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もちろんなんでもやります

城壁の正面に開かれた大門には、朝から長い列ができていた。


だが、そこに並んでいるのは、ただ帝都へ入りたい者たちだけではない。


地方の商会から届いた納品物。


皇城へ運ばれる献上品。


内務院が発注した紙や蝋燭。


軍の兵站部へ届けられる食糧や武具。


神殿へ奉納される穀物や酒。


帝都で新たに商売を始めるため、営業許可を求める商人たち。


帝国各地から集まった人間と物資が、大河へ注ぎ込む支流のように一か所へ集約されていた。


馬車の列とは別に、徒歩の者たちが並ぶ窓口もある。


居住申請。


商業登録。


納品証明。


持込税の査定。


身元保証人の確認。


帝都で何をし、どこに滞在し、いつまでに出ていくのか。


そのすべてが、紙へ記録されていた。


門の両脇には、帝国兵と行政官が整然と配置されている。


兵士が通行証を確認し。


検査官が荷台の封を切り。


役人が積荷の数と目録を照合する。


書類に不備があれば別の列へ回され、許可が下りるまで帝都へ入ることはできない。


すべてが人の手で行われていた。


当然、列はなかなか進まない。


馬車の中で、サラは膝の上に置いた資料へ目を落としていた。


《カカシ》の設計概要。


試験運用の記録。


巡回可能範囲。


生産及び運用コスト。


警報システム。


何度も確認した資料だ。


誤字もない。


数値にも矛盾はない。


それでも、サラは一枚ずつ丁寧にめくっていた。


「緊張していますか?」


向かいに座るディルクが訊いた。


サラは顔を上げる。


「いいえ」


即答だった。


「ディルク様から任された役目に、不備がないよう確認しているだけです」


「充分すぎるほど確認したと思いますけどね」


「ディルク様がそう仰るのでしたら、確認を終えます」


サラは躊躇なく書類を閉じた。


革紐を巻き、膝の上へ置く。


ディルクはその様子を見て、僅かに笑った。


「やはり君を秘書にして正解でした。僕の目に狂いはないですね」


「ありがとうございます」


サラは、それ以上の言葉を返さなかった。


冗談として受け流すこともなければ、謙遜することもない。


ディルクの評価を、そのまま事実として受け取っていた。


馬車が僅かに進む。


車輪が石畳の窪みへ落ち、小さく揺れた。


サラは窓の外へ目を向ける。


検問所では、軍への納品物を積んだ荷馬車が止められていた。


二人の屈強な兵士が通行証と納品許可書を確認する。


三人の検査官が荷台へ上がり、封の切られていない木箱を一つずつ調べる。


別の役人が目録を読み上げ、記録係が内容を書き写している。


その周囲には、列から抜け出す者がいないか監視する老齢の兵士まで配置されていた。


「非効率ですね」


サラが言った。


「帝都の門ですから、慎重にはなりますよ、最近は帝国も少し物騒ですからね」


「慎重さと非効率は、別の問題かと存じます、ここがボトルネックかと思います」


淡々とした声だった。


「書類の審査や積荷の確認は、人間が行う必要があります。しかし、列の監視や不正侵入の警戒まで熟練した兵士へ任せる必要はございません」


サラは検問所の周囲を見渡す。


「《カカシ》を外周へ配置できれば、監視へ割いている兵士を検査業務へ回せます。夜間に留め置かれた荷馬車の警備も可能です」


「その分、検問に割ける人員と予算を見直せるという事ですね」


「はい。現在の行政制度を変えずに、更に処理能力を高められます」


ディルクは満足そうに目を細めた。


「素晴らしい。それを今日、帝国側へ説明してもらいます」


「承知しております」


「そのために君を連れてきました、サラ君は私より心象がいいですからね」


「そんな、ディルク様は……」


サラの言葉は続かない、必死に説明してもこの方はなんとも思わないだろう。


ディルクの言葉には、一切の皮肉がない。


サラにとって、ディルクに必要とされることは、そのまま自分の存在価値に等しい。


設計の説明でも。


営業の補助でも。


あるいは、もっと私的な役目でも。


ディルクが望むのなら、それを行うだけだった。


その時。


馬車の列とは別に設けられた窓口から、低い声が聞こえた。


「ですから、読み書きはできます。西方軍では補給記録も担当していました」


声の主は、五十歳前後の男だった。


古びた外套の下から、木製の義足が覗いている。


右脚は膝から下がない。


胸元には、小さな軍功章が下がっていた。


男が立っているのは、傷病退役者を対象とした就労斡旋窓口だった。


帝国は、戦場で身体を失った兵士へ福祉金を支給するだけではない。


希望する者には、身体の状態に応じた仕事も紹介している。


制度上は。


窓口の役人は、男が提出した書類へ目を落とした。


「補給記録の実務経験は認めます」


「では――」


「ただし、帝都中央区の記録官補助には、両脚での移動が可能な者を優先します」


男の表情が固まる。


記録官の仕事に、両脚が必要とは思えなかった。


だが、男は反論しなかった。


「そんな……ほかに、何かありませんか」


役人が別の書類を取り出す。


「オーリム町での軍需倉庫で、夜間の荷札整理員を募集しています」


