ホットウォレット
大型《白亜》が崩れ落ちてから、どれほど時間が経ったのだろう。
カイトには、それすら分からなかった。
戦闘の熱気はとうに失われているはずなのに、地下空間にはまだ焼けた鉄の臭いが残っている。
全てが塵芥に変わった周辺一体
その中央では、膨張して破裂した炉心がなぜ今だに光っているのか、しかしゆっくりと光を失っていた。
「……本当に、終わったんですよね」
カイトが尋ねると、フェルクが崩れた《白亜》を爪先で軽く蹴った。
反応はない。
「たぶんね」
「たぶん……」
「絶対って言葉は、こういう場所じゃ使わない方が長生きできるのよ」
フェルクはそう言って笑った。
つい先ほどまで片腕を失っていた人間の態度には、とても見えない。
再生した右腕を何度か曲げ伸ばししながら、皮膚の具合を確かめている。
腕は元通りだった。
服の袖だけがなくなっている。
その横でライトニングは、炉心を撃ち抜いた剣の残骸を拾い上げていた。
刀身は根元から砕け、武器として使える状態ではない。
「流石に駄目だな、こんなもの持って行ったら殺される」
それだけ言うと、腰の鞘へ無理やり差し込んだ。
オリオンは大型《白亜》に背を向け、さらに奥へと続く扉を見ていた。
大型が守っていた、最奥の扉。
その表面には古びた紋章と、擦れて読めなくなった文字が刻まれている。
「リーダー、行くか」
オリオンが短く告げる。
「えっ、もう行くんですか?」
カイトの口から、思わず情けない声が漏れた。
全身が痛い。
魔力を使い果たしたわけでも、大きな怪我をしたわけでもない。
それでも、身体はまるで何日も眠っていないかのように重かった。
「成程、ここで野営か?」
「い、いえ。行きます」
「なら歩け」
「はい……」
カイトは膝に手をつき、どうにか立ち上がった。
隣ではメグも壁に手をつきながら身体を起こしている。
二人とも、実際に戦った時間はわずかだった、そもそも剣を交えたわけではない。
それでも、S級同士の戦闘に巻き込まれ、生き残るだけで精一杯だった。
先ほどまで倒れていたエルツーも、プリシラに肩を借りながら歩き始めている。
「エルツーさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫……」
右目はまだ赤く充血していた。
目元についた血は拭われているが、顔色はひどく悪い。
「無理しない方が……」
「ここを確認するために来たからね」
エルツーは、それ以上の言葉を続けなかった。
カイトも何も言えなくなる。
オリオンが扉へ手をかけた。
大型《白亜》が破壊されたことで、封鎖機構も停止したらしい。
重たい音を響かせながら、左右の扉がゆっくりと開いていく。
その瞬間だった。
「……うっ!?」
「……気持ち悪い」
小さな声がした。
全員が足を止める。
声の主はプリシラだった。
エルツーを介抱する余裕も無くなり、大きな耳を伏せ、尻尾を強く身体へ巻きつけている。
顔色は、エルツーよりも青白い。
ライトニングがすぐに振り返った。
「どうした」
「わ、分かりません。でも……ここ嫌です」
プリシラは扉の向こうを見つめたまま、ワンドを握る手に力を込めていた。
「魔物がいるのか?」
「いません。たぶん、生き物はいません」
「罠か?」
「それも……分かりません」
フェルクの問いに、プリシラは何度も首を横に振る。
「魔力が静かすぎて、何かが……変です……」
カイトも扉の向こうへ意識を向けた。
暗い部屋。
古びた棚。
石造りの台座。
それ以外に、何かがいるようには見えない。
息苦しさもない。
悪臭もない。
魔力を感じ取る能力が低いカイトには、ただの古い部屋にしか思えなかった。
「どんなふうに変なんだ?」
フェルクが尋ねる。
「わたしたちが、ここにいること自体が……間違っているような」
プリシラは胸元を押さえた。
「……小さいたくさんの子供達が瞬きもせず騒ぎもしなくで、じっとこちらを見ているような感覚です……」
誰も笑わなかった。
