最近こんなんばっか……
旧王墓の地下施設は、墓そのものではない。
王墓へ至るための前室であり、防衛区画であり、許された者だけを奥へ通すための選別機構でもあった。
普段であれば、白亜は一層から分散して各区画を警護している。
侵入者を見つければ、段階的に削り、近づかせない。
それが本来の運用だ。
だが今回は違う。
何が原因でこうなっているのかは、まだわからない。
ただ、警戒レベルが最大まで引き上げられているのは確かで、白亜の存在を感じることができなかった。
だからこそ、入口付近は妙に静かだった。
静かすぎる、というべきかもしれない。
エルツーはディルクから託された鍵を見下ろした。
重厚な古びた金属製。
ただの物理鍵ではない。
表面には何十もの魔法陣が細かく刻まれ、鍵そのものがひとつの術式として組み上げられている。
旧王墓の地下施設は、許可なき侵入を拒むための場所だ。
鍵を差し込む行為は、ただ錠を開けることではない。
封印に対して、正規の手順で応答することに等しかった。
エルツーがそれを錠へ差し込む。
かちり、という単純な音では終わらない。
微かな振動が指先へ伝わり、扉に刻まれた魔法陣がひとつ、またひとつと淡く発光していく。
封が解かれていく。
順番に。
慎重に。
まるで施設そのものが、侵入者ではなく“許可された来訪者”かどうかを確かめているようだった。
最後に、地の底で何か巨大な機構が噛み合うような鈍い音が響く。
重たい扉が、ゆっくりと開いた。
地下から流れてきたのは、長く閉ざされていた埃の匂いだった。
中は、少なくとも第一印象ではダンジョンらしくない。
魔物の気配も、物音もほとんどない。
壁も床も、朽ち果てた遺跡というよりは、使われなくなった公共施設のようだった。
人のために作られた空間のはずなのに、今はその“人”だけが綺麗に抜け落ちている。
その空白が、妙に不安を煽った。
カイトが思わず喉を鳴らす。
「……静かですね」
「静かすぎるよね」
メグが小さく返す。
エルツーは二人の声を背に聞きながら、暗い通路の奥を見た。
「普段なら、もう少し手前から出てきてもおかしくないらしいのですが」
さらりと言ったその一言に、カイトとメグの顔が引きつる。
「お、おかしくないって……」
だがエルツーは構わず続けた。
「警戒レベルを最大まで引き上げて、奥へ寄せているんでしょう。戦力を分散させるより、最重要区画の防衛を優先したんだと思います」
つまり。
ここが静かなのは、安全だからではない。
もっと奥が危険だからだ。
カイトとメグは揃って黙り込んだ。
エルツーはそんな二人を振り返り、いつもの穏やかな顔で笑う。
「とりあえず、ある程度のところまでは僕が先導しますね」
そう言って、ためらいもなく歩き出した。
地下通路の奥へ。
迷いなく。
まるで何度も来たことがあるかのように。
一層は管理区画だった。
壁際には用途のわからない古い台座や、停止したままの補助機構が並び、ところどころに白亜用と思しき格納口が口を開けている。
何もいない。
だが、何もないとは思えない。
フェルクは視線だけで床や壁をなぞりながらついていく。
時折、わずかに進路を変えるのは、目に見えない罠や警報線を避けているのだろう。
結局、一層では何も起きなかった。
警戒していた罠も、待ち構えているはずの白亜も、影すら見せないまま、気づけば通路は終わりに差しかかっている。
拍子抜けするほどあっさりと。
まるで「ここは通っていい」とでも言われているかのように、彼らはそのまま次の階層へと足を踏み入れた。
二層は書庫だった。
棚はまだ大半が残っている。
けれど、収められている本や紙束はどれも埃をかぶり、題名を見ても価値があるとは思えないものばかりだった。
誰のものとも知れない日記。
古い料理覚え書き。
洗浄帳簿。
おまじない集。
雑記帳にも満たないような紙束。
メグが思わず呟く。
「……これ、ほんとに王墓の書庫?」
「そう思うよねえ」
フェルクが肩越しに笑う。