「帝都の外……」


「共同宿舎も用意されています。福祉金と合わせれば、生活には困らないでしょう」


生活には困らない。


だが、その仕事を受ければ、男は帝都の中心から離れなければならない。


家族が帝都にいるとしても、以前と同じ暮らしを続けることはできない。


男はしばらく書類を見つめた後、小さく頭を下げた。


「……検討します」


役人は引き止めなかった。


次の申請者を呼び、男の書類を脇へ寄せる。


サラは、その一連のやり取りを見ていた。


同情を浮かべてはいない。


ただ、男の歩き方。


義足の形状。


軍功章の意匠。


窓口から提示された仕事。


サラはそれらを静かに観察していた。


「五年前の《灰森林戦役》ですね」


ディルクが僅かに目を細める。


「ほう、分かるのかい?」


「軍功章の意匠が現在のものと異なります。それに、あの義足は当時の軍支給品かと思われます」


「よく見ているね」


「ディルク様のお役に立つ可能性があるためです」


男は義足を鳴らしながら、就労窓口を離れていく。


サラが訊いた。


「帝国から補償は出ているのでしょうか」


「傷病退役者には、福祉金が支給されているはずですね」


「……それだけでは、帝都で以前の生活を維持できないのですね」


「生きることはできます」


ディルクは手元の資料を眺めながら答えた。


「ですが、以前と同じ場所に立ち続けるには足りないでしょうね」


ガイロス帝国は、退役軍人を放置しているわけではない。


戦場で身体を失った者には、義肢を支給する。


働けなくなった者には、毎月一定額の福祉金も支払う。


希望すれば、就労先の斡旋も受けられる。


制度だけを見れば、周辺諸国より整っていた。


だが、帝国が保証するのは、生存だけだった。


最低限の宿。


最低限の食事。


身体に見合った、最低限の仕事。


以前と同じ地位。


以前と同じ収入。


以前と同じ暮らし。


失ったものを取り戻すための手までは差し伸べない。


帝国は敗者を見殺しにはしない。


だが、元いた場所まで拾い上げることもしなかった。


やがて、二人の馬車にも検査の順番が回ってきた。


帝国兵が窓を叩く。


「身分証と入都許可証を」


ディルクは懐から二通の書状を取り出した。


一通はビリジオンが発行した身分証。


もう一通には、帝国内務院の封蝋が施されている。


兵士は封蝋を見ると、僅かに姿勢を正した。


「内務院への訪問か」


「ええ」


ディルクは柔らかな笑みを浮かべる。


「帝都の警備を担う、皆さんにとても良い話をしに来ました」


兵士は意味を理解できなかったらしい。


書状とディルクの顔を交互に見た後、無言で馬車を通した。


大門を抜けた瞬間。


視界が一気に開けた。


帝都を南北に貫く大通り。


左右に並ぶ巨大な石造りの建物。


通りを行き交う馬車と騎兵。


市場から響く商人たちの声。


そして遥か先。


帝国旗を掲げた皇城が、都市全体を見下ろすように聳えている。


地方都市とは、何もかも規模が違った。


建物の高さ。


道の広さ。


人間の数。


兵士の数。


富も。


権力も。


欲望も。


帝都には、あらゆるものが集まっている。


サラは窓の外へ視線を巡らせた。


交差点に立つ警備兵。


商業区を巡回する兵士。


建物の入口で訪問者を確認する衛兵。


帝都のいたるところに、人間が配置されていた。


「随分と多いですね」


「警備兵が?」


「はい」


ディルクは椅子へ深く腰掛ける。


「これだけの人間を、毎日動かしている」


兵士は眠る。


食事をする。


交代する。


給金を受け取る。


怪我をすれば治療が必要になる。


戦えなくなれば福祉金も必要になる。


そして、一度の見落としが犯罪へ繋がる。


「市場としては申し分ありません」


サラが言った。


ディルクの口元に、満足そうな笑みが浮かぶ。


「そう思うだろう?」


「ディルク様がお望みでしたら、必ず導入させます」


サラは皇城ではなく、街角に立つ警備兵を見ていた。


その声に気負いはない。


誇張もない。


必要であれば、何をしてでも実現する。


ディルクには、それが分かっていた。


「期待しているよ」


「必ずや御期待に添ってみせます」


ディルクは一瞬だけ黙った。


「……そういうところですよ、サラ君」


サラには、その言葉の意味が分からなかった。


◇


帝国内務院は、皇城から大通りを一つ隔てた場所に建っていた。


装飾の少ない、重厚な石造りの建物。


正面には広い階段があり、左右を帝国兵が固めている。


建物の中でも、すべての手続きは紙で行われていた。


受付で書状を渡す。


別の係官が封蝋を確認する。


訪問者名簿へ名前を記す。


目的と滞在予定時間を伝える。


さらに奥の待合室へ通され、呼ばれるまで待つ。


何人もの役人が、束になった書類を抱えて廊下を行き交っていた。


報告も。


命令も。


許可も。


すべてが人の手を介して運ばれている。


サラは待合室の中を静かに見回した。


「この建物だけでも、《カカシ》を複数配置できますね」


「まだ商談は始まっていませんよ」


「先方から希望を訊かれた際、即座に提案できるよう確認しております」


「頼もしいね」