カイトとメグはゾッとした。
オリオンは扉の前に立ったまま、室内を見回す。
「戻るべきか?」
その問いはプリシラへ向けられていた。
プリシラは迷った末、小さく首を振った。
「い……行きます」
「そうか」
オリオンはそれ以上何も言わず、部屋へ足を踏み入れた。
ライトニングがプリシラの隣につく。
彼女を守るとも、心配しているとも口にはしない。
ただ、普段よりも半歩ほど近い位置を歩いていた。
フェルクはひとり身構えるエルツーを睨む
(それ以上使うな、俺に任せろ)
普段の飄々とした色男からは決して発することのない強者の威圧にエルツーは肩の力を抜く。
最奥にあったのは、宝物殿だった。
ただし、カイトが想像していたような宝物殿ではない。
金貨の山もなければ、宝石の詰まった箱もない。
壁際にはいくつもの棚が並んでいたが、意味がわからないオブジェがいくつかあるだけで、そのほとんどは空だった。
武器を掛けていたと思われる金具。
何かを収めていた大きな箱。
宝石か装飾品を置いていたらしい台座。
すべてが残されている。
しかし、その上にあったはずのものだけがない。
「空っぽ……ですね」
メグが呟いた。
「王都を移したときに持ち出したんだろうね」
エルツーが棚に残された埃を眺めながら答える。
「宝具も財宝も、新しい王都へ運んだ。ここは墓と一緒に放棄されたんじゃないかな」
「じゃあ、《白亜》は一体何を守っていたんですか?」
カイトが尋ねる。
「………命令された場所を守り続けていた?だけかもしれないね」
エルツーの返答は淡々としていた。
「中身があるかどうかを判断する機能までは、与えられていなかったんじゃないかな?」
カイトは振り返った。
何層にもわたって配置されていた小型と中型。
最奥を守る大型。
あれほどの力を持つものが、何百年ものあいだ、空になった部屋を守り続けていた。
そう考えると、恐ろしいというより、どこか虚しく感じた。
「これ、なんだろう……」
メグの声に呼ばれ、カイトは奥の棚へ向かった。
そこには一冊の本が置かれていた。
分厚い本ではない。
子供でも持てるほどの大きさで、表紙には色褪せた絵が描かれている。
角の生えた黒い魔王。
剣や杖を持つ五人の人間。
「古代の記録でしょうか」
「絵本じゃない?」
メグが慎重に表紙を開く。
乱雑な作りの本の紙は黄ばみ、端が崩れかけている。
文字は古代語だったが、絵を見るだけでもおおよその内容は分かった。
世界を脅かす悪い魔王。
立ち向かう五人の英雄。
英雄たちは力を合わせ、長い戦いの末に魔王を倒す。
世界に平和が戻り、五人はそれぞれの故郷へ帰っていく。
本当に、それだけの話だった。
「……普通ですね」
カイトは正直な感想を漏らした。
「子供向けの本なら、こんなものじゃない?」
メグも興味を失ったように本を閉じる。
現代には、十一人の王がいる。
大小十一の国が、それぞれ異なる王家によって治められていた。
この絵本に出てくる五人の英雄とも、魔王とも、何の関係もない。
カイトも幼い頃、似たような物語をいくつも聞かされた。
村を襲う怪物。
それを倒す勇者。
最後は平和になって終わる。
どこの国にもある、ありふれた御伽話だ。
「これを守っていた……わけじゃないですよね」
「どうだろうね」
フェルクが本を覗き込み、すぐに顔を離した。
「俺なら命は懸けないかな」
「ですよね……」
2人の会話にライトニングは興味すら示さなかった、オブジェの前でずっと首を傾げていている。
オリオンは空になった壁際を調べている。
カイトも本を元の場所へ戻した。
これほどの場所に残されていたからといって、何にでも意味があるわけではない。
ただ持ち出されず、忘れられただけなのだろう。
一同は肩透かしを食らったような気分だった、これではディルクに一言文句でも言いたくなるだろう。
しかしそれもすぐに一変する
「カ…………カイト」
メグが、今度は押し殺した声で呼んだ。
部屋の最奥。
そこだけは、他とは明らかに違っていた。
