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そんなにキモかったかな……

 時は遡り、クエスト出発の二日前。


 《始まりの翼》は、あの場でいったん解散していた。


 フェルクもまた、いつもの軽薄そうな笑みを浮かべたまま、ふらりとその場を離れた。

 もっとも、気まぐれに遊びへ向かったわけではない。


 腐ってもS級だ。

 受けた以上、クエストの穴を少しでも埋める気はある。


 旧王墓。

 白亜。

 ギルドマスター直轄の秘匿案件。


 情報が少なすぎる。

 だからこそ、少しでも拾えるものは拾っておきたかった。


 その中で、フェルクが引っかかっていたのは一つだけだった。


 ディルクが持ち込んでいた試作機、《カカシ》。


 白亜を模して作られた――そこまでは説明されている。

 ならば、あれがどこまで本物に寄せられていたのか。

 戦闘痕を見れば、何か拾えるかもしれない。


 そう考えて、フェルクは演習場へ足を向けた。


 演習場は静かだった。


 昼の訓練時間を少し外していることもあって、人影もまばらだ。

 フェルクは壁にもたれたり、しゃがみ込んだりしながら、床や柵や周囲の損耗をざっと見て回った。


 踏み込みの跡。

 削れた床。

 武器の擦過痕。

 衝撃で割れたらしい石材の筋。


 見えるものはある。


 だが、決め手に欠けた。


 補修も入っている。

 記録板にも肝心な部分は残っていない。

 係員に軽く探りを入れても、「ギルドマスター案件ですので」の一点張りだった。


 フェルクは床に残った浅い傷を爪先でなぞり、小さく鼻を鳴らす。


「……流石に足りないねぇ」


 痕跡から戦い方の輪郭くらいは読める。

 だが、それだけだ。


 どこまで本物に寄せたのか。

 逆に、どこを再現できていないのか。

 そこがわからない。


 戦闘痕だけでは、流石に把握しきれなかった。


「フェルクか? 珍しいな」


 床の傷を眺めていたフェルクの背に、低い声が飛んだ。


 振り向くと、そこにいたのは旧友のジードだった。


 短く刈った髪に、日に焼けた肌。

 首筋には古い傷が一本走っている。

 派手さはないが、今も現役の冒険者だと一目でわかる立ち姿だった。


「おやおや。まだしぶとく生きてたんだ」


「お前こそ……っていうのは皮肉だな」


 ジードは呆れたように鼻を鳴らす。


「どっかで女追っかけてるって噂を聞いたけど、今日はずいぶん真面目だな」


「まあなあ。俺だってたまには仕事するよ」


「仕事って……やはり復帰したのか? ってことは、ろくでもない案件なんだろ?」


 フェルクは薄く笑ったまま答えなかった。


 だが、ジードにはそれで十分だった。


「……腐ってもS級だな。昔から、お前が普通嫌がるような地味な仕事を始めた時は、大抵面倒ごとの前触れだった気がするぜ」


「死にたくないからねぇ」


「そいつはまた皮肉だな……」


 ジードは演習場を見回す。


「で、何を嗅ぎ回ってる」


 フェルクは少しだけ肩をすくめた。


「ギルマス案件の玩具だよ」


 その一言で、ジードの眉がわずかに寄った。


「……なんだそれ?」


 まるで見当もついていない様子だった。


「なんだかヤバそうだな……」


「さあ、どうだろう……」


「まあ、俺には関係ないが……」


 ジードは肩をすくめる。


「真正面から強い奴は他にもいた。けど、お前みたいに戦場そのものを捻じ曲げる規格外の奴は、あんまり見たことねえよ」


 フェルクは小さく笑った。


「それ褒めてんのか?」


「気味悪いって言ってんだよ」


「俺より気味が悪い奴はゴロゴロしてるよ……」


 軽口を交わしながらも、フェルクの視線はもう一度床へ落ちる。


 だが、何度見ても結果は同じだった。


 足りない。


 外から見てわかる程度の話なら、とっくに他の連中も気づいている。

 欲しいのはもっと中身だ。


 なら、当たる先は一つしかない。


「やっぱ、本人に聞くしかねーか」


 そう呟いて、フェルクは立ち上がった。


 ジードが片眉を上げる。


「ギルドマスターに?」


「他に答え持ってそうなやついないしね」


「まあ、それはそうか」


 ジードは少しだけ笑った。


「……死ぬなよ」


 フェルクは歩きながら、舌をだす。


「うえぇ、キモ!! 女に言われたかった!!」


「ぐっ……」


 ジードはその言葉に、わずかに顔をしかめた。


 向かう先は、ギルドマスター執務室。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 一方その頃。


 ライトニングとプリシラは、クエストの準備のため帝都北部を歩いていた。


 北部は、帝都の中でもとりわけ上流階級の息づく地区だった。

 石畳は南部より白く整えられ、通りに面した建物もどこか気取っている。

 店先に並ぶ品々も、実用一点張りの冒険者向け装備とは明らかに違った。


 装飾品。

 外套。

 杖。

 短剣。

 どれも機能性だけではなく、素材や意匠、見た目の美しさまで含めて値がついている。


 悪く言えば、実戦より見栄え。

 よく言えば、洗練されている。


 プリシラはそんな街並みに、耳をぴんと立てたままそわそわしていた。


「す、すごいです……」


「まあ、北部はこんなものだ」


 ライトニングは興味なさそうに答える。