「ありがとうございます」


やがて、係官が二人の前へ立った。


「ビリジオンのギルドマスター、レイドック殿、秘書官カーバイン殿」


二人は同時に立ち上がる。


「帝都保安局長がお会いになります」


係官に案内され、長い廊下を進む。


扉の前には、二人の武装した衛兵が立っていた。


係官が扉を叩く。


中から低い声が返る。


「入れ」


扉が開かれた。


広い部屋ではなかった。


だが、正面の壁には帝都全域の詳細な地図が掛けられている。


城門。


商業区。


倉庫区。


貴族区。


兵舎。


それぞれが色分けされ、警備兵の配置まで細かく記されていた。


部屋の奥。


積み重なった書類の向こうに、一人の男が座っている。


五十歳前後。


短く整えられた灰色の髪。


細身だが、背筋は真っ直ぐに伸びている。


男は二人が入室しても、すぐには顔を上げなかった。


「ビリジオンのマスター、レイドックだったか」


机上の書類へ目を落としたまま、その名を呼ぶ。


「それと、秘書官のカーバインだな」


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


ディルクが丁寧に頭を下げる。


サラも一歩後ろで、深く礼をした。


男はようやく顔を上げた。


帝国内務院、帝都保安局長。


ヴォルフラム・グラーツ。


帝都の警備計画と、その予算を預かる実務責任者だった。


「前置きはいい」


ヴォルフラムは淡々と告げた。


「君たちを歓迎したわけではない」


ディルクの笑みは崩れない。


「お話を聞いていただけるだけで、充分でございます」


「君が三度も書状を送りつけてきたからな」


机の上へ一通の書状が置かれる。


ディルクが送った、《カカシ》導入の提案書だった。


「四度目が届けば、以後ビリジオンからの書状はすべて返送するつもりだった」


「危ないところでした」


「笑い話ではない」


ヴォルフラムは提案書を指先で叩く。


「それで」


鋭い視線が、ディルクからサラへ移る。


「このガラクタが、帝都の警備兵に代わると言うのか」


サラはディルクを見た。


視線だけで許可を求める。


ディルクが僅かに頷く。


それを確認してから、サラは一歩前へ出た。


「完全に代替するものではございません」


机の上へ、持参した資料を丁寧に並べる。


「現在の《カカシ》は、指定された範囲の警備を目的とした自律式警備機構です」


ヴォルフラムの目が、僅かに細くなった。


「……自律式だと?」


「はい」


サラは迷わず答える。


「人間が直接操作せずとも、事前に与えられた命令に従って行動いたします」


室内に、短い沈黙が落ちた。


「……興味深い話ではある。」


一通り資料に目を通すヴァルフラムにディルクはニコニコと笑顔でいた。


「……しかし、この実績だけでは帝国に配備するほどの信頼には足りないな」


ヴォルフラムは提案書を机上へ戻した。


「地方の倉庫を三か月守った、長時間の連続稼働実験、耐久実験、その他諸々。それらを理由に、帝都の警備機構へ組み込めと言われても到底承認はできん」


「仰る通りです」


ディルクはあっさりと認めた。


「《カカシ》には、まだ帝国を納得させられるだけの実績がございません」


「ならば、話は終わりだ」


「いいえ」


ディルクは、手元に残していた黒革の封筒へ手を置いた。


「ですから、実績を作っております」


ヴォルフラムの視線が、その指先へ落ちる。


「作っている?」


ヴォルフラムは資料をさらに一枚めくった。


そこで、指が止まる。


「対人戦闘試験」


先ほどまでとは異なる項目だった。


試験に投入された《カカシ》は一体。


対する相手も、一人。


「冒険者《雷鳴》のライトニング……」


記載された名を見て、ヴォルフラムが僅かに眉を寄せる。


「S級冒険者です」


サラが答えた。


「対人戦闘における継続稼働能力を確認するため、ご協力いただきました」


「知っている、あの雷鳴だろ……して、結果は?」


「五分五十二秒です」


ヴォルフラムの視線が止まった。


「……五分五十二秒?」


「はい」


「一体で、《雷鳴》を相手にか」


「はい」


サラの返答に迷いはなかった。


ヴォルフラムは改めて報告書へ目を落とした。


帝国軍の中でも、《雷鳴》ライトニングの名は知られている。


目で追うことすら困難な踏み込み。


一点を貫くことに特化した剣戟。


並の兵士では、剣を構えるより早く懐へ入られる。


手練れの兵士数人で包囲して二分。


盾兵を含む分隊でも、三分持ち堪えられれば上出来。


それが帝国における、《雷鳴》への評価だった。


「そこらの兵士が束になっても、二、三分が限界だ」


ヴォルフラムは低く呟いた。


「それを、このガラクタ一体で六分近く?」


「《カカシ》です」


ディルクが柔らかく訂正する。


「更に現在、稼働状態にある古代機構のもとへ、調査隊を派遣しております」


封蝋を解き、中から別の一枚の見取り図を取り出す。


地下へ続く階段。


複数の階層。


幾重にも設けられた封鎖区画。


その図面を目にした瞬間。


ヴォルフラムの表情から、先ほどまで僅かに残っていた退屈が消えた。


「……旧王墓か」


ディルクの指が止まった。