石床の中央に、一本の槍が立てられている。
いや、立てられているというより、閉じ込められている。
槍の周囲を鉄柵が囲み、何本もの鎖が床と壁へ固定されていた。
槍そのものは豪華ではない。
黒ずんだ長い柄。
濁った金属色の穂先。
装飾らしい装飾もない。
古びている。
そう見えるのに、腐食も欠損もなかった。
「……あれ」
カイトは声を出しただけで、続く言葉が見つからなかった。
近づきたいとは思わない。
詳しく見たいとも思わない。
むしろ今すぐ、この部屋から出たかった。
理由は分からない。
槍から何かが聞こえるわけでも、光が放たれているわけでもない。
それでも、触れてはいけない。
身体がそう理解していた。
「プリシラ?」
ライトニングが隣へ手を伸ばす。
プリシラは槍を見たまま、口元を押さえていた、必死に嘔吐を抑えている。
「き……き……気持ち、悪い……」
「魔力か?」
「分かりません……これ……以上見たくないです」
ライトニングはプリシラの肩を抱き、槍から視線を遮るように自分の後ろへ下がらせた。
フェルクも、いつもの軽い笑みを消している。
「ずいぶん雑な封じ方だな、こんなん簡単に持っていけそうだよな」
槍を囲う鉄柵を眺め、そう呟いた。
鎖も柵も頑丈ではある。
だが、大型《白亜》の攻撃に耐えられるようなものではない。
ましてや、目の前の槍が本当に危険なものなら、これだけで抑えられるとは思えなかった。
「わかっていると思うが、触るなよ」
オリオンが言った。
誰も触ろうとしていない。
それでも、その一言には全員が素直に頷いた。
「《白亜》が守っていたのは、あれでしょうか」
カイトが尋ねる。
「かもしれない」
エルツーは槍を見つめながら答えた。
「少なくとも、持ち出されなかった理由は分かる」
誰も反論しなかった。
宝物殿を見回しても、ほかに残されているものはない。
古い絵本とよく分からないオブジェ、一本の槍。
これだけだ。
調査依頼としては、槍の存在を記録すれば十分なのだろうか?
詳しい判断は、ギルドや帝都の人間に任せるべきだった。
「戻りましょう」
カイトは自分でも驚くほど、はっきりと言った。
形式上だけとはいえ、自分はこのパーティのリーダーだ。
そう思い出しての言葉だった。
だが、誰からも返事がない。
振り返ると、全員がすでに出口へ向かって歩き始めていた。
「……あれ?」
「遅いぞ、リーダー」
フェルクだけが振り返り、楽しそうに笑った。
「今、俺が言ったんですけど」
「うん。だから従ってる」
「絶対その前から帰ろうとしてましたよね?」
「気のせいじゃない?」
カイトも慌てて後を追った。
ある程度の探索を終え宝物殿を出た瞬間、身体が軽くなった気がした。
プリシラも同じだったらしく、長く息を吐いている。
「大丈夫か」
ライトニングが尋ねる。
「は、はい……すみません」
「謝るな、よく頑張ったな」
短く言い、ライトニングはプリシラの頭へ手を置いた。
そのまま一行が大型《白亜》の残骸がある空間まで戻ると、見知らぬ人間たちが集まっていた。
十人以上いる。
揃いの灰色の外套を着た者。
治療用の鞄を持つ者。
記録板へ何かを書き込む者。
白亜の残骸を調べている者。
「だ……誰ですか?」
カイトが足を止める。
その中の一人が、すぐにこちらへ歩いてきた。
「ビリジオン所属、《始まりの翼》で間違いありませんね」
「は、はい」
「帝都保安局ならびにビリジオンより、合同調査の命を受けています。負傷者の確認を行います」
男は名乗るより先に、カイトの腕を取った。
「えっ」
「外傷なし。魔力反応、軽度の乱れ。呪詛反応を確認します」
細い金属棒のような道具を、首筋や胸元へ近づけていく。
カイトが困惑しているあいだに、ほかの者たちもメグやエルツーたちの検査を始めていた。
「ずいぶん早いね」
フェルクが調査員へ話しかける。
「待機命令を受けていましたので」
「どこで?」
「回答権限がありません」
男は顔色一つ変えない。