 実際、街並みそのものには大して感動していなかった。


 彼女の目的は最初から一つだけだ。


 プリシラに、ちゃんとした杖を持たせること。


 ただそれだけだった。


 行き交う人も着飾っている、オシャレじゃないライトニングとメイド姿の獣人にヒソヒソと話をしている、とても嫌な感じだ。


それでもライトニングは気にしない、自分に自信があるのだろうそこら辺の石ころが喋っている程度だった。


プリシラは視線に落ち着かない様子だった


 初めて会った時から、どこか放っておけない娘だった。

 危なっかしくて、素直で、変に遠慮ばかりする。

 見ていると、守られることに慣れていないのがすぐにわかる。


 だからこそ、せめて道具くらいはまともなものを持たせたかった。


 妹に贈り物をする、みたいな気分だと自覚して、ライトニングは少しだけ眉をひそめる。

 我ながら、可愛いものには弱いと自己嫌悪だ。

 だが、嫌ではなかった。


「ほら、こっちだ」


 ライトニングが足を止めたのは、『アミキティア』通りの一角にある落ち着いた店だった。


 外観は派手ではない。

 だが、看板も扉も、品の良さだけは隠しようがなかった。


 プリシラが恐る恐る見上げる。


「ここ、ですか?」


「ああ。たまに来る」


「た、たまに……」


 たまに来る店の格ではない気がした。

 プリシラがそう思っている間に、ライトニングは何でもない顔で扉を開けた。


 入った瞬間、乾いた鈴の音が鳴る。


 奥から店主が顔を出し、ライトニングを認めた途端、ぱっと表情を明るくした。


「おお、これはこれは! フォークサス様! よくおいでくださいました」


 声色がわかりやすい。

 上客が来た時の声だ。


 店主は両手を擦らんばかりの勢いで前へ出る。


「本日はどういった品を? 前回ご覧になっていた雷糸銀のバレッタも、別注分が――」


 そこまで言って、店主の視線がライトニングの後ろへ滑る。


 そして止まった。


 プリシラを見た瞬間だった。


 顔が、目に見えて強張る。


「……え」


 ごく短い声だった。

 だが、それだけで十分だった。


 ギョッとしたのだ。


 プリシラはその反応にびくりと肩を揺らし、耳を伏せる。


「あ、えっと、その……」


 店主は一瞬で営業用の笑顔を戻そうとした。

 だが、遅かった。


 もう見えてしまっている。


 獣人。

 しかも、いかにも上流地区には馴染まない、素朴で若い少女。


 この店に連れて来られる客として、最初から想定していなかった顔だ。


 ライトニングの目がすっと細くなる。


「何か問題か?」


 声は低くない。

 むしろ平坦だった。

 だからこそ、店主は背筋を強張らせた。


「い、いえ、滅相もございません。ただ少々、意外でしたので……」


「私が誰を連れて来ようが、そちらには関係ないだろう」


「……っ、も、申し訳ございません」


 店主はすぐに頭を下げた。


 プリシラは居心地悪そうに視線を彷徨わせる。

 自分が場違いなのだと、そういう視線には慣れていた。

 慣れているからこそ、余計に身を縮めるしかない。


 ライトニングはちらりとプリシラを見る。


 その小ささが、余計に癪に障った。


「杖を見せろ」


 ぴしゃりと言う。


「この子に合うものだ。見た目重視でいい。ただし、芯材と魔力伝導率は妥協するな」


 店主は慌てて頷いた。


「は、はい! もちろんでございます!本当に失礼いたしました」


 丁寧に頭を下げると奥へ引っ込んでいく背中を見送りながら、プリシラがおずおずと口を開く。


「あの、ライトニングさん……わ、私、やっぱり別のお店でも……」


「大丈夫だ、この店は問題ない」


 即答だった。


 プリシラがびくっとする。


 ライトニングは腕を組んだまま、店内の棚を眺める。


「お前に似合うものを買う。ここならある」


「で、でも……」


「それに」


 そこでようやくプリシラを見た。


「慣れないかもしれないが、もっと堂々としていい」


 プリシラは目を瞬いた。


「……え」


「今の反応で縮こまるな。自信を持てお前は美しい」


 当たり前のように言い切られて、プリシラは紅葉する。


 そう言われたことが、あまりなかった。


 ライトニングはそれ以上その話を引っぱらない。

 代わりに棚の奥に並ぶ杖へ目を向ける。


「可愛いのがいいか?」


 あまりにも自然な口調で聞かれて、プリシラは数拍遅れて頷いた。


「か、可愛いの……大好きです」


「ふ、だろうな」


 ライトニングは小さく鼻を鳴らした。


「知ってる」


 プリシラは少しだけ耳を揺らした。

 さっきまで縮こまっていた肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。


 その時だった。


 店主とライトニングが杖の話をしている最中、店の奥からひょこりと一人の少女が現れた。


 童顔だった。

 年の頃は、プリシラとそう変わらないようにも見える。

 柔らかな服に身を包み、見るからに上等な身なりなのに、顔立ちは妙にあどけない。


 プリシラはぱっと表情を明るくした。


「わー、店長のお子さんかな? 可愛らしい! 私はプリシラって言うんだよ! こう見えてメイドさんじゃないんだよ〜?」


 少女はきょとんと目を丸くした。


「??」


 それから、くすりと笑う。