ほんの僅かな変化だった。


サラでさえ気づかなかったかもしれない。


だが、ディルクの胸中には鋭い警戒が走っていた。


まだ、場所は告げていない。


旧王墓という言葉も出していない。


見取り図だけで言い当てた。


この男。


どこまで知っている。


「ご存じでしたか」


ディルクは笑みを崩さずに訊いた。


「質問しているのはこちらだ」


ヴォルフラムは見取り図から目を上げない。


「旧王朝の墓所。その地下には、王墓へ至る者を選別するための防衛区画が存在する」


図面に描かれた複数の階層を、指先で順に辿っていく。


「内部を守るのは、旧王政期に作られた自律防衛機構」


そこで初めて、ヴォルフラムが顔を上げた。


「《白亜》だろう」


室内に沈黙が落ちた。


ディルクは答えず、ヴォルフラムを見つめた。


ヴォルフラムが《白亜》の存在を把握している可能性は、当然考えていた。


残骸の研究記録も残っている。


旧王政期の資料を、帝国がすべて破棄したとも思っていない。


だが、現在でも白亜が旧王墓の地下施設の役割まで知っているとは予想していなかった。


しかも、ヴォルフラムは資料を確認している様子ではない。


記憶だけで口にしている。


「驚いた顔はしないのだな」


「営業の場でございますから」


「では、内心では驚いていると」


「ご想像にお任せいたします」


ヴォルフラムの口元が、僅かに歪んだ。


ディルクは別の資料を取り出し、見取り図の上へ重ねた。


紙の中央には、人の形を模した白い機構が描かれている。


滑らかな外殻。


顔のない頭部。


関節部を走る古い術式。


その下に記された名称は、《白亜》。


「旧王政期に作られた自律防衛機構です」


「説明は要らん」


ヴォルフラムは絵ではなく、その周囲に書き込まれた観測記録を見ていた。


「帝国が知りたいのは、そこではない」


声が低くなる。


「なぜ動いているかだ」


ディルクは、すぐには答えなかった。


不用意な肯定はできない。


だが、ここで誤魔化せば商談そのものが終わる。


「現在、いくつかの緊急稼働個体の存在を確認しております」


ヴォルフラムの目が細くなった。


驚愕ではない。


歓喜でもない。


長年、真偽を確かめられなかった情報へ、ようやく確証が与えられた者の顔だった。


「何体だ」


「調査中です」


「階層は」


「お答えできません」


「……大型個体は確認したか」


ディルクの笑みが、ほんの僅かに固まった。


サラが静かにヴォルフラムへ目を向ける。


大型個体。


ディルクは、その存在について一言も触れていない。


資料にも記載していなかった。


「……そのような個体が存在すると?」


ディルクは、あえて問い返した。


ヴォルフラムは答えない。


代わりに、見取り図の最深部へ指を置いた。


「君たちがどこまで到達したのかは知らん」


その指先が、紙を一度叩く。


「だが、旧王墓の防衛機構が、小型の白亜だけで構成されているとは考えない方がいい」


忠告。


そう聞こえる。


しかし、その根拠は語らない。


ディルクは改めて、目の前の男を見た。


帝都保安局長。


帝都の治安と警備予算を預かる実務官。


それが表向きの肩書きだ。


だが、《白亜》について持っている情報は、通常の保安局長が閲覧できる範囲を明らかに越えている。


どこで知った。


誰から聞いた。


あるいは、この男自身が旧王朝に関する別の任務を負っているのか。


疑問は尽きない。


だが、問い詰めることはできなかった。


先に切り札を見せたのは、ディルクの方なのだから。


「ご忠告、感謝いたします」


ディルクは穏やかに頭を下げた。


「それで」


ヴォルフラムが見取り図を自分の側へ引き寄せる。


「稼働中の《白亜》を相手に、何をするつもりだ」


「排除します」


「排除?」


「制御機構と構造を調査した後、地下施設の警備を《カカシ》へ置き換えます」


ヴォルフラムの指が止まった。


「白亜の代わりに、ガラクタを置くと?」


「《カカシ》です。今回の調査の結果でカカシの練度は数段上がるでしょう」


ディルクは柔らかく訂正する。


「地下施設には、すでに巡回経路、封鎖区画、侵入者を選別するための構造が整っています」


見取り図へ指を滑らせる。


「《カカシ》の実証試験を行う場所として、これ以上の環境はございません」


「なるほど」


ヴォルフラムは低く呟いた。


「白亜が守っていた場所を、白亜の技術を取り込んだ《カカシ》に守らせる」


「その通りです」


「最初から、帝都への導入だけが目的ではなかったのだな」


「帝都への導入は最終目的です」


ディルクは否定しない。


「ただ、そのためには帝国が無視できない実績が必要になる」


ヴォルフラムの視線が、見取り図へ戻る。


旧王朝の地下防衛施設。


現存する《白亜》。


そして、それを排除した跡へ配備される新たな警備機構。


成功すれば、単なる魔道具の試験では終わらない。


帝国が長年手をつけられなかった旧王朝の遺産を、現代の管理下へ置き直したことになる。


「設備はどうする」


ヴォルフラムが訊いた。


「設備?」


「《カカシ》を並べるだけでは実証とは呼べん」


先ほどまでとは、声の質が変わっていた。


否定する者の声ではない。


