも見えない少女――アムラだった。


「必死だねぇ。」


 エルツーは返事をしない。


 返せるはずもない。


「でもさ。」


 アムラは楽しそうに頬杖をつく。


「そんなことで誤魔化せるなら、苦労しないと思うけど?」


 悪戯っぽく笑う。


 しかし、その声は誰にも届かない。


 馬車の中では、相変わらず笑い声が続いていた。


-----------------------------------------------------------------------------------------


 ほろ酔いの一行は、帝都ガイロスへ帰還した。


 帰りの馬車では、エルツーが密かに用意していた豪華な料理や希少な酒が、始まりの翼を気持ち良くしていた。


 大型《白亜》を討伐した達成感。


 そして、誰一人欠けることなく帰ってこられた安堵。


 馬車の中は終始笑い声に包まれ、酒を酌み交わし、普段以上に表情を緩めていた。


 その余韻を残したまま、一同はビリジオン本部へ到着する。


「着いたぞ。」


 御者の声に、一同は荷物を抱えて馬車を降りた。


 長かった旧王墓攻略。


 誰一人欠けることなく帰ってきた。


 それだけで十分すぎる成果だった。


 ギルドの前で、ガルドが別れを告げる。


「ここまでだな、これからもお前達の活躍に期待している、今後とも贔屓に頼む」


 普段は豪快な男らしからぬ丁寧な礼だった。


「さすがS級並のメンバー、プロ意識を感じた、天晴だ。」


 ライトニングが肩を竦める。


「依頼だからな。当然の仕事だ。」


 フェルクは酒瓶を揺らしながら笑う。


「報酬が楽し〜みだぁ〜。」


「うむ、期待していいだろう。」


 ガルドも笑みを返す。


 メグとカイトも顔を見合わせ、小さく笑った。


 自分たちも、この攻略に参加できた。


 まだ足手まといだったかもしれない。


 それでも、少しだけ冒険者になれた気がした。


 エルツーはそんな二人を見て、静かに目を細める。


「それじゃ、中で報告を済ませようか。」


 ライトニングが扉へ向かって歩き出す。


 報告を済ませようとギルドへ向かったその時だった。


 ビリジオンの正面扉が開く。


 現れたのは、二人の女性。


 S級パーティ《天龍の羽》銀色の長髪を揺らす剣士――セリス。


 その隣には、無表情で寡黙な雰囲気が漂うラミアが静かに佇んでいた。


 先ほどまで笑い声に包まれていた空気が、一瞬で凍りつく。


 カイトとメグに関しては逆で憧れの冒険者に更に浮かれていた。


「セ……セリス」


 エルツーの口から、その名が漏れる。


「えっと……ひ、久しぶり?」


 セリスはエルツーを一瞥すると、小さく鼻で笑った。


「……久しぶり?」


 その声音には、懐かしさなど微塵もない。


「そんな挨拶を交わす仲でしたか?」


 エルツーは言葉を失う。


「早くこの街から出て行ったらどうですか。」


 淡々とした口調。


 だからこそ、その一言は鋭く胸を抉った。


「いい加減、身の程をわきまえたらどうですか。」


 その場の空気が張り詰める。


 ライトニングの眉間に深い皺が寄る。


 フェルクも笑みを消し、セリスを見つめる。


 オリオンだけは静かに、その一部始終を見つめていた。


 エルツーはゆっくりと口を開く。


「……僕は――」


「まだ冒険者を続けているのですか。」


 セリスは最後まで言わせない。


「懲りませんね。」


「また誰かに寄生して、生き延びるつもりですか。」


 視線がライトニングたちへ移る。


「その人たちも、いずれあなたを利用するだけです。」


 一拍置き。


「……私たちみたいに。」


 エルツーの表情が固まる。


 その時だった。


 ギルドの扉が静かにまた開く。


 ナナが姿を現した。


 一行の帰還を待ちわびていたのだろう。


 だが、エルツーの状態と漂う空気の異様さに気付くと、その足は自然と止まる。


 張り詰めた空気。


 向かい合うエルツーとセリス。


 その様子を見たナナは何も言わなかった。


 輪の外から静かに二人を見つめる。


 誰もナナに気付かない。


 いや、気付いていたとしても、この場で声を掛けられる者はいなかった。


 ナナは息を潜めたまま、二人の会話へ耳を傾ける。


 セリスは気にせず容赦なく続けた。


「その傷も。」


 眼帯へ視線が落ちる。


「その眼帯も。」


「それでようやく、自分が必要とされていると勘違いしている。」


 静寂が流れる。


 誰も口を挟めない。


 だが、その沈黙の中で――


 メグとカイトの胸の内は、静かに揺れていた。


 どうして。


 どうしてそんなふうに言えるのか。


 憧れのあの人が、こんな言葉を選ぶなんて。