「ふふふ、お姉ちゃんはフォークサスさんのお連れ様ですか?」


「うん、とっても優しいんだよ? 綺麗だし!」


 少女は楽しそうに頷いた。


「そっかそっか! うちのお店はどうですか?」


 プリシラの耳がぴんと立つ。


「私には贅沢なお店だよ、綺麗で可愛くて夢みたい! 店内の雰囲気も素敵だし!!」


「そうでしょ? すごいでしょ??」


「あのブローチも素敵だし、このローブも可愛いし!! 棚も素敵だし、テーブルも素敵!!」


「うんうん! それでそれで??」


 そこから先は、もはや止まらなかった。


 プリシラは延々と店の良いところを唱え始めた。

 まるで得意な魔法の詠唱みたいに、次から次へと言葉が出てくる。


 飾られた石の色。

 布のやわらかさ。

 壁紙の模様。

 窓辺の花。

 小皿の意匠。

 椅子の脚の曲線。


 少女はそれを、いちいち満足そうに頷きながら聞いていた。


 気づけば二人は店の隅のテーブルを囲み、いつの間にか出された茶と焼き菓子をつついている。


 少女は上機嫌そのものだった。


 一方その頃、ライトニングは店主の前で相変わらず真顔のまま杖を吟味していた。


「もう少し金を施したものはないのか?」


 店主は困ったように笑う。


「それが今、金が市場にあまり出回っていなくて……どこかで買い占められているようなのです。戦争でも近いのか、皆戦々恐々としております」


 ライトニングの目がわずかに細くなる。


「そうか。ならプラチナも薄いか……」


 一瞬考え、すぐに切り替えた。


「だったらエメラルドでいい」


「ありがとうございます! 少々お待ちを――おや、オーナー。いらしてたんですね?」


 プリシラがきょとんと顔を上げる。


「……??」


 少女はカップを置き、にこりと笑った。


「店長、お疲れ様」


 プリシラの耳がぴんと立つ。


「!?」


 固まった。


 さっきまで無邪気に「店長のお子さんかな?」などと言っていた相手が、まさかのオーナーだったのだ。


 少女はそんなプリシラの反応を見ると、ますます楽しそうに笑う。


「ふふ。続きを聞かせてくださいな。テーブルのどこが素敵でした?」


 プリシラは勢いよく立ち上がった。


「お、おおお、オーナー様でしたか!? す、すみません!! わ、私、てっきり店長さんのお子さんかと……!! め、メイドさんじゃないよ? とか、わ、私、何を……!!」


 耳を真っ赤にして、ぺこぺこと何度も頭を下げる。

 尻尾までぶんぶんと慌ただしく揺れていて、もはやどこを見ればいいのかわからない有様だった。


 少女――マーサは、そんなプリシラを見て、くすくすと笑った。


「いいんですよ、いいんですよ。そんなに謝らなくても」


 口調はやわらかい。

 からかってはいるが、不快に思っている気配はまるでなかった。


「むしろ嬉しかったです。あんなに熱心に褒めてもらえること、そうありませんもの」


「で、でもっ、私、失礼なことを……!」


「失礼?」


 マーサは小首を傾げる。


「私のお店を好きだと言ってくださって、丁寧に見てくださって、お茶まで美味しそうに飲んでくださったのに?」


 プリシラは言葉に詰まる。


「そ、それは……その……本当に素敵だったので……」


「でしょう?」


 マーサはにこにこと満足げだった。


 その様子を見て、ライトニングが小さく息を吐く。


「マーサさん、人が悪いですよ……」


「いやいや」


 マーサは肩をすくめるように笑った。


「ふふふ、お店をあそこまで褒めてくれるので、つい嬉しくなってしまって」


 それから視線をプリシラへ向ける。


「ところで今日は、このプリシラ嬢に贈り物ですか?」


「はい」


 ライトニングはあっさり頷いた。


「可愛い妹のような奴です。初めてのクエストなので、記念にプレゼントするんです」


 その言葉に、今度はプリシラがまた固まった。


「い、妹……」


 ぼそりと零れた声は小さかったが、耳だけはまた忙しなく揺れている。


 マーサはそんな反応も見逃さず、目を細めた。


「それは素敵ですね。何をお探しで?」


「杖です」


「杖ですか……」


 マーサは一度だけプリシラをじっと見た。

 見た目だけを測る視線ではない。

 何かを探るような、商人らしい静かな目だった。


 ライトニングはその視線を受けても平然としている。


「マーサさん、この子の魔法はえげつないですよ?」


「?」


 マーサは瞬きをひとつした。


「そうですかそうですか」


 だが、表情は崩さない。

 ただ、にこにことした笑みの奥で、少しだけ興味の色が濃くなった。


 ちょうどその時、奥から店主が戻ってきた。


 両手で大事そうに抱えているのは、一本のロッドだった。


 杖というには少し細身で、ロッドと呼ぶ方が似つかわしい。

 白銀を基調に、柄には繊細な彫刻が幾筋も施されている。

 蔦のようにも、波紋のようにも見える意匠が、先端へ向かって流れるように刻まれていた。


 石座には深い緑の宝石――エメラルドが嵌め込まれている。

 華美すぎず、けれど見た者の目を自然と引く、美しい一本だった。


 店主は慎重な手つきでそれを差し出す。


「こちらでしたら、いかがでしょうか。金の代わりに銀細工で流れを出し、先端はエメラルドでまとめております。芯材は白梣、導線は細く三重に。見た目だけでなく、実用にも耐える品です」