計画へ加わる者の声だった。


「継続稼働させるなら、魔石の補給所が必要だ。巡回記録を残す設備もいる。故障した個体を回収できなければ、耐久試験にもならん」


ディルクの口元が、僅かに吊り上がる。


「仰る通りです」


「各階層の扉も点検しろ」


ヴォルフラムは図面の上を指で辿っていく。


「白亜が管理していた施設なら、通常の錠ではない。現代の人間が扱えない封鎖機構が残っている可能性がある」


まただ。


ディルクの胸中に、同じ疑問が浮かぶ。


可能性を語っているようでいて、言葉が妙に具体的すぎる。


まるで、そこに何があるのかを知っているかのように。


「外部から監視する詰所も必要になる。記録官、整備士、護衛兵。実証期間は最低でも半年」


ヴォルフラムは、すでに導入を認めるかどうかを考えていない。


どうすれば成功させられるかを考え始めていた。


「随分と協力的になられましたね」


ディルクが言った。


ヴォルフラムは顔を上げる。


「勘違いするな。お前達に協力するのではない」


「では?」


「成功した計画に、私の名を残す」


迷いのない言葉だった。


「旧王政期の地下施設を復旧し、《白亜》に代わる警備機構を配備する。その事業を内務院の管轄で成功させれば、帝都への導入も進めやすくなる」


「そして、あなたの評価も上がる」


「当然だ」


ヴォルフラムは否定しなかった。


「帝国は、成果を出した者へ相応の席を与える」


大門の外にいた、義足の退役兵。


役目を失い、元の場所から押し出された男。


その一方で、新しい価値を示した者には上へ昇る道が開かれる。


ヴォルフラムは、その帝国の仕組みを誰よりも理解していた。


「君は、ビリジオンを帝都へ食い込ませたい」


ヴォルフラムが言う。


「私は、この事業を足場に上へ行く」


「互いにとって、悪い話ではございませんね」


「失敗しなければな」


二人の視線が交わる。


信頼ではない。


友情でもない。


互いが互いを利用することを理解した上での合意だった。


ただし。


ディルクには、一つだけ分からないことが残っている。


ヴォルフラムは、《白亜》についてどこまで知っている。


そして、その知識を持つ男が。


なぜ彼は今まで、旧王墓へ手を伸ばさなかったのか。


互いの腹の中(うち)がわからぬまま商談は進んでいった。


◇


帝国内務院を出る頃には、陽はすでに西へ傾き始めていた。


重厚な石造りの建物を背に、ディルクとサラは正面階段を下りていく。


商談の間、整然と並べていた資料は、再び革紐で一つに束ねられていた。


《カカシ》の設計書。


各種試験記録。


そして、《雷鳴》ライトニングを相手に行った対人戦闘試験の報告書。


その表紙には、大きく一つの数字が記されている。


――戦闘稼働時間、五分五十二秒。


サラは階段を下りながら、腕に抱えた資料へ一度だけ視線を落とした。


「ディルク様」


「何でしょう」


「先ほどのご説明について、確認してもよろしいでしょうか」


ディルクは足を止めずに答える。


「どうぞ」


「ライトニング様との戦闘時間を、あのように過大に提示してもよろしかったのでしょうか」


サラの声に、非難の色はない。


ただ、ディルクへ不利益が及ばないかを案じている。


それだけだった。


「過大ではありませんよ」


ディルクは穏やかに答えた。


「ですが、実際にライトニング様と交戦していた時間は――」


「《カカシ》は、五分五十二秒間稼働していました」


サラの言葉を遮るでもなく。


ただ、当然の事実を確認するように言う。


「起動していましたね」


「はい」


「ライトニングを敵性対象として認識していた」


「はい」


「完全停止が確認されるまで、その認識も解除されていなかった」


サラは僅かに考えた後、頷いた。


「その通りです」


「でしたら、嘘はついていません」


ディルクは柔らかく笑った。


「《カカシ》は、五分五十二秒間、戦闘状態にありました」


「四肢が機能を失った後も含まれております」


「魔力炉は動いていたでしょう」


「はい」


「感知器も」


「稼働しておりました」


「ならば、戦闘能力を完全に失ったと、誰が断定できますか」


サラは答えなかった。


否定する材料がないからではない。


ディルクがそう定義した以上、彼女の中では、すでにそれが正しい答えになっていた。


「なるほど」


やがて、小さく頷く。


「私の認識が不足しておりました」


「そこまで深く考えなくても大丈夫ですよ」


「いいえ」


サラは真剣な表情で首を横へ振った。


「今後、同様の質問を受けた際にも、正確に説明できるよう記憶いたします」


「……正確に、ですか」


「はい」


ディルクは僅かに困ったような笑みを浮かべた。


二人は階段を下りきり、迎えの馬車へ向かう。


帝国内務院の前を、多くの役人や軍人が行き交っている。


誰もが書類を抱え。


許可を求め。


数字を示し。


自らの成果を、実際より少しでも大きく見せようとしている。


ディルクにとって、五分五十二秒という数字も、その一つに過ぎなかった。


「それに」


馬車の扉へ手をかけながら、ディルクが続ける。


「ヴォルフラム閣下も、あの数字をそのまま信じたわけではないでしょう」