 理解できないまま、ただ立ち尽くす。


「……滑稽です。」


「実に、あなたらしい。」


 エルツーは何も言い返せなかった。


 拳を強く握り締めることしかできない。


 輪の外で、そのやり取りを見つめていたナナもまた、静かに息を呑む。


 きっと冗談だろう、何かいつものやりとりなのだろう、S級には色々あるのだろう。


 そう願いながら、カイト達は何度も目の前の眉目秀麗な剣士のセリフを咀嚼する。


 それでも理解できない。


 これが追放した相手への仕打ちなのだろうか。


 聞き間違いであってほしい。


 しかし、その願いは叶わない。


 セリスは冷たい瞳のまま、最後の一線を越えた。


「早く消えなさい——」


エルツーの呼吸が荒くなる


「あなたは——」


「ここにいる価値なんて、ないんですから。」


 ――パァンッ!!


 乾いた音が響く。


 ナナのが鬼の形相で放った平手打ちだった。


 そして震える怒りの声で、言った


「……今の言葉、取り消してください。」


 そう告げる。


 セリスは赤くなった頬など気にせず、見下すように睨みつけ短く答える。


「嫌です。」


 短く。


 迷いなく。


 その一言だけだった。


「っ……!」


 セリスは静かに右手を振り上げる。


 その動作に迷いはない。


 ――パァァァンッ!!


 鋭い音が響いた。


 ナナの身体が大きく揺れ、数歩よろめく。


 唇は切れて端から少し血を流している、白い頬は瞬く間に赤く染まり、痛々しいほど腫れ上がる。


 S級の一撃。


 受付嬢であるナナが耐えられただけでも奇跡だった。


 それでもナナは涙を溢さなかった。


 頬を押さえることもなく、ただ真っ直ぐにセリスを見つめ返す。


「取り消してください!」


 その瞳だけは、一歩も引かなかった。


 セリスは再び右手をゆっくりと振り上げる。


 先ほどよりも高く。


 先ほどよりも重く。


 振り下ろされれば、今度はタダでは済まない。


 その瞬間――


 ガシッ。


 振り下ろされる寸前の手首を、力強い腕が掴んだ。


「……そこまでだ。」


 ライトニングがその手首を掴み止める。


「力を使う相手を間違うな。」


「さもなければ次は私がぶん殴る……」


 セリスは眉一つ動かさず答える。


「そうですか……」


「できるなら、どうぞ。」


 その一言で空気は完全に凍り付く。


 ライトニングに電流が流れる、


 フェルクはすでに剣を抜き放ち、


「くそっ、いい女だと思ってたんだけどな……」


 と静かに呟く。


 メグは憧れのほとんどを失い、


 オリオンだけは何も言わず、ただ天龍の羽を静かに見据えていた。


 そして、その張り詰めた空気を切り裂くように、一人の影が飛び出した。


「やめて下さい!!」


 カイトだった。


 迷いなく、両パーティの間へ割って入る。


「カイト!」


 メグが思わず声を上げる。


 それでもカイトは振り返らない。


 ライトニングとセリスの間に立ち、小さく両腕を広げる。


 震えていた。


 膝も、声も。


 それでも退かなかった。


 目の前にいるのは、どちらもS級。


 一歩間違えれば命を落とす。


 そんなことは分かっている。


 それでも、体が勝手に動いていた。


 カイトはゆっくりと二人を見渡す。


 そして、小さく息を吸う。


「もう……」


 一拍。


「やめましょう……」


 その一言だけだった。


 誰を責めるでもない。


 誰かの肩を持つでもない。


 ただ、争いそのものを終わらせたい。


 そんな願いだけが、その場に静かに響いた。


 その場を支配していた緊張が、一瞬だけ揺らぐ。


 セリスはカイトへ視線を向けた。


 何も言わない。


 ただ、その瞳で静かに見つめる。


 やがて、ライトニングに掴まれた腕をそっと下ろした。


 ライトニングも、それ以上は追わない。


 ゆっくりと手を離す。


 数秒の沈黙。


 誰も口を開かなかった。


 その静寂を破ったのは、ラミアだった。


「……セリス。」


 短く名前を呼ぶ。


 それだけで十分だった。


 セリスは踵を返す。


 去り際、ラミアが小さく呟く。


「……満足した?」


 セリスの足は止まらない。


「全然。」


 一拍置いて、静かに続ける。


「……まだまだ全っ然足りない。」


 その言葉だけを残し、二人は歩き去っていく。


 誰一人、その背中を呼び止めることはできなかった。


 ただ重苦しい沈黙だけが、その場に残された。


 そんな中、エルツーは必死に崩れないように立っていた。

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