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おすすめのお菓子

 最初に異変に気づいたのは、受付側だった。


「……え」


 小さな声が漏れる。


 書類を捌いていた若い職員が顔を上げ、そのまま目を見開いた。


「うそ……」


 視線の先。

 ロビーを横切っていく大柄な背中。

 見間違えるはずがなかった。


「一等星のオリオンさん……?」


 その囁きに、隣の受付も反応する。


「は? どこ――って、えっ!?」


 一気に空気が変わった。


「うそ、戻ってきた!?」

「ちょっと待って、なんで!?」

「もうダメかと思ってたのに……!」


 声を潜めてはいる。

 だが、隠しきれない動揺がそこらじゅうに走る。


 金剛石の矢が壊滅してから、オリオンは常夜灯と共同墓地のあいだを沈むように行き来していた。

 ギルドに顔を出すことはほとんどなく、運営側も半ば、もう戻らないものとして扱い始めていた。


 それが今、こうしてビリジオンのロビーをまっすぐ歩いている。


「すぐ、ギルド長に……!」


 一人が慌てて立ち上がりかける。


「いや、もう執務室に向かってる……!」

「じゃあ誰か先に知らせて!」

「急いで、急いで!」


 受付の奥が、にわかに慌ただしくなる。


 その少し奥、執務室付きの机で書類整理をしていたサラも、そのざわめきに顔を上げた。


「何ですか、騒が――」


 言いかけて、止まる。


 ロビーを横切る五人組。

 その最後尾にいる大柄な男を見た瞬間、サラの表情から気だるさが消えた。


「……オリオン……さん」


 思わず立ち上がる。


 自分でも考えるより先に、姿勢が伸びていた。


 昔から、あの人には頭が上がらない。


 クエストの手配ミス。

 現場との食い違い。

 冒険者側の不満。

 本来なら運営が被るべき火の粉を、あの男は何度も前に立って受けてくれた。


 責めもせず、貸しも作らず、ただ当然みたいに片づけていった。


 だからサラは知っている。

 あの看板である男が戻ってくるということが、ただの元S級の帰還ではないことを。


 サラはすぐに執務室の扉へ向かい、いつもより少しだけ低く、丁寧な声で告げた。


「ディルク様。オリオンさんがお見えです」


 サラは(かしこ)まって重厚な扉を開けた。

 扉を開けるとそろそろ来るだろうと想定していたのか、

 ディルクは執務机の向こうで、目の前の面々をひと通り見渡し、口元に笑みを浮かべた。


「なるほど、これはなかなか荘厳ですな」


 面白いものを見た、とでも言いたげな笑い方だった。


 ライトニングはそんなことは気にも留めず、ずっと気になっていたのかプリシラの後ろに立って毛並みを整えている。

 耳の後ろから首筋へ。

 それから、ふわりと揺れる尻尾まで。

 朝の支度の続きみたいな手つきで、手早く整えていく。


「ちょっと、動かないでくれるか?」


「は、はいっ」


 プリシラは嬉しそうに背筋をぴんと伸ばしたまま固まっていた。


 オリオンは一歩前に出て、低く口を開く。


「ギルドマスター…………お久しぶりです」


 ディルクは肩をすくめた。


「何を言っているのですか、敬語はやめてください。そういう仲ではないでしょう?」


 それから、少しだけ目元を和らげる。


「……またお会いできてよかったです。一等星」


 オリオンはそれ以上は何も言わなかった。

 だが、露骨に空気を悪くする事もなかった。


 その横では、フェルクが勝手に部屋の端のソファへ座り込み、置かれていた茶菓子を遠慮なく頬張っていた。


「ん、これうま…………今度お土産にしよ」


 勝手すぎる振る舞いだったが、ディルクはまるで気にしない。


 プリシラがその茶菓子を、ちらちらと物欲しそうに見ていた。


 ディルクはすぐに気づいて、にこやかに菓子皿を差し出す。


「よければ、そちらのお嬢さんもどうぞ」


「えっ、い、いいんですか?」


「もちろんです」


 プリシラはぱっと顔を明るくして、そっとひとつ摘まんだ。


 ぱく、と口に入れる。

 次の瞬間、耳がぴくりと立つ。


「……おいしいです」


「そうでしょう」


 ディルクは満足そうに笑う。


 プリシラはそのまま二つ目に手を伸ばしかけて、横からライトニングに止められた。


「こら、一気に食べない」


「は、はいっ」


「喉に詰まらせるぞ?」


 言いながらも、皿は食べやすい位置に寄せてやる。

 プリシラは尻尾を揺らしながら、今度は少しだけ慎重に菓子を口に運んだ。


 エルツーはその様子をひと息ぶん眺めてから、話を戻す。


「ディルクさん!!それでは、早速クエストを――」


「もちろん構いませんが…………」


 ディルクが笑顔のまま遮った。


 その言葉に、室内の空気が少しだけ止まる。


「どなたがパーティのリーダーに?」


 数秒、沈黙。


 エルツーが小さく目を見開いた。


「あ……」


 それから、少しだけ困ったように頭を掻く。


「……忘れてた」


 フェルクが茶菓子を咀嚼しながら吹き出す。


「おいおい」


 ライトニングは呆れたように眉を寄せた。


「全く、そこを忘れるか?普通に考えて……」


 ディルクは机の上で指を組んだまま、穏やかに続ける。


「そうですね、ここにいるメンバーだと……現時点で形式上リーダーにできる可能性があるのは、プリシラ嬢だけになりますね。ですが、そもそも冒険者登録と講習すら最後まで済んでいませんからね。申請にはまだまだ時間がかかるでしょう」