フェルクは「そう」とだけ返し、それ以上は聞かなかった。
身体検査が終わると、今度は一人ずつ質問を受けた。
地下で遭遇した《白亜》の数。
大型の攻撃手段。
使用した技能。
宝物殿で発見したもの。
槍へ接触した者がいないか。
持ち出した物品がないか。
特に最後の二つは、何度も形を変えて確認された。
「触ってません」
「槍以外の物品へは?」
「本を少し読みました」
「持ち出してはいませんね」
「戻しました」
「確実ですか」
「はい」
まるでカイトが盗みでも働いたような聞き方だった。
調書を取り終えた男は、一枚の羊皮紙を差し出した。
「こちらへ署名を」
「これは?」
「本件に関する守秘誓約です。旧王墓地下施設、《白亜》、宝物殿、発見物、戦闘内容について、許可なく第三者へ口外することを禁じます」
カイトは羊皮紙へ目を落とした。
細かい文字が何行も並んでいる。
読めないわけではない。
だが、意味を正確に理解できている自信がなかった。
「えっと……」
「リーダーの署名を先にお願いします」
「俺が先ですか?」
「責任者ですので」
カイトは助けを求めるように振り返った。
エルツーは壁にもたれ、右目を閉じて眼帯を付け始めた。
ライトニングは壊れた剣をソワソワと眺めていた。
フェルクは天井を見上げている。
オリオンは腕を組み、目を閉じていた。
誰一人、カイトと目を合わせない。
「皆さん?」
返事はない。
「これ、署名して大丈夫なやつですか?」
「リーダーが決めろ」
オリオンが目を閉じたまま答えた。
「俺、こういうの初めてなんですけど」
「誰にでも最初はある」
ライトニングの返答は、あまりにも他人事だった。
「エルツーさん」
「カイトがリーダーだからね」
「こういうときだけですか!?」
「こういうときこそ、かな」
エルツーは薄く笑った。
戦闘中とは違い、誰も助けてくれない。
カイトはもう一度、羊皮紙を最初から読み直した。
分からない言葉は調査員へ尋ねる。
答えを濁された部分は、納得できるまで確認する。
時間はかかった。
だが最後には、自分の名前を署名欄へ書き込んだ。
「確認しました」
調査員が羊皮紙を受け取る。
「では、ほかの方も順番に」
その言葉を聞いた瞬間、S級の三人が同時にカイトの前へ並んだ。
「自分たちも書くんじゃないですか!」
「当たり前だろ」
ライトニングが答える。
「じゃあ、俺を先にする意味ありました!?」
「リーダーだからねえ」
フェルクが肩をすくめた。
カイトは何か言い返そうとしたが、疲労のせいか言葉が出なかった。
帰路につく頃には、地下施設の様子は大きく変わり始めていた。
通路のあちこちに調査員が配置されている。
小型《白亜》の残骸は一体ずつ布で包まれ、番号を付けられていた。
中型の武器と外殻は別々の木箱へ収められている。
破片の一つ一つまで、記録と照合しながら運び出されていた。
「すごいですね」
カイトが感心していると、メグが小さく眉を寄せた。
「準備が良すぎない?」
「そう?」
「だって、運び方が決まってるみたい」
確かに、調査員たちに迷いはない。
誰がどの部位を回収するのか。
何を別の箱へ入れるのか。
炉心へどの道具を使うのか。
すべてが最初から決められていたように、作業が進んでいる。
「白亜のこと、知ってたんじゃないかな」
「依頼を出したんだから、多少は知ってるだろ」
カイトはそう答えた。
メグは納得していないようだったが、それ以上は言わなかった。
少し先では、フェルクが作業を眺めながら笑っている。
その目だけは、まったく笑っていなかった。
エルツーも何も言わない。
ただ、運び出されていく《白亜》の残骸を、一つずつ確認するように見つめていた。
地下施設を出る直前、カイトは一度だけ振り返った。
白亜は倒した。
最奥にも辿り着いた。
守っていたものも、おそらくあの槍だったのだろう。
依頼は達成した。
それなのに。
何一つ、分かった気がしなかった。
一行が旧王墓の外へ出ると、傾きかけた陽が辺りを赤く染めていた。