 マーサが「へえ」と小さく感心したように漏らす。


 ライトニングはロッドを受け取ると、まず重さを確かめた。

 次に手首で軽く回し、先端のぶれを見て、それからプリシラへ差し出す。


「ほら、持ちなさい」


「は、はい……」


 プリシラはまだ少しおろおろしたまま、それを受け取った。


 その瞬間だった。


 先端のエメラルドが、すうっと淡い光を湛える。


 今度は先ほどのような、ただ馴染んだ程度の反応ではない。

 魔力が流れ込んだのだと一目でわかる、澄んだ発光だった。


 店主が息を呑む。


 マーサも、今度ははっきりと目を細めた。


「……まあ」


 プリシラは自分の手元を見つめたまま、目をぱちぱちさせている。


「光りましたね……」


「なかなか強い光だ」


 ライトニングが言う。


 その声音には、隠しきれない満足があった。


 マーサは椅子に腰かけたまま、頬杖をついてプリシラを眺める。


「なるほど。フォークサスさんが、わざわざ連れていらっしゃるだけはありますね」


 店主もさっきまでのぎこちなさを忘れたように、ロッドとプリシラを見比べていた。


 商品が“客を選ぶ”瞬間を見た職人の目だった。


 ライトニングは迷いなく言う。


「それにしろ」


「えっ、で、でも……!」


「いい」


 有無を言わせない声音だった。


 プリシラはロッドを抱え込むように持ち、耳を揺らす。


「こ、こんな立派なもの、わ、私には……」


「お前に似合うから買うんだ」


 ライトニングは淡々と言った。


「それだけだ」


 マーサが、ふふっと喉で笑う。


「素敵ですねえ」


 プリシラはもう、何度目かわからないくらい真っ赤になっていた。

 さっきまで店を褒めちぎっていた勢いはどこへやら、今はただロッドを抱えて小さくなっている。


 けれど、その顔にはたしかに嬉しさが滲んでいた。


それからマーサは、横に立つ店主へ目を向けた。


「店長、汚名返上できましたね」


 店長――ジョージの肩がびくりと揺れる。


「オ、オーナー……」


 マーサはにこやかなまま、今度はきちんとプリシラへ向き直った。


「ごめんなさい、プリシラちゃん。先ほどの非礼、お詫びいたします」


「え、あ、いえ、そんな……!」


「私の教育不足でした、申し訳ありませんでした。」


「オ、オーナー!?」


 ジョージが青ざめる。

 だがマーサは意に介さない。


「でも、店長であるジョージの見る目は確かです」


 そう言って、プリシラの手元の杖を見た。


「そちらの品物は保証できます」


 短い言葉だった。

 けれど、その一言には店の責任と誇りがしっかり乗っていた。


 ライトニングは腕を組んだまま、マーサを見る。


「いくらだ?」


 ジョージはすぐさま帳面を開き、静かに金額を告げる。


 その額を聞いた瞬間、プリシラの耳がぴんと立ったまま固まった。


「……え」


 数拍遅れて、顔が青くなる。


「そ、そんなにするんですか!?」


 貴族街の品だとわかってはいた。

 だが、わかっていたのと実際に耳にするのとでは話が違う。


 ライトニングは眉ひとつ動かさない。


「妥当だ、それだけの品だ」


「で、でも、わ、私にはとても――」


「だから私が買うと言っている」


 ぴしゃりと切られて、プリシラは口をぱくぱくさせた。


 マーサはその様子を眺めながら、にこりと笑う。


「ありがとうございます、これが精一杯の価格です」


 言い方は柔らかい。

 だが、芯ははっきりしていた。


「申し訳ありませんうちはお店ですから。良い品には、それに見合うお値段が必要です」


 ライトニングも短く頷く。


「それでいい」


 マーサはそこで少しだけ悪戯っぽく目を細めた。


「その代わり、と言ってはなんですが」


 プリシラがきょとんと顔を上げる。


「この杖の一部に、この子の銀細工の刻印を入れましょう」


「ぎ、銀細工!?刻印!?」


「ええ。名前をそのまま彫るのは野暮ですから、意匠として。あなた専用だとわかるように」


 マーサはロッドの柄を指先でなぞる。


「注文扱いにして、仕上げ直します。特別に追加料金は不要です」


 ジョージも今度は素直に頷いた。


「私が責任をもって仕上げます」


 プリシラはロッドを抱えたまま、何も言えずにいた。

 高価すぎる。

 立派すぎる。

 しかも、自分だけの印まで入る。


 そんなものを、自分が持っていいのか。

 頭が追いつかない。


 ライトニングはそんなプリシラの横顔を見て、とても満足そうだった。


「よかったな」


 その一言で、プリシラの目がじわっと潤む。


「……はい」


 か細い返事だった。

 けれど、その目尻には宝石よりも美しい水滴が光っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 更にその頃。