だがエルツーは一瞥しただけで足を止めない。
三層は祭祀庫と副葬庫を兼ねたような空間だった。
だが、ここにも金目のものはほとんど残っていない。
欠けた祭器。
意味のわからない奉納具。
王族しか使わなそうな意匠の道具。
どれも古び、今では価値の判別すら難しいものばかりだった。
カイトは拍子抜けした顔を隠せなかった。
「もっとこう……財宝とか、あるのかと……」
「王墓って言われたら、そっちを想像するよね」
メグも小さく頷く。
だがやはり、エルツーは迷わない。
見るべき場所と、見なくていい場所を最初から知っているみたいに、淡々と先へ進む。
いくつかの扉の前を、エルツーは当たり前のように素通りした。
それだけならまだいい。
だが、その中には、フェルクが“嫌な匂い”を感じる扉も混ざっていた。
床の石目が不自然に綺麗なもの。
扉の取っ手だけ妙に新しいもの。
蝶番の位置に対して、扉の重さが合っていないもの。
危険なトラップがありそうだ、と直感する類の扉だ。
フェルクが何度か目をやる。
だがエルツーは、一瞥すらしない。
最初からそこに価値がないと知っているみたいに、どんどん目的地へ進んでいく。
カイトとメグの緊張感は、少しずつ抜け始めていた。
最初は肩をこわばらせ、息を潜め、周囲のちょっとした物音にもびくついていた。
けれど、何も起こらない。
敵も出ない。
罠も踏まない。
ただ古い通路を歩いているだけ。
このままでは、ただの散歩だった。
メグが小声で囁く。
「……思ったより普通、かも」
カイトも少しだけ息を抜く。
「う、うん……もっとこう、いきなり何か飛び出してくるのかと……」
プリシラもワンドを抱えたまま、おそるおそる頷いた。
だが、ライトニングとオリオン、それにフェルクは違った。
三人とも気づいていた。
散歩しているような男に、恐ろしさを感じていた。
ライトニングが低く言う。
「おい」
先頭のエルツーが少しだけ首を傾ける。
「なんでしょう?」
「なぜ道がわかる」
その問いは短かった。
だが、後ろの全員がそれを聞きたかった。
エルツーは歩みを止めないまま答える。
「事前に情報をもらったので……」
そうかもしれない。
そうかもしれないが、あまりにも華麗すぎた。
白亜がいつ出てくるかもわからない。
どこで警備トラップが切り替わるかもわからない。
なのに、この男はあまりにもスイスイ進んでいく。
躊躇がない。
確認がない。
試しがない。
まるで、通ったことがあるみたいだ。
フェルクが鼻を鳴らす。
「情報、ねえ」
オリオンも前を見たまま呟く。
「地図を読んでる動きじゃない」
ライトニングは黙っていた。
けれど、その目だけが細くなっていく。
――天龍の羽だった男。
なぜクビになった?
なぜこんなにも平凡なのか?
平凡な顔。
平凡な声。
平凡な立ち方。
なのに、平凡ではないところばかりが増えていく。
底知れぬエルツーという男の違和感が、じわじわと膨らんでいく。
ライトニングは、この中でたぶん一番、エルツーと付き合いが長い。
それでも情報が少なすぎた。
何も知らない。
何を考えているか。
どこまで見えているか。
何を隠しているか。
知っているのは、追放されたことと、やけに人を見る目があることと、妙なところで物事の重要な扉を開けられることだけだ。
それだけでは、あまりにも足りない。
前方で、エルツーがようやく足を止めた。
そこは少し広い踊り場のような場所だった。
左右に小さな通路。
正面に、他より重そうな両開きの扉。
扉には古い封印刻印が薄く残っている。
エルツーは振り返った。
「ここから先は、少し変わるかも」
その言い方に、カイトとメグの背筋がまた伸びた。
プリシラの耳もぴんと立つ。
フェルクがじっとエルツーを見る。
「……少し、ね」
エルツーは苦笑した。
「たぶん」
ライトニングが一歩前へ出る。
「お前」
「どうしました?」
「情報をもらった、だけじゃないだろ」
通路の空気が、少しだけ冷えた。