地下に満ちていた淀んだ空気とは違い、外の風は冷たく、乾いている。
カイトは大きく息を吸い込んだ。
「……外だ」
思わず漏れた声に、隣のメグも空を見上げる。
戻ってこられた。
そう実感した瞬間、張り詰めていたものが一気に緩み、足から力が抜けそうになった。
少し遅れて、エルツーも旧王墓の出口を抜ける。
右目には応急処置で巻かれた黒い眼帯。
顔色にはまだ疲労が残っていたが、誰の手も借りず、自分の足で歩いていた。
「おう。帰ってきたか」
少し離れた場所から、ガルドの声が飛んでくる。
馬車は旧王墓の前に停められたままだった。
馬たちも無事らしい。
ただし、その周囲には灰色の外套を着た調査隊員たちが集まっていた。
ガルドは荷台の後ろに立ち、腕を組んでいる。
その前では、二人の調査隊員が積荷を一つずつ確認していた。
「これは何ですか」
「たぶん干し肉だ」
「こちらは?」
「きっと固焼きパン」
「この木箱は」
「塩漬け肉と乾燥豆じゃないか?」
調査隊員が怪訝そうに顔を上げる。
「……食品ばかりですね」
「見りゃ分かるだろ」
「それにしても、多すぎませんか」
荷台には、木箱や麻袋が隙間なく積み込まれている。
戦闘用の薬品や予備の装備もある。
だが、大半を占めているのは食料だった。
干し肉。
塩漬け肉。
乾燥野菜。
豆。
小麦粉。
固焼きパン。
水を詰めた革袋。
調味料まで揃っている。
数日間の探索に必要な量ではない。
少人数なら、何週間も暮らせそうなほどだった。
「何日潜る予定だったんです?」
調査隊員が尋ねる。
「さあな」
ガルドは悪びれもせずに答えた。
「積めと言われたものを積んだだけだ」
「誰に言われたんです」
「そこの依頼主に決まってるだろ」
「この後はどうするんですか」
「そこまで俺が話す必要はねえ」
調査隊員の眉間に皺が寄る。
ガルドも退く気はないらしい。
しばらくの沈黙のあと、もう一人の調査隊員が木箱の蓋を閉じた。
「危険物はありません」
「旧王墓から持ち出されたと思われる物品も見当たりません」
「最初から、全部食い物だと言ってるだろ」
ガルドは鼻を鳴らした。
調査隊員は最後まで納得していない様子だった。
異様な量の食料。
それが、ほとんど手つかずのまま残っている。
何のために用意されたのか。
カイトにも、いまだに分からなかった。
「確認を終了します」
調査隊員は記録板へ何かを書き込み、荷台から離れた。
その顔には、最後まで怪訝な色が残っている。
「随分と念入りだねえ」
フェルクが軽い調子で言った。
「規則ですので」
「食べ物の箱まで全部開けるのが?」
「旧王墓から持ち出された物品が紛れていないか、確認する必要があります」
「なるほどね」
フェルクは笑っている。
だが、荷台に積まれた食料へ向けた目だけは、笑っていなかった。
そのとき、王墓へ続く道の向こうから数人の男たちが歩いてきた。
先頭の男だけは、ほかの調査隊員とは外套が違う。
灰色の生地に、銀糸で帝国の紋章が縫い込まれていた。
年齢は四十前後。
細身で、頬がわずかにこけている。
磨かれた革靴は、旧王墓の土には不釣り合いなほど綺麗だった。
「隊長」
周囲の調査隊員たちが姿勢を正す。
男は返事をせず、荷台とガルドを一瞥した。
「確認は」
「完了しました。積荷の大半は食料です。旧王墓から持ち出されたと考えられる物品はありません」
「食料?」
男は荷台を覗き込み、わずかに眉を上げた。
「妙に多いな」
「俺に言うな。積めと言われたものを運んだだけだ」
ガルドの無愛想な返答にも、男は特に反応しなかった。
すぐに興味を失ったように視線を外し、今度は旧王墓から出てきた一行を見る。
その目がオリオンで止まる。
次に、片方の袖を失ったフェルク。
砕けた剣を腰に下げたライトニング。
そして最後に、右目を眼帯で覆ったエルツーへと移った。
エルツーは疲労を残しながらも、背筋を崩さず立っている。
「なるほど」
男の口元が、わずかに歪む。