 ビリジオン併設訓練場では、カイトとメグが並んで椅子に座っていた。


 二人の前には、木札を首から下げた中年の講師が立っている。


 札には大きくこう書かれていた。


『初心者冒険者向け・今日からできる安全講習』


 カイトは背筋を伸ばし、膝の上に置いた拳をぎゅっと握っていた。

 メグも隣で緊張した面持ちをしている。


 クエスト出発は二日後。


 旧王墓。

 白亜。

 ギルドマスター直轄。


 聞けば聞くほど、ただごとではない言葉ばかりだった。


 だが、二人に何ができるのかはわからない。


 剣を振ればいいのか。

 魔法の練習をすればいいのか。

 装備を買えばいいのか。

 強そうな冒険者の真似をすればいいのか。


 何もわからない。


 だから二人は、とりあえず初心者向け講習を受けることにした。


「いいですか、皆さん」


 講師のビピンは穏やかな声で言った。


「冒険者に一番必要なもの。それは、無理をしない心です」


 カイトは真剣に頷いた。


「はい……!」


「まず、知らない場所へ一人で行かない。知らない魔物に近づかない。知らない草を食べない。知らない穴を覗き込まない」


「はい!」


「特に穴は危険です」


「穴……!」


 カイトは真面目に復唱した。


 メグは少しだけ眉を下げる。


 大事なことなのはわかる。

 わかるのだが、今回向かうのは旧王墓である。


 穴を覗き込まない、という話で済むのだろうか。


 講師は木板を一枚掲げた。


 そこには、丸っこい緑色の魔物の絵が描かれている。


「こちらが低級魔物の代表格、スライムです」


「スライム……」


「動きは遅く、力も弱いですが、服を溶かす種類もいるので注意してください」


「服を!?」


 カイトがぎょっとする。


 メグも思わず自分の袖を握った。


「次に、こちらが角ウサギです。見た目は可愛いですが、突進されると脛をやられます」


「脛……!」


「そして森ネズミ。噛まれると痛いです」


「痛い……!」


「ここで重要なのは、どんな魔物でも油断しないことです」


 講師の言葉は正しい。


 間違ってはいない。


 だが、カイトの顔色はどんどん悪くなっていった。


 スライムで服が溶ける。

 角ウサギで脛をやられる。

 森ネズミに噛まれる。


 では、白亜とは何なのか。


 低級魔物ですらそんなに危ないなら、旧王墓にいる謎の番人など、もはや触れた瞬間に死ぬのではないか。


 カイトの中で、想像だけがどんどん膨らんでいく。


「メグ」


「なに?」


「俺たち、スライムからやった方がよかったんじゃないか」


「それは……うん、私もめちゃくちゃ感じてる」


 二人は小声でそう言い合った。


 講習はさらに続く。


「初心者におすすめの持ち物は、まず水筒。次に携帯食。火打ち石。簡易包帯。縄。笛。小型ナイフ。予備の靴下」


「靴下……!」


「足元は命です」


「足元は命……!」


 カイトはほとんど信徒のように頷いていた。


 メグは横目でそれを見ながら、かなり不安になってきた。


 カイトは素直だ。


 とても素直だ。


 だからこそ、今の話も全部そのまま胸に刻んでいる。


 もちろん悪いことではない。


 ただ、この調子だと出発前に背嚢が靴下でいっぱいになるかもしれなかった。


「それでは最後に、冒険者の心構えです」


 講師はゆっくりと周囲を見回した。


「危険だと思ったら、逃げる。わからないと思ったら、聞く。疲れたら、休む。仲間とはぐれたら、動かない」


 カイトは真剣に頷く。


「逃げる。聞く。休む。動かない……」


「そして、報告・連絡・相談を怠らない」


「報告、連絡、相談……!」


 カイトの表情が、ついに青ざめた。


 メグが小声で尋ねる。


「どうしたの?」


「俺……冒険者って、もっと剣を振って魔物を倒す仕事だと思ってた」


「うん」


「でも、思ったより確認事項が多い」


「うん……」


「俺、向いてないかもしれない」


「勘弁してよ……」


 メグは思わず落胆した。


 講習が終わる頃には、カイトは完全に追い詰められていた。


 訓練場の隅で、彼は配られた初心者向け冊子を何度もめくっている。


『森で迷ったら木の根元を確認しましょう』

『食べられる草と食べられない草』

『冒険者登録後、最初の三ヶ月で気をつけること』

『靴擦れの対処法』


 どれも有用だった。


 有用ではある。


 だが、二日後の旧王墓に直接役立つかと言われると、少し怪しい。


「メグ、食べられる草の見分け方って覚えた?」


「今はたぶん、草を食べる予定はないと思う」


「でも、何があるかわからないだろ?」


「旧王墓の中に草が生えてたら、それはそれで怖いよ」


「確かに……!」


 カイトが真剣に震える。


 その時だった。


「おやおや、随分と熱心な新人がいるじゃないか」


 横から軽い声がかかった。


 二人が振り向くと、そこには一人の冒険者が立っていた。


 革鎧に短剣。

 腰にはやや使い込まれた袋。

 胸元の認識票は銅色に近い。


 おそらくD級冒険者だ。


 年は二十代後半ほど。

 気安い笑みを浮かべているが、その目はどこか値踏みするようだった。


「君たち、最近登録したばかりかい?」


「はい!」


 カイトが即答する。


 メグは一歩だけ身を寄せた。


(何これ……デジャブ??)