エルツーは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目を逸らしかけた。
けれどすぐ戻す。
「そう見えます?」
「舐めるなよ」
フェルクも低く笑う。
「見えるどころじゃないねぇ」
オリオンは無言。
だが、その沈黙は完全に同意だった。
メグとカイトは、ようやく自分たちの安心が的外れだったと気づき始める。
この地下が不気味なのではない。
この地下を当然のように歩いている男の方が、今はよほど不気味だった。
プリシラだけが少し困ったように言う。
「え、えっと……エルツーさんは、すごい、ってことではなくて……?」
フェルクが肩をすくめる。
「すごいのはすごい。
でも、それと気味が悪いは両立するんだよ」
「は、はい……」
エルツーは小さく息を吐いた。
「まあ、ここまで来たら一つだけ言っておくけど」
全員の視線が集まる。
「この先は、僕でも知らない」
その言葉は、逆に妙な重みがあった。
ライトニングが目を細める。
「……“ここまでは知ってた”ってこと?」
エルツーは少しだけ笑った。
「そこは、うまくごまかしたかったんだけどね」
その瞬間だった。
通路の奥。
正面の重い扉の向こうから、
ご、と。
低く、石を擦るような音が響いた。
全員の表情が一気に変わる。
オリオンの手が剣にかかる。
ライトニングの重心が落ちる。
フェルクが音もなく位置をずらす。
プリシラはワンドを握り直し、カイトとメグの呼吸が浅くなる。
エルツーだけが、その扉を見たまま小さく言った。
「……ほらね」
その声音には、もう冗談の色はなかった。
最重要部へ続く扉の隙間から、白い影が滑り出してきた。
小型の《白亜》だった。
かしゃ、かしゃ、かしゃ、と規則的な音が重なる。
小型の白亜が最奥部の扉から次々と湧き出してきたのだ。
全長は1.3mほど。
白い外殻に包まれたその姿は、どこか祈るような清潔さを持ちながら、動きだけがひどく生々しい。
四本の脚で虫のように床を刻み、硬質な音を響かせながら迷いなくこちらへ向かってくる。
足先は刃物のように鋭く、石床に触れるたび、嫌な引っかき音を立てた。
小さい。
だが、小さいからこそ数で来るのだと、一目でわかる不気味さがあった。
エルツーはすぐに後ろへ下がった。
「来た」
その一言と同時に、ライトニングとオリオン、フェルクが前へ出る。
動きに迷いはない。
訓練ではなく、実戦の反応だった。
エルツーはカイトとメグの肩を軽く押して、後方へ立たせる。
「二人とも、ここからはS級の実力をしっかり目に焼き付けましょうね」
カイトとメグは頷くことしかできなかった。
声が出ない。
エルツーは続けて、プリシラへ視線を向ける。
「プリシラは今回は補助魔法もなしで大丈夫です。とりあえず、しんがりをお願いします。威力よりスピード重視の魔法で!」
「は、はい……!」
プリシラは緊張で耳をぴんと立てながら、後方警戒へ意識を向ける。
ワンドを握る手は震えていたが、目は逸らしていない。
そして、誰よりも早く動いたのは、やはりライトニングだった。
一歩。
いや、一歩に見えたのは残像だけだ。
光の速さで間合いを詰め、その細身の剣が白亜へ走る。
甲高い金属音。
切れている。
だが、思うようには通らない。
白亜の外殻は想像以上に硬い。
浅く穿つだけで、内部まで届かない。
ライトニングは舌打ちひとつしない。
ただ、低く吐き捨てた。
「最近、こんな敵ばかりだな……面倒だ」
そのまま大きく距離を取る。
床を蹴る音すら小さい。
彼女は剣を正眼に構え、剣先にだけ魔力を集中させた。
空気が一点へ絞られる。
「スキル、《雨垂れ》」
剣先が閃いた。
雨垂れが石を穿つように。
一滴一滴は小さく見えるのに、確実に同じ場所を抉る。
白亜の胸部、その一点に細く鋭い穴が空いた。
甲高い音のあと、白い外殻に黒い亀裂が走る。
ライトニングは剣を下ろしながら、横目で言った。
「全く……相性の悪い相手だ。一等星の出番だな」
オリオンは、そこで剣と異様に大きな盾を納めた。
カイトが思わず声を漏らす。