 突然名前を出されて、プリシラがぶんぶんと首を振った。


「わ、私ですか!?無理ですっ! わたし、無理です! 無理無理無理!無理ですから……!」


 ロッドを抱えたまま、必死の形相で訴える。


 ライトニングがすぐに肩へ手を置いた。


「落ち着け。今すぐお前にやらせる話じゃない」


「で、でも……!」


「そもそも、そんな事面倒な事はやらせん」


 そう言い切ると、プリシラは少しだけしゅんとしながらも黙った。


 オリオンは腕を組んだまま、低く言う。


「制度上の穴か」


「はい、そういうことです」


 ディルクはにこやかだった。


「実力と、公的な手続きは別ですから」


 フェルクがソファの背に頭を預けながら笑う。


「いや〜〜、安心したわ。お前にもそういう抜けてるところあるんだな」


「僕をなんだと思ってるんですか」


 エルツーはひとつ息を吐いて立ち上がる。


 メンバー集めに必死で見事に足を取られた。


「そしたら、みなさんちょっとだけ待っててください、見つけてきます」


 そう言って、エルツーは踵を返した。


 フェルクが菓子をくわえたまま問う。


「どこ行くの?」


「ロビーです」


 エルツーは振り返らずに答える。


「手頃なリーダー探してきます」


 ライトニングが顔をしかめる。


「手頃ってなんだ」


「今の僕たちに都合がよくて、できればあまり面倒じゃない人……ですかね?」


「いるのか、そんなの」


 エルツーは扉に手をかけたまま、少しだけ笑った。


「いるんじゃないですか?多分」


 そうして、執務室の扉が閉まった。


 室内に、少しだけ妙な間が落ちる。


 最初に動いたのはディルクだった。


「はい、プリシラさん」


 どこから出したのか、小さな菓子皿をもう一枚差し出す。


「こちらもどうぞ」


「えっ、い、いいんですか!?」


「もちろんです、私のお気に入りです」


 プリシラは尻尾をぶんぶん揺らしながら、今度はためらいなく摘まんだ。


 ぱく。

 ぱく。

 ぱく。


「……そんなに一気に食べるな」


 ライトニングがすぐに横から口を出した。


「喉に詰まらせるぞ」


「は、はいっ」


 言いながらもうひとつ取る。


「全く、聞いてないな」


 ライトニングは呆れたように言いながらも、皿が遠すぎない位置に寄せてやる。


 フェルクは端のソファに沈んだまま、腕を目元に乗せた。


「じゃあ、俺は寝る」


「寝るな」


「ふて寝だよ」


「なんだ(ひねくれ)くれてるのか?リーダーになれなくて」


 そんなやり取りを横目にオリオンは一歩前に出て、低く口を開いた。


「ギルドマスター、変わりませんね……」


 ディルクは肩をすくめ、小さく笑った。


「全くいない間、大変だったんですよ?」


 オリオンはほんのわずかに眉を寄せる。


「……申し訳ない」


 その返しに、受付に座っていたサラが一瞬だけ目を伏せた。

 相変わらず、この人はそういうところが律儀すぎる。


 だがディルクは、そこでようやく本当に柔らかく笑った。


「冗談です。戻ってきてくれてよかったですよ」


 オリオンは少しだけ間を置き、低く返す。


「まだ戻るつもりはないんですけどね……」


 ディルクはその言葉すら織り込み済みみたいに頷いた。


「ええ、知っています。それでも、顔を見せた時点で十分です」

 そのオリオンの横顔は、昨日までの死に損ないの顔よりはマシだった。


 そんなやり取りを横目に、

 プリシラがもぐもぐと菓子を食べるたび、ライトニングが水差しの位置を直す。

 フェルクは寝ているようで寝ていない。

 ディルクはそれを見て、相変わらず楽しそうに笑っている。

 即席で、未完成で、まとまりのない集まり

 それでも、この投先案件は昨日より更に前へ進んでいた。


---


 執務室を出たエルツーは、二階の廊下から下のフロアを見下ろしている。


「さ〜て、手頃なヤツはいないかな〜」


 肩口のあたりで、グライドが呆れたように笑う。


「手頃でいいの?」


「まあ、所詮お飾りだからねー」


「言い方悪いね〜」


「否定はしないよ」


 ロビーは昼のざわめきに満ちていた。

 依頼掲示板の前で腕を組む者。

 受付に並ぶ者。

 仲間内で大声を上げている者。


 その中で、エルツーの目がふと止まる。


「あー、あの子いいかも」


 受付に、背筋をぴんと伸ばした若い男女が立っていた。


 まだ17歳前後だろう。

 緊張と高揚がそのまま顔に出ている。


 ブロンドの髪を靡かせる、青い瞳の少女。