「これが局長の言っていた《始まりの翼》か」
カイトは無意識に背筋を伸ばした。
「俺がリーダーのカイトです」
「!?」
「…………君がか??」
男はカイトを上から下まで眺めた。
すぐに興味を失い、その奥にいるS級三人へ視線を戻す。
「《一等星》に《雷鳴》――それに《プラナリア》」
フェルクの笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。
だが、次の瞬間にはいつもの軽い表情へ戻っている。
「随分と……ぷっ……いや失礼。……豪華な顔ぶれだ」
男は乾いた笑いを漏らした。
「もっとも、揃いも揃って元の居場所から弾き出された、落ちこぼれのS級ばかりとはな」
その場の空気が止まった。
「……は?」
声を上げたのは、メグだけだった。
カイトが慌てて隣を見る。
メグは男を睨んでいた。
疲労で青ざめていた顔に、はっきりと怒りが浮かんでいる。
「今、なんて言ったんですか」
「メグ」
カイトが小声で止める。
だが、メグは視線を逸らさなかった。
「この人たちが、落ちこぼれ?」
大型《白亜》を正面から受け止めたオリオン。
片腕を失いながら、自分たちを守ったフェルク。
炉心を撃ち抜き、戦いを終わらせたライトニング。
メグは、そのすべてを間近で見ていた。
だからこそ、聞き流せなかった。
「あなた、何も見てないくせに――」
「メグ」
今度はオリオンが呼んだ。
低い声だった。
怒っているわけではない。
ただ、それ以上言う必要はないと告げる声だった。
メグが言葉を止める。
「行くぞ」
「でも……!」
「腹が減った」
オリオンは男へ一度も目を向けず、馬車へ歩き出した。
「これで酒でもあればぁ」
ライトニングも続く。
自分が馬鹿にされたことなど、最初から聞こえていなかったような態度だった。
「これ(再生)意外と疲れるんだよねぇ」
フェルクは欠伸をしながら、その後を追う。
誰も言い返さない。
睨み返しもしない。
そのことが、メグには余計に腹立たしかった。
「どうして……」
自分たちを侮辱した相手が、何事もなかったように立っている。
命を懸けて戦った人たちが、何も言わずに背を向けている。
それが、どうしても納得できなかった。
「ほら、帰ろう」
エルツーがメグへ声をかける。
「でも、エルツーさん」
「何か言って変わるんですか?」
「だ、だからって、言っていいことと悪いことが…………」
メグの声には、まだ怒りが残っていた。
男は、その反応を面白がるように眺めている。
「事実であろう?」
さらに煽るも返答はない。
「ふん、威勢のいい新人だ」
「期待の新人ですから」
エルツーは笑顔で丁寧に頭を下げた。
礼儀正しい返事だった。
だが、相手にまったく興味を持っていないことだけは、はっきりと伝わった。
男の眉がわずかに動く。
「私はハインツ・ベルガー」
男は外套の襟を整えた。
「ガイロス帝国保安局長、ヴォルフラム・グラーツ閣下の直轄調査隊を預かっている」
聞かれてもいないのに、誇るように名乗る。
「今回の調査結果は、すべて閣下へ直接報告する。余計なことはせず、守秘義務を厳守するように」
「はい!もう署名しました!」
カイトが答える。
「ならば結構、何か異議申し立てがあれば保安局窓口まで来られよ!」
ハインツはそれだけ言うと、一行から興味を失ったように背を向けた。
「隊長。内部の最奥部についてですが」
「歩きながら聞く。大型の残骸を最優先で回収しろ。炉心は別便だ」
調査隊員たちを引き連れ、ハインツは旧王墓の中へ消えていく。
メグは、その背中を睨み続けていた。
「メグ、行こう」
カイトが声をかける。
「……分かってる」
返事はしたものの、怒りはまったく収まっていない。
馬車へ向かうと、オリオンはすでに荷台へ乗り込んでいた。
フェルクは積まれた食料の箱を勝手に物色し、ライトニングはプリシラを先に座らせている。
エルツーも自力で荷台へ上がり、壁際へ腰を下ろした。
本当に、誰一人気にしていない。