「なぜ??」
オリオンは答えない。
その代わり、体内の魔力が一気に膨れ上がった。
特に腕。
そこだけ、まるで別の生き物が宿ったみたいに苛烈な魔力が浮かび上がる。
獣の前脚。
巨獣の顎。
そんなものを連想させる荒々しい魔力だ。
オリオンは一言、ふんと息を吐いた。
それだけで、次の瞬間には白亜が潰れていた。
殴打ですらない。
何か“圧”で押し潰されたみたいに、白い外殻が歪み、砕け、床へ沈む。
もう一体。
さらに一体。
小型白亜が扉の向こうから次々と出てくるたび、ライトニングが穿ち、オリオンが叩き潰す。
無駄がない。
躊躇もない。
まるで最初から、そこにあるべき役割が決まっていたみたいだった。
フェルクはというと、別の意味で異様だった。
白亜と遊んでいるようにしか見えない。
わざと半歩遅れ、ぎりぎりで躱し、手首だけで短剣を当て、相手の動きの癖を試すように左右へ流している。
倒そうと思えば倒せる。
なのに、今は倒さない。
カイトとメグは訝しげにその動きを見ていた。
「……なんで、あの人だけ……」
「遊んでる……?」
エルツーはそれを聞きながら、小さく思った。
(まあ、新人にはわからないよね。今はいいか)
フェルクは遊んでいるわけじゃない。
遊んでいるように見せながら、白亜の認識範囲、追尾の癖、間合いの詰め方、その全部を測っていた。
だが、今それを説明しても仕方ない。
案の定、プリシラには役目が回ってこなかった。
後方警戒をしながら、小型の速度重視魔法を撃つ準備だけはしていた。
だが、撃つ前に敵が倒れる。
ワンドを構えては下ろし、構えては下ろし、という微妙に居場所のない状態になっていた。
「う……」
少しだけしょんぼりした声が漏れる。
ライトニングがちらりとそちらを見るが、今は何も言わない。
結局、大した戦闘にはならなかった。
最重要部の扉から湧いた小型白亜は、ライトニングとオリオン、それにフェルクの観察だけで、短時間のうちに沈黙した。
静寂が戻る。
白い残骸だけが、床にいくつも転がっている。
砕けた外殻、歪んだ関節、穿たれた穴。
どれも、さっきまでこちらを殺そうとしていた機体だったとは思えないほど、今は無残に止まっていた。
カイトとメグは口をぱくぱくさせている。
言葉が出ない。
理解も追いついていない。
試しにカイトが、近くの白亜の残骸を柄で軽く叩いてみた。
ごん、と鈍い音。
もちろん、死ぬほど硬かった。
傷ひとつつかない。
石でも鉄でもない、得体の知れない硬さ。
その硬い外殻を、ライトニングは穿ち、オリオンは圧し潰し、フェルクは遊びながらいなしていた。
尚更、ぞっとした。
メグがかすれた声を漏らす。
「……これを、あんなに簡単に……?」
カイトの喉が鳴る。
「S級って……」
それは憧れの響きだったはずだ。
目指すべき高みの名前だったはずだ。
でも今、その言葉は少しだけ別の意味に見えた。
遠い。
途方もなく遠い。
オリオンは、白亜の残骸を足先で軽く転がしながら低く言った。
「プラナリアという二つ名だけだと思っていたが、存外S級も伊達ではないな」
フェルクが露骨に嫌な顔をする。
「その名前で呼ぶなっての……」
カイトはぽかんとしていた。
「???」
メグも困惑したまま、残骸とフェルクを交互に見る。
「え……どういうことですか……」
ライトニングはその問いに答えながら、なぜか隣のプリシラの毛並みをもふもふしていた。
緊張を解いてやるつもりなのか、単に触り心地が良いのかは分からない。
プリシラは「ひゃ……」と小さく声を漏らしながらも、嫌ではなさそうだった。
「遊んでいるように見えただろ?」
「は、はい……」
「この男、いやらしくも敵の動線を全部、私と一等星に向くように牽制していたようだ」
カイトとメグが揃ってフェルクを見る。
フェルクは肩をすくめた。
「へへへすげーだろ?」
「黙れ」
ライトニングは即座に切った。
「それと……わかったんだろう? 弱点が」
フェルクは白亜の残骸を軽く蹴る。
