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13/20

チョコ作りは温度が命。

 オリオンを説得する前日、

 フェルクは時間を持て余していた。


 借金は消えた。

 気分は軽い。

 だからといって、すぐに夜の街へ行くにはまだ少し早い。


「さて、どうしたもんかねえ」


 そう呟いて、フェルクは歓楽街の方角とは逆へ足を向けた。


 帝都の中心街。

 その中でも北部寄りの区画は、昼の熱気を少しだけ引きずったまま、夜の支度に入りかけていた。

 目抜き通りには石畳がまっすぐ伸び、洒落た衣料店や香油の店、装飾品を扱う店が軒を連ねる。

 歓楽街の濃い色気とは違う、上品ぶった華やかさがある場所だ。


 ぶらぶらと通りを流していると、色とりどりの包み紙が並ぶ小洒落た店先が目に入った。


 最近、若い女たちのあいだで流行っているという菓子屋だ。

 看板には、やたら気取った文字で“ちょこれゑと”と書いてある。


「へえ。これが噂のチョコレートってやつか」


 甘い香りがふわりと流れてくる。

 小箱に詰められたそれは、どうにも値段のわりに小さい。

 だが、女が喜びそうな見た目はしていた。


 店に入ると、若い店員がにこやかに頭を下げた。


「これ、人気あるんです?」


「はい、最近は特に若いお嬢さま方に」


 フェルクは並んだ箱をひとつ持ち上げ、軽く眺める。


「お姉さんも好きなの?」


「はい、大好きです」


 店員が少しはにかむ。

 フェルクはにやっと笑った。


「可愛いお姉さんが好きなら間違いないね」


「そ、そんな……」


 耳まで赤くなった店員に、フェルクは肩を竦める。


「じゃ、これで」


 会計を済ませ、小箱をふたつ受け取る。


 その少し離れた場所で。


 薄緑の髪が、ぴくりと揺れた。


「……何してるのよ、あの変態。今ここで脳天叩き割ってやろうかしら」


 エイルだった。


 今日はいつもの戦闘の空気ではない。

 軽やかな上着に、身体の線を綺麗に見せる上品な装い。

 色味も柔らかく、髪も丁寧に整えられている。

 普段から可愛い格好が好きなのだろう、ちゃんとおしゃれをしているのがわかる。


 そのくせ、腰にはいかついメイスが下がっていた。

 台無しである。


 本人は上手く隠れているつもりらしい。

 だが、見える。普通に見える。

 柱の陰から半分くらい顔を出して、こっちを睨んでいる。


 フェルクは吹き出しそうになるのをこらえた。


 ――あ、尾けてきてる。


 しかも、めちゃくちゃ殺意高い。


 だが、それ以上に気になっているのだろう。

 腹が立つ。気に食わない。なのに目が離せない。

 そういう視線を、フェルクはよく知っていた。


「へえ……」


 わざと気づかないふりをして、フェルクは店を出る。

 小箱を指先で軽く揺らしながら、そのままゆっくり夜の街へ足を向けた。


 ***


 風俗街は、夜が本番だ。


 だが、日が完全に落ちきる前から、通りそのものは少しずつ色づき始める。

 提灯に灯が入り、香が焚かれ、店先の女たちが髪を整えながら客を待つ。


 まだ準備中の店も多い。

 戸を半分だけ開けたまま、掃除や支度をしているところがほとんどだった。


「あら、フェルクじゃない」


 通りの奥から、よく通る女の声が飛んだ。


 顔を上げると、顔馴染みの女将が店先からこっちを見ていた。

 年季の入った美人で、笑っていても目が鋭い。


「今日はまた早いねえ」


「いやあ、ちょっと時間を持て余しまして」


 フェルクがひらりと手を振ると、女将は呆れたように笑った。


「借金無くなったんでしょ? 今日はウチにしなよ〜」


「誰だよそんなことまで広めたの」


「そりゃ広まるでしょ。あんた、この街じゃそこそこ有名なんだから」


「悪名の間違いじゃね?」


「今さら何言ってんだい」


 そんなやり取りの少し後ろ。


 エイルは完全に場違いだった。


 薄緑の髪。

 色白の肌。

 整いすぎた顔立ち。

 しかも、いかついメイスを下げている。


 華やかな夜の通りを歩いているのに、妙な意味で浮いていた。

 まるでスラム街を歩く異国の令嬢みたいだった。


 当然、目立つ。


「お姉さん、初めて? うちどう?」

「その顔ならすぐ稼げるよ」

「今ならいい部屋空いてるけど?」


「……失せなさい」