サラが僅かに目を細める。


「気づいておられたと?」


「当然でしょう」


「では、なぜ追及されなかったのでしょうか」


「重要ではないからです」


ディルクは馬車へ乗り込み、向かいの席へ腰を下ろした。


「五分五十二秒のすべてを、ライトニングと剣を交えていたのか。それとも、どこかに数字の解釈が含まれているのか」


サラも続いて乗り込み、扉を閉める。


「閣下が見ていたのは、そこではありません」


「では、何を?」


「《雷鳴》を試験相手として用意できること」


ディルクは指を一本立てる。


「そして、その試験を《カカシ》が最後まで成立させたこと」


二本目。


「何より、その結果を帝都まで持ち込んだビリジオンが、次に何を見せるつもりなのか」


馬車が静かに動き出す。


窓の外を、帝国内務院の建物がゆっくりと後ろへ流れていく。


「多少の数字の飾りより、そちらの方が重要だったのでしょう」


「理解いたしました」


サラは迷いなく頷いた。


「今後も、同様の形式で報告書を作成いたします」


ディルクの笑みが一瞬だけ固まる。


「……いえ」


「不都合がございますか」


「毎回とは言っていません」


「必要な場合に限る、ということでしょうか」


「そういうことにしておきましょう」


サラは、その言葉を新たな指示として受け取った。


「承知いたしました」


馬車は帝都の大通りを進んでいく。


その膝の上には。


五分五十二秒という、嘘ではない数字が記された報告書が置かれていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


旧王墓最深部


エルツーが完全に気を抜いた後、背中に触れる石床が、衣服越しに身体の熱を奪っていることを感じた。


瞼を開こうとした。


だが、右目に鋭い痛みが走り、すぐに閉じる。


「……っ」


喉から漏れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。


左手を動かそうとする。


指先は動いた。


腕もある。


脚にも感覚がある。


身体中が鉛のように重いだけで、欠けている場所はなさそうだった。


次に、音を探す。


燃える音はしない。


石が崩れる音も。


《白亜》の駆動音も聞こえない。


代わりに聞こえてきたのは、誰かが荒く息を吐く音と、遠くで瓦礫が転がる乾いた音だった。


「起きたか」


低い声が、すぐ近くから聞こえた。


オリオンだった。


エルツーは痛む右目を閉じたまま、顔だけを声の方へ向ける。


「……警備システムは?」


「静かだな」


「白亜は」


「動いていない」


短い返答。


それでもエルツーは、すぐには力を抜かなかった。


「全部……?」


「私が確認できる範囲ではな」


オリオンの声には、僅かな含みがあった。


エルツーが見たものを知っているからこそ、断言を避けたのだろう。


エルツーは再び右目を開こうとした。


「やめろ」


今度は、別の声だった。


ライトニング。


「もうその能力は使うな」


「でも……」


「お前が倒れる前に、もう確認したんだろ」


返事をしようとしたが、言葉にならなかった。


あらゆる可能性を探した。


崩れた装甲の下。


閉ざされた通路の向こう。


停止した個体が再起動する未来。


新たな《白亜》が現れる未来。


どの未来にも、動く白い影はなかった。


だからこそ。


最後に、あの言葉が出た。


――よかった。


「……そう、ですね」


エルツーは右目を開くことを諦めた。


身体から、ようやく僅かに力が抜ける。


「プリシラは?」


「無事だ」


「フェルクさんは」


「腕も生えている」


あまりにも当然のように答えられ、エルツーは一瞬、言葉を失った。


「……生えてるですか…………そういう事だったんですね、通りで……」


「気持ち悪いくらい綺麗にな」


少し離れた場所から、ライトニングの声が飛んでくる。


「本人はさっきから、袖が駄目になったって文句を言ってる」


「聞こえてるぞ」


フェルクの声が返ってきた。


いつも通りの調子だった。


それだけで、エルツーの胸に残っていた硬いものが、少しだけほどける。


「カイトとメグも?」


「ああ、新人には大変な思いをさせてしまったな」


オリオンが答える。


「怪我はあるが、命に関わるものではない」


(アムラはいるか?)


「いるよ〜」


すぐ近くで、軽やかな声が返ってきた。


どうやら、倒れているエルツーの傍らに座っているらしい。


「右目、もう当分使えないね〜」


(……そんなの、わかってる)


「あんま使わない方がいいよ?酷使してヤバくなったやつたくさん見てきたから」


咎めるような響きはなかった。


ただ、目の前で起きたことを、そのまま口にしている。


「それにしても結構使い慣れてるね、あんなに使って大丈夫?」


(必要だったからな)


「そう」


アムラは素直に納得した。


それが正しいのか。


間違っているのか。


彼女は判断しない。


ただ、エルツーが何を選び、その結果として何が起きたのかを見つめている。


「それと」


僅かに弾んだ声が続く。


「流石にみんな気づいたみたいね〜」


エルツーの呼吸が、一瞬止まった。


(……そうだろうな)