倒れた機体の胸部で、まだ細く火花が散っていた。
「ちょっとは褒めろよ……」
ぶつぶつ言ってから、ようやく答える。
「まあ、こいつ多分、電気系の攻撃流したら一発だわ」
メグが目を見開く。
「電気……?」
「外殻は硬ぇ。関節も丈夫。
でも内部の制御系は思ったより古い。
最近の魔導具みたいな対電処理が入ってねえ」
オリオンが低く頷く。
「なるほど」
フェルクは続ける。
「考えりゃそうだよな。
電気系の魔法は最近発見されたし。
王政末期の防衛機構なら、そりゃ想定外だ」
プリシラの耳がぴくりと立つ。
「で、電気系……」
ライトニングはようやくプリシラの毛並みから手を離した。
「あぁ、成程。だったら、もうお前達に出番はないな」
カイトとメグがぎょっとする。
「えっ」
ライトニングは剣を肩に担ぎ直し、五層へ続く扉を見る、空気が少し変わる。
プリシラは目を丸くする。
「き、綺麗……」
オリオンが低く頷く。
「そうだな。閃光の独壇場だ」
フェルクが口元を緩める。
「まあ、俺と一等星で抑えてる間に、お前が焼き切れって話だな」
「言われなくてもそうする」
エルツーはそこで口を開いた。
「プリシラはまだ温存です。大型の挙動と白亜の制御の癖を見切るまでは、前に出なくていい」
「は、はい……!」
ライトニングも短く続ける。
「焦るな。お前の火力は切り札に回した方がいい」
プリシラはこくこく頷いた。
カイトとメグは、まだ理解が追いついていない顔でライトニングの剣を見ていた。
刀身を走る雷光は、ただ綺麗なだけじゃない。
見ているだけで、本能が触れるなと告げてくる。
「……あれが、“閃光”」
メグが呟く。
カイトも喉を鳴らした。
「剣なのに……雷そのものだ……」
ライトニングは剣を一振りし、青い残光を細く残す。
「さあ、次は本番だ。白亜がどこまで耐えられるか見てやる」
エルツーは白い残骸の向こう、最重要部へ続く扉を見つめていた。
まだ開いていない。
だが、その向こうに“本命”がいることを、空気が告げている。
アムラが肩口でわくわくした声を漏らす。
「いやあ。前座にしては豪華だったね」
エルツーは小さく頷く。
「うん」
「でも、これで新人も少しはわかったんじゃない?」
「どうだろうね」
エルツーは振り返る。
カイトとメグの顔は青い。
プリシラは少しだけ落ち込んでいる。
ライトニングは平静。
オリオンも静か。
フェルクだけが、楽しそうですらあった。
エルツーはそんな面々を見回して、いつもの調子で言った。
「よし。じゃあ、ここから先が本番ということで」
静寂の中で、砕けた白亜の破片がまだ床を転がっていた。
焦げたような匂いと、かすかに残る戦闘の余韻。
五層へ続く扉は、まだ閉ざされたままだ。
その前で、フェルクが肩を回しながら、にやりと笑った。
「んで、俺の出番はあんのか? エルツー?」
エルツーは通路の先を見たまま答える。
「ここからはお願いします。流石にここで僕が前に出ると、少しリスクが上がりそうなので」
その言い方に、一同はまた小さく引っかかった。
リスク?
何の。
なぜ。
どういう意味で。
けれど、その違和感に今は踏み込まない。
誰もがそう判断した。
今は、目の前の先へ進む方が先だった。
フェルクが今度は先陣を切る。
第五層に足を踏み入れた瞬間、空気そのものが張り詰めたように鋭く、肌を刺すような緊張感が漂っていた。
さっきまでのだらしない雰囲気が嘘みたいに消える。
歩幅は大きくない。
だが、踏み込みに無駄がない。
視線は左右に散り、壁、床、天井、通路の継ぎ目を舐めるように拾っていく。
慣れた動作で、ずんずん進んでいった。
最後尾をオリオンが固める。
前と後ろ。
両端に歴戦がいるだけで、隊の空気が明らかに変わる。
フェルクはトラップの存在に気づきながら進んでいた。
床のわずかな沈み。
壁の目地に隠れた射出口。
通路の石の色の違い。
けれど、それをいちいち口にしない。
踏ませず、触れさせず、ただ自然に避けていく。
カイトとメグはそれに気づけない。