 エイルはにこりと笑ったまま、メイスの柄を少しだけ持ち上げた。


 それだけで、男たちは一歩引いた。


「うわ、物騒……」

「やべ、そっち系かよ」

「顔はいいのに怖っ」


 エイルはそのまま睨み返す。


「次に声をかけたら、その軽い頭を重くしてあげる」


 笑顔のまま言うものだから、余計に怖い。


 フェルクは思わず肩を震わせた。


 ――あれ、面白すぎるだろ。


 だが、まだ声はかけない。

 気づいていないふりを続ける。


 通りの奥へ進みながら、顔馴染みの店に適当に顔を出しては、軽口を叩く。


「久しぶり、元気してた?」

「元気元気。あんたこそ、最近顔出さないじゃない」

「色々立て込んでてねえ」

「ふうん? で、今日は誰にするの?」


 フェルクはいつもの調子で笑う。

 相手が若い娼婦でも、年嵩の女将でも態度はほとんど変わらない。

 馴れ馴れしくはあるが、見下した感じはない。


 名前を覚え、前にした会話を覚え、土産まで忘れない。

 そういうところだけは妙に真面目だった。


「はい、これ。流行りのチョコ」


「えっ、なにそれ。あんたがそんなの買うの?」


「失礼だな。俺だって気の利く男くらいやれるよ」


「へえ、見直した」


「そこまで言われるとちょっと傷つくな」


 そのやり取りを、エイルは少し離れた柱の陰から見ていた。


 軽薄。

 女好き。

 最低。


 そう思っている。

 今もそれは変わらない。


 だが。


 フェルクは誰に対しても妙に優しかった。

 気に入った女だけに媚びるわけでもない。

 店の下働きの娘にも、年を取った女将にも、同じように軽口を叩いて、同じように笑わせる。


 そのくせ、金を払う側だからと偉ぶることもない。

 妙に自然体で、人懐っこい。


「……何なのよ、あいつ」


 最低な男だと思っていた。

 今も最低だとは思う。


 でも、思っていた種類の最低とは少し違う気がして、余計に腹が立った。


 その時、フェルクがふと振り向きかけた。


 エイルは慌てて顔を引っ込める。


 見つかったかと思った。

 だが、違う。


 フェルクは通りの向こうの馴染みの店へ向かって、にやにや笑いながら顎をしゃくった。


「おい、あそこの美人、暇そうじゃん。声かけてみたら?」


「はあ? どこの?」


「あの薄緑の子」


「えっ、あんな上玉がこの通り歩いてんの!?」


 女たちが一斉にそっちを見る。


「は!?」


 エイルの顔が一気に熱くなる。


「ちょ、ちょっとあんた――!」


 数人が興味津々で近づいてきた瞬間、エイルはメイスを半歩だけ前へ出した。


 空気が止まる。


「……近づいたら潰すわよ」


 笑顔のまま言うから、余計に怖い。


「うわ、こっわ」

「フェルク、あんた何連れてきてんのさ」

「俺じゃないよ。勝手についてきてるだけ」


 その返しに、エイルのこめかみがぴくりと動いた。


「ついてきてない!」


「へえ、じゃあ偶然?」


「…………」


 言い返せない。


 女将たちの笑い声が上がる。


 フェルクは肩を竦めて見せた。


「まあまあ。虐めんなって。純情そうだし」


「誰が!?」


 エイルは本気で殴りたくなった。

 だがここで暴れたら余計に面倒になる。

 それくらいの理性はあった。


 フェルクはそんなエイルを眺めながら、内心で笑っていた。


 ――やっぱ面白えな、この子。


 ただ、遊んでばかりでもない。

 時間はちゃんと見ていた。


 通りの熱が十分に上がり、店が本格的に回り始める頃。

 フェルクは顔馴染みの店にひょいと入り、そのまま奥へ抜けた。


 エイルは慌てて後を追う。


「ちょ、待ちなさいよ!」


 だが、入った先の店の中で女将に行く手を塞がれる。


「あんた誰?」


「え、いや、その……」


「予約? それとも訳ありかい? 人手は足りてるよ?」


「ち、違……」


「じゃあ帰りな」


 エイルが言葉に詰まった、その一瞬で。


 フェルクは奥の仕切りを抜け、さらに隣の店へ移っていた。


 完全に撒かれた。


「っ……!」


 エイルは歯噛みする。


 悔しい。

 腹が立つ。

 なのに、どこかで「やっぱり場慣れしてる」と認めざるを得ない自分がもっと腹立たしかった。


 ***


 その頃、フェルクは別の店の奥で、ようやく腰を落ち着けていた。


 向かいに座っているのはフェリシア。