「……よく平気ですね」
メグは堪えきれずに言った。
「ウヒョー!!え、何が?」
フェルクが干し肉の袋を開けながら聞き返す。
「さっきのあの人です。皆さんのこと、落ちこぼれって」
「ああ」
フェルクは干し肉を一本取り出した。
「別に、言わせておけばいいんじゃない?」
「よくないです」
「あらそう?」
「よくないです!」
メグの声が強くなる。
「オリオンさんは、あの大きな《白亜》を一人で受け止めたじゃないですか。フェルクさんだって、腕を失ってまで私たちを守ってくれた。ライトニングさんがいなかったら、誰も帰ってこられなかったかもしれない」
言葉が次々と溢れ出す。
「それなのに、何も知らない人が勝手なことを言って……どうして皆さんは平気なんですか」
フェルクは干し肉を口へ運びながら、少しだけ目を細めた。
「メグ」
オリオンが荷台の奥から呼ぶ。
「お前は誰に何を言われたら、今日見たものが変わるんだ」
メグは言葉を詰まらせた。
「それは…………変わりません」
「なら、それでいい」
「でも……」
「お前が見たものは、お前のものだ」
オリオンは目を閉じた。
「他人に分からせる必要はない」
それ以上、話すつもりはないらしい。
メグは納得できなかった。
正しいことを知っているなら、間違ったことを言う相手へ教えるべきだと思う。
誰かが侮辱されたなら、怒るのが道理だと思う。
何も言わずに立ち去る方が、よほど不自然に感じる。
「弱い奴ほど、他人の評価を気にする」
ライトニングがプリシラの座る位置を整えながら、淡々と言った。
「ね、姉様、それはメグさんに刺さっています……」
プリシラが恐る恐る指摘する。
「ん?そうか?」
「そうです……」
プリシラはライトニングに気を遣う
「で、でも!それでも!!私は間違ってないと思います!!」
メグはなおも食い下がった。
ライトニングが初めてメグを見る。
「間違ってない」
あっさりと返された。
メグが目を瞬く。
「なら、なんで何も言わないんですか」
「面倒だから」
「そんな理由ですか!?」
「それ以上の理由がいるか?」
ライトニングは本気で分からないという顔をしていた。
フェルクが小さく笑う。
「俺たちはさ、別に平気なふりをしてるわけじゃないんだよ」
「じゃあ、本当に何とも思わないんですか」
「少なくとも、あの男にどう思われるかはどうでもいいかな」
フェルクは干し肉を勝手に取り出して笑顔になる。
「俺たちの価値を決めるのは、あいつじゃないからね〜」
メグは唇を噛んだ。
分からないわけではない。
けれど、すぐに同じように考えられるわけでもなかった。
悔しいものは悔しい。
腹が立つものは腹が立つ。
それを何でもないことのように処理するには、メグはまだ普通すぎた。
「メグは、それでいいと思うよ」
眼帯へ触れながら、エルツーが言った。
「怒ることですか?」
「うん」
エルツーは荷台の壁へ背を預ける。
「僕たちの代わりに怒ってくれる人が一人くらいいても、悪くない」
メグは少しだけ俯いた。
「……別に、代わりじゃありません」
「そう?」
「私が腹立っただけです」
「それなら、なおさらいい」
エルツーは薄く笑った。
最後にカイトが乗り込むと、ガルドが御者台から振り返る。
「おーい、全員いるな?」
「はい」
カイトが答えた。
「なら帰るぞ。日が落ちる前に、少しでも距離を稼ぐ」
手綱が鳴り、馬車がゆっくりと動き始めた。
旧王墓の入口では、今も調査隊員たちが忙しなく行き来している。
カイトは遠ざかっていく遺跡を眺めた。
隣ではメグが、まだ納得できない顔をしている。
S級たちはすでに、食事や壊れた装備の話を始めていた。
彼らにとって、ハインツ・ベルガーの言葉など、旧王墓に積もった埃ほどの重さもないのだろう。
けれど、メグにとっては違った。
自分が見た強さを、誰かに勝手な言葉で汚されたくなかった。
それは未熟さかもしれない。
それでも今は、捨てたくない感情だった。
馬車は夕暮れの道を進んでいった。