プリシラも、かろうじて「何か危ないものがあるらしい」と感じる程度だ。
ライトニングだけが、その歩き方を見て小さく息を吐いた。
「……ほんと、いやらしいやつ」
フェルクが前を向いたまま笑う。
「褒め言葉として受け取っとくよ」
ある程度進むと、通路がふっと開けた。
最奥手前の広間。
天井は高く、古い魔導灯がまだ青白く灯っている。
床は幾何学模様の石組み。
中央には破損した古い台座。
そして、その周囲に――
中型の白亜が数体、静かに立っていた。
小型とは違う。
全高は二・五メートルほど。
それは虫じみた機械ではなく、人を模した白い巨人だった。
白磁めいた外殻に包まれた細長い身体。
関節部だけが暗く、そこにだけ内部機構の生々しさが覗く。
顔には目鼻らしいものがほとんどなく、仮面のような無表情だけが貼りついていた。
その手には、大きなハルバートが握られている。
武器まで含めれば、立っているだけで威圧感があった。
そして何より、その立ち姿には妙な見覚えがある。
ディルクが見せた試作機、《カカシ》。
あれをもっと大きく、もっと完成度高く、もっと不気味にしたなら、たぶんこうなる。
エルツーは確信する。
(構造はほぼ同一……いや、違う。制御の精度が段違いだ。あれは単なる自律兵器じゃない。判断している……学習している? ディルクさん、どこまで踏み込んだんだ……)
誰も動かない。
だが、次の瞬間にはこちらへ気づく。
感知器が赤く染まり、大きな警告音が鳴り響いた。
耳障りな金属音。
そして、白亜たちが古代語で何かを発し始める。
一同の顔に、綺麗に同じ表情が浮かぶ。
「「「?????」」」
グライドが肩口で吹き出した。
「こいつらめちゃくちゃ言ってくるな!!」
プリシラがひいっと肩を縮める。
「そ、そんなこと言われても……」
オリオンがすぐに振り返った。
「プリシラ、わかるのか!?」
プリシラは耳を伏せたまま、怯えた声で答える。
「あの……生きて帰りたくば首を差し出せって言ってます……」
一拍。
フェルクが腹を抱えるように笑った。
「めちゃくちゃだな」
だが笑っていられたのは一瞬だけだった。
次の瞬間、部屋の四方――壁際の封鎖線、天井近くの格納孔、床の沈み蓋。
そこから小型の白亜が大量に湧いてきた。
とんでもない量だった。
さっきまでの数体とは違う。
一度に、視界を埋めるほどの白い機体が現れる。
規則的な足音。
感知器の赤光。
無数の視線。
カイトが思わず息を呑む。
「うそだろ……!」
メグの顔色が変わる。
「多すぎる……!」
プリシラも固まりかけたが、エルツーの声が飛んだ。
「みんなはこっち」
エルツーは周囲を一瞬だけ見渡し、少し離れた場所へ新人三人を連れていく。
まるで、最初からそこを使うと決めていたみたいな動きだった。
カイト、メグ、プリシラを、ほぼ一直線に、その地点へ立たせる。
バミリでも打ってあるみたいに、ぴたりと。
フェルクが前方で白亜の数を数えながらも、その動きにちらりと目をやった。
エルツーがプリシラへ向く。
「プリシラ、ここの周りに防御魔法張れる?」
「え? あ……はい」
「じゃあ、お願い」
プリシラは慌ててワンドを構える。
けれど詠唱は速かった。
「じゃあ、三重で掛けましょう。
《リフレクション》。《バリア》。《プルーフ》」
魔法陣が瞬時に展開する。
一枚。
二枚。
三枚。
透明な層が、空気そのものを折りたたむようにして重なる。
反射、防壁、耐性付与。
性質の違う三種の防御が、あっという間に新人二人とプリシラ自身を包み込んだ。
オリオンがその一瞬の構築速度を見て、低く唸る。
「ほう。これはなかなか。王の直轄魔法部隊にも引けを取らない魔法だな」
プリシラは「そ、そうですか……」と答える余裕もなく、次の詠唱に備えていた。
その時だった。
ライトニングの髪が、少しだけ電気を帯び始めた。
細い毛先に青白い火花が走る。
彼女の周囲の空気がぴりつく。
剣先に集まる魔力が、もう隠そうともしない。
そして彼女は、悪魔みたいに笑った。