 栗色の髪をゆるく流し、優しい目元の下には小さな涙ぼくろ。

 三十四歳。

 若い女にはない、柔らかな色気と落ち着きを持った女だった。

 年齢を重ねたからこその美しさがあり、歓楽街の女たちからも一目置かれている。


 噂では元貴族の令嬢とも言われているが、本人はその手の話になると笑って流す。

 ただひとつ確かなのは、この街の情報にとても精通していることだった。


 フェルクが本当に情報を取りたい時、頼る相手はだいたいこの女だ。


 フェルクは小箱のチョコを卓の上に置いた。


「ほら、手土産」


 フェリシアがくすりと笑う。


「あら、珍しい」


「たまには気の利いたとこ見せとかないと」


「それ、誰か別の女の子用に買った残りじゃないでしょうね?」


「ひどい疑われ方だなあ」


「疑われるだけのことしてるもの」


 そう言いながらも、フェリシアは嬉しそうに箱を開けた。


「今日は何が知りたいの?」


「常夜灯の大男」


 フェリシアの目が少しだけ細くなる。


「ああ、オリオン」


「知ってるじゃん」


「夜の街、なめないでよ」


 フェルクは肩を竦めた。


「で?」


「常夜灯の大男の話、うちに直接落ちてきたわけじゃないの」


 フェリシアはチョコを舌の上で転がしながら言った。


「でもね、上客ってのは妙なところで繋がるものよ。

 墓参り帰りに寄った男、荷運び帰りに酒を引っかけた男、共同墓地の近くを通る御者。みんな別々の話をしてるようで、ちゃんと同じ男を見てる」


「で、結論は?」


「その大男、毎晩みたいに常夜灯にいる。けど、酒だけが目的じゃない」


 フェルクが黙る。


「共同墓地の奥。そこに決まって目を向ける墓があるのよ。

 全部の墓じゃない。ひとつだけ」


「何か供えてる?」


「それが逆。何もないんですって。

 花も酒も、手向けた跡すらない。

 でも、何人もの話がそこだけ一致してる。

 “あの男は、いつも同じ墓を見ていた”って」


 フェルクは小さく目を細めた。


「名前は?」


 フェリシアは少しだけ間を置いた。


「……クレスト」


 その名を口にする時だけ、声がわずかに低くなる。


「知ってる客がいたのよ。昔、金剛石の矢を見てた古株。

 オリオンとクレストは幼馴染で、一緒に冒険者になったんですって」


「へえ」


「有名だったらしいわよ。

 大盾で前をこじ開けるオリオンと、横で頭を回す剣士のクレスト。

 あの二人でひとつ、みたいに言われてたって」


 フェルクは口元だけで笑った。


「そりゃまた、わかりやすい相棒だ」


「でしょう?」


 フェリシアはチョコの箱を指先でなぞる。


「でも、そのクレストだけが先に死んだ。

 だから今も、あの男はそこだけ見てるんじゃないかって。

 これは噂半分、憶測半分だけどね」


「十分だよ」


「そう?」


「線としては綺麗すぎるくらいだ」


 フェリシアはそこで、少しだけ目を細めた。


「ただ、変なのよ」


「何が」


「そこまで執着してるなら、普通は花のひとつでも置くでしょ。

 でも、あの男は何もしない。

 近づきもしない日があるって話まである」


「……認めてないのかもな」


 フェルクがぼそっと言う。


 フェリシアは答えず、ただ小さく肩を竦めた。


「そういう男、たまにいるわ。

 悲しんでるんじゃなくて、そこで止まってるの」


 フェルクはそこでようやく、小さく息を吐いた。


「なるほどねえ」


 ただの酒浸りじゃない。


 死んだ仲間の近くに沈んで、そこで何かを止めたまま生きている男。


 常夜灯。

 共同墓地。

 クレスト。

 決まった墓標。


 線が繋がった。


「ありがと」


「どういたしまして。で、そのチョコもうひと箱ある?」


「欲張るなあ」


「情報料」


「はいはい」


 フェルクは笑いながら、もうひとつの小箱をフェリシアの方へ押した。


 フェリシアはそれを受け取って、少しだけ唇を尖らせる。


「次はいつ来てくれるの? お話しだけで全然相手してくれないじゃない?」


 フェルクは肩を竦めて笑った。


「本気になっちまったら破産しそうだから、やめとくわ」


 フェリシアがくすくす笑う。


「口だけはほんと上手いんだから」


 夜はまだ長い。


 だが、今夜必要なものはもう拾えた。


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