「これからもっと面白くなる〜」


楽しみにしているような。


純粋にこの行き先を知りたがっているだけのような声だった。


アムラにとっては、秘密が露見したことも。


ライトニングが何を問い。


エルツーが何を答えるのかも。


新たに観測すべき変化の一つに過ぎない。


その直後。


「おい、エルツー」


ライトニングの低い声が落ちてきた。


先ほどまで近くにあった気配が、さらに一歩だけ近づく。


「その右目、魔眼なのだろう?」


問いかけの形をしていた。


だが、その声音には確信があった。


エルツーはすぐには答えなかった。


右目を閉じていても、そこへ全員の視線が集まっているのが分かる。


「魔眼……」


少し離れた場所で、オリオンが低く呟いた。


大盾へ身体を預けたまま、倒れているエルツーを見つめている。


「話に聞いたことはある。だが、実際に目にするのは初めてだ」


「なるほどね〜」


フェルクが、再生したばかりの腕を確かめながら口を挟む。


先ほど片腕を失った人間とは思えないほど、声は普段と変わらない。


「そりゃあ、普通の冒険者じゃ説明がつかないわけだ」


新しく生え揃った指を一本ずつ動かし、納得したように頷く。


「魔眼込みでS級冒険者か。元《天龍の羽》様ってことね〜」


「えっ?」


カイトが困惑した声を上げた。


その肩には、満身創痍のメグが凭れかかっている。


メグは自力で立つことも難しいらしく、片腕をカイトの首へ回し、どうにか身体を支えてもらっていた。


顔色は悪い。


呼吸も、まだ整っていない。


それでも、エルツーたちの話を聞き逃すまいと、重そうな瞼を上げている。


「なんですか、その魔眼って」


カイトの問いに、ライトニングは答えなかった。


視線は、エルツーの右目へ向けられたままだった。


少し後ろでは、プリシラが黙って話を聞いている。


《ヨモツオオカミ》を発動した反動だろう。


その大きな身体にも疲労の色は濃い。


だが、普段のように口を挟むことはなく、不安そうな顔でエルツーを見つめていた。


「魔眼とは」


オリオンが静かに口を開いた。


「人間が本来持ち得ない力を、その目に宿したものだ」


カイトが息を呑む。


「本来、持ち得ない……?」


「ああ」


オリオンは一度、言葉を選ぶように間を置いた。


「悪魔と取引を交わした者が得る能力だと聞く」


空気が僅かに変わった。


悪魔。


その言葉だけで、カイトの表情が強張る。


メグも、カイトの肩を掴む指へ僅かに力を込めた。


プリシラの耳が、ぴくりと動く。


「悪魔との取引……」


カイトが、確かめるように繰り返す。


「代償として、とんでもない力を得る」


オリオンの視線が、エルツーへ向けられる。


「空間を曲げる眼。人の心を読む眼。命を奪う眼。伝承によって語られる能力は異なるが――」


その声が、より低くなる。


「どれも、人が持つには過ぎた力だ」


しん、と静まり返った。


崩れた《白亜》の残骸から、熱を失った破片が一つ転がる。


硬い石床へ当たり、乾いた音を立てた。


誰も、その音へ顔を向けなかった。


全員の意識が、倒れたエルツーへ集中している。


「じゃあ……」


カイトは戸惑いながら、エルツーを見る。


「エルツーさんは、悪魔と契約したんですか?」


プリシラが不安そうに眉を寄せる。


「エルツーさんが……?」


「そこはノーコメントで」


エルツーは軽く答えた。


「否定しろ」


ライトニングの声が、さらに低くなる。


「……契約はしていませんよ」


エルツーが渋々訂正する。


ライトニングはその言葉を聞いても、警戒を解かなかった。


「まったく、初めて会った時から違和感はあったのだ」


エルツーの冗談を取り合わず、一つずつ事実を並べていく。


「特にあの《カカシ》との戦いの時だ」


エルツーの指先が僅かに動いた。


「あの時はまるで、戦闘がどう動くのかを先に知っているような振る舞いだった」


「先程の馬車の馬の件もそうだ」


ライトニングはさらに続けた。


「更には先ほど、私たちに隠れろと言った時もそうだ。あいつが地面へ降りることも、胸部を開くことも、全部分かっていた」


エルツーの右手が、僅かに床を掴んだ。


「最後もだったな」


ライトニングの声が鋭くなる。


「何もない場所を、ずっと見ていた」


停止した《白亜》が再び動き出す未来。


別の通路から、新たな個体が現れる未来。


崩れた装甲の奥で、中枢が再起動する未来。


エルツーは、そのすべてを探した。


存在しないと分かるまで。


全員が生き残った未来を、確信できるまで。


「まあ、大方の予想はつくがな」


ライトニングはエルツーを見下ろしたまま問う。


「何を見ていた?」


誤魔化す余地はなかった。


エルツーは左目だけを薄く開く。


霞んだ視界の中。


ライトニングの黄色い瞳が、真っ直ぐにこちらを見下ろしていた。


「はぁ……未来です」


小さく答える。


カイトが息を呑んだ。


プリシラの目が大きく見開かれる。


オリオンでさえ、僅かに眉を動かした。


フェルクだけは驚くというより、ようやく答え合わせが済んだような顔をしている。


「やっぱりね〜」


「未来って……」


カイトが掠れた声を漏らす。


「これから起こることが、全部分かるんですか?」


「全部ではありません」


エルツーはゆっくりと首を横へ振った。


「可能性が見えるだけです」


「可能性?」