「そうかそうか。いやあ、初々しいね。俺も昔はそうだったよ」


 D級冒険者は大げさに頷いた。


「でもね、講習だけじゃ足りないんだ。実戦で本当に大事なのは、先輩冒険者しか知らない裏技ってやつでね」


「裏技……!」


 カイトの目が輝いた。


 メグの顔は曇った。


 D級冒険者は懐から小さな包みを取り出す。


「例えばこれ。魔物除けの香だ。これを持っているだけで、低級魔物は寄ってこない」


「すごい!」


「しかも今日は特別に、新人応援価格で銀貨五枚」


「銀貨五枚……!」


 カイトはすぐに財布へ手を伸ばした。


 メグが慌ててその腕を掴む。


「待って、カイト」


「でもメグ、魔物が寄ってこないんだぞ」


「そんな便利なものが銀貨五枚で買えるなら、講習で教えてくれると思う」


「た……確かにだけど……」


 カイトは手を止めた。


 D級冒険者は笑みを崩さない。


「いやいや、ギルドはこういう非公式の品を大っぴらに勧められないんだよ。わかるだろ? 大人の事情ってやつさ」


「なるほど!! 大人の事情……!」


 カイトの手がまた財布へ伸びる。


 メグは今度は両手で止めた。


「カイト、やっぱりだめ」


「でも、大人の事情なら仕方ないんじゃ」


「なんかエルツーさんとは違う気がする!!」


「だが、先輩冒険者が言ってるし」


「その先輩冒険者、さっきから私たちの財布しか見てないよ」


 メグは必死だった。


 カイトは純粋すぎる。


 疑うという選択肢が、まるでない。


 D級冒険者はわずかに目を細めたが、すぐに笑顔を作り直した。


「お嬢ちゃんは慎重だね。いいことだ。でも、慎重すぎると機会を逃すよ?」


「あ………い、いえ、それでも私たちは大丈夫ですので……」


「まあまあ。じゃあ、こっちの幸運の方位磁石はどうだい? 迷宮で迷わなくなる優れものだ」


「迷宮で!」


 カイトがまた反応する。


「カイト!」


「だってメグ、迷わなくなるんだぞ!」


「旧王墓で方位磁石が効くかもわからないよ!」


「それもそうかもしれないけど……」


 カイトはまた止まる。


 D級冒険者のこめかみが、ほんの少しだけ引きつった。


 押せばいける。

 だが隣の少女が邪魔をする。


 そう判断したのだろう。


 彼は今度は声を低くした。


「君たち、何か大きなクエストでも控えてるんだろう? 顔を見ればわかるよ。不安なんだろ?」


 カイトの表情が固まる。


「……はい」


「そういう時こそ、準備がものを言うんだ。金を惜しんで命を落とした新人を、俺は何人も見てきた」


「何人も……」


 カイトの顔色が変わった。


 メグも言葉に詰まる。


 脅しだとは思う。


 だが、完全に嘘とも言い切れない。


 命を落とした新人がいるのは、おそらく事実だ。


 D級冒険者はそこを逃さなかった。


「だからさ、これは親切で言ってるんだ。魔物除けの香、幸運の方位磁石、疲れ知らずの干し肉。この三点で――」


「おい」


 その声は、唐突に割り込んできた。


 低く、荒っぽく、少し面倒くさそうな声。


 D級冒険者の肩がびくりと跳ねる。


 カイトとメグが振り返ると、そこに立っていたのは一人の男だった。


 短く刈った髪。

 日に焼けた肌。

 首筋には古い傷が一本。


 派手さはない。


 だが、立っているだけで空気が変わった。


 さっきフェルクと別れたばかりのジードだった。


「何売ってんだ、お前」


 ジードはD級冒険者をじろりと見た。


 その視線を受けた瞬間、D級冒険者の顔から笑みが消える。


「い、いや、これはその……新人に助言を」


「魔物除けの香?」


「……」


「幸運の方位磁石?」


「……」


「疲れ知らずの干し肉?」


 ジードは鼻で笑った。


「そいつはいいな。俺にも売ってくれよ」


 D級冒険者は一歩下がる。


「じ、ジードさんには関係ないでしょう」


「ああ、関係ねえな」


 ジードはゆっくり近づいた。


「だから、今すぐどっか行け。関係ねえうちにな」


 それ以上の言葉は必要なかった。


「お……俺だって被害者だ、無理やり買わされたんだ!! くそ!!」


 D級冒険者は舌打ちすらできず、包みを懐へ戻すと、足早にその場を離れていった。


 カイトはぽかんとその背中を見送る。


「……もしかして、悪い人だったんですか?」


 ジードはカイトを見る。


 しばらく無言だった。


 それから、深くため息をついた。


「元々はいい奴だったさ」


 ジードは深いため息を吐く。


「ところで、お前、よく今まで無事だったな」


「えへへっ」


「褒めてねえ」


 メグがぺこりと頭を下げる。


「あ、ありがとうございました。助かりました」


「礼はいい。ああいうのは、どこにでもいる、悲しいがな」


 ジードは面倒くさそうに頭をかいた。


「新人は焦ってる時が一番引っかけやすいからな」