「やっと……やりがいのある相手だな」
その声は低いのに、妙に弾んでいた。
面倒だと零していたさっきまでとは明らかに違う。
久しぶりに、心の底から相性のいい敵を前にした顔だった。
次の瞬間。
雷鳴の轟音が如き速さ。
それ以外に言いようがない踏み込みだった。
小型の白亜が一体、二体、三体。
視認する前に、すでに斬られている。
さっきまでと違い、今度の剣はまるで豆腐を切るみたいだった。
刀身に走る電光が、白亜の外殻を通り越して内部へ焼き込み、斬撃と同時に制御系を断つ。
白い機体が、あまりにもあっさり割れていく。
カイトが呆然と呟く。
「……は?」
メグも言葉が出ない。
「な、なんで……」
答えは見えているのに、理解が追いつかない。
雷を帯びた閃光の剣。
それが白亜にとって、最悪の相手だった。
ライトニングは止まらない。
横薙ぎ。
返し。
踏み換え。
一閃ごとに白亜が沈む。
その口元は、ずっと薄く笑っていた。
「はっ……はははっ!」
短く息を吐く。
それだけで、また一体。
楽しんでいる。
誰の目にも、もうそれは明らかだった。
ただ敵を処理しているんじゃない。
久しぶりに、思い通りに剣が通る快感に、身体ごと乗っていた。
「スキル、《紫電》」
剣閃がぶれた。
いや、ぶれたように見えたのは、雷光が刀身の軌跡を遅れてなぞったからだ。
細く鋭い紫の電光が一直線に走り、並んでいた小型白亜の胸部をまとめて焼き抜く。
三体の感知器が同時に赤を失い、崩れ落ちた。
ライトニングはそのまま床を蹴り、今度は中型へ踏み込む。
ハルバートが振り下ろされる。
だが、その軌道に入るより先に、彼女の姿が消える。
「遅い遅〜〜い!」
中型の背後。
首筋の関節へ雷光を帯びた突きが走る。
「スキル、《雷糸》」
刺突の瞬間、刀身から糸のように細い電流が内部へ流れ込んだ。
白磁の外殻の継ぎ目から青白い火花が散り、中型の膝が崩れる。
そこへ返す刃。
「スキル、《雨垂れ》」
一点。
また一点。
さらに一点。
雨垂れが石を穿つように、同じ箇所だけを正確に抉っていく。
胸部装甲に細く鋭い穴が空き、次の瞬間、内側から亀裂が弾けた。
中型が沈む。
ライトニングの頬には、うっすらと上気すら見えていた。
「いい……やっぱり、こういうのだ!!」
小さな独り言だった。
けれど、それは確かに戦いを楽しんでいる声だった。
中型がさらに割って入る。
だが、そちらも数撃加えるだけで十分だった。
電光を纏った斬撃が関節と胸部を穿ち、次の瞬間には中型すら崩れ落ちる。
フェルクがその横で、近寄ろうとする小型をわざと泳がせながら笑う。
「おーおー、独壇場だな」
オリオンもすでに一体を拳圧で沈めていたが、今はあえてライトニングの動線を開けていた。
彼女が最も通る位置へ、敵を寄せるように。
エルツーはそれを見ながら、小さく頷く。
「うん、完璧」
プリシラの防御壁の内側では、カイトとメグが完全に口をぱくぱくさせていた。
さっき残骸を叩いて硬さを確かめたせいで、なおさら目の前の光景が信じられない。
あれを、あんなふうに切れるのか。
しかも、嬉しそうに。
迷いなく。
圧倒的に。
白亜の警告音が、次々と断ち切られていく。
古代語の罵声も、途中でぷつりと途切れる。
広間には、青白い残光と、砕けた白亜の残骸だけが増えていった。
やがて、最後の中型が二つに割れ、床へ沈む。
静寂。
電気の焼ける匂いだけが、まだ空気に残っていた。
ライトニングは剣を払う。
その髪に残っていた火花も、ゆっくり消えていく。
「……はぁ〜、疲れた」
そう言いながらも、その顔にはまだ満足げな笑みが残っていた。
フェルクが肩をすくめる。
「いや、お前が楽しそうすぎるだけだろ」
オリオンは小さく息を吐いた。
「大型もこれで済めばいいがな」
その言葉だけが、まだ終わっていないことを全員に思い出させた。
広間の先。
最重要部へ続く扉は、まだ開いていない。
だがきっとその向こうに、本命が控えている。
大型の白亜が鎮座しているはずだろう。