「こう動けば、こうなる。別の選択をすれば、違う結果になる」


言葉を続けるたび、頭の奥が重くなる。


「いくつもある未来の一部が、断片的に見えます」


「だから、攻撃を避けられたのか」


オリオンが訊く。


「はい」


「ライトニングがマスタースキルで攻撃するタイミングも?」


「……はい」


ライトニングの表情が、さらに険しくなる。


「それを、ずっと隠していたのか」


「……頼りにされても困りますからね」


エルツーは掠れた声で、さも当然のように答えた。


便利な力だと知られれば、使うことを求められる。


判断を委ねられる。


見えなかった未来の責任まで負わされる。


それを避けるために黙っていたということなのだろう。


「悪魔との契約ではないと言ったな」


オリオンが確認する。


「秘密です」


「なら、どこでその力を得た」


「それも……秘密です」


「話せないのか」


オリオンの声に、責める響きはなかった。


ただ事実を確認している。


それでもエルツーには、その問いが重かった。


「……今は」


絞り出すように答える。


「今は、話せません」


再び沈黙が落ちた。


カイトは困惑したまま、エルツーとライトニングを交互に見ている。


メグはカイトへ身体を預けながら、何も言わずに耳を傾けていた。


プリシラの表情には、不安と心配が入り混じっている。


フェルクは再生した腕を組み、オリオンは静かにエルツーを見据えていた。


その中で。


ライトニングだけが、はっきりと不満を表していた。


「言えない事情があることは分かった」


声は低い。


「だが、一方的に情報を握られている関係は好かない」


「……すみません」


「……ふん。まあいい」


納得したわけではない。


ただ、今ここで追及しても、それ以上の答えは得られないと判断しただけだった。


その空気を読んだのか、読んでいないのか。


フェルクが何かを思いついたように声を上げる。


「ああああああああああああ!!!」


「もしかして、金をいっぱい持ってるのって――」


エルツーは小さく息を吐いた。


「まあ、価格が上がりそうなものを選ぶことはできます」


「やっぱりかよ!」


フェルクが悔しそうに声を上げる。


オリオンは僅かに頷いた。


「なるほど。そんな力が知られれば、面倒な手合いが寄ってくるな」


未来を知る力。


戦場だけでなく、商取引にも、賭け事にも、政治にも利用できる。


知られれば、頼る者だけでは済まない。


奪おうとする者も現れる。


「くっそ〜! 俺も再生能力じゃなくて未来予知だったらな〜!」


「はは……あまりお勧めはしませんよ」


エルツーは乾いた笑いを漏らした。


右目の奥では、今も鋭い痛みが脈打っている。


未来を見られることが、利益だけをもたらすわけではない。


その代償を知っているのは、今のところエルツーだけだった。


「ですので」


エルツーは一同を見回す。


「他言無用でお願いします」


返事をする者はいなかった。


ライトニングは不機嫌そうに視線を逸らし。


オリオンは何も言わず、エルツーを見つめたまま。


フェルクは再生した腕の具合を確かめている。


カイトとメグは、まだ困惑を拭えずにいた。


プリシラだけが、何か言いたげに唇を結んでいる。


だが、その場の誰も。


魔眼について、これ以上口を開くことはなかった。


エルツーは、そんな彼らへ柔らかな笑みを向ける。


「もし、この秘密が外へ漏れるようなことがあれば――」


穏やかな声で。


世間話でもするように続けた。


「皆さんのご家族……いや一族まで、1人残らず消しますので」


カイトの顔が引きつった。


肩を借りていたメグも、僅かに身を固くする。


プリシラの耳が、ぴんと立った。


だが、ライトニングは鼻で笑っただけだった。


「ふん、お前に殺される程弱くない」


その視線が、石床へ倒れたままのエルツーへ落ちる。


右目は開かず。


自力で身体を起こす力すら残っていない。


脅しとして受け取るには、あまりにも説得力に欠ける姿だった。


オリオンも表情一つ変えない。


「我々を相手に、それを成し遂げられるのなら大したものだ」


挑発ではなかった。


自分がエルツーに殺される可能性など、考慮する必要もない。


ただ、その事実を口にしただけだった。


フェルクに至っては、面白そうに口元を吊り上げる。


「俺の一族まで辿り着けるかな〜?」


「努力はしますよ」


「その前に、俺がお前を見つけると思うけどね〜」


三人とも、エルツーの言葉を脅迫として受け取っていなかった。


魔眼がどれほど強力であろうと。


未来を見ることができようと。


それだけで、自分たちを殺せるとは微塵も思っていない。


彼らはS級冒険者だ。


誰かに命を狙われることも。


恨みを買うことも。


今に始まった話ではなかった。


「もちろん、冗談ですよ」


エルツーは微笑んだまま答える。


「……今のところは」


ライトニングは取り合わず、エルツーから視線を外した。


オリオンも、それ以上この話を続けるつもりはないらしい。


フェルクだけが、喉の奥で楽しそうに笑っている。


笑えなかったのは。


顔を強張らせたカイトとメグ。


そして、エルツーの笑顔を不安そうに見つめるプリシラだけだった。


一同のやり取りが終わった時、中央の大型白亜が音を立てて地面に崩れた。


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