 カイトははっとした顔になる。


「俺、焦ってるように見えましたか?」


「見えた」


「そんなに?」


「財布が先に返事してた」


「財布が……」


 カイトは自分の財布を見下ろした。


 メグは少しだけ呆れたように息を吐く。


 ジードは二人の手元にある初心者講習の冊子を見る。


「講習受けたのか」


「はい!」


「で、余計に不安になったと」


「はい!」


「そこは元気よく認めるな」


 ジードはまたため息をついた。


 それから、腰の袋をごそごそと漁る。


「なら、これを読め」


 そう言って取り出したのは、一冊の薄い本だった。


 表紙は擦り切れている。

 何度も読まれたのか、角も丸くなっていた。


 タイトルには、力強い文字でこう書かれていた。


『戦場で死なないための百の心得』


 その下には著者名らしき文字もあったが、長年の擦れでほとんど読めない。


 ただ、かろうじて残った筆跡には、どこか妙な迫力があった。


 カイトの目が丸くなる。


「いいんですか?? 大切な本では!?」


「いいんだ、もう覚えた」


 ジードは本をカイトに押しつける。


「全部が詰まってる」


「全部……!」


 カイトは両手で本を受け取った。


 その扱いはもはや聖典だった。


 メグは横から表紙を覗き込む。


「百の心得……」


「難しいことは書いてねえ」


 ジードは言った。


「むしろ、当たり前のことしか書いてない」


「当たり前のことですか?」


「ああ。飯を食え。寝ろ。武器を手放すな。知らない音を無視するな。勝てない相手とは戦うな。仲間の声を聞け。怖いと思ったら足元を見ろ。死にそうな時ほど息を吐け」


 カイトはごくりと唾を飲み込んだ。


「すごい……」


「いや、だから当たり前のことだ」


 ジードは呆れたように言う。


「けど、当たり前のことができねえ奴から死ぬ。あの人の本は、そこをしつこいくらい書いてる」


 カイトは表紙を見つめた。


 派手な必殺技の解説でもない。

 魔物を一撃で倒す奥義でもない。

 読むだけで強くなる秘伝書でもない。


 それでも、不思議と胸に残った。


 死なないための心得。


 今の自分に必要なのは、もしかしたらそういうものなのかもしれない。


「読みます!」


 カイトは迷いなく言った。


「全部覚えます!」


「そうだな。穴が開くほど読め」


「はい! 全部覚えるくらい読みます!」


「俺なんて句読点の位置すら覚えてる」


 メグが横で小さく笑った。


「カイト、またすぐ信じてる」


「なんで疑う必要があるんだ?」


「……さっきも胡散臭い冒険者を信じてたんだよ?」


「あれは……大人の事情で……」


「はあ……まだ言ってる」


 メグは呆れたように笑う。


 そのやり取りを見て、ジードは少しだけ口元を緩めた。


 若い。


 危なっかしい。


 見ているだけで不安になる。


 けれど、なぜか大丈夫な気がした。


 焦って、空回りして、何もわからないまま必死に何かを掴もうとしている。


 そんな姿は、もう随分と遠いものになっていた。


 ジードはふと、さっき演習場で会ったフェルクのことを思い出す。


 あいつも昔は、こんな目をしていた時期があったのだろうか。


 いや。


 想像しようとして、すぐにやめた。


 気持ち悪かった。


「その本、返さなくていい」


「えっ、いいんですか?」


「ああ。どうせ古い版だ」


「ありがとうございます!」


 カイトは深々と頭を下げる。


 メグも慌ててそれに続いた。


「本当にありがとうございました」


「いい。騙されそうになったら、まず隣の子の話を聞け」


「はい!」


「はは、お前は返事だけはいいな、名前覚えたぞ。頑張れよカイト! メグ!」


 ジードは大笑した。


 カイトとメグは、もう一度礼を言って歩き出す。


 カイトはさっそく本を開きながら歩こうとして、メグに袖を引かれた。


「歩きながら読むと転ぶよ」


「でも、早く読まないと」


「転んだら一つ目の心得から失敗だと思う」


「確かに!」


 二人の声が、少しずつ遠ざかっていく。


 ジードはその背中を見送った。


 頼りない背中だった。


 剣も、盾も、まだ身体に馴染んでいない。

 歩幅も迷いがちで、明らかに経験が足りない。


 それでも、二人は前を向いていた。


 怖がりながら。

 焦りながら。

 それでも、少しでも先へ進もうとしている。


 その姿が、なぜか妙に眩しかった。


「……死ぬなよ」


「またキモいこと言ったかな……歳かな……」


 今度は、からかう相手もいない。


 ジードの声は、誰にも届かず訓練場のざわめきに溶けていった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 人気の少ない廊下を抜け、階段を上がる。