 そして、炎のようなオレンジ色の髪に、緑の瞳をした青年。


 ナナが書類を整えて、二人へ差し出している。


「はい、こちらの書類で全て完了です。おめでとうございます、これで本日より正真正銘の冒険者ですね!」


 その言葉に、青年の顔が一気に輝いた。


「メグ! やっとこれで冒険者になれたぞ!!」


 少女――メグもぱっと笑う。


「やったね! カイト!! 頑張ってS級目指そうね!!」


 その眩しさに、エルツーは少しだけ目を細めた。


 懐かしい。

 そして、実にちょうどいい。

 ぐへへ、と悪い顔で笑う


 グライドが肩口で腹を抱えた。


「うわー、可哀想な子達だな〜」


「なんでよ」


「いや絶対逃さないじゃん」


 エルツーは軽快に階段を降り、そのまま二人へ向かった。


「やあやあ君たち! 新人冒険者?? いいねー、よければお祝いさせてよ!!」


 いきなり話しかけられて、メグがびくっと肩を揺らす。

 カイトは逆に目を丸くしたあと、すぐに顔をほころばせた。


「え?? ありがとうございます。。。。えーっとどちら様ですか?。。。。」


 対してカイトは、ぱあっと顔を明るくする。


「え!?」

「わーーーー!! 珍しいなー!! しかも声をかけていただけるなんて!!」


 グライドはもう爆笑していた。


「だめだ、だめだこの子、光属性すぎる」


 エルツーは何食わぬ顔で続けた。


「あ、急にごめんなさい。フレッシュな新人冒険者を見て、懐かしい気持ちになったので」

「よければこの後、2階の談話室で君たちにお祝いさせてよ!」


「談話室……?」


 メグの警戒心が一段上がる。


 だが、カイトはもう半分乗り気だった。


「えっ、いいんですか!? すごいな、メグ!」


「いや、ちょっと待って、カイト……!」


 その時、カウンターの奥からナナが鋭い声を上げた。


「ちょっとツー!! 何考えとうと!?」


 エルツーは振り返って、ひらひらと手を振る。


「まあ、まあ。他意はないから」


「ダメダメダメ!! 絶対ダメやけん!!」


 ナナはすっかり職員の顔を忘れて、思いきり素の声で言った。


「そげん言い方で安心してついていく人、おるわけなかろうもん!!」


 メグはそのやり取りを見て、なおさら不安になる。

 だが、カイトは空気を読まない。


「行こうぜ、メグ! せっかくだし先輩にアドバイスもらおう!」


「せっかくだし、じゃないのよ……!」


「まあまあ、大丈夫、大丈夫!美味しいお菓子もあるから!」


 エルツーは柔らかく笑った。


「悪いようにはしないから、ね?」


 その言葉が、逆に少し怪しい。


 それでも二人は、とりあえずついていくことになった。


 エルツーの背を追いながら、階段を上る。

 二階へ入る。

 廊下を進む。


 談話室と言われたわりに、どんどん奥へ向かっていく。


「……ねえ、カイト」


「ん?」


「談話室って、こんな奥だった?」


「え、いや……どうだろ」


 さすがのカイトも、ここで少しだけ声が弱くなった。


 グライドは横で楽しそうに囁く。


「いいねえいいねぇ、だんだん不安になってきた」


「妖精なのに、君ほんと性格悪いね」


「君ほどじゃないよ〜」


 そして、たどり着く。


 重厚な扉。

 談話室どころではない。

 明らかに、もっと上の人間が使う部屋だった。


 メグとカイトが揃って足を止める。


「……え?」


 その直前、執務室付きの受付でサラが、二人を訝しげに一瞥した。

 この男はまた変なことを始めた……というような顔だった


 視線の意味ははっきりしている。

 ――お前たち、きっと騙されてるぞ?


 メグの喉がこくりと鳴った。


 エルツーは気にした様子もなく扉に手をかける。


「失礼します」


 扉が開く。


 その瞬間、カイトたちはぞっとした。


 中にいたのは、ただのギルド職員ではなかった。


 にこにこと笑うギルドマスター、ディルク。

 ソファでだらけたまま菓子を食っている男。

 それを睨みもしない、大柄で無言のどこかで見た黒髪の男。

 鋭い美貌でこちらを一瞥する身の回りではいないような女剣士。

 その隣で尻尾を揺らしながら菓子を食べている、ひどく大きな獣人の少女。


 この空間だけ空気が違った。


 カイトの背筋を冷たいものが走る。

 メグはほとんど反射的に、一歩後ずさった。


 エルツーだけが、いつも通りの柔らかい声で言った。


「お待たせしました。リーダー、連れてきました」

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