 その途中で、フェルクは前方から歩いてくる華麗な一団を見て、ほんの少しだけ目を細めた。


 《天龍の羽》だった。


 先頭はセリス。

 後ろにラミア、イゼルナ、カティアが続いている。


 誰も口を開いていない。

 それでも、あの一団だけ空気が違った。


 フェルクは壁に寄り、何気ない顔で道を空ける。


 すれ違いざま、ラミアがちらりとこちらを見た。

 警戒とも、苛立ちともつかない目だった。


 セリスは一度も足を止めない。

 ただ、その横顔だけで十分だった。


 ――まだ燻ってるな。


 フェルクは小さく口の端を上げる。


「こわ」


 もちろん、本気で怖がっているわけではない。

 ただ、わざわざ今触りにいくほど酔狂でもなかった。


「……ま、あいつらがそんな簡単に尻尾を出すわけねーか」


 気を取り直し、執務室の前まで来たところで、フェルクは足を止めた。


 扉の脇で、サラが書類を整理していた。


 フェルクの姿を認めた瞬間、サラの目が冷えた。


 嫌悪というより、査定だった。

 いてほしくない人間が来た、と一目でわかる視線。


「何の用ですか」


 声にも一切の温度がない。


 フェルクは口元だけで笑った。


「挨拶もなし? 可愛い顔してつれないねえ」


「要件をどうぞ」


 ぴしゃりと返される。


「ギルマスに用事」


「『ギルドマスター』です。見ればわかります」


 サラは書類を抱え直した。


「ですが、内容によってはお通しできません」


「そこをなんとかぁ〜」


「お帰りください」


 サラはフェルクをまっすぐ見た。


「あなたが真面目な顔で来る時は、大抵ろくでもない話です」


 フェルクが少しだけ眉を上げる。


「真面目な顔に惚れちゃった?」


「ディルク様を見習ってから来い」


 即答だった。

 そこには迷いも、遠慮もない。


 フェルクは小さく肩をすくめた。


「で、今日は通してくれるの?」


「ディルク様が拒否されない限りは」


 サラは扉へ視線を向けることもなく言う。


「ただし、無駄な軽口を叩くなら今ここで帰ってください」


「そういうとこ好きよ」


「あなたに割く愛想はありません」


 今度ははっきりと言い切った。


 フェルクは一瞬だけ黙り、それからふっと笑う。


「そこまで言われると、尚更そそられるなぁ」


 サラの表情は動かない。


「用が済んだら速やかにお帰りください」


 完全に、客ではなく処理対象を見る目だった。


 その時だった。


「ふふふ、楽しそうですね。そろそろ来る頃だと思っていました。どうぞ、入ってください」


 閉ざされた扉の向こうから、ディルクの落ち着いた声が届いた。


 サラの眉が、ほんのわずかにだけ動く。


 フェルクは口元を歪めた。


「うわ、聞いてた」


「ディルク様は最初からそういう方です」


 サラは冷えた声のまま言った。


 フェルクは肩をすくめる。


「ほんと、食えない爺さんだねえ」


「あなたの方がおじさんに見えます。あとその台詞を次に発した時は消します」


 サラは扉の前から半歩だけ退いた。

 通してはいる。だが歓迎は一切していない。


 フェルクはひらひらと手を振る。


「はいはい。じゃ、お邪魔しますか」


 サラは何も答えない。

 ただ、扉を開けるフェルクの背中を、最後まで冷えた目で見ていた。


 扉が閉まると、執務室の中はひどく静かだった。


 ディルクは机の上の書類を脇へ寄せ、向かいの椅子を軽く示した。


「どうぞ」


「いいソファあんね〜」


「あなたが真面目な顔で来る時は、こちらもそれなりに真面目に応じるべきでしょう」


 フェルクは肩をすくめながら椅子に腰を下ろした。


「で、《カカシ》だ」


「ええ」


 ディルクはあっさり頷いた。


「旧王墓の《白亜》を参考に設計した試作機です」


「そこまでは聞いた」


「では、その先ですね」


 ディルクは引き出しを開け、薄い資料束をひとつ取り出した。


 フェルクの目がわずかに細くなる。


「……ずいぶん素直だね」


「隠す必要が薄いからです」


 ディルクは資料を机の上に置いた。


「あなたが知りたいのは、おそらく“どこまで寄せたか”と、“どこが別物か”でしょう」


「話が早くて助かるよ」


「まず、《カカシ》は《白亜》の戦闘挙動を一部模倣しています。特に、武装の運び方、初動の重心移動、視界外への反応、複数目標への切り替え。そのあたりはかなり参考にしました」


 フェルクは資料に目を落とす。


 そこには簡素な図と、短い注記だけが並んでいた。

 細かい設計図ではない。

 あくまで、戦闘傾向の要約だ。


「ただし」


 ディルクはそこで人差し指を立てた。


「本物の《白亜》は、これより遥かに精度が高い」


「だろうね」


「《カカシ》はあくまで試作です。再現度で言えば、せいぜい輪郭をなぞった程度でしょう」


 フェルクは一枚めくる。


「中型ってのは?」


「人型。武装持ち。おそらく長柄武器」


「おそらく?」


「記録が完全ではないので」


 ディルクは平然と言った。


「ただ、王政末期の防衛機構である以上、対集団戦を想定しているはずです。広間や通路で制圧力を出すなら、長柄武器が最も自然です」


「ふぅん」


「それと小型は数。中型は制圧。大型は最奥固定。これはおそらく変わりません」


 フェルクの視線が、そこで止まる。


「……大型まで見てんの?」


「詳しくは確認できていません」


 ディルクは微笑した。


「ですが、配置思想は見えます」


 その言い方に、フェルクは小さく笑った。


「やっぱ狸だねえ」


「お互い様です。褒め言葉として受け取っておきます」


 フェルクは資料をもう一枚めくった。


「弱点は?」


 ディルクは少しだけ間を置いた。


「断定はできません」


「使えない返しだな」


「ですが、旧式機構である以上、現代魔法への耐性が完全ではない可能性は高い」


 そこでディルクは視線を上げる。


「特に、王政末期には存在しなかった系統の魔法には、対策が薄いのでは、と考えるのが自然です」


 フェルクは何も言わない。


 だが、その沈黙だけで十分だった。


 ディルクは続ける。


「あなたなら、そこまで言えばかなり有用でしょう?」


「……買いかぶりすぎだなあ」


「私は認めてますよ?」


 フェルクは鼻を鳴らし、資料を閉じる。


「他には?」


「《カカシ》と本物を同一視しないことです」


 ディルクの声が少しだけ低くなった。


「参考にはなります。ですが、安心材料にはなりません。むしろ逆です。試作で再現できた範囲だけでも、あれだけ厄介だった。なら、本物はそれ以上だと考えるべきでしょう」


 フェルクはしばらく黙っていた。


 机の上の資料へ落としていた視線を、ようやく上げる。


「……ずいぶん親切だね、今日」


「必要だからです」


 ディルクは即答した。


「あなた方投資先には、できるだけ生きて戻ってもらわないと困る。こちらもそれだけのリスクは背負っていますよ」


 その言葉には温度があった。

 だが同時に、別の計算も透けて見えた。


 フェルクは口元を歪める。


「ほんと、食えないねえ。本音はどこよ?」


「ふふふ、お互い様では?」


 ディルクは穏やかに笑った。


 フェルクは立ち上がり、資料束を手に取る。


「借りるよ」


「どうぞ。ただし、持ち出しはそこまで。複写は禁止です」


「ちぇ、ならいいわ」


 扉へ向かいかけて、フェルクはふと思い出したように足を止めた。


「……あんた、どこまで計画してる?」


 ディルクは目を伏せ、ほんのわずかに笑う。


「その質問に答えるほど、私は親切ではありませんね」


 フェルクは一拍置いてから、吹き出した。


「違いない、愚問だったな」


 そうして彼は、飄々と執務室を後にした。


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